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ユージーン

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Friend

151. People = Shit

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「ねえ、一つ訊いてもいいかしら、ラザロ」
 繭雲まゆぐも絢香あやかの甲高い声が、夜の闇を裂くようにラザロの耳に届いた。彼女の声はひどく耳障りで、キンキンする。ラクダの鳴き声を聞いている方がましなくらいだ。
 繭雲は、四つん這いになった人間の背に横柄に腰掛けて、猫のような目をラザロに向ける。椅子にされている人間には首枷がつけられており、格好はほとんど半裸の状態だった、まだ日中が暑いとはいえ真夜中の星空の下だ。男は体中を虫に刺されながら、寒さに震えている。
「どうして人間エサなんかと組んでビジネスなんかしてるわけ?」
 繭雲は、心底見下したような物言いをして、ラザロの部下の一人を顎で指す。ライフルを持った部下は人間で、吸血鬼ではない。この場にいるラザロの何人かの部下はそうであった。
 繭雲絢香の目は血走っており、ときおり舌舐めずりもしている。目を離せばをするだろう。そうなればまるまる一人分の血液を飲み干すはずだ。繭雲絢香の別名は“蟒蛇うわばみ”。ただし、酒の代わりに血液を欲する女だ。
「吸血鬼だけで物事を進めるのは、容易ではないからな。人間という存在を利用することで、目的に至る障害を回避することができる。きみはそうは思わないのか、繭雲絢香?」
「障害なんて、ねじ伏せればいいだけでしょ。逆らう者は殺せばいい。わたしたち吸血鬼はその力と権限がある。だって、この星で一番強いもの」
 繭雲はそう言うと、椅子にされてる人間の背中、ちょうど僧帽筋そうぼうきん辺りを、人肉を口に含んだ。そのまま口の中で肉に沁みた血を吸い終え、残りを吐き捨てる。男の悲鳴には、一切耳を貸してない様子だった。
「生まれながらに吸血鬼のわたしには、まったくもってわからないことがあるの。どうして食べられるべき人間が世界を支配しているの? 下位に位置する存在のくせに、我が物顔で闊歩かっぽして、わたしたち吸血鬼は日陰で生きなければならない。そんなの、おかしいでしょ」
「もともと俺たちは日陰者だ。吸血鬼の正体が露わになる前の時代の書物や映像作品を見たことないのか?」
「ないわ。本や映画なんて時間の無駄。誰かの頭の中で作られた都合のいい展開ばかりのものなんて、わたしは興味ない」
 繭雲はそう言うと、椅子から降りた。指を鳴らし、近くにいた黒服の部下に片付けを命じる。椅子は痛みのせいか呼吸を荒くして、涙を流していた。
 繭雲の側近がラザロに伝票を渡してくる。今回の取引分の武器の数と、こちらが渡す血液の量が記載されていた。ラザロはそれらに目を通して、サインする。その途中で、連れていかれたであろう椅子の男の悲鳴が聞こえた。
「終わったぞ、Ms.マユグモ」
Mrs.よ、ラザロ」
 そう言うと、繭雲は左手薬指の指輪を見せた。
「おや、ご結婚されていたとはな。名前が変わってないからわからなかったよ」
 それ以上を、ラザロは根掘り葉掘り聞きはしない。ただ、繭雲絢香が人間と婚約することなどありえないから、相手が吸血鬼なことは確定だろう。
「それにしても、こんな大きな工場を抱えてよく【彼岸花】や政府に見つからないわね」
「客のツテで最新のホログラム装置を使ってるからな。遥か彼方の宇宙からの目にも見つからんよ」
「ああ……つちかったコネだけは、まだ持ってるわけね」
 まるで、コネそれしか持ってないかのような物言いだった。
「けどこれなら、女子高生に変装した捜査官も入ってはこれないわね」
 的確に痛いところをつくように、繭雲は嘲笑う。
 あの日以来、自分の顔に泥が塗られたことは、ラザロ自身もよくわかっていた。辛くも捜査官たちから逃れたものの、取り巻く環境は大きく変わった。地べたを這いずりながら生き延びた自分を周囲の同胞たちは笑い、苦い顔をして離れていった。間抜けなこいつと商売をしたら、仲良く捜査官に捕らえられて全てが終わる、と。
 試行錯誤の末に、ゼロから始めたこの商売はすぐに軌道に乗った。密入国してくる吸血鬼の数は増えており、副業として始めた銃器の密売と、捕らえた人間の血液の売買も多少の小遣い稼ぎにはなっている。いずれ手のひらを返したバカどもが舞い戻り、擦り寄ってくるだろう。そのときは、そいつらのお得意さんを根こそぎ奪って、最終的に灰にしてやればいい。
「そういえば、知ってるかしら? 吸血鬼保護条約のこと」
「近々日本がアメリカとの協議で条約を結ぶことが確約していることか?」
 大きく取り沙汰されることはないが、吸血鬼に対する
処遇を変えていくとの内容が盛り込まれているのは、ラザロもニュースなどで耳にしたことがある。
 吸血鬼に対する世界の対応は様々だ。中国やロシアでは吸血鬼やそれに協力する者に対する厳格な処置を徹底しているし、イタリアでは政府機関とマフィア連中が秘密裏に結託して表と裏で吸血鬼を葬り去っている。急成長を遂げているアフリカ諸国では、国民全員に腕輪を取り付け、死亡したと同時に転化を防ぐための毒薬を体内に流しこんで吸血鬼の増殖を防いでいる。
 どの国も、吸血鬼に対する慈悲や哀れみは持ち合わせていない。あるのは徹底的な武力行使や排他的な思想ばかりだ。
「保護ならまだいいわ。けど、合衆国大統領のシド・ミーチャムのクソ野郎は、もっと厄介な内容を盛り込んでるわ。わたしたち吸血鬼の肩身がますます狭くなるわ」
 それはなんだ、とラザロが訊こうとしたところで、部下である人間の一人が繭雲の足を踏みつけた。取引きした銃器を運んでいる最中だったようだ。
「おい、よそ見するなよ」
「す、すみません、暗くて見え──」
 ラザロの咎めに弁明していた部下は繭雲絢香に掴まれて、床に倒される。大の字に投げ出された部下は、なにが起きたかわからぬまま、おぞましい形相の繭雲に太ももを踏み潰された。
「あああっ!! や、やめて……! ごめんなさい!!」
「暗くて、見えなかった? ねえ、そう言おうとしたの?」
 繭雲はそのまま力任せに擦り付ける。ももは吸血鬼の蛮力に耐えきることが出来ず、骨や肉もろともすり潰されて、最後は胴から離された。漂う甘い香りにラザロは反応した。
「脆いわね、女のわたしに潰されて脚がなくなるなんて。暗闇の中でも目が見えない貧弱のくせに、? クソ同然の人の分際で」
「ゆ、許し……ああ……ッ!!」
 繭雲は痛みと恐怖に顔を歪ませたラザロの部下の指を掴むと、雑草のように、人差し指を引き抜いた。血が噴水のように一瞬だけ湧き出る。鉄臭く香りに周囲の吸血鬼たちの目の色が少し変わる。
 繭雲は引き抜いた男の付け根から流れる血を吸い取る。恍惚の表情を浮かべると男の下顎を掴んで、力任せに引きちぎる。最後に男の首筋に食らいついた繭雲は血を飲み干すと胴と首を素手で切り離した。
「俺の部下なんだがな。そうめちゃくちゃにされたら、こっちも困るんだよ。金目当てで吸血鬼に協力的な人間を探すのはけっこう手間なんだぞ」
「申し訳ないわ。わたしの方で何人か紹介してあげる」
「なら、吸血鬼崇拝者だけは勘弁してくれ、鬱陶しくて敵わなん」
「どうして? いいじゃない。卑屈に媚びるあれこそ、弱者の人間のあるべき姿よ」
 血に汚れた繭雲絢香は、側近たちからタオルを受け取ると、そのまま服を脱いで、一糸まとわない姿のまま体を拭く。魅力的なボディラインが露わになったが、目の前で血生臭い惨劇を起こした彼女に反応する男連中は誰もいなかった。
 ラザロは何人かに死体の片付けを命じる。こういうとき、人間の部下は使えない。耐性がないからだ。現に何人かは、食べた夜食を床にぶちまけていた。
「あの女……大丈夫なんですか?」
 ラザロの部下の吸血鬼が囁く声で耳打ちする。
「ああ、ネジは飛んでるが仕事は早いし金払いはいい。お前が手にしてる銃も彼女からの贈り物だぞ。それより、アレはあるのか?」
「ええ、今は動作の確認作業です。けど、あんなのいつ使うんですか?」
「用心するに越したことはない。願わくば俺が引退するまで出番のないことを祈るよ」
 ラザロが言い終えたと同時に、繭雲のスマホが鳴った。タオルを投げ捨てた繭雲は、電話に出ると普段の何倍も甘ったるい声で相手と話し始めた。向こう側にいるのはおそらく旦那だろう。顔も見えないのに、にやけてるのが目に映る。まるで、恋する乙女のように。だが口周りはまだ血がとれてないため、不気味に見えて仕方ない。
 繭雲は電話を終えると、下着を身につけることなく、シャツを着こんで、ラザロの元にやってきた。
「ラザロ、あなたが手引きした吸血鬼の居場所を知りたいのだけど?」
「顧客の情報だ。“かしこまりました、Mrs.マユグモ”などと言って渡せると思うか?」
 繭雲は一瞬だけ黙りこくる。隠しきれない怒りの表情がちらりと見えた。
「謝礼は弾むし、次回の取引はそっちに有利な条件を呑むわ。それでどう?」
 ラザロはしばらく考えこむ。やがて口を開いた。
「一応聞いておくが、誰だ?」
 繭雲がその名前を口にすると、ラザロは彼女の目を覗きこみ、その真意を探ろうとする。なにも見えてはこなかったが、彼女が良からぬことを企んでいるのは理解できた。いや、吸血鬼の企みなど、どれも良からぬものは間違いないのだが。
「おい、かなめ。事務所行ってパソコン持ってこい」ラザロは近くにいた若い男の吸血鬼を呼ぶ。「ああ、それと……定時連絡はどうだ? 次は北面からだろ」
 名前を呼ばれた吸血鬼は頷くと、無線機で呼びかけた。
「俺だけど、なにも異常はないか?」
『ああ、大丈夫だ。いつも通り静かな夜だよ。異常なしだ』
 連絡を終えた吸血鬼はラザロと顔を合わせる。ラザロは頷くと、早く行け、と言わんばかりに手を払う動作を見せた。




 工場から百メートルほど離れた北の地点にはラザロの部下の吸血鬼が巡回するルートがある。夜目の利く吸血鬼たちに夜間の見張りという仕事はうってつけだった。暗視スコープをつける必要もないし、木につまづく危険性もない。
 吸血鬼たちは、定時連絡を朝まで繰り返している。日々同じように「異常なし」といえば済む仕事はやりがいのようなものやノルマなど一切ない。ただ、目を凝らして、いつもと違うかどうかを、見てればいいだけなのだから。
 連絡を終えた吸血鬼たちは、同じところをぐるぐる廻る犬のように、再び歩き出す。そしてまた、おなじみの言葉。
『──異常なしだ』
 吸血鬼は、再び気だるそうに歩き始める。

 そのタイミングを綾塚沙耶は待っていた。
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