Ambivalent

ユージーン

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44.偶像Consultation

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 休日というわけでもないのに、秋葉原の駅前は賑やかだった。建設された大きな特設ステージにはドラムセットが組まれ、ギターやベースが置かれていた。スタッフがステージの上を忙しそうに動き回り、音響をチェックしている。ステージの下では、おそらくこの野外ライブのファンの人たちがサイリウムを持って談笑していた。
 駅の柱に背をもたれているあんじゅは、遠くから出来上がっていくステージを眺めていた。あんじゅも、バンドのライブ事態には何度か足を運んだことがあるため、どのような楽器が組まれているのか、という意味で興味はある。
(……アイドル系のライブ、なのかな?)
 カラフルでポップな装飾に彩られた看板を見て、判断した。出演者はバンド名などではなく、個人の名前が書かれている。客席には男性客が多いが、よく見ると、女性もちらほらと見受けられた。裏をかいてスピーカーから重々しいデスメタルが流れる、なんてことはないだろう。
 あんじゅは、時計を見て時間を確認する。梨々香と会う約束している時間の五分前。辺りを見渡すが、それらしき人はいない。
 ふと、街頭テレビのニュースが目に入った。
『救済条約は必要です。吸血鬼といつまでもいがみ合っていては、本当に平和は来ないでしょう。彼らのほとんどは被害に遭われた方で、決して望んでこのような人生を迎えたかったわけではない。被害に遭われた方、そういった認識をまず持つことが大切です』
 記者団の質問に、スーツ姿の白人の男性が話しかけている。言葉には熱がこもっており、テレビ越しからでもその必死さは伝わってきた。
 誰だったっけ、とあんじゅは記憶を探る。最近テレビでよく目にする。星条旗が映し出されているからアメリカの官僚だろう。
『家族や他人を傷つける恐れは確かにある。だが、彼らが投降しないのは、我々が殺しているからだ。魔女狩りのように。捕まれば死ぬ、そうすれば逃げるしかないだろう』
 思い出した。レイガート国務長官。吸血鬼の救済を語っていて、その救済条約を日本と結ぼうとしている人物。確かその内容は、吸血鬼への人並みの人権と、吸血鬼をテロや事件の捜査に協力させること。
(吸血鬼と一緒に捜査……か)
 そういうことになれば、吸血鬼を狩っている【彼岸花】も関わることになるのだろう。吸血鬼と協力する。果たして、そんなことができるのだろうか。吸血鬼嫌いの同僚をあんじゅは知っているが、吸血鬼と一緒に組むところなど、想像できない。

 不意に、目の前の光景が暗闇に包まれた。なにかに覆われて、完全に光が遮断される。

「だーれっ、だぁ?」
 子供のような声が後ろから聞こえてきた。
「……柴咲さん」正体はすぐにわかった。
「おっ、当たりぃ。あんじゅちゃん名探偵だねぇ」
 視界が開ける。後ろを向くと、目隠ししてきた柴咲梨々香のイラズラな笑みが見えた。
「お久しぶりです」
「ん? そぉんなに経ってる? まっ、元気そうでよかったよ」
 確かに、最後に会ってからそこまで時間は経ってはいない。梨々香は、以前よりも落ち着いた格好になっており、アクセサリーなどの装飾品はほとんどない。ただ、派手な部類なのは変わらないだろう。髪色はアッシュ系のミルクティーヘアのままだが、髪に青い蝶がペイントされていた。
「ヘアタトゥー……ですか?」
「おっ、あんじゅちゃん知ってるんだぁ」頭の蝶を指差した梨々香は、驚いた顔を見せる。
「ええ、見たことはあります。してる人初めて見ましたけど」
「ふふっ。それじゃあ行こっか、デートデートぉ♪」
「えっ、あっ……ちょ……」
 腕を絡めてきた梨々香に引っ張られながら、あんじゅは足を進めた。



 ○



 連れてこられたのは、薄暗くひっそりとしたバーだった。昼間から営業しているものの、客はあんじゅと梨々香のみ。若い男性のバーテンは、二人に気を利かせてか、店の奥のソファの席へと案内してくれた。
「そっれでぇ、ご相談ってなにかな?」
 カクテルに口をつけた梨々香は、あんじゅに向き直った。アルコールに顔を赤らめた梨々香は、どことなく妖艶で、なんとなく頼もしい雰囲気を醸し出している。
「もしかして、話しにくい内容?」
「いえ、そんなシリアスな話じゃ……」
「……あっ! 彼氏ができたとかぁ?」
「ち、違います。仕事の相談です」
 あんじゅは頼んだカクテルを一口飲む。アルコールの力で、多少は口が回ると思った。
「お仕事ぉ?」
「……はい」
 一息ついて、話す。梨々香が辞めた後の出来事、早見の隊と合併したこと、『技術班』の仕事をこなせるかの自身の不安を。仕事についての悩みばかりが口から出てくる。当然、梨々香は部外者なので、能力種については伏せた。
「なーるほど、ねぇ」
 一通り話し終えると、梨々香はあんじゅの目を見て頷く。そして、残り少ないカクテルを飲み干して、一言。
「あんじゅちゃんは、偉いよねぇ。ぶっ倒れても頑張るなんてさ」
「そ、そうですかね……?」
「うん、偉いよぉ、立派。だって、梨々香は逃げたからね」
 その物言いはネガティヴで、自虐的な念を孕んでいた。
「逃げたって….…?」
「文字通りだよぉ。梨々香は、死にたくないから。宗谷とか、室積さん、早見さんのとこの人みたいに」
 あんじゅは、言葉が見つからなかった。明るく振舞っているが、梨々香の言葉や雰囲気からは陰鬱さが漂っている。
「事件の後ね、思ったの。自分の人生が、今ここで終わってたらって……そう考えたらすっごく嫌だったよ。やり残したこと、やりたいこと、たくさんあるからね。だから、梨々香はさっさとおさらばしたの。逃げて、後の人に全部押し付けた」
 あんじゅにそのツケを回したことに、梨々香は罪悪感を感じてはいるのだろう。けれども、どこか清々しい様子だった。自分の気持ちに素直に従った、それが罪悪感を消す唯一の薬なのだろうか。
「け、けど、誰だってあんな経験すれば、逃げたいって思うのが普通なんじゃ…….」
「でも、梨々香の傷は浅いよぉ。仲間を失った早見さんや、友達を失ったあんじゅちゃんに比べれば」
 あんじゅは目を開いた。脳裏に凛の顔が浮かぶ。それは、笑顔ではなく、自らに向けて引き金を引くあの姿だった。
「あっ……ゴメン、ね」
 気まずくさせた、と思ってか梨々香は小さく謝る。
「いえ、あの……大丈夫です」
 どこか重々しい空気になり、二人とも会話が止まる。お互いにカクテルも飲み干したところで、あんじゅから会話を切り出した。
「えっ……と、『技術班』の仕事のアドバイスを」
 半ば強引な修正だったが、それでよかったのかもしれない。現に、唐突な展開に梨々香が笑った。
「そうそう、その話だったよね。えっとぉ、梨々香からプレゼント」
 梨々香はバッグの中からディスクを取り出す。
「えっと……これは?」
「んっとねぇ、仕事しやすくするためのソフトが入ってるのぉ。実は、昨日の会おうってメール来てから、あんじゅちゃんのプレゼント用に、ちゃちゃっと作っちゃったぁ」
「つ、作ったって……」
 たった一晩でだろうか。その仕事の速さに思わず舌をまく。
「梨々香にかかれば、お手の物だよぉ」
「もしかして、私が『技術班』行きなのを見越してたんですか?」
「……まあねぇ、他所の隊から持ってくる可能性も考えたけどぉ。てか、梨々香辞めたら真樹夫一人でしょー? それって考えただけでぇ鬼胎きたいを抱くって感じ」
 最後の言葉の意味はよくわからなかったが、不安を抱いているのだろう。
「あと、心構えについてのアドバイスなら、慣れだねぇ。コツとしてはぁ、力を抜けそうな場所を早く見つけることかなぁ。サボることだね。あっ、現場の通信とか投げちゃダメだよぉ~?」
「そんなレベルまでサボりませんよ……それより、柴咲さんは今なにしてるんですか?」
 ほどよく酔いがまわってくる。あんじゅは話の接ぎ穂を自然と探せるようになった。
「今? 梨々香は今ねぇ、情報屋かなぁ」
「情報屋?」
「そそっ、情報集めて提供するお仕事だよぉ。大きな声では言えないんだけどぉ、バレたらヤバい内容だったりぃ、個人的な内容だったりかなぁ」
 怪しい笑みで梨々香は微笑む。本気なのか作った笑顔なのかは、よくわからなかった。
「えっと、例えば……?」
「それはぁ、守秘義務。聞いちゃダメ」
 そこからは、雑談の時間になった。話し込んで、ある程度の時間が過ぎると、勘定を済ませた。
「あの、今日はありがとうございます」
「んっ、またなんかあったらいつでも呼んでねぇ。あっ、そのディスクは、一応外部のデータだから、沙耶ちゃんとかには内緒ね。怒られるよお?」
 わざと眉をひそめて警戒する表情になると、梨々香は口に人差し指を添える。



 外に出て、駅の方に向かうと、音楽が鳴り響いていた。かなり大きく、音圧が肌にまで響いてくる。どうやら生音のようだ。
「うっさ……なにあれぇ!?」
 音に耳をつんざかれた梨々香が声を漏らす。先ほどの、アイドルのライブステージを組み立てていたところに、騒がしい人だかりができていた。どうやら、音の出どころはあそこらしい。
「駅前でライブって……せめて離れたところでやればいいのにぃ。ホント迷惑ぅ……」
 眉をひそめた梨々香は、思い切り舌打ちを鳴らす。
「あはは……一応許可は下りているんじゃないですかね?」
「はぁ……あっ、バーに忘れ物しちゃったぁ。ごめん、あんじゅちゃん。ちょっと待っててぇ」
 梨々香を見送ったあんじゅは、なんとなく人だかりの方へと歩き出す。遠目からステージを眺めると、女性アイドルとバンドが一緒に観客を盛り上げていた。客層は男性客が多いが、女性客もちらほらと見受けられた。
「ライブかあ……最近ご無沙汰だなあ」
 アイドル系は聴かないものの、間近でライブを見ると、久しぶりに好きなバンドの音を生で聴きたくなった。
 ふと、男性客の中にいる女性があんじゅの目に留まった。ファンの女性は黒髪をなびかせながら、激しくサイリウムを振っている。ステージ上のアイドルが煽ると、彼女は周りに大勢いる男たちに負けないくらいの声援を、アイドルに送っていく。
「あれ……?」
 思わず、そんな声が出る。サイリウムを振る女性を、あんじゅはどこかで見たことがあった。だが、うまく思い出せない。記憶の中で選別をしながら、あんじゅは女性のことを注視する。
 そんなあんじゅの視線を感じてか、黒髪の女性もあんじゅに気
がつき、見交わす形になってしまう。
「……あっ」
 反射的にあんじゅは背を向けた。正面からの顔を見て、ようやく女性の正体が判明した。
(あれって……多分そうだよね……いや、でも……)
 考えを廻らせつつも、あんじゅはこの場から立ち去ることを決めた。きっと、見つかれば面倒くさいことになるに違いない。胸の警告音アラームが音を立てている。
 歩き出した瞬間に、肩を強く掴まれた。

「き、霧峰……?」

 背後から聞き覚えのある声がした。声の主はので、驚きは少ない。
「…………」
「ちょっと……あ、あんた……!」
 相手の声は震えていた。いつものような、高飛車で強気な物言いではない。
「ひ、人違い……」
 強引に一歩を踏み出すと、さらに強い力で腕を掴まれる。
「ま、待ちなさいよ、ちょっと!」
 慌ただしく呼ばれたので、あんじゅは振り返る。
 長い黒髪に、サイリウム、そしてカラフルなイラストとロゴ入りのTシャツ。確かにあそこに居た、アイドルに黄色い声援を送っていた女性だった。

「く、鵠さん……」

 苗字を呼ぶと女性は──鵠美穂はあからさまに反応を示す。反応を示したことで、確定したも同然だった。あんじゅの周りで、こんな珍しい姓を持っているのは一人しかいない。
「あ……あんた、なんでここにいんのよ……?」美穂は、茹でダコのように顔を真っ赤に染めて詰め寄ってきた。
「あの、休みで……」
「あんた秋葉原に来るような人間じゃないでしょうが! てか、ぶっ倒れたんなら、家で大人しく安静にしときなさいよ!」
 上ずった声で、美穂はまくし立てる。もはや、いつもの強気な彼女などどこかに吹き飛んで行ってしまったみたいだ。
「誰かに喋った?」
「い、いえ……」
「ホント?」
 ギョロリと目を剥く美穂の恐ろしさに、あんじゅは硬く頷く。相当見られたくない一面だったのだろう。アイドル好きの、鵠美穂という一面は。
「あっれぇ? あんじゅちゃん、どうしたのぉ?」
 ちょうどよく、忘れ物を取りに引き返していた梨々香が戻ってきた。あんじゅに詰め寄ってくる黒髪の女性を、梨々香は怪訝そうに注視する。第三者の視点から見れば、カツアゲされているようにも見える光景だった。
「……みほっち?」
「えっ……?」
 現れた梨々香を見て、美穂は顔を青くして石のように固まった。
「みほっちだよねぇ、久しぶりじゃん! ……その格好なに?」
 単純に思ったことを口走った梨々香だが、それが美穂にそうとうなダメージを与えたみたいだった。反応があんじゅよりも深刻だということは、それだけ見られたくない相手に見つかったということなのだろう。
「光る棒に、シャツに……もしかしてみほっち……」
「えっ、ちが……これは……!」
 取り繕う言葉を探す美穂だが、呂律が上手く回っていない。美穂があわあわとしている間に、頭の先からつま先までを梨々香はじっ、と凝視していた。
「……くっ………ふふっ……ぶふっ!」
 美穂の姿に驚いて唖然としていた梨々香だが、しばらくして笑いを堪えるように口を抑える。だが、耐えきれずに、すぐに吹き出してしまっていた。
 一方の美穂はスイッチが切れたかのように、全く動かなくなった。表情には悲愴感が漂っており、まるで人生が終わったかのように見えた。
 
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