Ambivalent

ユージーン

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apoptosis

55.look in,look out

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 現場に到着した両隊は、仮設テントの中に集合していた。全員が、机の上に置かれたショッピングモールの見取り図を囲むように立っている。
「デカすぎだろ」
 見取り図を見て、幸宏が呟く。あんじゅもそれに同意した。ショッピングモール自体は、最近オープンしたばかりで店舗の多さを売りにしている。このショッピングモールに現れた吸血鬼を倒し、二つの隊で制圧して安全を確保する。任務は単純で簡単そうに思えたが、六角形型のショッピングモールは、あまりにも広大な造りになっていた。
「イベントをいくつかやってたみたいだな、バーゲンセールに最新のウォータートランポリンの体験に……」


「この人数なら、ギリギリ制圧できそうですね。あと一つ隊が来ればもっと楽ですけど」
 カイエが図面を見て言う。
「えっと、『技術班』たち、中にいる人はどうなってるの?」
 インカムの向こうの両隊の『技術班』に早見が訊くと、返事が返ってきた。声は早見隊の真樹夫ではなく、美堂隊の『技術班』だった。
『モール内にいた客の六割は備え付けの対吸血鬼用シェルターに避難してます。三割は店の外に逃げました。あとは各自でモール内に隠れ潜んでいます』
 隠れ潜んでいる。そうは言うが、その中の内の何人がまだ人間でいるだろうか。
「被害はどうなっとんじゃ?」
 美堂が訊くと、言葉を詰まらせつつ返してきた。
『え、えっと、まあ多いですね。元々襲撃してきた人数を含めれば、少なくとも三十近くは吸血鬼化してると思います』
「正体は掴めたんか?」
『いえ……大掛かりなテロ組織なのか、タチの悪いヴァンパイアの集まりが行動を起こしたのかはまだわかりません』
 正体不明。その報告を受けて美堂は小さく舌打ちをする。
「了解。真樹夫くん、監視カメラの映像出せる?」
 早見が言うと、モニターにモールの内部の映像が映し出された。逃げる男がカメラの死角に消え、その後で悲鳴が聞こえた。惨劇は絵を映さず、叫び声だけが響く。
「ああっ、もう! まどろっこしいですわ! なんですぐに行かないんですの! さっさと突撃すればいいですわ!」
 渚の訴えは、この場の全員に向けられているように思えた。話し合いのために時間を費やしているくらいなら、すぐにでも行動すべきだと。それにはあんじゅも渚に同意見だったが、制するように美堂が言う。
「大量の吸血鬼が大型施設や一般人の多いところに現れたら、すぐに突撃はせん」
「なんでですの!」
「バカにもわかるように教えたるわ。混戦した状態だと、人間と吸血鬼との区別がつかんじゃろうが。間違えて人間撃ったり、こっちの被害が増える可能性が高いけえの」
「じゃあ中にいる人は!? 見殺しにするんですか! あと、わたくしは一応は名門大学を卒業してますわ!」
「やかましい、お前の学歴なんぞ知るか。ある程度事が収まってから行くんじゃ。吸血鬼が現れたら有事の時にシェルターに避難するのは、誰もが心得とるわい。わかったか?」
 美堂からの説明を聞き受けても、渚は不服な表情を崩すことはなかった。今すぐにでも吸血鬼を退治して、人々を助けたい、そんな正義感が見えているが、状況がそう甘くないことを知らされて、歯痒い思いでモールの図面を睨んでいた。
「けど、あんまり遅いと手遅れなんじゃないですか、隊長」
 サングラスをかけた美堂隊の男が、図面を指差して言った。
「避難用シェルターって、確か大勢の吸血鬼が襲ってきたあの稲ノ宮旅館襲撃事件の時もありましたよね」
 男の口から突然出された言葉に、反射的にあんじゅは目を剥く。
「あの事件ってシェルターがほとんど役に立たなくて、逆に吸血鬼に追い込まれて袋のネズミだったとか」
 他人事のような軽い口調で、サングラスの男は言う。あんじゅは視線を落とした。モールの図面を頭に叩き込もうと凝視するが、うまく頭に入ってこない。
相澤あいざわァ……お前は斟酌しんしゃくいうもんがないんか?」
「な、なに怒ってるんですか隊長?」
「お前、会議聞いとらんかったんか、このボケ」
「いや~、一応耳には入れてましたよー」
 反省する動作を見せたが、サングラスの男──相澤は、苦笑いで誤魔化す。
「怒られるなんて、相澤はおバカさんですわね」
「お前は堂々と居眠りしとったくせに、デカい口叩くなや」
 やりとりを聞き流して、あんじゅはタブレット端末を操作する。モール内の監視カメラの映像を見ると、もうほとんど混戦は収まっていた。堂々とモール内を闊歩しているのは、吸血鬼だけになっている。
「とりあえず、作戦は隊長職同士で決めるけえ、他のもんはいつでも突入する準備しとけよ」
 美堂の一声で、両隊の隊員は一旦散り散りに離れていく。


 あんじゅは装備を今一度確認する。現場に赴いてもらう可能性がある、と早見に言われたので、命令があればいつでも行けるようにはしてある。自衛用に持ってきたハンドガンもあるが、今回は『戦術班』としてではなく『技術班』として赴くため、引き金に指をかけるようなことはないとは思っている。
 ライフルは持ってきていないが、スナイパーの役目は美穂が補ってくれるだろう。
 中継用に端末を調整をしていると、隣に誰かがやってきた。
「やあ」そう言って顔を覗き込んできたのは、サングラスをかけた美堂隊のあの男だった。
「えっと……相澤さん?」
「おっと、正解。当たり当たり、よくわかったね」
「先ほど美堂隊長に怒られてましたよね」
 あんじゅはそう言うが、本当は相澤の言った発言のおかげで印象に残っていただけだった。
「いやあ、恥ずかしいところ見られちゃったね」
「あの、なにか?」
「ああ、ちょっと興味あってね。君さ、霧峰あんじゅさんでしょ?」
 相澤は、一歩だけあんじゅに詰め寄ってきた。他人の領域など気にかけることもなく、息のかかる距離まで近づかれたので、あんじゅは大きく後ずさる。
「……えっと、なにか私に用ですか?」
「うん。単刀直入に訊くんだけど、吸血鬼になった同級生を殺した時ってどうだった?」
 突然の質問に、返す言葉が見つからない。そんな質問がくることなど予想もしていなかった。興味深そうな、楽しげな口調の相澤にあんじゅは面食らったまま、立ち竦む。相澤はあんじゅの反応など意に介することもなく、サングラス越しに微笑んでいた。
「どうって……なにがですか?」
「え? だから、殺した時ってどんなこと思ったの? 悲しかった? それとも割り切って引き金引いたの?」
 やや威圧的に、それでも笑顔は崩さぬまま訊いてくる相澤をあんじゅは無視した。この男はなんなのだろうか。どうしてこんなことを訊いてくるのか。質問の真意がわからなかったし、意味などないのかもしれない。相澤の興味を示す笑顔からは、秘密に首を突っ込んで満足する自己欲だけが見受けられた。
「霧峰……なにしてんだお前?」
 最初、京はあんじゅの方を見ていたが、すぐに隣に立つ相澤に視線を移した。相澤を見る京の目は、どこか鋭く思えた。
「よおユズ、元気かー?」
 サングラスを外してハグしようとする相澤を、京は避けた。
「ひでえな、避けるなんて」
「男に抱きつかれて嬉しがるわけねーだろうか」
「おっと、怖いなユズ」
「どっか行ってろ、詮索ヤロー」
「えー、いいじゃねえか。前に同じ隊だったんだし。綾塚にも挨拶したけど、あいつ無視しやがったんだぜ。相変わらず冷たい女だよな」
「どっか行けって言ったよな? このちんちくりんに構うな」
 はいはい、と気怠げに言った相澤はそのまま去っていった。
「あ、ありがとうございます、柚村さん」
 あんじゅは一礼する。京が来なければ相澤の不快な詮索に悩まされていたことだろう。
「別に助けたわけじゃねえ。つーか、不愉快なら撃てよ」
「いえ、撃つほどでは……。それより、あの人と知り合いなんですか?」
「ああ、前に同じ隊だった。吸血鬼と人間に根掘り葉掘り訊くクソ野郎だ」
「な、なんでそんなこと?」
「さあな、自分が知りたいだけだろ。ああ、そうだ。早見さんが呼んでたぞ。多分お前、誰かと組むことになるんじゃないか?」
 組む。京にそう言われたということは、相手はそれ以外の別の誰かだろうか。
「ほら、早見さん待たせるな。隊で一番偉いんだから」
 わかってます、とあんじゅは返す。子供扱いするような物言いに物申したくなったが、向かうことにする。
「そういえば、私のことちんちくりんとか言いましたよね?」
「ストーカー扱いしたお返しだ」
 しれっとそう言うと、京はどこかに行ってしまった。



 ○



 まるでゾンビ映画だ。双眼鏡のレンズに映った吸血鬼の占領するショッピングモールを見て、美穂にそんな感想が出てくる。
『おい、鵠。生存者いたか?』
「いないわよ」
 インカムから聞こえてきた幸宏に短く返す。ここでいう生存者は人間のことであり、息を吹き返して血を吸う者たちのことは含まれていない。例えどれだけ人間のような振る舞いをしてようとだ。
 さまよい徘徊するゾンビと違って吸血鬼には個性がある。そのまま吸血衝動に負けるものもいれば、ある程度血を摂取して正気を取り戻し、自らの運命に絶望する者もいる。血で汚れた衣類を替えている者、呆然と立ち尽くす者、一人の者、親子連れ。そこかしこにある凄惨な血だまりと、荒らされた様子さえなければ、本当に通常通りの光景となんら変わりはない。
「こちら鵠、吸血鬼の数。三十体ほど」
 通信を終えた美穂は、そのままライフルをセットする。
『了解。あと、本部からね』
「なんですか?」
『収容所の空き……関東圏の収容所の空きは、三名分。だから、あのモールにいる吸血鬼は、三名しか収容所に送れないの』
「わかりました」
 早見との通信を終え、美穂は弾倉マガジンをセットする。
 約百名(おそらく今も数は増えているだろう)の吸血鬼に対して、三人のみの収容スペース。選ばれるのは、運良く弾の当たらなかった最後の三体なのか、年齢などを考慮するのかはわからない。
 スナイパーは、楽だ。そして、ずるい。
 倍率スコープから覗いた対象は、輪郭を確認できはしても、表情までは読み取れはしない。相手が自分に向ける視線、それを間近で見る必要はないのだ。怨むような視線も、命乞いをして浮かべる涙も。
 もし、吸血鬼たちが暴走して、ゾンビのようにコミニュケーションが交わせないのならば、そっちの方がいいだろう。吸血鬼には言葉が通じ、感情があり、見た目は、人間と変わらない。だから命の危機が訪れれば様々な反応を見せる。命乞いをしたり、激怒したり、反撃に興じたり、逃亡したり。それら全てを、突撃する『戦術班』の人間は狩らなければならない。
「あっ」
『どうかした美穂ちゃん?』
「……いえ、なんでもないです」
 なぜゾンビという単語が出てきたのか、美穂は不意にその答えに行き着いた。
(レンタルした作品返してなかった……最悪)
 まだ観てないのに、あのゾンビ映画。
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