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apoptosis
58.slow down
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通気口を抜け出して、綾塚沙耶は周囲を見渡した。モール内の店の休憩室だろう。ばったりと吸血鬼と出くわすこともなく、どこか気の抜けた気持ちになった。
「こちら、綾塚。目的地に着いた」
連絡を入れると、早見から「了解」と声が返される。切羽詰まったトーンだったので、おそらく早見と一緒に組んでいる幸宏は吸血鬼と接触しているのだろう。乾いた銃声も、モール内のどこかから聞こえてきていた。
改めて、通気口を振り返る。ひっそりと静まっていて、闇の中から誰かが来る様子もない。本来なら、自分の後ろから来るはずだったもう一人は、現れない。
「上條」
『は、はい』
「霧峰が落ちた場所の映像出してほしい」
『えっと……ま、待ってて……』
沙耶の端末に送られてきたのは、あんじゅの落下を監視カメラが捉えた瞬間だった。トランポリンに落下し、立ち上がり、吸血鬼から逃げていた。
生きている。少なくともあんじゅは、落下の衝撃で死亡してはいない。
『うぉ、ウォータートランポリン』
「なにがだ?」
『えっ、いや! えっと、これ……ウォータートランポリン……最新の、落ちても大丈夫なやつ……テレビで見た』
「ああ、わかった」
真樹夫に無事を他の人にも伝えるように言うと、沙耶は部屋を後にする。扉を開けた瞬間に、十名ほどの人影が目についた。全員が口元を血で汚している。
「こちら綾塚。接触した」
ナイフを取り出した沙耶は、近くの吸血鬼の胸に突き刺す。灰になったことを確認することもなく、また一人にナイフを突き立てる。
「ま、待って……! やめてくれ!!」
一人の吸血鬼が、沙耶のナイフが届く前に制止を促す。他の吸血鬼たちも、無抵抗を表すかのように両手を上げた。
「頼む……【彼岸花】の捜査官なんだろ!? 俺たちは抵抗しない、あんたの邪魔はしないから……殺さないでくれ! 大人しく投降するよ!」
泣きじゃくる吸血鬼の口から悲鳴が上がる。
「申し訳ないが、聞けない」
沙耶は淡々とした口調で言うと、心臓を刺して、息の根を止めた。服についた灰を払いのけると、残りの吸血鬼を見渡す。
「私の仕事は、吸血鬼を狩ることで、吸血鬼を救うことじゃない」
彼らは被害者で、咎められることはなにもしていない。それは沙耶もわかっている。居合わせた場所が悪かった、ただそれだけだ。それでも、見逃したりはしない。
一人また一人と、沙耶は吸血鬼を灰に変えていく。抵抗する者も中にはいたが、力が及ぶはずもない。全てを狩り終えた時には、床一面が灰で汚れていた。
終わった、そう思って店を出ようとしたその時に、気配を感じた。振り返ると、男の子が立っていた。首回りが血で汚れていて、牙も見受けられる。
沙耶はゆっくりと近づいた。怯えて立ち竦んだまま、男の子は動かない。殺すことは容易だ。それなのに手が止まったのは、男の子が怯えた瞳で沙耶を見上げてきたからだった。怯えていて、少しばかり混じらせている憎悪の念。まるで、忌み嫌っている悪役を見るような目。
「──そんな目で見るな」
そう言った刹那、男の子の頭が吹き飛んだ。そして、人影が沙耶の前に表れた。
「やーあ、沙耶」
現れたのは、美堂隊の相澤だった。
「危なかったねー、間一髪じゃん」
「別にお前の助けなんていらん」
「えー、助けたのに挨拶なしかよ。つれねえなあ、同じ隊だったじゃねえか」
「随分前のことだ。それにお前は、今は美堂のとこの人間だろう」
あしらおうとして歩き出すと、誰かとぶつかってしまった。
「痛っ、どこ見てるんですの!」
見下ろすと、空金渚が大げさに頭を抑えて蹲っている。そういえば、相澤と渚はペアだったか。無駄に絡まれることを予見した沙耶は、一言謝罪すると足早にその場を後にする。
店を出たところで、無線が入った。
『──ちら、美堂隊の秋山。複数の吸血鬼──白い服を着た──』
耳に入った声は、美堂隊の人間のものだった。周波数が全チャンネルに合わせられていて、銃声が轟いている。秋山と名乗った男の声は、それ以降一切聞こえなくなった。
沙耶は京に連絡を入れる。あちらは、まだあんじゅの落下地点には着いていないらしい。早々と通信を終えると、目の前に吸血鬼が表れた。見開かれた瞳、痩せこけていて貧相な身体、そして、血に汚れた白い服を身に纏っている。十名以上固まって立ち竦んでいる吸血鬼の姿は、どこか異様だった。買い物に来て、巻き込まれたとは到底言い難いくらいに。
「Neck Clean、Mouth Blood」
沙耶は吸血鬼を観察して呟く。吸血鬼たちには、誰も噛まれた様子は見受けられない。もし彼らがモールに訪れていた人間ならば、血を吸われた形跡があるはず。だが、彼らには、襲われた形跡はない。怯えた様子もなく、会話を切り出すこともせず、獣のような荒い息遣いだけを漏らしている。
ショッピングモールを地獄絵図に変えた犯人は彼らで間違いないだろう。だったら、余計な感情は抱かなくていい。狩る対象は明確な“悪”だ。
ナイフを構えた沙耶は、吸血鬼の群れに飛び込んでいく。自然と口元に笑みを浮かべながら。
○
「七人……」
七人目の吸血鬼を仕留めた美穂は小声で呟く。二つの隊が突入してそれなりに時間が経っている。無線からは、両隊の吸血鬼への接触が報告され、それを証明するような銃声が美穂のいる狙撃地点に届いていた。
「ふあっ……」
自然と口からあくびが出てきた。気が抜けている証拠なのだと思いつつも、胸の内の退屈さを誤魔化すことはできない。美穂は今モールから離れた建物の屋上に一人でいる。現場からは距離があるので、あまり気を引き締める必要もなく、そして獲物もほとんど美穂の狙撃地点に現れなかった。
(……失敗した)
わりと見晴らしのいい場所だったので選んだが、吸血鬼のほとんどは建物の中だ。美穂の仕事は、中にいる人間の援護というよりは、逃げ出そうとしている吸血鬼の始末が主だった。現に、撃ち抜いた七名全てが包囲網の網から抜け出そうと試みている者たちだった。
『こちら早見。美穂ちゃん、様子はどう?』
「ほとんど吸血鬼は見当たりません」
無線から、息の切れかけた早見の声がした。銃声とは少し違う、レーザー兵器の音も混ざって響いてくる。早見に代わって、幸宏の声がした。
『おい、鵠。テメェ、サボってんじゃねえだろうな?』
「うっさいわね。吸血鬼がいないんだから、仕方ないでしょ」
『楽でいいよな、スナイパーは』
「顔見せなさいよ、一発で吹き飛ばしてやる」
言って通信を終える。しばらく待っていると、動きがあった。一人の吸血鬼がモールの屋上へと逃げ込んできた。追いかけるように二人の女性が屋上へと現れた。二人組みの方は、どちらも銃を持っている。美堂隊の人間だろう。
「こちら早見隊の鵠。屋上に逃げた吸血鬼は?」
美堂隊の人間に無線周波数を合わせる。すぐに女の声で返事があった。
『こちら美堂隊の瀧島。私たちがちゃんと仕留めるんで、大丈夫です』
瀧島は軽めの口調で言うと、逃げる吸血鬼の胸を撃ち抜いた。吸血鬼は倒れこみ、苦しみもがいていた。再び瀧島は数発吸血鬼に撃ち込む。灰になったところで、瀧島ともう一人の捜査官は、笑顔でハイタッチをしてモール内に戻っていく。
「ヘタクソ……」
美穂は一人ごちる。瀧島の射撃はお粗末だった。当たればいいと言わんばかり、そして動かなくなるまで撃つ。吸血鬼をわざと苦しめているかのようにも見えた。
一発で終わらせるべきだ。殺すなら。そうすれば、悲鳴を耳に入れることもない。相手を無駄に苦しめることもない。一撃で仕留められないのは自分が未熟であり、その未熟さが相手に苦痛を与えていく。美穂は吸血鬼のことが嫌いだが、だからといって苦しめて殺す点については賛同しかねた。
美穂は次弾を装填して次の対象を待つ。背後から声をかけられたのはその時だった。
「いい腕だね」
女の声が聞こえた。振り返ると、大きな帽子を頭に乗せて、妖艶な笑みを浮かべた女が立っている。
「なにしてるのよ、ここは立ち入り禁止なんだけど」
「知ってる」
言って、女は笑顔を崩さずに美穂の懐にまで近づいてくる。不穏な空気を察知した美穂は、腰に備えてある銃を引き抜こうとした。だが、女の手がそれを阻止する。
「ちょっと、手伝ってもらうよ」
女が口を開ける。そして歯が、美穂の首筋に触れた。
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