物語の幕は上がらない(本編完結 番外編更新中)

わらびもち

文字の大きさ
3 / 99

クロエ

 クロエ・フォン・カレンデュラは、国で最も高貴で最も美しいと謳われる令嬢である。
 蒼玉のごとき瞳は見る者すべての心を奪い、月明かりを編んだかのような銀糸の髪は光を受けるたび静かに揺れ、まるで夜空の下で舞う霧のように幻想的だった。
 唇は薄紅の花弁のように柔らかく、笑みを浮かべる度に見る者すべてを優美な沈黙へと誘う。その仕草一つ、歩み一つにまで育ちの良さと品格が滲み出ており、単なる”美しい”では言い表せない崇高さをまとっていた。

 だが、彼女の真の魅力はその外見だけにとどまらない。
 帝国の皇女を母に持ち、名門カレンデュラ公爵家の嫡女として生を受けた稀有なる高貴の血を引く者。
 宮廷でも一目置かれる存在であり、国王といえども彼女に対しては配慮を欠かさなかった。

 領地は北方最大の肥沃な平原地帯にあり、豊かな農業と鉱山資源を抱えることで莫大な富を誇る。
 美貌、家柄、財力とどれをとっても申し分のないクロエを妻にと欲する貴公子は多い。
 なにより彼女は将来爵位を継ぎ女公爵となる。継ぐ家のない将来平民となるしかない次男以降にとっては、喉から手が出るほど欲しい婿入り先だ。

 数多の求婚者がひしめく中、ついにその婚約を勝ち取った幸運な男こそリンデン侯爵家の次男であるレオナルドであった。彼は若くして”完璧な貴公子”と称される人物である。
 見目麗しいことは勿論のこと、その立ち居振る舞いは常に洗練されている。社交界では一輪の薔薇にたとえられ、どんな貴婦人も微笑み一つで魅了するとまで言われていた。

 クロエが彼を望んだと語られることが多いが、真実は異なる。
 実際にこの縁談を取り決めたのは彼女の父、カレンデュラ公爵であった。

 家柄、教養、政治的影響力、そして、なにより見目麗しい容貌と悪くない評判。
 レオナルドは文字通り”完璧な婚約者”としてカレンデュラ公爵家に相応しい存在だった。

 婚約が決まった際、カレンデュラ公爵はクロエに「お前には相応しい相手だ」と、ただそれだけを告げた。
 娘への冷たい物言いも彼女にとってはいつものこと。
 父が自分に興味を示さないのは今に始まったことではない。クロエは特に気に留めなかった。
 何よりも政略結婚で決まった相手としてはレオナルドはあまりにも完璧で、まるで絵物語から抜け出た王子様のようだとクロエは心から喜んだ。

 レオナルドがクロエを大切にしてくれるたびに、クロエはどんどん彼のことが好きになっていった。
 二人が並ぶ姿はまるで理想を形にしたようだと周囲の評判もよく、自他共に認めるくらいお似合いの二人である。 
 
 早く彼と結婚し、夫婦となり、幸せな家庭を築きたい、と夢のような未来を思い描いていた矢先に前世の記憶を思い出したのだ。しかも、”コーヒー”を飲んだことがきっかけで。

「お嬢様! 顔色が悪いです。すぐにお医者様をお呼びしますから……!」

 コーヒーを用意してくれた侍女が様子のおかしいクロエに駆け寄り、ふらつく彼女の体を支える。
 侍女の手の温もりにハッと我に返ったクロエは、慌てて首を横に振った。

「大丈夫よ! 少し眩暈がしただけだから、お医者様は呼ばなくていいわ!」

「ですが、どこかお悪いかもしれませんし……」

「大丈夫、心配しないで。少し休めば平気だから……。悪いのだけど、後片付けをお願い」

 心配する侍女を宥め、クロエは自分の部屋へと向かった。
 椅子に腰を下ろし、机に肘をついて頭を抱える。行儀は悪いがそんなことを気にする余裕はない。

「嘘でしょう……ここ、あのの世界? 私……乙女ゲームの世界に”転生”したの?」

 顔を青ざめさせたクロエは消え入りそうな声で呟く。
 誰もいない部屋にその声は吸い込まれ、静寂だけが残った。

あなたにおすすめの小説

皆さん勘違いなさっているようですが、この家の当主はわたしです。

和泉 凪紗
恋愛
侯爵家の後継者であるリアーネは父親に呼びされる。 「次期当主はエリザベスにしようと思う」 父親は腹違いの姉であるエリザベスを次期当主に指名してきた。理由はリアーネの婚約者であるリンハルトがエリザベスと結婚するから。 リンハルトは侯爵家に婿に入ることになっていた。 「エリザベスとリンハルト殿が一緒になりたいそうだ。エリザベスはちょうど適齢期だし、二人が思い合っているなら結婚させたい。急に婚約者がいなくなってリアーネも不安だろうが、適齢期までまだ時間はある。お前にふさわしい結婚相手を見つけるから安心しなさい。エリザベスの結婚が決まったのだ。こんなにめでたいことはないだろう?」 破談になってめでたいことなんてないと思いますけど?  婚約破棄になるのは構いませんが、この家を渡すつもりはありません。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

文句を言わない婚約者は、俺の愛する幼馴染みを許していなかった【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
幼馴染を優先しても、婚約者アウローラは何も言わない。だから、これからも幼馴染みとイチャイチャできる── 侯爵令息トリスタンは、そんな甘い幻想を信じていた。 だが婿入りした瞬間、彼の“軽んじた態度”はすべて清算される。 アウローラは冷徹に、トリスタンの傲慢と欲望を1つずつ暴き、労働と屈辱を与える。 そして最後に残ったのは、誰にも必要とされない現実だけ。 「どうして……俺は、こんなにも愚かだったんだ」 これは愛を勘違いし、身分を過信し、自分の価値を見誤った男の終焉を描くダークドラマ。 ⚠️ 本作は AI の生成した文章を一部に使っています。過激ざまぁタグあります。 4/1「エステルに対する殺意」の内容を一部変更しました。

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。