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公爵の価値観
カレンデュラ公爵はいかにも貴族らしい思想と価値観の持ち主であった。
欲望に流されることなく、生まれながらに特権を持つ者としての責任と義務を重んじるよう教育され、民と家のために誇りをもって己の役目を果たすという精神を培われてきた。それが当然であることを疑うこともなく、貴族たる者ならば程度の差こそあれ皆同じであると信じていた。
貴族として生きる以上、家の繁栄のためとなる相手との婚姻は必須であり義務である。それを嫌だと言うのなら、貴族の籍を抜けて平民として自由を選ぶもの。実際、公爵の親類にも政略結婚も義務も息苦しいと言って籍を抜けて平民としての未来を選んだ者はいる。そういった生き方を選ぶのは個人の自由だと思うし、それを否定する気もなかった。己の欲を選ぶのであれば、特権を捨てる。それもひとつの選択であるから。
だからこそ、余計にレオナルドの考えは理解できなかった。
貴族の義務を息苦しく思っていたのなら、何故早々にそれを捨てる決断をしないのか。
家の繁栄のための婚姻を”愛のない結婚”だと蔑むくらいならば、籍を抜けて自由になればいいものを、何故そうしないのか。仮に、それでも家を捨てられないというのであれば、黙って義務を受け入れるべきだ。
そしてその鬱憤は自分をそういう選択肢かできない立場に追い込んだ親にぶつけるべきである。決して何の罪も無い伴侶にぶつけるべきではない。
そういった貴族としての価値観から逸脱したレオナルドの思考は公爵にとって異質で不快なものだった。
貴族としての特権を捨てることもせず、納得いかないことに抗おうともせず、一旦受け入れたものを後からこうしてダラダラと文句を垂れる。そして、ただの婚約相手でしかないクロエに鬱憤をぶつける。
そんな理解不能な男に対して、公爵はあたかも異なる文化と価値観を持つ未開の地の民に向けるかのような視線を注いだ。
「あ、あの……閣下……」
「……驚いた。私は、この年になるまで自分の人を見る目が培われてこなかったことに気づかなんだ。成人してなお”愛のない結婚”を嫌がるくせに貴族で居続けるような、行動そのものが理解不能な人間を愛娘の婚約者にしてしまうとは……」
レオナルドを蔑むでもなく、ただひたすら自分の見る目の無さを悔やみ、額に手を当てて俯き、しばし沈黙した。
その反応にレオナルドは何も言葉を返せなかった。目の前で自分の見る目がなかったと失望されることは、罵倒よりよほど堪える。夫人はもう恥ずかしさとやるせなさで意識が遠のきかけていた。
「……公爵様、このような愚かな息子をご息女の婚約者にと望んでしまったこと、誠に申し訳ございませんでした。わたくしが至らないばかりに……このような屑にご息女の貴重な時間を浪費させてしまって……」
夫人はこんな息子をクロエと婚約させてしまったことをひどく恥じた。
こんなにも身勝手で愚かで幼稚だと分かっていたら婚約などさせなかった。貴族としての義務も責務も理解していないような息子を押し付けてしまった、と悔やむあまりに涙が滲む。
「リンデン夫人、貴女だけを責める気はない。貴家の子息との婚約を承諾したのは私だ。実際に会ってみて娘の婿に相応しいと判断した私の責任でもある」
二人に目の前で悪く言われたレオナルドは思わず反論しようとしたが、涙目の母親の鋭い視線に押され、言葉を飲み込んだ。これ以上恥を晒すな、という母親からの無言の圧力に押し黙ることしかできない。
「これは私の持論だが、政略を黙って受け入れるのは一流、表に出さぬが不満を抱くのは二流、そして表に出すのは三流だ。三流の貴族が愛娘の婿になど……相応しいとはとても言えぬ。だが、婚約をどうするのかを判断するのはクロエに任せよう」
意外な公爵の言葉に夫人もレオナルドも「え?」という顔で彼を見た。
この流れでは婚約の解消……いや、レオナルド有責で破棄が当然だと思ったのに、まさかのここにいないクロエに判断を任せるというもの。
「公爵様、それは……何故ですか?」
唖然とした夫人が問いかけると、公爵は視線を下に向けて悲しそうに答えた。
「それが、クロエの意志だからだ。だから私はクロエの意志を尊重する。……今まで娘の気持ちに寄り添ってやれなかった、せめてもの罪滅ぼしだ。クロエが婚約を続けると言うのなら黙って見守るし、破棄したいというのなら速やかに手続きを進めよう」
「さ、さようにございますか……」
公爵の発言をすぐに理解できなかった夫人は呆気にとられ、ただぼんやりとした返事しかできなかった。
婚約を継続してくれるのは嬉しいが、それでいいのかと困惑した気持ちが頭を支配する。
「では、これで失礼する。突然の訪問、迷惑をかけてすまない」
「あ……いえ、何のおかまいもできず、申し訳ありません」
「いえ、とんでもない。突然押し掛けたのはこちらだ。見送りは結構、では失礼」
出されたお茶がまだ湯気を立てている間に、公爵はさっさと席を立ち、部屋を後にした。
結局、何の話し合いも出来ていないし、解決もしていない。ただ、この婚約がクロエの判断に委ねられるという結果のみを残していった。
残された二人はただ茫然と公爵の出て行った扉を見つめていたが、先に夫人の方が我に返り使用人に命令をくだす。
「……レオナルドを地下の物置部屋に閉じ込めなさい。外から鍵をかけ、わたくしがいいと言うまで決して外に出してはなりません」
「へっ? は、母上……」
レオナルドが何か言うより早く、リンデン家の従僕たちが彼の身を拘束し、部屋の外へと引きずっていった。
廊下に響くレオナルドの抵抗の声も、やがて次第に消えていくのだった。
欲望に流されることなく、生まれながらに特権を持つ者としての責任と義務を重んじるよう教育され、民と家のために誇りをもって己の役目を果たすという精神を培われてきた。それが当然であることを疑うこともなく、貴族たる者ならば程度の差こそあれ皆同じであると信じていた。
貴族として生きる以上、家の繁栄のためとなる相手との婚姻は必須であり義務である。それを嫌だと言うのなら、貴族の籍を抜けて平民として自由を選ぶもの。実際、公爵の親類にも政略結婚も義務も息苦しいと言って籍を抜けて平民としての未来を選んだ者はいる。そういった生き方を選ぶのは個人の自由だと思うし、それを否定する気もなかった。己の欲を選ぶのであれば、特権を捨てる。それもひとつの選択であるから。
だからこそ、余計にレオナルドの考えは理解できなかった。
貴族の義務を息苦しく思っていたのなら、何故早々にそれを捨てる決断をしないのか。
家の繁栄のための婚姻を”愛のない結婚”だと蔑むくらいならば、籍を抜けて自由になればいいものを、何故そうしないのか。仮に、それでも家を捨てられないというのであれば、黙って義務を受け入れるべきだ。
そしてその鬱憤は自分をそういう選択肢かできない立場に追い込んだ親にぶつけるべきである。決して何の罪も無い伴侶にぶつけるべきではない。
そういった貴族としての価値観から逸脱したレオナルドの思考は公爵にとって異質で不快なものだった。
貴族としての特権を捨てることもせず、納得いかないことに抗おうともせず、一旦受け入れたものを後からこうしてダラダラと文句を垂れる。そして、ただの婚約相手でしかないクロエに鬱憤をぶつける。
そんな理解不能な男に対して、公爵はあたかも異なる文化と価値観を持つ未開の地の民に向けるかのような視線を注いだ。
「あ、あの……閣下……」
「……驚いた。私は、この年になるまで自分の人を見る目が培われてこなかったことに気づかなんだ。成人してなお”愛のない結婚”を嫌がるくせに貴族で居続けるような、行動そのものが理解不能な人間を愛娘の婚約者にしてしまうとは……」
レオナルドを蔑むでもなく、ただひたすら自分の見る目の無さを悔やみ、額に手を当てて俯き、しばし沈黙した。
その反応にレオナルドは何も言葉を返せなかった。目の前で自分の見る目がなかったと失望されることは、罵倒よりよほど堪える。夫人はもう恥ずかしさとやるせなさで意識が遠のきかけていた。
「……公爵様、このような愚かな息子をご息女の婚約者にと望んでしまったこと、誠に申し訳ございませんでした。わたくしが至らないばかりに……このような屑にご息女の貴重な時間を浪費させてしまって……」
夫人はこんな息子をクロエと婚約させてしまったことをひどく恥じた。
こんなにも身勝手で愚かで幼稚だと分かっていたら婚約などさせなかった。貴族としての義務も責務も理解していないような息子を押し付けてしまった、と悔やむあまりに涙が滲む。
「リンデン夫人、貴女だけを責める気はない。貴家の子息との婚約を承諾したのは私だ。実際に会ってみて娘の婿に相応しいと判断した私の責任でもある」
二人に目の前で悪く言われたレオナルドは思わず反論しようとしたが、涙目の母親の鋭い視線に押され、言葉を飲み込んだ。これ以上恥を晒すな、という母親からの無言の圧力に押し黙ることしかできない。
「これは私の持論だが、政略を黙って受け入れるのは一流、表に出さぬが不満を抱くのは二流、そして表に出すのは三流だ。三流の貴族が愛娘の婿になど……相応しいとはとても言えぬ。だが、婚約をどうするのかを判断するのはクロエに任せよう」
意外な公爵の言葉に夫人もレオナルドも「え?」という顔で彼を見た。
この流れでは婚約の解消……いや、レオナルド有責で破棄が当然だと思ったのに、まさかのここにいないクロエに判断を任せるというもの。
「公爵様、それは……何故ですか?」
唖然とした夫人が問いかけると、公爵は視線を下に向けて悲しそうに答えた。
「それが、クロエの意志だからだ。だから私はクロエの意志を尊重する。……今まで娘の気持ちに寄り添ってやれなかった、せめてもの罪滅ぼしだ。クロエが婚約を続けると言うのなら黙って見守るし、破棄したいというのなら速やかに手続きを進めよう」
「さ、さようにございますか……」
公爵の発言をすぐに理解できなかった夫人は呆気にとられ、ただぼんやりとした返事しかできなかった。
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「では、これで失礼する。突然の訪問、迷惑をかけてすまない」
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結局、何の話し合いも出来ていないし、解決もしていない。ただ、この婚約がクロエの判断に委ねられるという結果のみを残していった。
残された二人はただ茫然と公爵の出て行った扉を見つめていたが、先に夫人の方が我に返り使用人に命令をくだす。
「……レオナルドを地下の物置部屋に閉じ込めなさい。外から鍵をかけ、わたくしがいいと言うまで決して外に出してはなりません」
「へっ? は、母上……」
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