物語の幕は上がらない(本編完結 番外編更新中)

わらびもち

文字の大きさ
46 / 99

レオナルドの変わりように嘆く母と兄

 カレンデュラ公爵が帰った後、リンデン公爵夫人はソファに身を沈め、絹のハンカチを握り締めたまま、嗚咽を押し殺せずにいた。震える肩を覆う金糸のショールが、涙の光を受けて鈍く輝く。
 重く垂れたカーテンの隙間から陽の光が細い糸のように差し込んでいた。部屋の空気は沈黙と涙の湿り気を帯び、香炉に残る香の煙が儚く揺れている。

「あの子は……なぜ、あんなにも愚かになってしまったの……」

 その声は壊れかけた楽器のように掠れ、言葉の端々が涙に溶けた。
 帰宅早々、執事に詳細を聞いた長男は夫人の傍らに静かに膝をつく。

「母上……」

 長男は母親に慰めの言葉をかけようとしたが、上手く言葉が出てこない。
 彼もまた、弟の言動を理解出来ずにいたからだ。

「もう、お終いよ……。この婚約だけが、我が家の権威を回復させる唯一の手段なのに……公爵様にまで呆れられてしまったわ」

 夫人は涙をあふれさせると、その場に泣き崩れた。そんな夫人の傍で長男は弟の信じがたい言動に頭を抱える。

「婚約者を蔑ろにするばかりか、その父親にまで婚約を望まなかったと発言するとは……あいつは頭がおかしくなってしまったのか? 昔はそんな奴じゃなかったのに……」

 彼が知る限りのレオナルドはそんな愚かな男では決してなかった。どちらかといえば優秀な方で、紳士としての立ち振る舞いも完璧だったはず。それがいったいどうしてこんな風に男としても人としても最低な部類にまで堕ちてしまったのか。

「母上、こうなればすぐにでもレオナルドを当家から除籍し、親類から養子をとって婚約者の挿げ替えを致しましょう」

 ここまでやらかした弟にまだ何かを期待するより、早々に別の者を養子にして新たなクロエの婚約者とした方が早い。そう提案する長男だったが、夫人は力なく頭を横に振った。

「……そうまでして当家と婚約を結ぶ利益はあちらにはないわ。それに、ここまでやらかした者の血縁者と婚約したいと思う?」

 その質問に、長男は頷くことが出来なかった。確かにそうまでしてカレンデュラ家がリンデン家と縁を結ぶ利益はない。それより他家のまともな子息と婚約を結ぶ方がよほど有益だ。
 一体なぜこんなことになってしまったのか……と、長男は頭を悩ませた。レオナルドが婚約を結んだ時には何の不安も懸念もなかったのに。それどころか弟ならばきっと婚約者を大切にするだろう、という信頼すらあった。少なくとも婚約者を蔑ろにするなど想像すらしていなかったのだ。

「あいつがこんな奴だと分かっていれば、婚約させなかったのに……」

 後悔の言葉をぽつりと呟く長男に、夫人は涙を拭きながら答えた。

「……きっと、わたくしの育て方が悪かったのだわ。自分ではそのつもりはなくとも甘やかしてしまっていたのよ。そうでなければあんな非常識で幼稚な子に育つわけないわ……」

「いいえ! そんなことはありません。母上は私にも弟にも貴族としての責務がなんたるか、誇りとはなんたるかを厳しく指導してくださったではありませんか……」

 母は兄弟のどちらかを差別することなく、無駄に甘やかすことなく、厳しく貴族としての責務を説いてくれた。
 実際、レオナルドは貴族の子息として申し分なかったはずだ。礼儀正しく、賢かった。なのに、今の弟はまるで知性をどこかに置き忘れたかのよう。そんな頭の悪い言動をする奴では決してなかったはずなのに……。

(何か、変わるきっかけがあったとしか思えない。それに……以前もどこかでこんな感覚を味わったような……)

 普通だと思っていた人がいきなり言葉の通じない獣のように変わってしまった経験を、以前どこかで味わったはず。そう考えた長男は必死に記憶を辿った。

「そういえば……父上」

「え? 何です?」

 はたと気づいた長男が呟いた言葉に夫人は反応して顔を上げる。
 するとしばらく沈黙が続き、次の瞬間、長男は何か思い出したかのようにハッとした

「この状況……かつて側妃に誑かされ、信じがたい程愚かな男に成り果てた父上の時とよく似ております。もしや……レオナルドの傍には良からぬことを吹き込む不届き者がいるのかもしれません」

「なんですって……!?」

 長男が示した可能性に夫人は声を荒げるほど驚くのだった。

あなたにおすすめの小説

旦那様。私が悪女ならば、愛人の女は何になるのかしら?

白雲八鈴
恋愛
 我が公爵家主催の夜会の最中。夫が愛人を連れてやってきたのです。そして、私を悪女という理由で離縁を突きつけてきました。  離縁して欲しいというのであれば、今まで支援してきた金額を全額返済していただけません?  あら?愛人の貴女が支払ってくれると?お優しいわね。  私が悪女というのであれば、妻のいる夫の愛人に収まっている貴女は何なのかしら?

さようなら、わたくしの騎士様

夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。 その時を待っていたのだ。 クリスは知っていた。 騎士ローウェルは裏切ると。 だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。

第一王子様が最後に選んだのは、妹ではなく私だったようです

睡蓮
恋愛
姉であるオルシナと、妹のマリーシア。マリーシアは小さな時から周囲の人物を次々と味方につけ、オルシナの事を孤立させていった。マリーシアに対しては誰もがちやほやと接してくるのに、オルシナに対しては冷たい態度を取る者がほとんどで、それがこれから先も続くものと思われていた。そんな中、二人のもとに一通の手紙が届く。差出人はフォルグ第一王子であり、二人のうちのいずれかを婚約者として迎え入れるということが書かれていた…。

私は既にフラれましたので。

椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…? ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

【完結】婿入り予定の婚約者は恋人と結婚したいらしい 〜そのひと爵位継げなくなるけどそんなに欲しいなら譲ります〜

早奈恵
恋愛
【完結】ざまぁ展開あります⚫︎幼なじみで婚約者のデニスが恋人を作り、破談となってしまう。困ったステファニーは急遽婿探しをする事になる。⚫︎新しい相手と婚約発表直前『やっぱりステファニーと結婚する』とデニスが言い出した。⚫︎辺境伯になるにはステファニーと結婚が必要と気が付いたデニスと辺境伯夫人になりたかった恋人ブリトニーを前に、ステファニーは新しい婚約者ブラッドリーと共に対抗する。⚫︎デニスの恋人ブリトニーが不公平だと言い、デニスにもチャンスをくれと縋り出す。⚫︎そしてデニスとブラッドが言い合いになり、決闘することに……。

私は善意に殺された・完結

まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。 誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。 私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。 だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。 どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿中。 ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!

貴方にはもう何も期待しません〜夫は唯の同居人〜

きんのたまご
恋愛
夫に何かを期待するから裏切られた気持ちになるの。 もう期待しなければ裏切られる事も無い。

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)