物語の幕は上がらない(本編完結 番外編更新中)

わらびもち

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信じていた。この時までは……

 トマスは幼い頃からレオナルドに仕え、彼に深い忠誠を誓っていた。
 ただ、それだけなら忠義に篤い従者で済んだのだが、問題は彼がレオナルドの行いに盲目的であることだ。
 レオナルドが心を許す存在である彼は、主人が愛のない結婚を受け入れたくないと知っていた。だからこそ、主人には心から愛し合える相手と結ばれてほしいと願わずにはいられなかった。

 だからこそ、レオナルドがシェリーという最愛を見つけた時は嬉しかったし、クロエという愛のない政略の相手と結ばれることを悲観していたのだ。それゆえ、シェリーとの密会もクロエをないがしろにすることも、トマスは咎めようとはしなかった。むしろそれが当然の行いであるかのように信じきっていた。

 もちろんそれはレオナルドがカレンデュラ家に婿入り後、クロエを毒殺し、最愛のシェリーを後添えに迎えることもだ。その為に今から毒を準備するほどに彼は主人の幸福を願っている。

 トマスは愛し合う者が結ばれることを正義とし、政略の結婚を悪と断じていた。
 だからこそ、クロエを排除することに何の疑問も抱いていない。
 敬愛するレオナルドが幸せになることこそ、何より尊ぶべきことだと信じて疑わなかった──この時までは。

「暴れるな、トマス。暴れるとそれだけ体に縄が食い込んで痛くなるだけだ。大人しくしてろ」

 リンデン家にある地下の部屋、そこは窓ひとつない閉鎖的な空間。
 代々罪人の尋問や拷問に使われる部屋であった。
 トマスはここで従僕たちにより全身を縄で縛られている最中だ。

「……やめろ! やめてくれ! 俺をどうする気だ!?」

「さあ? それは若様に聞いてくれ。俺達は若様のご命令に従ったまでだ」

 身を捩って抵抗するトマスを物ともせず、従僕たちは淡々と彼の全身を縄で縛っていく。

「おかしいだろう……こんなこと! なんで何もしていない俺がこんな目に遭わなきゃならない!?」

「だからそれは若様に聞いてくれ。……よし、縛り終わったな。じゃあ行こう」

 従僕たちはトマスの叫びに耳を貸さず、仕事が終わったとばかりにさっさと立ち去ろうとする。

「おい! 待てって! こんな場所に置いていくつもりか!?」

「……あ、一応猿轡を噛ませていた方がいいか。自死でもされたら困るしな」

 一人がトマスの口元に猿轡を持っていく。装着を終えると、彼は「よし」と立ち上がった。

「さーて、今度こそ行くか」

 全身を縄で縛られたまま床に転がされるトマスを放置し、彼等はぞろぞろと扉の外へと向かう。
 トマスに何を言われても反応すらせず、最後の一人が出ると扉が閉められ、ガチャリと鍵の閉まる音が響く。

「んん……んんんん……(そんな……嘘だろう?)」

 猿轡のせいで独り言を呟くこともできないトマスは茫然としたまま扉の方を見つめた。
 蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い空間で、彼は自分が取り返しのつかない過ちを犯していたのではないかと思い始める。

(なんで……こんなことに。俺は今から何をされるんだ……!?)

 仕える家の若君は「多少手荒な真似をする」と言っていた。
 それがこうして縛って放置することだけを指すとは思えない。
 これから自分の身に起こるであろうことを想像し、トマスの背筋にぞくりと悪寒が走った。

 それからどれほどの時が流れたのか。おそらく一時間ほどだったに違いない。だが、トマスにとっては永遠にも思えるほど長い時間だった。扉の外から足音が近づき、次いでギイッと鈍い音を立てて扉が開かれる。

「待たせたな、トマス」

 入って来たのはレオナルドの兄であるこの家の嫡男と、その従者が一人。従者の手には棍棒が握られている。

(な、なんだ、それは……!?)

 棍棒を目にしたトマスは驚愕のあまり目を大きく見開いた。何故そんな物を携えてきたのかと思った瞬間、最悪の想像が頭に浮かぶ。

(それで俺をどうする気だ!?)

 暴力とは無縁の世界で生きてきたトマスにとって、その行為は恐怖でしかなかった。
 嫡男はトマスの考えを手に取るように見抜き、唇の端をゆるやかに吊り上げる。

「安心しろ。。どうしても答えない場合は、これで打つ」

 平然と恐ろしい言葉を告げた嫡男に、トマスは床に転がったままビクリと体を震わせた。
 止めるよう言おうとしても、猿轡のせいで上手く言葉が紡げない。

「ああ、そのままでは話せないか。おい、猿轡を解いてやれ」

 従者にそう命じると、彼は「畏まりました」と礼をし、それを解くためにトマスの傍へと行って膝をついた。

「……トマス、さっさと話した方が身の為だぞ。若様はレオナルド様と違って甘くはない」

 ぼそりと従者がトマスの耳元で呟くと、トマスは顔面蒼白となった。そして猿轡が外された瞬間、嫡男に向かって慈悲を請う。

「お許し下さい、若様! 私は何も知らないんです! 隠していることもございません! 信じて下さい!」

 トマスの必死の叫びに嫡男は顔色ひとつ変えず、従者に話しかけた。

「な? 分かりやすいだろう? 嘘がすぐに顔に出るんだよ」

「本当でございますね。こんなにも表情に出してしまう者がレオナルド様の従者を務めていたとは……情けのうございます」

 二人の会話にトマスは愕然とした。嘘が顔に出ている、と言われて思わず顔を伏せる。
 その態度が余計に嘘をついているという証明になるというのに。

「お前は分かりやすいな。口では嘘をついても、顔には真実が現れる。それで? いるのだろう、レオナルドを誑かし、人格を変えてしまった悪魔のような存在が……」

 地を這うような低い声音がトマスの頭上に降り注ぐ。彼の頭の中は混乱状態で、どうやってこの場を切り抜けたらいいのかと焦るあまりに余計なことを口走る。

「いいえ! 違います! ”シェリー”様はそのような方では……」

「……”シェリー”? ……そうか、そいつがレオナルドを誑かして人格まで変えてしまった元凶か」

 トマスは咄嗟に口を結んだが、出してしまった言葉は戻らないし、聞かなかったことにもならない。
 嫡男はその場にしゃがみ込み、トマスと目線を合わせて話し始めた。

「そいつについて洗いざらい喋ってもらうぞ。まず、そいつは何処の誰だ?」

「お、お許しを……! お許しください、若様……!」

「……困ったな。まだ自分の立場を分かっていないようだ。喋らないなら、喋りたくなるようにするまでだぞ? なあ?」

 振り向いて従者に同意を求めると、彼は「その通りでございます」と頷く。

「言っておくが、コレで打たれたらかなりの重傷になるぞ。そしてそのまま手当てもせずに放置すれば、最悪死ぬかもしれんな? 知っているか、高位貴族が使用人を無礼討ちして死なせたとしても罪にはならん。……お前は、こんなことで今世に終わりを告げたいか?」

 恐ろしいことを囁かれ、トマスはそこで初めて自分が置かれている状況がどれだけ危険なのかを悟る。
 自分を見下ろす二人の目は本気だった。そこには冗談やはったりなどは一切感じられない。

「お許しを……! どうか、お慈悲を……若様……!」

「慈悲をかけてほしくば、私の質問に嘘偽りなく答えることだな。そのシェリーという者は何処の誰だ? 答えろ、トマス」

 再度質問され、トマスは答えるべきかどうかを混乱する頭で考えだした。
 言ってしまえば、主人は最愛の恋人と引き裂かれてしまい、ひどく悲しむことになる。
 だが、このまま黙秘を続ければ自分の命が危ない。時間にしてわずか数秒だが、トマスは自問自答を繰り返した結果、話すという選択肢をとった。

「シェリー様は……レオナルド様が懇意にされている方です」

「それは分かった。聞きたいのは何処の令嬢だということだ」

「い、いえ……シェリー様は、貴族のご令嬢ではなく……市井の娘でして……」

「……なんだと?」

 トマスの発言に嫡男のこめかみが不快げにぴくりと跳ねた。

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