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とあるパン屋の女将が語ること
馬車の中ですれ違いの会話が繰り広げられている最中、パン屋へとひとりの客人が訪れる。
客人は店内に入るなり店員へと慌てた様子で声をかけた。
「ねえちょっと、あの馬車何だい? 何だってこんな場所にあんなお貴族様が乗るような馬車が停まってんの?」
客人がそう尋ねると、パン屋の店員──もといこの店の女将がげんなりした様子で答える。
「さあ……。理由は知らないけどシェリーに用事があるとかで、馬車に連れていったよ」
「シェリー? ああ、田舎から出て来たっていう、女将さんの親戚の子のことかい? なんかお貴族様に気に入られたとかでこの店辞めたんじゃなかった?」
「いや……まだ辞めてはいないんだよ。お貴族様に気に入られはしたんだけど……」
歯切れの悪い言い方をする女将に客人は「でも最近、店で姿を見ていないよ?」と首を傾げる。
「アタシはこうして朝はよくこの店に来てるけど、店員は女将さん以外を見たことがないよ? ずいぶん前には何回か若い店員の姿を見た気はするけど……」
「……そりゃそうだ。あの子が出てくるのは昼からだからね。いつもは昼過ぎに家からここに出勤してくるんだけど、今日は朝食をたかりに朝から来ていたのさ。といっても、店には出ずに奥で二度寝をかましていたけどね……」
「なんだそりゃ、随分と図々しい娘じゃないか!? 女将さんもなんだってそんなに甘やかしてんだい? 実の娘でもあるまいさ……」
客人は女将がそこまで親戚の娘を甘やかすことが理解できなかった。
実の娘ならまだしも、親戚の、しかも働く為に田舎から出て来たという、女将に世話になっている立場でそこまで好き放題しているなど図々しい。もし客人が女将の立場ならばさっさと田舎に帰れと追い返すだろう。
「いや……それが、最初はこんな図々しい子じゃなかったんだよ。真面目で働き者で健気でね。気立てもいいからお客さんからも可愛がられていたんだけど……ある日を境に人が変わっちまったんだ」
神妙な顔の女将に客人はごくりと息を呑んで話の続きを待った。
女将は一瞬、店の入り口に視線を遣った後、また客人へと戻す。
「ある日ね、ちょうどそこの段差でつまずいて頭をぶつけちまったんだ。幸い命に別状はなかったんだけど、それからまるで人が変わったかのように嫌な子になっちまってね。あんなに真面目で働き者だったのに、怠け者で不真面目で文句ばかり言うようになってね。遊んでばかりで店にだってろくに出ないし、もう辞めさせたいんだけど……うちで怪我させて、それで性格まで変わっちまったことが親御さんに申し訳なくってね」
「いや、女将さんがそこまで気を遣う必要あるかい? 確かに預かった手前というのはあるんだろうけど、怪我したのは女将さんのせいじゃないんだからさ。ろくに働きもしない子を置いていたって無駄じゃないか?」
客人の指摘に「それはそうだけど……」と渋る女将に、客人は声を潜めて囁いた。
「それに、お貴族様と関わった子を置いておくのは危険じゃないか? 気に入られたってことは、つまりお貴族様の”愛人”になったってことだろう? よく聞くじゃないか、お貴族様の奥さんが愛人憎しで嫌がらせするってのは。
この店がその嫌がらせの対象になったらどうすんのさ?」
「…………ッ!!?」
そこまで言われて初めて女将は危機感を覚えた。貴族ならば平民の店を潰すのも、平民自体を害するのも簡単だ。
もし、親の代から守ってきたこの店に何かされたら……と考えるだけで血の気が引く。
「たしかに……そうだね」
青い顔をした女将はかろうじてそれだけを呟く。
そうしていると用事が終わったのか、シェリーが欠伸をしながら扉を開けて店内へ戻ってきた。
「ふわ……眠い。おばさん、私これから昼まで寝るからよろしくね。お昼の用意が出来たら起こして~」
図々しい発言にその場にいた客人は思わずギョッとした。世話になっている相手に対しての発言とは思えない。
罪悪感があったとはいえ、よくこんなろくでもない娘を置いておくものだと感心を通り越して呆れる。
「……シェリー、どんな話をされたの?」
青褪めた顔の女将が問いかけると、シェリーは気怠げに髪をかき上げて「えっとねー」と話し出す。
「なんか~、レオと別れろって言われたの。レオのお兄さんに」
「それってあんたが懇意にしているお貴族様のこと? 馬車にいたのはそのお兄さんなの?」
「うん、そう。でも~私達は愛し合ってるって言ったら納得してくれたみたい」
「…………そう」
二人の会話を聞いていた客人は、想像以上に阿呆っぽいシェリーの話し方に引いていた。
話し方もそうだが、内容もだ。別れるようわざわざ言いに来たのに、”愛し合っている”という理由だけで納得するはずがない。完全に想像でしかないが、話にならないからもういいと思われたのではないだろうか。
そしてそのことに女将も気づいたのか、諦めたような顔でシェリーの肩に手を置く。
「シェリー、あのさ……悪いんだけど、しばらく店に来ないでくれるかい?」
「えー? 別にいいけど、どうして?」
「ああいうふうにお貴族様に店先に来られるのはうちも困るんだよ。怖がって客が来なくなっちまうんだ」
いくら”迷惑料”ということで先程の従者から銀貨の詰まった袋を貰おうとも、客が遠のいてしまえば店は継続できない。貴族の馬車が目に着けば平民は怖がって店に近づかないからだ。現に、客入りが多いはずの時間帯なのに一人しか来なかった。
「ふーん……。いいけど、だったらレオが来たら直接家に来るよう伝えておいてくれる?」
「ああ、分かった。じゃあもう今日は帰っとくれ」
戻ってきたばかりのシェリーを再び追い出し、女将は深くため息をついた。
客人は店内に入るなり店員へと慌てた様子で声をかけた。
「ねえちょっと、あの馬車何だい? 何だってこんな場所にあんなお貴族様が乗るような馬車が停まってんの?」
客人がそう尋ねると、パン屋の店員──もといこの店の女将がげんなりした様子で答える。
「さあ……。理由は知らないけどシェリーに用事があるとかで、馬車に連れていったよ」
「シェリー? ああ、田舎から出て来たっていう、女将さんの親戚の子のことかい? なんかお貴族様に気に入られたとかでこの店辞めたんじゃなかった?」
「いや……まだ辞めてはいないんだよ。お貴族様に気に入られはしたんだけど……」
歯切れの悪い言い方をする女将に客人は「でも最近、店で姿を見ていないよ?」と首を傾げる。
「アタシはこうして朝はよくこの店に来てるけど、店員は女将さん以外を見たことがないよ? ずいぶん前には何回か若い店員の姿を見た気はするけど……」
「……そりゃそうだ。あの子が出てくるのは昼からだからね。いつもは昼過ぎに家からここに出勤してくるんだけど、今日は朝食をたかりに朝から来ていたのさ。といっても、店には出ずに奥で二度寝をかましていたけどね……」
「なんだそりゃ、随分と図々しい娘じゃないか!? 女将さんもなんだってそんなに甘やかしてんだい? 実の娘でもあるまいさ……」
客人は女将がそこまで親戚の娘を甘やかすことが理解できなかった。
実の娘ならまだしも、親戚の、しかも働く為に田舎から出て来たという、女将に世話になっている立場でそこまで好き放題しているなど図々しい。もし客人が女将の立場ならばさっさと田舎に帰れと追い返すだろう。
「いや……それが、最初はこんな図々しい子じゃなかったんだよ。真面目で働き者で健気でね。気立てもいいからお客さんからも可愛がられていたんだけど……ある日を境に人が変わっちまったんだ」
神妙な顔の女将に客人はごくりと息を呑んで話の続きを待った。
女将は一瞬、店の入り口に視線を遣った後、また客人へと戻す。
「ある日ね、ちょうどそこの段差でつまずいて頭をぶつけちまったんだ。幸い命に別状はなかったんだけど、それからまるで人が変わったかのように嫌な子になっちまってね。あんなに真面目で働き者だったのに、怠け者で不真面目で文句ばかり言うようになってね。遊んでばかりで店にだってろくに出ないし、もう辞めさせたいんだけど……うちで怪我させて、それで性格まで変わっちまったことが親御さんに申し訳なくってね」
「いや、女将さんがそこまで気を遣う必要あるかい? 確かに預かった手前というのはあるんだろうけど、怪我したのは女将さんのせいじゃないんだからさ。ろくに働きもしない子を置いていたって無駄じゃないか?」
客人の指摘に「それはそうだけど……」と渋る女将に、客人は声を潜めて囁いた。
「それに、お貴族様と関わった子を置いておくのは危険じゃないか? 気に入られたってことは、つまりお貴族様の”愛人”になったってことだろう? よく聞くじゃないか、お貴族様の奥さんが愛人憎しで嫌がらせするってのは。
この店がその嫌がらせの対象になったらどうすんのさ?」
「…………ッ!!?」
そこまで言われて初めて女将は危機感を覚えた。貴族ならば平民の店を潰すのも、平民自体を害するのも簡単だ。
もし、親の代から守ってきたこの店に何かされたら……と考えるだけで血の気が引く。
「たしかに……そうだね」
青い顔をした女将はかろうじてそれだけを呟く。
そうしていると用事が終わったのか、シェリーが欠伸をしながら扉を開けて店内へ戻ってきた。
「ふわ……眠い。おばさん、私これから昼まで寝るからよろしくね。お昼の用意が出来たら起こして~」
図々しい発言にその場にいた客人は思わずギョッとした。世話になっている相手に対しての発言とは思えない。
罪悪感があったとはいえ、よくこんなろくでもない娘を置いておくものだと感心を通り越して呆れる。
「……シェリー、どんな話をされたの?」
青褪めた顔の女将が問いかけると、シェリーは気怠げに髪をかき上げて「えっとねー」と話し出す。
「なんか~、レオと別れろって言われたの。レオのお兄さんに」
「それってあんたが懇意にしているお貴族様のこと? 馬車にいたのはそのお兄さんなの?」
「うん、そう。でも~私達は愛し合ってるって言ったら納得してくれたみたい」
「…………そう」
二人の会話を聞いていた客人は、想像以上に阿呆っぽいシェリーの話し方に引いていた。
話し方もそうだが、内容もだ。別れるようわざわざ言いに来たのに、”愛し合っている”という理由だけで納得するはずがない。完全に想像でしかないが、話にならないからもういいと思われたのではないだろうか。
そしてそのことに女将も気づいたのか、諦めたような顔でシェリーの肩に手を置く。
「シェリー、あのさ……悪いんだけど、しばらく店に来ないでくれるかい?」
「えー? 別にいいけど、どうして?」
「ああいうふうにお貴族様に店先に来られるのはうちも困るんだよ。怖がって客が来なくなっちまうんだ」
いくら”迷惑料”ということで先程の従者から銀貨の詰まった袋を貰おうとも、客が遠のいてしまえば店は継続できない。貴族の馬車が目に着けば平民は怖がって店に近づかないからだ。現に、客入りが多いはずの時間帯なのに一人しか来なかった。
「ふーん……。いいけど、だったらレオが来たら直接家に来るよう伝えておいてくれる?」
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戻ってきたばかりのシェリーを再び追い出し、女将は深くため息をついた。
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