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夫人とトマスの食い違い
そんなクロエの予想は的中し、リンデン公爵邸では事態が大事へと発展していた。
「トマス、これが何だか分かりますね……?」
未だに地下室に監禁されていたトマスの前にリンデン公爵夫人が鬼の形相で立ちはだかる。
華奢な女性からとは思えないほどの迫力と恐ろしさに、トマスは目を見開いたまま唇を震わせた。
彼女の手にあるのは黒いガラス製の小瓶。その中には正体の知れない液体がねっとりと満ち、外側には異国の文字が記されたラベルが貼られていた。
小瓶を見たトマスは思わず「どうして……」と呟いてしまい、はっとして口を塞いだがもう手遅れだった。
「その反応……やはりお前はこれを知っているのね? これはレオナルドの部屋を探索した際に発見したものよ」
夫人は小瓶をトマスの鼻先へ突きつけるように寄せ、挑発するように左右へと揺らす。
その遊びめいた仕草とは対照的に彼女の目には一片の笑みもない。鋭い眼光がまっすぐトマスを射貫いていた。
「お……奥様、これは……」
「いったいどこの商人からこんなものを購入したのかしら。こんなふうに異国の文字が書かれたラベルの薬品を、当家が頼んでいる商会が扱っているとは思えないのだけれど?」
リンデン家が利用している商会の薬品に貼られたラベルには、誤使用を防ぐためこの国の文字で薬品名と注意書きがすべて記されている。この小瓶のように異国の文字で、しかも品名らしきものだけが書かれているものを取り扱うはずもなかった。
「わざわざ金庫に保管して……よほど大切な物のようね?」
夫人は小瓶の中身が何であるかをとうに見抜いていた。こんな毒々しい色とデザイン、しかもわざわざ金庫にしまうという厳重な保管方法から毒物であると推測される。そのうえでトマスに自ら告白させようと迫っていた。
「奥様……違うのです、これは何かの間違いで……」
「間違い? 何が、どう、間違っているというの? わたくしはお前にこれを知っているかと聞いたのよ。答えなさい」
夫人に詰め寄られるとトマスは顔を青ざめさせ、恐怖に歯をカチカチと震わせた。
(まずい、まずい、まずい……! 誰の目にも触れないように仕舞っておいたものが……なんでここに!? どうしてレオナルド様の部屋を探索なんかしたんだ!)
この小瓶の正体を知られたらどうなるかと思ったトマスの額に冷や汗が流れる。
彼は咄嗟に「いえ、知りません!」と見え透いた嘘を必死に叫んだ。
「知らない? へえ……そう。なら、どうしてそんなに焦った顔をしているのかしら……?」
「ほ、本当に知らないのです! そもそも、何故レオナルド様の部屋を探索なさったのですか!?」
「お黙り! お前に質問する権利を与えておりません。お前はただ聞かれたことだけを答えなさい」
有無を言わさぬ夫人の厳しい口調にトマスは押し黙るしかなかった。顔に汗を滝のように流し、目を見開き、荒い息をする彼。どこからどう見ても「知らない」とは言えない顔だ。それでも本当のことなど言うわけにはいかない。
(言えるわけがない……。それは、レオナルド様が婿入り後にカレンデュラ公女に使う為に準備したものだなんて──口が裂けても言えない!)
しばらくの間、この暗く狭い部屋へと閉じ込められていたトマスは流石に頭も冷え、すっかりお花畑脳からは抜け出ていた。すべてはレオナルドの真実の愛の為、という大義名分がただの犯罪だと認識できるほどに。
あの小瓶の中身は乙女ゲームの設定にあった通り、レオナルドがクロエを亡き者にするための毒。
結婚後に毒を購入してはクロエに毒殺を悟られてしまうと変に頭は働かせた彼は今の段階で準備しておくようトマスに命じた。そうすれば婿入りの際に荷物に紛れ込ませてカレンデュラ邸に持ち込めるから。
お花畑脳だったトマスは何の疑問も抱かずにそれに同意し、密かに異国の薬草商と接触して毒を入手した。
この国の商人から購入しては足がつくかもしれないと懸念して。そうしてリンデン家の誰にも知られず毒を保管しておいたのだが、保管方法が杜撰なのでこうしてすぐに知られてしまった。
今なら分かる。他家の、しかも王族よりも発言権を持つカレンデュラ家の令嬢を害そうとしたことが知られたら──手を貸した自分はもちろんのこと家族までも物理的に首が飛びかねない。いや、下手したら一族全員かもしれない。幼い弟妹や、昨年生まれた兄の子供までもがトマスのせいで処刑されるかもしれないのだ。
それを本当に今更ながら悟り、己が仕出かした事の大きさに耐え切れず頭を抱えて叫びだしたい衝動に駆られた。
よく考えなくても分かる。こんな身勝手な理由で何の罪も無い令嬢を殺害しようなど、鬼畜の所業だ。どうしてこれが正義だと思っていたのか……過去の自分の悍ましい感覚に吐き気を覚える。
「違う……違うのです、奥様……」
何を言ったらこの状況から切り抜けられるのかなど全く思い浮かばないトマスは涙を流して首を横に振ることしか出来ない。しかし夫人はそんな姿に同情することなく、容赦のない厳しい声で問い詰めた。
「くどい。見え透いた嘘は止めていい加減認めてしまいなさい。この瓶の中身は毒なのでしょう?」
決定打となる言葉に、トマスは終わりだとばかりにきつく目を瞑る。
しかし、次にかけられた夫人の言葉は予想しないものだった。
「なんて悍ましい……。レオナルドは毒物を用いてまで兄から家督を奪いたかったの……? まさかあの子が実の兄を手にかけるような鬼畜だったなんて! ううっ……」
「………………え?」
耐え切れず嗚咽を漏らす夫人とは対照的に、トマスは呆然とした顔で涙を引っ込めていた。
「トマス、これが何だか分かりますね……?」
未だに地下室に監禁されていたトマスの前にリンデン公爵夫人が鬼の形相で立ちはだかる。
華奢な女性からとは思えないほどの迫力と恐ろしさに、トマスは目を見開いたまま唇を震わせた。
彼女の手にあるのは黒いガラス製の小瓶。その中には正体の知れない液体がねっとりと満ち、外側には異国の文字が記されたラベルが貼られていた。
小瓶を見たトマスは思わず「どうして……」と呟いてしまい、はっとして口を塞いだがもう手遅れだった。
「その反応……やはりお前はこれを知っているのね? これはレオナルドの部屋を探索した際に発見したものよ」
夫人は小瓶をトマスの鼻先へ突きつけるように寄せ、挑発するように左右へと揺らす。
その遊びめいた仕草とは対照的に彼女の目には一片の笑みもない。鋭い眼光がまっすぐトマスを射貫いていた。
「お……奥様、これは……」
「いったいどこの商人からこんなものを購入したのかしら。こんなふうに異国の文字が書かれたラベルの薬品を、当家が頼んでいる商会が扱っているとは思えないのだけれど?」
リンデン家が利用している商会の薬品に貼られたラベルには、誤使用を防ぐためこの国の文字で薬品名と注意書きがすべて記されている。この小瓶のように異国の文字で、しかも品名らしきものだけが書かれているものを取り扱うはずもなかった。
「わざわざ金庫に保管して……よほど大切な物のようね?」
夫人は小瓶の中身が何であるかをとうに見抜いていた。こんな毒々しい色とデザイン、しかもわざわざ金庫にしまうという厳重な保管方法から毒物であると推測される。そのうえでトマスに自ら告白させようと迫っていた。
「奥様……違うのです、これは何かの間違いで……」
「間違い? 何が、どう、間違っているというの? わたくしはお前にこれを知っているかと聞いたのよ。答えなさい」
夫人に詰め寄られるとトマスは顔を青ざめさせ、恐怖に歯をカチカチと震わせた。
(まずい、まずい、まずい……! 誰の目にも触れないように仕舞っておいたものが……なんでここに!? どうしてレオナルド様の部屋を探索なんかしたんだ!)
この小瓶の正体を知られたらどうなるかと思ったトマスの額に冷や汗が流れる。
彼は咄嗟に「いえ、知りません!」と見え透いた嘘を必死に叫んだ。
「知らない? へえ……そう。なら、どうしてそんなに焦った顔をしているのかしら……?」
「ほ、本当に知らないのです! そもそも、何故レオナルド様の部屋を探索なさったのですか!?」
「お黙り! お前に質問する権利を与えておりません。お前はただ聞かれたことだけを答えなさい」
有無を言わさぬ夫人の厳しい口調にトマスは押し黙るしかなかった。顔に汗を滝のように流し、目を見開き、荒い息をする彼。どこからどう見ても「知らない」とは言えない顔だ。それでも本当のことなど言うわけにはいかない。
(言えるわけがない……。それは、レオナルド様が婿入り後にカレンデュラ公女に使う為に準備したものだなんて──口が裂けても言えない!)
しばらくの間、この暗く狭い部屋へと閉じ込められていたトマスは流石に頭も冷え、すっかりお花畑脳からは抜け出ていた。すべてはレオナルドの真実の愛の為、という大義名分がただの犯罪だと認識できるほどに。
あの小瓶の中身は乙女ゲームの設定にあった通り、レオナルドがクロエを亡き者にするための毒。
結婚後に毒を購入してはクロエに毒殺を悟られてしまうと変に頭は働かせた彼は今の段階で準備しておくようトマスに命じた。そうすれば婿入りの際に荷物に紛れ込ませてカレンデュラ邸に持ち込めるから。
お花畑脳だったトマスは何の疑問も抱かずにそれに同意し、密かに異国の薬草商と接触して毒を入手した。
この国の商人から購入しては足がつくかもしれないと懸念して。そうしてリンデン家の誰にも知られず毒を保管しておいたのだが、保管方法が杜撰なのでこうしてすぐに知られてしまった。
今なら分かる。他家の、しかも王族よりも発言権を持つカレンデュラ家の令嬢を害そうとしたことが知られたら──手を貸した自分はもちろんのこと家族までも物理的に首が飛びかねない。いや、下手したら一族全員かもしれない。幼い弟妹や、昨年生まれた兄の子供までもがトマスのせいで処刑されるかもしれないのだ。
それを本当に今更ながら悟り、己が仕出かした事の大きさに耐え切れず頭を抱えて叫びだしたい衝動に駆られた。
よく考えなくても分かる。こんな身勝手な理由で何の罪も無い令嬢を殺害しようなど、鬼畜の所業だ。どうしてこれが正義だと思っていたのか……過去の自分の悍ましい感覚に吐き気を覚える。
「違う……違うのです、奥様……」
何を言ったらこの状況から切り抜けられるのかなど全く思い浮かばないトマスは涙を流して首を横に振ることしか出来ない。しかし夫人はそんな姿に同情することなく、容赦のない厳しい声で問い詰めた。
「くどい。見え透いた嘘は止めていい加減認めてしまいなさい。この瓶の中身は毒なのでしょう?」
決定打となる言葉に、トマスは終わりだとばかりにきつく目を瞑る。
しかし、次にかけられた夫人の言葉は予想しないものだった。
「なんて悍ましい……。レオナルドは毒物を用いてまで兄から家督を奪いたかったの……? まさかあの子が実の兄を手にかけるような鬼畜だったなんて! ううっ……」
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