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リンデン公爵夫人の決意
「近日中に我が父よりレオナルド様との婚約を解消する旨の書状が届くと思います。流石にここまで不誠実で非常識な態度を繰り返されては、愛想も尽きるというもの。それはお分かりいただけますね?」
「……はい、勿論でございます。すべては、こちらの躾の至らなさによるもの。ここまで愚かな真似を繰り返した息子との婚約を続けてほしいなどという、図々しいことは言えるはずもございません」
夫人は膝の上でスカートを強く握りしめた。愚かな振る舞いを繰り返した息子が原因だと分かっていても、”婚約解消”という言葉に絶望せずにはいられない。
名門カレンデュラ家の令嬢との縁談――それは傾きかけた家を救う最後の細い糸だった。これでようやく、没落の淵から引き戻される。未来を思って眠れぬ日々も終わる。その希望が砕け散ったことが心に重くのしかかる。
「分かってくださってよかったです。……しかしながら、それではリンデン家の再興はもはや難しいものとなるでしょうね」
「………………」
覚悟はしていたはずなのに、直接告げられる現実が胸を突く。夫人は深く頭を下げ、震えそうになる声を必死に抑えた。嘆いても、もう何も戻らない。家の未来も、差し伸べられたはずの救いの手も、すべては息子自身の振る舞いによって遠ざけてしまったのだから。
「しかしながら……わたくしはリンデン家自体に思うところはございません。また、ご子息がわたくしに危害を加えようとしたことを、父は知りません。つきましては、此度の婚約解消はご子息の不誠実な態度および不貞行為のみを理由とさせていただきたく存じます」
「え…………?」
その言葉に夫人は思わず顔を上げた。
射貫くようなクロエの眼差しを前に心臓が跳ね、ごくりと息を呑む。
「そして、新たに貴家の子息と婚約を結ばせていただければと考えております。そうすれば、我が家と貴家は再び縁を結ぶことができ、リンデン家再興の一助となるものと存じます」
まるで夢を見ているような、こちらにとって都合のよい提案を前に夫人は言葉を失い、茫然とした。
時が止まったかのように感じられ、希望と不安が押し寄せる。喉が詰まり、言葉が出ず、思わず手で口元を押さえた。
「ただし、リンデン家の血を引かれる子息は、ご遠慮いただきます」
「はい……?」
矛盾した発言に夫人は耳を疑った。リンデン家と婚約を結ぶと言っておきながら、リンデン家の血を引く息子は断る――。まるで謎かけのようなクロエの言葉に夫人は戸惑うばかりだった。
「失礼ながら、ご当主に次ぎ、ご子息も豹変しやすい気質をお持ちのようで……。そういった気質のある血筋の方と縁を結び、また女性関連で問題を起こされては困ります」
「それは……はい、恥ずかしながらおっしゃる通りでございます。ですが、ならばどうすればよろしいのでしょうか……?」
家同士が婚姻によって縁を結ぶ以上、その家の血を引く者同士が選ばれるのは当たり前のこと。
それなのに、その血筋の者は遠慮したいとはどういうことだろうか。
困惑する夫人を前にクロエは真剣な面持ちで答えた。
「これより、わたくしはそちらにとって相当に失礼なことを申し上げます。それにより、夫人がお怒りになることも致し方なきことと存じております」
大袈裟なまでの前置きに夫人は息を呑んだ。これからクロエが口にすることはこちらが怒るような内容なのだとしても、実際に怒ってしまっては元も子もない。何を言われようとも受け入れる覚悟で夫人は話に耳を傾けた。
「リンデン家に、とある子息を養子として迎え入れていただきたいのです。そして、その子息をリンデン公子としてわたくしと婚約を結ばせる。そうすればカレンデュラ家とリンデン家は再び縁を繋ぐことができます」
「……ッ!? クロエ様……それは……」
クロエの発言に、夫人ははっとして目を見開いた。
彼女が望んでいることは、たとえば国王が寵愛する娘を有力貴族の養女とし、そのうえで妃に迎えるようなやり方である。
昔はそういう手法で身分の低い娘を寵姫に迎える王もいた。だが、そのやり方は反感を買いやすいので徐々に廃れていった。いくら王の頼みで、王家の外戚になれるとはいっても、血縁関係のない娘を養女に迎えるのは血筋を重んじる貴族にとって抵抗があったからだ。
仮にクロエの望むように受け入れたとして、カレンデュラ家にリンデン家の血が入るわけではない。
縁戚関係を結んだとしても、あくまでそれは名目上だけ。実際はリンデン家とは血縁関係のない赤の他人がカレンデュラ家に婿入りしたというだけだ。
(でも……それなら、リンデン家の名誉は保つことができる。再興も夢ではない。それに……レオナルドの行いへの償いと考えれば、これ以上ないほど破格の申し出だわ)
「いかがかしら? 最初にわたくしがいたしました質問の意味は、こういうことですの。リンデン家の血がカレンデュラ家に入ることを望むなら、このお話は無かったことにしていただいて構いません。ですが、もしリンデン家の名誉のみを守ることを望むのでしたら……この提案をお受けした方がそちらの為かと思います。本来でしたらご当主に話した方がよろしいのでしょうが、今、リンデン家で采配を振るっておりますのは夫人でございましょう。養子を受け入れるか否かの決定も夫人次第だと存じております。仮にご当主にこの話を持って行っても……まあ、断られるでしょうね」
クロエの言葉は核心をついていた。仮にこの話をリンデン公爵にしたとしても、「馬鹿にしている」と憤慨して断ることだろうことは夫人がよく分かっていた。夫は家の再興よりも、己の誇りや恥を優先する人だ。こちらが恥や外聞を捨てて家の再興の為に奮闘しているのに──と考えたら腹が立ち、覚悟が決まる。
(そうよ……愚かな夫の血筋なんてどうだっていいわ。家の名誉さえ守れたならそれで……)
リンデン家の再興こそが夫人の人生そのものだった。そのために心血を注いできたのだ。
それが実現する希望があるのなら、すがりつくほか選択肢はない。
”お前のようなつまらない女と違って、側妃様は実に素晴らしい女性だ”
不意に、夫人の脳裏にあの日の夫の言葉が蘇る。その次の瞬間、夫人は自然と口を開いた。
「すべてはクロエ様のお心のままに。わたくしどもにそのような希望をお与えくださいましたこと、心より感謝申し上げます」
どんな方法でも、家を守る為ならば何だって受け入れてみせる。
あの人が”つまらない”と蔑んだ自分が、あの人が守れなかった家を再興する。
そう決意した夫人は迷いなく承諾の言葉を口にしていた。
「……はい、勿論でございます。すべては、こちらの躾の至らなさによるもの。ここまで愚かな真似を繰り返した息子との婚約を続けてほしいなどという、図々しいことは言えるはずもございません」
夫人は膝の上でスカートを強く握りしめた。愚かな振る舞いを繰り返した息子が原因だと分かっていても、”婚約解消”という言葉に絶望せずにはいられない。
名門カレンデュラ家の令嬢との縁談――それは傾きかけた家を救う最後の細い糸だった。これでようやく、没落の淵から引き戻される。未来を思って眠れぬ日々も終わる。その希望が砕け散ったことが心に重くのしかかる。
「分かってくださってよかったです。……しかしながら、それではリンデン家の再興はもはや難しいものとなるでしょうね」
「………………」
覚悟はしていたはずなのに、直接告げられる現実が胸を突く。夫人は深く頭を下げ、震えそうになる声を必死に抑えた。嘆いても、もう何も戻らない。家の未来も、差し伸べられたはずの救いの手も、すべては息子自身の振る舞いによって遠ざけてしまったのだから。
「しかしながら……わたくしはリンデン家自体に思うところはございません。また、ご子息がわたくしに危害を加えようとしたことを、父は知りません。つきましては、此度の婚約解消はご子息の不誠実な態度および不貞行為のみを理由とさせていただきたく存じます」
「え…………?」
その言葉に夫人は思わず顔を上げた。
射貫くようなクロエの眼差しを前に心臓が跳ね、ごくりと息を呑む。
「そして、新たに貴家の子息と婚約を結ばせていただければと考えております。そうすれば、我が家と貴家は再び縁を結ぶことができ、リンデン家再興の一助となるものと存じます」
まるで夢を見ているような、こちらにとって都合のよい提案を前に夫人は言葉を失い、茫然とした。
時が止まったかのように感じられ、希望と不安が押し寄せる。喉が詰まり、言葉が出ず、思わず手で口元を押さえた。
「ただし、リンデン家の血を引かれる子息は、ご遠慮いただきます」
「はい……?」
矛盾した発言に夫人は耳を疑った。リンデン家と婚約を結ぶと言っておきながら、リンデン家の血を引く息子は断る――。まるで謎かけのようなクロエの言葉に夫人は戸惑うばかりだった。
「失礼ながら、ご当主に次ぎ、ご子息も豹変しやすい気質をお持ちのようで……。そういった気質のある血筋の方と縁を結び、また女性関連で問題を起こされては困ります」
「それは……はい、恥ずかしながらおっしゃる通りでございます。ですが、ならばどうすればよろしいのでしょうか……?」
家同士が婚姻によって縁を結ぶ以上、その家の血を引く者同士が選ばれるのは当たり前のこと。
それなのに、その血筋の者は遠慮したいとはどういうことだろうか。
困惑する夫人を前にクロエは真剣な面持ちで答えた。
「これより、わたくしはそちらにとって相当に失礼なことを申し上げます。それにより、夫人がお怒りになることも致し方なきことと存じております」
大袈裟なまでの前置きに夫人は息を呑んだ。これからクロエが口にすることはこちらが怒るような内容なのだとしても、実際に怒ってしまっては元も子もない。何を言われようとも受け入れる覚悟で夫人は話に耳を傾けた。
「リンデン家に、とある子息を養子として迎え入れていただきたいのです。そして、その子息をリンデン公子としてわたくしと婚約を結ばせる。そうすればカレンデュラ家とリンデン家は再び縁を繋ぐことができます」
「……ッ!? クロエ様……それは……」
クロエの発言に、夫人ははっとして目を見開いた。
彼女が望んでいることは、たとえば国王が寵愛する娘を有力貴族の養女とし、そのうえで妃に迎えるようなやり方である。
昔はそういう手法で身分の低い娘を寵姫に迎える王もいた。だが、そのやり方は反感を買いやすいので徐々に廃れていった。いくら王の頼みで、王家の外戚になれるとはいっても、血縁関係のない娘を養女に迎えるのは血筋を重んじる貴族にとって抵抗があったからだ。
仮にクロエの望むように受け入れたとして、カレンデュラ家にリンデン家の血が入るわけではない。
縁戚関係を結んだとしても、あくまでそれは名目上だけ。実際はリンデン家とは血縁関係のない赤の他人がカレンデュラ家に婿入りしたというだけだ。
(でも……それなら、リンデン家の名誉は保つことができる。再興も夢ではない。それに……レオナルドの行いへの償いと考えれば、これ以上ないほど破格の申し出だわ)
「いかがかしら? 最初にわたくしがいたしました質問の意味は、こういうことですの。リンデン家の血がカレンデュラ家に入ることを望むなら、このお話は無かったことにしていただいて構いません。ですが、もしリンデン家の名誉のみを守ることを望むのでしたら……この提案をお受けした方がそちらの為かと思います。本来でしたらご当主に話した方がよろしいのでしょうが、今、リンデン家で采配を振るっておりますのは夫人でございましょう。養子を受け入れるか否かの決定も夫人次第だと存じております。仮にご当主にこの話を持って行っても……まあ、断られるでしょうね」
クロエの言葉は核心をついていた。仮にこの話をリンデン公爵にしたとしても、「馬鹿にしている」と憤慨して断ることだろうことは夫人がよく分かっていた。夫は家の再興よりも、己の誇りや恥を優先する人だ。こちらが恥や外聞を捨てて家の再興の為に奮闘しているのに──と考えたら腹が立ち、覚悟が決まる。
(そうよ……愚かな夫の血筋なんてどうだっていいわ。家の名誉さえ守れたならそれで……)
リンデン家の再興こそが夫人の人生そのものだった。そのために心血を注いできたのだ。
それが実現する希望があるのなら、すがりつくほか選択肢はない。
”お前のようなつまらない女と違って、側妃様は実に素晴らしい女性だ”
不意に、夫人の脳裏にあの日の夫の言葉が蘇る。その次の瞬間、夫人は自然と口を開いた。
「すべてはクロエ様のお心のままに。わたくしどもにそのような希望をお与えくださいましたこと、心より感謝申し上げます」
どんな方法でも、家を守る為ならば何だって受け入れてみせる。
あの人が”つまらない”と蔑んだ自分が、あの人が守れなかった家を再興する。
そう決意した夫人は迷いなく承諾の言葉を口にしていた。
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