68 / 165
オニキス子爵夫人の胸によぎる一抹の不安
しおりを挟む
オニキス子爵夫人とその娘キャサリンは一台の馬車に揺られながらガーネット侯爵邸へと向かっていた。
「お母様……これで、やっとわたくし、エリオット様の妻になれますのね。嬉しい……この日をどれほど夢見てきたことか……」
「え、ええ……そうね」
うっとりと喜びに浸るキャサリンとは対照的に、その母の表情にはどこか陰りがあった。
昨日、ガーネット公爵がオニキス邸を訪れ、キャサリンの侯爵夫人としての教育を現侯爵夫人が行うため、明日侯爵邸へ行くようにと告げられたのだ。
話が急すぎて頭がついていかない。それでも公爵の「異論は許さぬ」とでも言いたげな威圧に抵抗することはできず、首を縦に振るしかなかった。
───現侯爵夫人って……あの、怖い女のことよね。なんで、あの女がキャサリンの教育を……。
現侯爵夫人であるセシリアと初めて対峙した時の記憶が蘇り、オニキス子爵夫人は思わず足がすくんだ。
いかにもか弱げな外見でありながら、行動はまるでどこかの破落戸を思わせるほどに野蛮だった。
ボウガンを傍らに置いたまま優雅に話す若い貴婦人の姿を思い出すだけで身震いする。
「お母様? どうなさいましたか?」
顔を上げようとしない母に、キャサリンが首をかしげながら問いかけた。
「……キャサリン、侯爵夫人には絶対に逆らっては駄目よ。何をされるか分からないわ……」
冷静に考えてみれば、愛人が本妻から侯爵夫人としての作法を学ぶなど実におかしな話である。
普通は……というか、そんな提案が出ること自体あり得ない。
あの侯爵夫人が夫との離婚を望んでおり、そのためにキャサリンの行動を後押ししたという事実も承知している。
だが、それを踏まえたうえでもこんな提案をしてくることはおかしい。いくらそれを望んでいたとはいえ、夫を奪った相手に彼女がそこまでする必要性はないはずだ。
もしや教育と称してキャサリンを虐げる気では……と考えると不安で仕方ない。
「やだ、大丈夫よお母様。何かあっったらエリオットが助けてくれるわ!」
好いた相手をまるで頼れる王子のように話す娘に一抹の不安がよぎる。
娘が惚れ込んだ相手であり、侯爵でもあるということで目をつぶってきたものの、どうにもエリオットは頼りなく思えてならなかった。
たとえ娘があの野蛮な女に傷つけられたとしても、あの頼りない男は見て見ぬふりをするのではないか。
そんな疑念が頭から離れなかった。
今更……そう、本当に今更ながら、娘をあの男に嫁がせるのは間違いなのではないか、そう思えてならない。
親である自分から見ても、キャサリンは精神的に脆い。困難に直面しても、自分ひとりで乗り越えられる子ではない。だから、伴侶には妻をしっかり守れる、頼りがいのある殿方がふさわしいのではないか。
悶々と思いを巡らせているうちに、馬車は目的地へと到着していた。
ガーネット侯爵邸の煌びやかな門が窓越しに目に入ると、オニキス子爵夫人の胸に言いようのない動悸が走る。
それはただの門のはずなのに、彼女の目にはまるで地獄への門扉のように映った。
出迎えに現れた執事と従僕の姿が地獄の使者のようにすら見えてきた。
青白い顔で馬車を降り、案内されたまま邸内へと進む。
広間の扉が執事の手によって重々しく開かれると、そこにはまるで彫像のように微動だにしない一人の女性がいた。
「ご機嫌よう、オニキス子爵夫人、キャサリン嬢。――ガーネット侯爵邸へようこそ」
侯爵夫人、セシリア・ガーネット。
豪奢な邸の女主人にふさわしい風格を備えたその少女は、圧倒的な威厳を漂わせ、女王のように静かに佇んでいた。
「お母様……これで、やっとわたくし、エリオット様の妻になれますのね。嬉しい……この日をどれほど夢見てきたことか……」
「え、ええ……そうね」
うっとりと喜びに浸るキャサリンとは対照的に、その母の表情にはどこか陰りがあった。
昨日、ガーネット公爵がオニキス邸を訪れ、キャサリンの侯爵夫人としての教育を現侯爵夫人が行うため、明日侯爵邸へ行くようにと告げられたのだ。
話が急すぎて頭がついていかない。それでも公爵の「異論は許さぬ」とでも言いたげな威圧に抵抗することはできず、首を縦に振るしかなかった。
───現侯爵夫人って……あの、怖い女のことよね。なんで、あの女がキャサリンの教育を……。
現侯爵夫人であるセシリアと初めて対峙した時の記憶が蘇り、オニキス子爵夫人は思わず足がすくんだ。
いかにもか弱げな外見でありながら、行動はまるでどこかの破落戸を思わせるほどに野蛮だった。
ボウガンを傍らに置いたまま優雅に話す若い貴婦人の姿を思い出すだけで身震いする。
「お母様? どうなさいましたか?」
顔を上げようとしない母に、キャサリンが首をかしげながら問いかけた。
「……キャサリン、侯爵夫人には絶対に逆らっては駄目よ。何をされるか分からないわ……」
冷静に考えてみれば、愛人が本妻から侯爵夫人としての作法を学ぶなど実におかしな話である。
普通は……というか、そんな提案が出ること自体あり得ない。
あの侯爵夫人が夫との離婚を望んでおり、そのためにキャサリンの行動を後押ししたという事実も承知している。
だが、それを踏まえたうえでもこんな提案をしてくることはおかしい。いくらそれを望んでいたとはいえ、夫を奪った相手に彼女がそこまでする必要性はないはずだ。
もしや教育と称してキャサリンを虐げる気では……と考えると不安で仕方ない。
「やだ、大丈夫よお母様。何かあっったらエリオットが助けてくれるわ!」
好いた相手をまるで頼れる王子のように話す娘に一抹の不安がよぎる。
娘が惚れ込んだ相手であり、侯爵でもあるということで目をつぶってきたものの、どうにもエリオットは頼りなく思えてならなかった。
たとえ娘があの野蛮な女に傷つけられたとしても、あの頼りない男は見て見ぬふりをするのではないか。
そんな疑念が頭から離れなかった。
今更……そう、本当に今更ながら、娘をあの男に嫁がせるのは間違いなのではないか、そう思えてならない。
親である自分から見ても、キャサリンは精神的に脆い。困難に直面しても、自分ひとりで乗り越えられる子ではない。だから、伴侶には妻をしっかり守れる、頼りがいのある殿方がふさわしいのではないか。
悶々と思いを巡らせているうちに、馬車は目的地へと到着していた。
ガーネット侯爵邸の煌びやかな門が窓越しに目に入ると、オニキス子爵夫人の胸に言いようのない動悸が走る。
それはただの門のはずなのに、彼女の目にはまるで地獄への門扉のように映った。
出迎えに現れた執事と従僕の姿が地獄の使者のようにすら見えてきた。
青白い顔で馬車を降り、案内されたまま邸内へと進む。
広間の扉が執事の手によって重々しく開かれると、そこにはまるで彫像のように微動だにしない一人の女性がいた。
「ご機嫌よう、オニキス子爵夫人、キャサリン嬢。――ガーネット侯爵邸へようこそ」
侯爵夫人、セシリア・ガーネット。
豪奢な邸の女主人にふさわしい風格を備えたその少女は、圧倒的な威厳を漂わせ、女王のように静かに佇んでいた。
2,915
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
【完結】「義妹に譲れ」と言われたので、公爵家で幸せになります
恋せよ恋
恋愛
「しっかり者の姉なら、婚約者を妹に譲ってあげなさい」
「そうだよ、バネッサ。君なら、わかるだろう」
十五歳の冬。父と婚約者パトリックから放たれた無慈悲な言葉。
再婚相手の連れ子・ナタリアの図々しさに耐えてきたバネッサは、
その瞬間に決意した。
「ええ、喜んで差し上げますわ」
将来性のない男も、私を軽んじる家族も、もういらない。
跡継ぎの重責から解放されたバネッサは、その類まれなる知性を見込まれ、
王国の重鎮・ヴィンセント公爵家へ嫁ぐことに。
「私は、私を一番に愛してくれる場所で幸せになります!」
聡明すぎる令嬢による、自立と逆転のハッピーエンド。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる