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覚悟を持て
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翌朝、早々に身支度を整えたセシリアは応接室で客人の訪れを待っていた。
部屋には既に紅茶の香りが満ちていたが、彼女の気配が放つ緊張感がそれすらも霞ませる。
その緊張感に侍女はごくりと喉を鳴らし、深呼吸した後口を開いた。
「奥様、オニキス子爵夫人がお越しです」
侍女の声にセシリアは眉ひとつ動かさず「通しなさい」とだけ答えた。
その後、部屋に入ってきたのは派手なドレスに身を包んだ婦人。キャサリンの母親、オニキス子爵夫人である。
「……突然のご訪問、失礼いたします」
「“突然”とは思っておりませんわ。むしろ、遅すぎたほどです」
セシリアは涼やかにそう返すと、座ったままオニキス子爵夫人に鋭い視線を向ける。
その冷たい目と皮肉交じりの言葉に夫人は恐縮し、思わず俯いてしまった。
「では、お座りになって。話すべきことは山ほどございますでしょう?」
オニキス子爵夫人は促されるまま静かに席に着いた。その目元にはわずかな陰りが差している。
紅茶が目の前に置かれると彼女はゆっくりと口を開いた。
「……娘が、修行中の身であるにも関わらず中々戻らぬこと、母として深くお詫び申し上げます」
「お詫びならば、それなりの形で――せめて、ご本人が顔を見せるのが筋ではなくて?」
「……はい。しかし、あの子は……その……」
セシリアの鋭い言葉が容赦なく降りかかり、オニキス子爵夫人は言葉に詰まる。
やがてぽつりと消え入りそうな声で答えた。
「――娘が申し上げましたのは、修業の内容が思いのほか厳しく心が折れそうなので、少しの間休みたいと……」
その言葉にセシリアの眼差しが鋭くなった。
「ご息女は数か月後には当家に嫁入りするとご存じですよね。にもかかわらず、“修業が厳しい、休みたい”などとは、一体全体どういう了見でございましょうか?」
彼女の声は静かだがその奥底には怒りの火が燃えているのだと分かる。
セシリアの迫力が増し、夫人は怖じ気づきながら頭を下げて謝った。
「も、申し訳ございません! 娘は確かに疲れを訴えておりますが、それもひとえに真面目に取り組んでいる証と存じます。なので、少しの間だけ休ませていただければと……」
「真面目に取り組んでいる? 覚えは悪いのに努力もせず文句ばかりのご息女の、どこが真面目だとおっしゃるのかしら……」
セシリアの声が鋭さを増すたびに夫人の額に冷や汗が滲んだ。
怖い。ただその一言に尽きる。
何故こんなにも年若い女性がこれほどまで迫力を出せるのか、と夫人はこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた。
「夫人、あなたはご息女が高位貴族に嫁ぐということ、何と心得ておられるのです? そのような弱音を吐くのなら、これから先での苦労に耐えられるとは到底思えません。侯爵家の夫人となるために今を犠牲にする覚悟がないのではお話しにもなりませんよ」
「……」
「休みたいなどと申すならば、それはやる気の欠如を意味します。私の指導を受ける気概もないのなら、私に代わり侯爵家の夫人になるなど初めから無理な話であったということ。言っておきますけど、結婚後の苦労は今の比ではありませんよ」
静かな怒りの言葉は応接室の壁に深く響いた。
オニキス子爵夫人は言葉を失い、気まずそうに視線を伏せる。
「どうもご息女は”エリオット様の妻”と”ガーネット侯爵夫人”の座を同一視していないようですね? 貴族の結婚はただ好きな人と結ばれるということではないと、母親である貴女からきつく言い聞かせるべきではなくて?」
厳しい言葉にオニキス子爵夫人はうつむいていた視線を静かに上げる。
そしてしばし沈黙したのち、言葉を絞り出すようにか細い声で話し始めた。
「おっしゃる通りでございます……。娘に貴族としての責務を教えられなかったのはわたくしの責任です。高位貴族の夫人になるということは生易しいことではないと、わたくし自身も理解しておりませんでした。このまま続けても侯爵夫人の手を煩わせるだけにございます。もう、辞退させていただいた方がよいかと思っております……」
「辞退? エリオット様の妻の座を? それは無理でしょう。純潔を失った未婚の令嬢は修道院の門を叩くしか道がありません。修道院で清貧生活を送る覚悟がご息女にあって?」
「……」
その問いかけに夫人は答えられなかった。
純潔を失った貴族令嬢の嫁ぎ先など無いに等しい。結婚しなくとも働いて生活する道もあるが、何処かの家の侍女として働くか王宮の女官になる以外に選択肢がない。そしてそれらは礼儀や教養がないと採用すらされないのだ。
そうなれば後は修道院に行くしかないが、甘ったれた考えしかもたないキャサリンが修道院の貧しい生活に耐えられるわけがないのは明らかだ。
「何よりご息女はエリオット様に並々ならぬ執着がお有りでしょう。ならばガーネット侯爵家に嫁ぐ以外の選択肢は無いに等しい。そしてその為に今の内から苦労と努力を重ねる必要がある。それを理解させるのが母親である貴女の仕事です」
「はい……その通りでございます。ですが、あの子にはその気概がありません……」
「ないのではなく、無理にでも絞り出しなさい。覚悟も無いのに私の結婚を初手から壊したというの?」
その言葉に胸を衝かれ、夫人の肩がかすかに震えた。
「結婚式の夜、私の夫を呼び出して初夜を放棄させたのは貴女のご息女よね? 非常識で自分勝手な手を使ってまでエリオット様を欲したのなら、彼の為に体を張る覚悟くらい持って当然ですよ。違う?」
夫人はもう二の句が継げなかった。反論の余地もない言葉を突きつけられ、全身に震えが走る。
「猶予は明日まで差し上げます。明日、戻ってこないようでしたらこちらから迎えに行って力づくで連れて行きますので。……今更逃げ出すなんて、絶対に許しませんよ」
その声は低く、深く、まるで地の底から這い上がるかのような重たさを帯びていた。
凛として恐ろしく、絶対に引かぬ者の眼差しを正面から浴びたオニキス子爵夫人はぎこちなく頷く。
「わたくし……娘の仕出かしたことを軽く見ておりました……。ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません……」
「謝罪は結構です。何を言われてもあの初夜での出来事は無かったことにならないのですから」
それだけいい終えると、セシリアは紅茶を一口飲み「話はこれで終わりです」と告げる。
絶望を背負うように肩を落とし、夫人はのろのろと立ち上がって部屋を後にした。
部屋には既に紅茶の香りが満ちていたが、彼女の気配が放つ緊張感がそれすらも霞ませる。
その緊張感に侍女はごくりと喉を鳴らし、深呼吸した後口を開いた。
「奥様、オニキス子爵夫人がお越しです」
侍女の声にセシリアは眉ひとつ動かさず「通しなさい」とだけ答えた。
その後、部屋に入ってきたのは派手なドレスに身を包んだ婦人。キャサリンの母親、オニキス子爵夫人である。
「……突然のご訪問、失礼いたします」
「“突然”とは思っておりませんわ。むしろ、遅すぎたほどです」
セシリアは涼やかにそう返すと、座ったままオニキス子爵夫人に鋭い視線を向ける。
その冷たい目と皮肉交じりの言葉に夫人は恐縮し、思わず俯いてしまった。
「では、お座りになって。話すべきことは山ほどございますでしょう?」
オニキス子爵夫人は促されるまま静かに席に着いた。その目元にはわずかな陰りが差している。
紅茶が目の前に置かれると彼女はゆっくりと口を開いた。
「……娘が、修行中の身であるにも関わらず中々戻らぬこと、母として深くお詫び申し上げます」
「お詫びならば、それなりの形で――せめて、ご本人が顔を見せるのが筋ではなくて?」
「……はい。しかし、あの子は……その……」
セシリアの鋭い言葉が容赦なく降りかかり、オニキス子爵夫人は言葉に詰まる。
やがてぽつりと消え入りそうな声で答えた。
「――娘が申し上げましたのは、修業の内容が思いのほか厳しく心が折れそうなので、少しの間休みたいと……」
その言葉にセシリアの眼差しが鋭くなった。
「ご息女は数か月後には当家に嫁入りするとご存じですよね。にもかかわらず、“修業が厳しい、休みたい”などとは、一体全体どういう了見でございましょうか?」
彼女の声は静かだがその奥底には怒りの火が燃えているのだと分かる。
セシリアの迫力が増し、夫人は怖じ気づきながら頭を下げて謝った。
「も、申し訳ございません! 娘は確かに疲れを訴えておりますが、それもひとえに真面目に取り組んでいる証と存じます。なので、少しの間だけ休ませていただければと……」
「真面目に取り組んでいる? 覚えは悪いのに努力もせず文句ばかりのご息女の、どこが真面目だとおっしゃるのかしら……」
セシリアの声が鋭さを増すたびに夫人の額に冷や汗が滲んだ。
怖い。ただその一言に尽きる。
何故こんなにも年若い女性がこれほどまで迫力を出せるのか、と夫人はこの場から逃げ出したい気持ちに駆られた。
「夫人、あなたはご息女が高位貴族に嫁ぐということ、何と心得ておられるのです? そのような弱音を吐くのなら、これから先での苦労に耐えられるとは到底思えません。侯爵家の夫人となるために今を犠牲にする覚悟がないのではお話しにもなりませんよ」
「……」
「休みたいなどと申すならば、それはやる気の欠如を意味します。私の指導を受ける気概もないのなら、私に代わり侯爵家の夫人になるなど初めから無理な話であったということ。言っておきますけど、結婚後の苦労は今の比ではありませんよ」
静かな怒りの言葉は応接室の壁に深く響いた。
オニキス子爵夫人は言葉を失い、気まずそうに視線を伏せる。
「どうもご息女は”エリオット様の妻”と”ガーネット侯爵夫人”の座を同一視していないようですね? 貴族の結婚はただ好きな人と結ばれるということではないと、母親である貴女からきつく言い聞かせるべきではなくて?」
厳しい言葉にオニキス子爵夫人はうつむいていた視線を静かに上げる。
そしてしばし沈黙したのち、言葉を絞り出すようにか細い声で話し始めた。
「おっしゃる通りでございます……。娘に貴族としての責務を教えられなかったのはわたくしの責任です。高位貴族の夫人になるということは生易しいことではないと、わたくし自身も理解しておりませんでした。このまま続けても侯爵夫人の手を煩わせるだけにございます。もう、辞退させていただいた方がよいかと思っております……」
「辞退? エリオット様の妻の座を? それは無理でしょう。純潔を失った未婚の令嬢は修道院の門を叩くしか道がありません。修道院で清貧生活を送る覚悟がご息女にあって?」
「……」
その問いかけに夫人は答えられなかった。
純潔を失った貴族令嬢の嫁ぎ先など無いに等しい。結婚しなくとも働いて生活する道もあるが、何処かの家の侍女として働くか王宮の女官になる以外に選択肢がない。そしてそれらは礼儀や教養がないと採用すらされないのだ。
そうなれば後は修道院に行くしかないが、甘ったれた考えしかもたないキャサリンが修道院の貧しい生活に耐えられるわけがないのは明らかだ。
「何よりご息女はエリオット様に並々ならぬ執着がお有りでしょう。ならばガーネット侯爵家に嫁ぐ以外の選択肢は無いに等しい。そしてその為に今の内から苦労と努力を重ねる必要がある。それを理解させるのが母親である貴女の仕事です」
「はい……その通りでございます。ですが、あの子にはその気概がありません……」
「ないのではなく、無理にでも絞り出しなさい。覚悟も無いのに私の結婚を初手から壊したというの?」
その言葉に胸を衝かれ、夫人の肩がかすかに震えた。
「結婚式の夜、私の夫を呼び出して初夜を放棄させたのは貴女のご息女よね? 非常識で自分勝手な手を使ってまでエリオット様を欲したのなら、彼の為に体を張る覚悟くらい持って当然ですよ。違う?」
夫人はもう二の句が継げなかった。反論の余地もない言葉を突きつけられ、全身に震えが走る。
「猶予は明日まで差し上げます。明日、戻ってこないようでしたらこちらから迎えに行って力づくで連れて行きますので。……今更逃げ出すなんて、絶対に許しませんよ」
その声は低く、深く、まるで地の底から這い上がるかのような重たさを帯びていた。
凛として恐ろしく、絶対に引かぬ者の眼差しを正面から浴びたオニキス子爵夫人はぎこちなく頷く。
「わたくし……娘の仕出かしたことを軽く見ておりました……。ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません……」
「謝罪は結構です。何を言われてもあの初夜での出来事は無かったことにならないのですから」
それだけいい終えると、セシリアは紅茶を一口飲み「話はこれで終わりです」と告げる。
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