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王太子妃のお詫びの品
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金の縁取りが美しく施された馬車がガーネット侯爵邸の門を静かに通り抜ける。
午後の温かな風が庭先の薔薇を揺らす。午後の日差しはやわらかく、どこか夢のような気配を帯びていた。
セシリアは背筋を正して玄関前に立ち、馬車の到着を待ち構えていた。
重々しい扉が御者によって開かれ、眩いばかりの美しさを放つ王太子妃が馬車の中から姿を現す。
光沢のある薄紅のドレスが陽光を受けてほのかに輝き、彼女の一歩ごとにその場の空気さえ変わるようだった。
セシリアはゆっくりと一歩踏み出し、深く頭を下げる。
「妃殿下、ようこそおいでくださいました。ご多忙の折にもかかわらずお越しいただき誠に光栄に存じます」
「今日はお時間を取っていただき、感謝します。ガーネット侯爵夫人」
互いの視線が交わるその瞬間、周囲の空気がわずかに震えたようにさえ思えた。
これはただの訪問ではない。王家がガーネット侯爵家に謝罪の意を伝える――そんな特別な意味を持つ場なのだ。
玄関の扉が閉まると邸の中は静寂に包まれた。重厚な絨毯の上を歩く足音がふたつ、ゆっくりと響く。
セシリアは一言も発さず、王太子妃を応接室へと案内した。
扉が開かれると、芳醇な香木の香りがふわりと立ちのぼる。壁には古の名画、棚には西方の書物と磁器が整然と並び、柔らかな陽が窓から差し込んでいた。まるで時間の流れを忘れさせるような静謐な空間だ。
「どうぞ、妃殿下」
勧められるままに、王太子妃は奥の肘掛け椅子に腰を下ろした。レティシアは対面に控え、膝の上で手を組む。その瞳は穏やかでありながら、油断なく相手を見つめている。
沈黙の数秒が過ぎたのち、王太子妃は静かに口を開いた。
「まずは改めて、先日は当家の客人がご迷惑おかけして申し訳ございませんでした」
頭を下げたその姿に王太子妃としての威厳はあれど、隠しきれない苦労が滲んでいた。
「王女殿下の非常識かつ無礼なご行為により、ガーネット侯爵夫人にご不快な思いをおかけしましたこと、心より深くお詫び申し上げます」
その言葉にセシリアの目が一瞬だけ細められた。
先日、ほんの一度顔を合わせただけの王女がいきなり押し掛けてきたことはかなり無礼で不愉快な出来事ではある。だが、その怒りをこんな真摯に謝ってくれる王太子妃にぶつけたくはない。
なのでセシリアはゆっくりと頷き、口を開く。
「……殿下がこのように足を運ばれたこと、それだけで誠意は充分に伝わっております。どうかお顔を上げてくださいませ」
「……そのように仰っていただけて救われる思いです。されど、我が身の不徳よりこのような事態を招きましたこと、いかにお詫びを尽くしても尽くしきれません。王族としての責務、そして一人の人間としての誠を示すためにも、せめてもの償いをしたいのです」
王太子妃は、静かに顔を上げた。深いまなざしに、憂いと決意が宿る。
身を包む薄藍の衣が、淡い陽光を受けて静かに光を返す中、傍らに控えていた侍女が、そっと一歩前へと進み出る。両の手に捧げ持たれていたのは、黒漆に螺鈿を施した優美な文箱。その佇まいからも、尋常ならざる思いが込められていることは明白だった。
「……僭越ながら、些少ではございますが心ばかりの品をお持ちいたしましたわ」
王太子妃が後ろの女官に目配せすると女官はゆっくりとセシリアの近くまで歩み寄り、テーブルの上に箱をそっと置いた。
「これがすべての償いとなるとは思っておりません。ただ、王家の者として誠意を表す一助となればと存じ、お持ちいたしました」
その声には悔恨とともに決して揺らぐことのない気高さがあった。
静寂の中、文箱の蓋がゆるやかに開かれ、香のかすかな薫りが空気に溶けていく。
文箱の蓋が重々しく開かれた。
箱の内には深碧の天鵞絨が静かに敷かれ、その上に一対の耳飾りと首飾りが慎ましくも威厳をもって鎮座していた。中心に据えられたのは、透き通るような青緑の輝きを湛える石――東方の山岳地帯でのみ採掘される、極めて希少な宝石である。それは、王太子妃の実家であるアレキサンドライト公爵家の地に代々伝わる石。家名と血統の象徴とも言うべき家宝級の品だった。
宝石のきらめきが部屋の静寂に溶け込むように漂っていた。
アレキサンドライト公爵家伝来の秘宝。王太子妃の覚悟の重さは言葉にせずとも差し出されたその一点にすべてが宿っていると分かる。
しかし、セシリアは高揚の色を一切見せず静かに沈黙を貫き、やがて小さく首を振った。
「そのようなお気持ちをいただけるだけで、私には十分にございます。このような宝石、私のような身には過ぎたるもの。ましてや、それは公爵家にとっての誇りにも等しい品。私が受け取るにはあまりに重うございます」
表面上は平静を装っていたが内心では心臓が激しく鼓動していた。
まさか王太子妃が詫びの品としてこんな国宝級の品を持ってくるとは思ってもみなかった。
こんな大層な物は受け取れない、とやんわりと断ったのだが、王太子妃は首を縦に振らなかった。
「いえ、こちらの非を詫び誠意を示すには、これに代わるものはありません。どうか、この石に宿る”我が家”の矜持と、わたくしの悔悟の念をお受け取りいただけますならば……それに勝る慰めはございませんわ」
(ん……? ”我が家”?)
セシリアは不思議とその部分に何かひっかかるものを感じた。
王家の者として謝罪に来たと言っていた以上、この場面での”我が家”は王家を意味していると考えるのが自然である。だが、何故か違和感を覚える。
手元で光る深碧の天鵞絨に包まれた宝飾品──アレキサンドライト公爵家の象徴ともいえる秘宝。
そのような品をお詫びの品としてわざわざ手渡す以上、何らかの意図が含まれているように思えてならなかった。
午後の温かな風が庭先の薔薇を揺らす。午後の日差しはやわらかく、どこか夢のような気配を帯びていた。
セシリアは背筋を正して玄関前に立ち、馬車の到着を待ち構えていた。
重々しい扉が御者によって開かれ、眩いばかりの美しさを放つ王太子妃が馬車の中から姿を現す。
光沢のある薄紅のドレスが陽光を受けてほのかに輝き、彼女の一歩ごとにその場の空気さえ変わるようだった。
セシリアはゆっくりと一歩踏み出し、深く頭を下げる。
「妃殿下、ようこそおいでくださいました。ご多忙の折にもかかわらずお越しいただき誠に光栄に存じます」
「今日はお時間を取っていただき、感謝します。ガーネット侯爵夫人」
互いの視線が交わるその瞬間、周囲の空気がわずかに震えたようにさえ思えた。
これはただの訪問ではない。王家がガーネット侯爵家に謝罪の意を伝える――そんな特別な意味を持つ場なのだ。
玄関の扉が閉まると邸の中は静寂に包まれた。重厚な絨毯の上を歩く足音がふたつ、ゆっくりと響く。
セシリアは一言も発さず、王太子妃を応接室へと案内した。
扉が開かれると、芳醇な香木の香りがふわりと立ちのぼる。壁には古の名画、棚には西方の書物と磁器が整然と並び、柔らかな陽が窓から差し込んでいた。まるで時間の流れを忘れさせるような静謐な空間だ。
「どうぞ、妃殿下」
勧められるままに、王太子妃は奥の肘掛け椅子に腰を下ろした。レティシアは対面に控え、膝の上で手を組む。その瞳は穏やかでありながら、油断なく相手を見つめている。
沈黙の数秒が過ぎたのち、王太子妃は静かに口を開いた。
「まずは改めて、先日は当家の客人がご迷惑おかけして申し訳ございませんでした」
頭を下げたその姿に王太子妃としての威厳はあれど、隠しきれない苦労が滲んでいた。
「王女殿下の非常識かつ無礼なご行為により、ガーネット侯爵夫人にご不快な思いをおかけしましたこと、心より深くお詫び申し上げます」
その言葉にセシリアの目が一瞬だけ細められた。
先日、ほんの一度顔を合わせただけの王女がいきなり押し掛けてきたことはかなり無礼で不愉快な出来事ではある。だが、その怒りをこんな真摯に謝ってくれる王太子妃にぶつけたくはない。
なのでセシリアはゆっくりと頷き、口を開く。
「……殿下がこのように足を運ばれたこと、それだけで誠意は充分に伝わっております。どうかお顔を上げてくださいませ」
「……そのように仰っていただけて救われる思いです。されど、我が身の不徳よりこのような事態を招きましたこと、いかにお詫びを尽くしても尽くしきれません。王族としての責務、そして一人の人間としての誠を示すためにも、せめてもの償いをしたいのです」
王太子妃は、静かに顔を上げた。深いまなざしに、憂いと決意が宿る。
身を包む薄藍の衣が、淡い陽光を受けて静かに光を返す中、傍らに控えていた侍女が、そっと一歩前へと進み出る。両の手に捧げ持たれていたのは、黒漆に螺鈿を施した優美な文箱。その佇まいからも、尋常ならざる思いが込められていることは明白だった。
「……僭越ながら、些少ではございますが心ばかりの品をお持ちいたしましたわ」
王太子妃が後ろの女官に目配せすると女官はゆっくりとセシリアの近くまで歩み寄り、テーブルの上に箱をそっと置いた。
「これがすべての償いとなるとは思っておりません。ただ、王家の者として誠意を表す一助となればと存じ、お持ちいたしました」
その声には悔恨とともに決して揺らぐことのない気高さがあった。
静寂の中、文箱の蓋がゆるやかに開かれ、香のかすかな薫りが空気に溶けていく。
文箱の蓋が重々しく開かれた。
箱の内には深碧の天鵞絨が静かに敷かれ、その上に一対の耳飾りと首飾りが慎ましくも威厳をもって鎮座していた。中心に据えられたのは、透き通るような青緑の輝きを湛える石――東方の山岳地帯でのみ採掘される、極めて希少な宝石である。それは、王太子妃の実家であるアレキサンドライト公爵家の地に代々伝わる石。家名と血統の象徴とも言うべき家宝級の品だった。
宝石のきらめきが部屋の静寂に溶け込むように漂っていた。
アレキサンドライト公爵家伝来の秘宝。王太子妃の覚悟の重さは言葉にせずとも差し出されたその一点にすべてが宿っていると分かる。
しかし、セシリアは高揚の色を一切見せず静かに沈黙を貫き、やがて小さく首を振った。
「そのようなお気持ちをいただけるだけで、私には十分にございます。このような宝石、私のような身には過ぎたるもの。ましてや、それは公爵家にとっての誇りにも等しい品。私が受け取るにはあまりに重うございます」
表面上は平静を装っていたが内心では心臓が激しく鼓動していた。
まさか王太子妃が詫びの品としてこんな国宝級の品を持ってくるとは思ってもみなかった。
こんな大層な物は受け取れない、とやんわりと断ったのだが、王太子妃は首を縦に振らなかった。
「いえ、こちらの非を詫び誠意を示すには、これに代わるものはありません。どうか、この石に宿る”我が家”の矜持と、わたくしの悔悟の念をお受け取りいただけますならば……それに勝る慰めはございませんわ」
(ん……? ”我が家”?)
セシリアは不思議とその部分に何かひっかかるものを感じた。
王家の者として謝罪に来たと言っていた以上、この場面での”我が家”は王家を意味していると考えるのが自然である。だが、何故か違和感を覚える。
手元で光る深碧の天鵞絨に包まれた宝飾品──アレキサンドライト公爵家の象徴ともいえる秘宝。
そのような品をお詫びの品としてわざわざ手渡す以上、何らかの意図が含まれているように思えてならなかった。
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