初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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エリオットの浮気疑惑

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 翌日、ようやくガーネット侯爵邸へと戻ってきたキャサリンに対し、今までの遅れを取り戻すかのようにセシリアは指導を始める。まずが座学の授業……と、セシリアは静かに教本のページをめくりながら、ふと視線を上げた。

「――オニキス子爵令嬢?」

 向かいに座るキャサリンは教本の文字を目で追っているようでいて、まるで頭には入っていない様子だ。
 筆先も宙に止まり、先ほどから一文字も進んでいない。

「どうなさったのですか? 先ほどから心ここにあらずのようですが」

 穏やかだがわずかに訝しげな声音が空気を揺らす。
 セシリアの眉がわずかにひそめられ、その目は相手の表情の奥を探るように静かに注がれている。
 その問いかけにキャサリンはわずかに肩を震わせた。手にしていたペンがぽとりと机に落ち、乾いた音を立てる。

「……ううっ」

 震える声が静寂を破った。キャサリンの視線は下に伏せられ、睫毛の影が頬を曇らせている。

「うっ、ひっく……ぐすっ、ううっ……」

 キャサリンは言葉を繋ごうとしたが、声が喉の奥で詰まり上手く出てこない。
 瞳に涙がたまり、そのまま流れるように頬を伝った。

「エリオットが……エリオットが、他の女と浮気を……!」

 キャサリンの細く震える声で紡がれた言葉を聞き、セシリアは思わず手にしていた教本をぱたりと閉じた。

「……は?」

 セシリアの口から低く小さな声が漏れる。場違いに思えるほど素っ気なく乾いた声音だ。
 何を言われたのかすぐには理解できなかった。唖然としたままセシリアは言葉を失い、令嬢をじっと見つめた。

「……エリオット様が他の女と浮気? それは……どういうこと? どこの誰と浮気をしているというの?」

 僅かに眉間に皺を寄せ、息を呑む。彼女の声音には困惑と、そしてどこか怒りにも似た感情が滲んでいた。
 それは決して嫉妬などではない。どちらかといえば『教育がまだ終わっていない分際で女と遊んでいるとはどういうことだ!』という怒りである。

「私……見てしまったの……」

 キャサリンの声はかすれていた。涙で濡れた睫毛の先が震え、手にしていたレースのハンカチをぎゅっと握りしめる。

「……エリオットが……ぐすっ、金髪の女と、ううっ……街を……笑いながら、並んで歩いていたのを……。それも、すごく楽しそうに……」

 嗚咽まじりのかすれた声でキャサリンは必死に言葉を紡ぐ。セシリアは驚きのあまり言葉を失っていた。

「……それは……いつの話ですか?」

「つい先ほど……ここへ来る途中、馬車で通りがかったときに……! 最初は似ている別人だと……でも……でも、あれはどう見てもエリオットで……」

 言い切る前にキャサリンは胸に顔を埋めて泣き崩れた。白いハンカチで抑えきれない量の涙は静かに机に落ちていく。セシリアは口を閉じ、目を伏せる。動揺と、言い知れぬ苛立ち、そして戸惑いを抑えて努めて冷静に語りかけた。

「……オニキス子爵令嬢」

 静かに、けれどいつになく鋭い声で呼びかける。

「その女性――どのような方だったか、詳しく分かります?」

 キャサリンその問いかけに涙を拭い、戸惑いながらも思い返す。

「ええ……長い金髪を結い上げていて、少し背が低くて……青色のドレスを着ていたわ。とても上等な仕立てで……それに、まわりに衛士のような方が何人か……でも、皆少し距離をとっていて……」

「そう……なるほど」

「……え?」

「オニキス子爵令嬢、あなたが見かけたその女性――もしかすると、留学中の王女様かもしれません」

「えっ……!? 王女って、あの夜会でエリオットにちょっかい出そうとしていた、あの……?」

 キャサリンの瞳が大きく見開かれ、動揺に揺れる。

「もしかしたら違うかもしれません。ただ、その特徴からしてそうではないかと思ったまでのこと。……いずれにせよ、本人に聞かねば詳細は分からないでしょう」

「……ッ!! だったら、私これから直接本人に問い質してくるわ! あの女とはどういう関係なのか気になって仕方ないもの!」

「……お気持ちは分からないでもないですが、貴女もエリオット様も再教育の真っ只中ということをお忘れなく。それに公爵家にいきなり押しかけたってそう簡単に会えるはずがないでしょう?」

「そんな……! だったら、どうすればいいの? エリオットが他の女とどうにかなるなんて考えたくない!」

「落ち着きなさい。いくら不誠実で相手の気持ちなど一切配慮しない無神経なエリオット様に信用がないとはいえど、問い質したところでこちらの不安をより増長するようなことしか言いませんよ。ここは冷静に手紙で事の次第を尋ねるとしましょう」

「……ん? え? ええ……?」

 一見するとセシリアがかばっているように聞こえたその台詞は実はエリオットを盛大にけなしていた。
 キャサリンがそれを理解するより早くセシリアは彼女に便箋を手渡す。

「さ、お書きなさい。あなたの怒りや戸惑い、辛さを全てこの紙にぶつけておしまい」

「え? あ……うん、わかったわ……」

 セシリアの有無を言わさない勢いに押され、キャサリンは白い便箋の上に震えながら言葉を綴りはじめた。

「……あの、でも返事が来るまで数日はかかるじゃない? その間悶々するからやはり直接問い質しにいきたいのだけど……」

「安心なさい。侍従に頼んで、その場でお返事をいただけるよう取り計らいますから。それに、私からも一筆添えますので本日中には返事が届くはずです」

 それでもなお何かを言いたげなキャサリンには目もくれず、セシリアは静かにペンを手に取った。
 ペン先が紙の上をさらさらと舞うように走る。その優雅な所作は見ているだけで息を呑むほどだ。
 けれども、その内容がどれほど辛辣で厳しいものかをキャサリンは知る由もない。

(まったく、面倒事ばかりおこす男だこと……。こちらの教育の邪魔だけはしないでほしいわ)

 セシリアの手紙には『誤解されるような行動すんな、馬鹿野郎』という内容がそれはもう遠回しな表現でしたためられていた。分かる人が読めば「うわぁ……」と顔を顰めてしまうくらい辛辣だ。

「……オニキス子爵令嬢の手紙と、私の手紙を公爵邸にいるエリオット様に届けてちょうだい。そして返事を必ずその場で持ち帰ってきて」

 セシリアが声をかけると、すぐに控えていた侍従が静かに進み出た。
 彼は深く一礼すると、両手で恭しく手紙を受け取る。

「かしこまりました、奥様。返事をいただくまでその場を離れませぬ」

「ええ、どうかよろしく頼みます。ごねるようなら公爵様に言いつけてかまわなくてよ」

 侍従が「承知いたしました」と再び一礼し、そのまま去っていくと部屋の中には再び静寂が訪れる。

「さ、返事がくるまで授業を進めましょう……」

 姿勢を正したセシリアが迷いなくそう告げる。
 あまりの展開の早さに気圧され、キャサリンはただ無言で頷くしかなかった。
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