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無事で、よかった
目の前に広がるのは、かつての優美な館の面影すら留めぬ焼け落ちた廃墟。漆喰の壁は崩れ、柱は黒こげに立ち枯れ、梁は炭のように地に伏している。風が吹けば灰が舞い、焦げた木片がかすかに軋む。
セシリアは茫然としたままそこから動けなかった。深く吸った息は、焼け残った匂いを肺に満たす。
そのとき、執事が煤まみれの顔で駆け寄ってきた。頬には火傷の痕、衣服は半ば焦げて破れている。
「奥様……お戻りに……!」
セシリアはその声にハッと我に返り、震える声で執事に問いかけた。
「いったい何があったの……? 皆は? 皆は無事なの……!?」
執事は深くうなずきながら、目に涙を溜めて答えた。
「はい、怪我人は出ましたが何とか皆、命だけは……。ですが、屋敷は……もう……」
言葉を継げずにうつむく執事。その肩にセシリアは静かに手を添えた。
「皆の命が無事なら、それに勝るものはないわ。無事で、本当によかった……」
そう言いながらセシリアの目から涙が一滴こぼれた。気丈に振る舞ってはいたが本当は怖かったのだ。屋敷にいる皆の安否が何よりも気がかりで――。
「奥様…………」
常に強く、気丈に振る舞うセシリアの目から涙がこぼれ落ちたのを見て執事は胸を打たれた。
無礼な振る舞いで信頼を失った自分たち使用人の安否を、まだ気にかけてくれているなんて……。
「……本当に申し訳ございません。留守を託されていながら、このような不始末を……まことに面目次第もございません」
「謝ることはないわ。皆が無事だったのなら、それでいいのよ」
「……ッ!!」
屋敷が全焼してしまったというのに、留守を任せた執事を少しも責めることのないセシリアの器の大きさに執事は心の底から感服した。そしてそれと同時にこんなにも素晴らしい女性を冷たく扱ってしまった自分を深く恥じる。そして、この非常時にも変わらぬ冷静さにただただ敬服するばかりだった。
「……本当に申し訳ありませんでした。皆を逃がすのに手一杯で、消火が後回しになってしまい……」
「人命救助は最も優先されることよ。よくやったわ。皆の怪我の状況は?」
「はい、ほぼ皆が逃げた際に火傷や打撲、擦り傷を負いましたが、いずれも軽傷です。避難完了後に消火活動を開始し、先ほど鎮火を確認しました」
「ということは、火事がおきたのは大分前ということ?」
「はい、火事が起きたのはちょうど奥様方が外出されてしばらく経ってからのことでした。火の出どころは、たぶん屋敷の裏手だと思います。庭師がそこから煙が上がるのを見て、慌てて知らせてきたので」
「屋敷の裏手……? そんな火の気のない場所で……」
火の気のない場所で火災が起きた。それは、つまり……。
そう考えた瞬間、王女の言葉が──声が、頭の中で響いた。
”屋敷に火を放ったの。邪魔なあの女を始末するために……”
全身から力が抜け、肩が震える。まさか本当にこんな大それたことを実行するとは思わなかった。
セシリアひとりを始末する為に屋敷ごと燃やそうとするなんて……
「そう……。皆が無事で……本当に良かった」
心の底からの言葉を静かに告げ、セシリアは目元に浮かんだ涙を袖でぬぐいながら焼け落ちた屋敷を見つめた。
壊れた物はいくらでも直せる。だが、人の命は壊れてしまっては直せない。己の欲の為に他者の命を平気で摘み取ろうとした王女に、言いようのない怒りが込み上げた。
「大変だったでしょう? 消火も、避難の誘導も……。それで、皆はどこに避難してるの?」
「皆は現在、領地内の村に避難しており、現地の領民によって手当てを受けております」
「え? 村に?」
「はい。実は、たまたま村の者たちが屋敷を訪れておりました。復興作業も一段落したので、奥様に改めて御礼を申し上げたいと。そこで火災を目にした彼等は消火活動を手伝ってくださり、村で怪我人の手当てをするとまで申し出てくださいました。ここでは薬も包帯もありませんので何の手当ても出来ませんから……その申し出に甘え、使用人達とキャサリン様をそちらに」
「キャサリンもそちらにいるのね。彼女の様子はどう? 怖がっているのではなくて?」
「はい……。キャサリン様はショックのあまり放心状態でございました。落ち着きましたらオニキス子爵家に連絡を入れるよう手配します」
「そうね。そうしてちょうだい……」
セシリアはもう一度、焼け焦げた跡に視線を落とした。火災の凄惨さがじわじわと胸に迫ってくる。
皆が無事で本当によかった……と安堵したその時だった。
「……? 馬の足音?」
静かな空気の中、不意に響いてきたのは遠くから迫る馬の蹄音だった。
乾いた地を打つ音が、地面を伝って胸を打つ。
セシリアと執事が顔を上げて音の方へ目をやると、馬に乗り、王家の制服を身にまとった兵士たちの姿が目に入った。
「これは……何事?」
眉をひそめたセシリアの前に馬に乗った兵士たちが迫る。蹄が土を鳴らし、重い気配を引き連れて。全員が馬を降りるとその中の一人が鋭い視線を向け、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「失礼する! 我ら、王命を受けガーネット侯爵夫人を捕縛しに参上した。夫人はどちらにおられる?」
兵士の突然の来訪と告げられた言葉にセシリアの顔からすっと表情が消えた。
セシリアは茫然としたままそこから動けなかった。深く吸った息は、焼け残った匂いを肺に満たす。
そのとき、執事が煤まみれの顔で駆け寄ってきた。頬には火傷の痕、衣服は半ば焦げて破れている。
「奥様……お戻りに……!」
セシリアはその声にハッと我に返り、震える声で執事に問いかけた。
「いったい何があったの……? 皆は? 皆は無事なの……!?」
執事は深くうなずきながら、目に涙を溜めて答えた。
「はい、怪我人は出ましたが何とか皆、命だけは……。ですが、屋敷は……もう……」
言葉を継げずにうつむく執事。その肩にセシリアは静かに手を添えた。
「皆の命が無事なら、それに勝るものはないわ。無事で、本当によかった……」
そう言いながらセシリアの目から涙が一滴こぼれた。気丈に振る舞ってはいたが本当は怖かったのだ。屋敷にいる皆の安否が何よりも気がかりで――。
「奥様…………」
常に強く、気丈に振る舞うセシリアの目から涙がこぼれ落ちたのを見て執事は胸を打たれた。
無礼な振る舞いで信頼を失った自分たち使用人の安否を、まだ気にかけてくれているなんて……。
「……本当に申し訳ございません。留守を託されていながら、このような不始末を……まことに面目次第もございません」
「謝ることはないわ。皆が無事だったのなら、それでいいのよ」
「……ッ!!」
屋敷が全焼してしまったというのに、留守を任せた執事を少しも責めることのないセシリアの器の大きさに執事は心の底から感服した。そしてそれと同時にこんなにも素晴らしい女性を冷たく扱ってしまった自分を深く恥じる。そして、この非常時にも変わらぬ冷静さにただただ敬服するばかりだった。
「……本当に申し訳ありませんでした。皆を逃がすのに手一杯で、消火が後回しになってしまい……」
「人命救助は最も優先されることよ。よくやったわ。皆の怪我の状況は?」
「はい、ほぼ皆が逃げた際に火傷や打撲、擦り傷を負いましたが、いずれも軽傷です。避難完了後に消火活動を開始し、先ほど鎮火を確認しました」
「ということは、火事がおきたのは大分前ということ?」
「はい、火事が起きたのはちょうど奥様方が外出されてしばらく経ってからのことでした。火の出どころは、たぶん屋敷の裏手だと思います。庭師がそこから煙が上がるのを見て、慌てて知らせてきたので」
「屋敷の裏手……? そんな火の気のない場所で……」
火の気のない場所で火災が起きた。それは、つまり……。
そう考えた瞬間、王女の言葉が──声が、頭の中で響いた。
”屋敷に火を放ったの。邪魔なあの女を始末するために……”
全身から力が抜け、肩が震える。まさか本当にこんな大それたことを実行するとは思わなかった。
セシリアひとりを始末する為に屋敷ごと燃やそうとするなんて……
「そう……。皆が無事で……本当に良かった」
心の底からの言葉を静かに告げ、セシリアは目元に浮かんだ涙を袖でぬぐいながら焼け落ちた屋敷を見つめた。
壊れた物はいくらでも直せる。だが、人の命は壊れてしまっては直せない。己の欲の為に他者の命を平気で摘み取ろうとした王女に、言いようのない怒りが込み上げた。
「大変だったでしょう? 消火も、避難の誘導も……。それで、皆はどこに避難してるの?」
「皆は現在、領地内の村に避難しており、現地の領民によって手当てを受けております」
「え? 村に?」
「はい。実は、たまたま村の者たちが屋敷を訪れておりました。復興作業も一段落したので、奥様に改めて御礼を申し上げたいと。そこで火災を目にした彼等は消火活動を手伝ってくださり、村で怪我人の手当てをするとまで申し出てくださいました。ここでは薬も包帯もありませんので何の手当ても出来ませんから……その申し出に甘え、使用人達とキャサリン様をそちらに」
「キャサリンもそちらにいるのね。彼女の様子はどう? 怖がっているのではなくて?」
「はい……。キャサリン様はショックのあまり放心状態でございました。落ち着きましたらオニキス子爵家に連絡を入れるよう手配します」
「そうね。そうしてちょうだい……」
セシリアはもう一度、焼け焦げた跡に視線を落とした。火災の凄惨さがじわじわと胸に迫ってくる。
皆が無事で本当によかった……と安堵したその時だった。
「……? 馬の足音?」
静かな空気の中、不意に響いてきたのは遠くから迫る馬の蹄音だった。
乾いた地を打つ音が、地面を伝って胸を打つ。
セシリアと執事が顔を上げて音の方へ目をやると、馬に乗り、王家の制服を身にまとった兵士たちの姿が目に入った。
「これは……何事?」
眉をひそめたセシリアの前に馬に乗った兵士たちが迫る。蹄が土を鳴らし、重い気配を引き連れて。全員が馬を降りるとその中の一人が鋭い視線を向け、ゆっくりと歩み寄ってきた。
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