130 / 165
無事で、よかった
しおりを挟む
目の前に広がるのは、かつての優美な館の面影すら留めぬ焼け落ちた廃墟。漆喰の壁は崩れ、柱は黒こげに立ち枯れ、梁は炭のように地に伏している。風が吹けば灰が舞い、焦げた木片がかすかに軋む。
セシリアは茫然としたままそこから動けなかった。深く吸った息は、焼け残った匂いを肺に満たす。
そのとき、執事が煤まみれの顔で駆け寄ってきた。頬には火傷の痕、衣服は半ば焦げて破れている。
「奥様……お戻りに……!」
セシリアはその声にハッと我に返り、震える声で執事に問いかけた。
「いったい何があったの……? 皆は? 皆は無事なの……!?」
執事は深くうなずきながら、目に涙を溜めて答えた。
「はい、怪我人は出ましたが何とか皆、命だけは……。ですが、屋敷は……もう……」
言葉を継げずにうつむく執事。その肩にセシリアは静かに手を添えた。
「皆の命が無事なら、それに勝るものはないわ。無事で、本当によかった……」
そう言いながらセシリアの目から涙が一滴こぼれた。気丈に振る舞ってはいたが本当は怖かったのだ。屋敷にいる皆の安否が何よりも気がかりで――。
「奥様…………」
常に強く、気丈に振る舞うセシリアの目から涙がこぼれ落ちたのを見て執事は胸を打たれた。
無礼な振る舞いで信頼を失った自分たち使用人の安否を、まだ気にかけてくれているなんて……。
「……本当に申し訳ございません。留守を託されていながら、このような不始末を……まことに面目次第もございません」
「謝ることはないわ。皆が無事だったのなら、それでいいのよ」
「……ッ!!」
屋敷が全焼してしまったというのに、留守を任せた執事を少しも責めることのないセシリアの器の大きさに執事は心の底から感服した。そしてそれと同時にこんなにも素晴らしい女性を冷たく扱ってしまった自分を深く恥じる。そして、この非常時にも変わらぬ冷静さにただただ敬服するばかりだった。
「……本当に申し訳ありませんでした。皆を逃がすのに手一杯で、消火が後回しになってしまい……」
「人命救助は最も優先されることよ。よくやったわ。皆の怪我の状況は?」
「はい、ほぼ皆が逃げた際に火傷や打撲、擦り傷を負いましたが、いずれも軽傷です。避難完了後に消火活動を開始し、先ほど鎮火を確認しました」
「ということは、火事がおきたのは大分前ということ?」
「はい、火事が起きたのはちょうど奥様方が外出されてしばらく経ってからのことでした。火の出どころは、たぶん屋敷の裏手だと思います。庭師がそこから煙が上がるのを見て、慌てて知らせてきたので」
「屋敷の裏手……? そんな火の気のない場所で……」
火の気のない場所で火災が起きた。それは、つまり……。
そう考えた瞬間、王女の言葉が──声が、頭の中で響いた。
”屋敷に火を放ったの。邪魔なあの女を始末するために……”
全身から力が抜け、肩が震える。まさか本当にこんな大それたことを実行するとは思わなかった。
セシリアひとりを始末する為に屋敷ごと燃やそうとするなんて……
「そう……。皆が無事で……本当に良かった」
心の底からの言葉を静かに告げ、セシリアは目元に浮かんだ涙を袖でぬぐいながら焼け落ちた屋敷を見つめた。
壊れた物はいくらでも直せる。だが、人の命は壊れてしまっては直せない。己の欲の為に他者の命を平気で摘み取ろうとした王女に、言いようのない怒りが込み上げた。
「大変だったでしょう? 消火も、避難の誘導も……。それで、皆はどこに避難してるの?」
「皆は現在、領地内の村に避難しており、現地の領民によって手当てを受けております」
「え? 村に?」
「はい。実は、たまたま村の者たちが屋敷を訪れておりました。復興作業も一段落したので、奥様に改めて御礼を申し上げたいと。そこで火災を目にした彼等は消火活動を手伝ってくださり、村で怪我人の手当てをするとまで申し出てくださいました。ここでは薬も包帯もありませんので何の手当ても出来ませんから……その申し出に甘え、使用人達とキャサリン様をそちらに」
「キャサリンもそちらにいるのね。彼女の様子はどう? 怖がっているのではなくて?」
「はい……。キャサリン様はショックのあまり放心状態でございました。落ち着きましたらオニキス子爵家に連絡を入れるよう手配します」
「そうね。そうしてちょうだい……」
セシリアはもう一度、焼け焦げた跡に視線を落とした。火災の凄惨さがじわじわと胸に迫ってくる。
皆が無事で本当によかった……と安堵したその時だった。
「……? 馬の足音?」
静かな空気の中、不意に響いてきたのは遠くから迫る馬の蹄音だった。
乾いた地を打つ音が、地面を伝って胸を打つ。
セシリアと執事が顔を上げて音の方へ目をやると、馬に乗り、王家の制服を身にまとった兵士たちの姿が目に入った。
「これは……何事?」
眉をひそめたセシリアの前に馬に乗った兵士たちが迫る。蹄が土を鳴らし、重い気配を引き連れて。全員が馬を降りるとその中の一人が鋭い視線を向け、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「失礼する! 我ら、王命を受けガーネット侯爵夫人を捕縛しに参上した。夫人はどちらにおられる?」
兵士の突然の来訪と告げられた言葉にセシリアの顔からすっと表情が消えた。
セシリアは茫然としたままそこから動けなかった。深く吸った息は、焼け残った匂いを肺に満たす。
そのとき、執事が煤まみれの顔で駆け寄ってきた。頬には火傷の痕、衣服は半ば焦げて破れている。
「奥様……お戻りに……!」
セシリアはその声にハッと我に返り、震える声で執事に問いかけた。
「いったい何があったの……? 皆は? 皆は無事なの……!?」
執事は深くうなずきながら、目に涙を溜めて答えた。
「はい、怪我人は出ましたが何とか皆、命だけは……。ですが、屋敷は……もう……」
言葉を継げずにうつむく執事。その肩にセシリアは静かに手を添えた。
「皆の命が無事なら、それに勝るものはないわ。無事で、本当によかった……」
そう言いながらセシリアの目から涙が一滴こぼれた。気丈に振る舞ってはいたが本当は怖かったのだ。屋敷にいる皆の安否が何よりも気がかりで――。
「奥様…………」
常に強く、気丈に振る舞うセシリアの目から涙がこぼれ落ちたのを見て執事は胸を打たれた。
無礼な振る舞いで信頼を失った自分たち使用人の安否を、まだ気にかけてくれているなんて……。
「……本当に申し訳ございません。留守を託されていながら、このような不始末を……まことに面目次第もございません」
「謝ることはないわ。皆が無事だったのなら、それでいいのよ」
「……ッ!!」
屋敷が全焼してしまったというのに、留守を任せた執事を少しも責めることのないセシリアの器の大きさに執事は心の底から感服した。そしてそれと同時にこんなにも素晴らしい女性を冷たく扱ってしまった自分を深く恥じる。そして、この非常時にも変わらぬ冷静さにただただ敬服するばかりだった。
「……本当に申し訳ありませんでした。皆を逃がすのに手一杯で、消火が後回しになってしまい……」
「人命救助は最も優先されることよ。よくやったわ。皆の怪我の状況は?」
「はい、ほぼ皆が逃げた際に火傷や打撲、擦り傷を負いましたが、いずれも軽傷です。避難完了後に消火活動を開始し、先ほど鎮火を確認しました」
「ということは、火事がおきたのは大分前ということ?」
「はい、火事が起きたのはちょうど奥様方が外出されてしばらく経ってからのことでした。火の出どころは、たぶん屋敷の裏手だと思います。庭師がそこから煙が上がるのを見て、慌てて知らせてきたので」
「屋敷の裏手……? そんな火の気のない場所で……」
火の気のない場所で火災が起きた。それは、つまり……。
そう考えた瞬間、王女の言葉が──声が、頭の中で響いた。
”屋敷に火を放ったの。邪魔なあの女を始末するために……”
全身から力が抜け、肩が震える。まさか本当にこんな大それたことを実行するとは思わなかった。
セシリアひとりを始末する為に屋敷ごと燃やそうとするなんて……
「そう……。皆が無事で……本当に良かった」
心の底からの言葉を静かに告げ、セシリアは目元に浮かんだ涙を袖でぬぐいながら焼け落ちた屋敷を見つめた。
壊れた物はいくらでも直せる。だが、人の命は壊れてしまっては直せない。己の欲の為に他者の命を平気で摘み取ろうとした王女に、言いようのない怒りが込み上げた。
「大変だったでしょう? 消火も、避難の誘導も……。それで、皆はどこに避難してるの?」
「皆は現在、領地内の村に避難しており、現地の領民によって手当てを受けております」
「え? 村に?」
「はい。実は、たまたま村の者たちが屋敷を訪れておりました。復興作業も一段落したので、奥様に改めて御礼を申し上げたいと。そこで火災を目にした彼等は消火活動を手伝ってくださり、村で怪我人の手当てをするとまで申し出てくださいました。ここでは薬も包帯もありませんので何の手当ても出来ませんから……その申し出に甘え、使用人達とキャサリン様をそちらに」
「キャサリンもそちらにいるのね。彼女の様子はどう? 怖がっているのではなくて?」
「はい……。キャサリン様はショックのあまり放心状態でございました。落ち着きましたらオニキス子爵家に連絡を入れるよう手配します」
「そうね。そうしてちょうだい……」
セシリアはもう一度、焼け焦げた跡に視線を落とした。火災の凄惨さがじわじわと胸に迫ってくる。
皆が無事で本当によかった……と安堵したその時だった。
「……? 馬の足音?」
静かな空気の中、不意に響いてきたのは遠くから迫る馬の蹄音だった。
乾いた地を打つ音が、地面を伝って胸を打つ。
セシリアと執事が顔を上げて音の方へ目をやると、馬に乗り、王家の制服を身にまとった兵士たちの姿が目に入った。
「これは……何事?」
眉をひそめたセシリアの前に馬に乗った兵士たちが迫る。蹄が土を鳴らし、重い気配を引き連れて。全員が馬を降りるとその中の一人が鋭い視線を向け、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「失礼する! 我ら、王命を受けガーネット侯爵夫人を捕縛しに参上した。夫人はどちらにおられる?」
兵士の突然の来訪と告げられた言葉にセシリアの顔からすっと表情が消えた。
2,520
あなたにおすすめの小説
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、小説、恋愛3位ありがとうございます。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
【完結済】王女に夢中な婚約者様、さようなら 〜自分を取り戻したあとの学園生活は幸せです! 〜
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
王立学園への入学をきっかけに、領地の屋敷から王都のタウンハウスへと引っ越した、ハートリー伯爵家の令嬢ロザリンド。婚約者ルパートとともに始まるはずの学園生活を楽しみにしていた。
けれど現実は、王女殿下のご機嫌を取るための、ルパートからの理不尽な命令の連続。
「かつらと黒縁眼鏡の着用必須」「王女殿下より目立つな」「見目の良い男性、高位貴族の子息らと会話をするな」……。
ルパートから渡された「禁止事項一覧表」に縛られ、ロザリンドは期待とは真逆の、暗黒の学園生活を送ることに。
そんな日々の中での唯一の救いとなったのは、友人となってくれた冷静で聡明な公爵令嬢、ノエリスの存在だった。
学期末、ロザリンドはついにルパートの怒りを買い、婚約破棄を言い渡される。
けれど、深く傷つきながら長期休暇を迎えたロザリンドのもとに届いたのは、兄の友人であり王国騎士団に属する公爵令息クライヴからの婚約の申し出だった。
暗黒の一学期が嘘のように、幸せな長期休暇を過ごしたロザリンド。けれど新学期を迎えると、エメライン王女が接触してきて……。
※10万文字超えそうなので長編に変更します。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
【完結】これをもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
結婚しても別居して私は楽しくくらしたいので、どうぞ好きな女性を作ってください
シンさん
ファンタジー
サナス伯爵の娘、ニーナは隣国のアルデーテ王国の王太子との婚約が決まる。
国に行ったはいいけど、王都から程遠い別邸に放置され、1度も会いに来る事はない。
溺愛する女性がいるとの噂も!
それって最高!好きでもない男の子供をつくらなくていいかもしれないし。
それに私は、最初から別居して楽しく暮らしたかったんだから!
そんな別居願望たっぷりの伯爵令嬢と王子の恋愛ストーリー
最後まで書きあがっていますので、随時更新します。
表紙はエブリスタでBeeさんに描いて頂きました!綺麗なイラストが沢山ございます。リンク貼らせていただきました。
【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。
しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」
その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。
「了承しました」
ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。
(わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの)
そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。
(それに欲しいものは手に入れたわ)
壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。
(愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?)
エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。
「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」
類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。
だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。
今後は自分の力で頑張ってもらおう。
ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。
ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。
カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*)
表紙絵は猫絵師さんより(。・ω・。)ノ♡
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる