初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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南の国の王家

 熱帯の陽光が白大理石の階段を金色に染め上げていた。高くそびえる椰子の影が穏やかに揺れる風とともに宮殿の回廊をなぞっていく。潮風に混じるジャスミンの香りがまるで楽師の前奏のように静かに鼻孔をくすぐる。

 ここは、遥か南の島にそびえる王宮。かつて大海を制したと言われる太陽の王家、その末裔が暮らす場所だ。
 王の間は宮殿の最奥――蒼い珊瑚の扉を抜けたその先にある。
 美しい装飾に彩られた王の間には重く沈んだ沈黙が垂れ込めていた。

「……何だと? 今、何と申した?」
 
 玉座に深く身を沈めた老王は報告を終えた侍従を驚愕の眼差しで見据えた。声は低く、それでいて刃のような鋭さを帯びている。

「……はい、末姫様が留学先の国にて、既婚の貴族に恋慕の情を抱かれたとのこと。その結果……その男性の屋敷と、その男性と恋人関係にあるご婦人の家が襲撃に遭いました。末姫様は自分がやったと供述しています」

 沈痛な面持ちで言葉を紡ぐ侍従の顔は蒼白だった。事実の重さを理解していない者など、この場には一人としていない。王族が他国の貴族家を襲撃した、これがどんな意味をもたらすのかも。

「馬鹿な……! 何故あれはそんな真似を!?」

「……はい、どうやら、屋敷にいる男性の妻と、恋人の両方を始末するためだそうです。男性の屋敷には火をつけ、恋人の家には刃物を持った者を襲撃させたとのこと」

「……狂っている! 他国でそんな真似をするという神経が分からん! それで、被害はどうなっている!?」

「はい、幸いにして男性の屋敷の者達は全員無事でだそうです。ただ、屋敷は跡形もなく焼け落ちてしまったそうで。男性の恋人も無事ですが、その両親──屋敷の当主夫妻は重傷です」

「…………なんてことを。おぞましい……。我が娘がそのように浅ましくも恐ろしい真似をするとは……」

 王は頭を抱え、深く椅子に沈み込んだ。。隣席に立つ王太子が長年予感していた災厄が現実となったかのような顔で王を見る。

「だから言ったでしょう、父上。あんな頭のおかしい娘を国外に出すべきではなかった。生来の気性を知らぬではあるまい。あれは……己の欲を制する術を持たぬ女です」

 王は答えなかった。だがその顔は深く苦悩に歪んでいる。愛しき末娘。だが、王家の血を引く者として、許されぬ過ちを犯した。王は王太子の言葉に答えず、侍従へと顔を向ける。

「……それは、正式な報告か?」

 王は、なおも信じがたい思いで問い直した。すると、侍従は深く頭を垂れた。

「はい、国からの正式な通達にございます。先方の王も、この件について我が国への説明を求めております」

「……分かった。直接儂自ら赴こう。こんな馬鹿げたことで戦争に発展しては民に顔向けできぬ」

 風が、開かれた窓から吹き込む。帳が揺れ、王の白髪がかすかに揺れた。

 ──あれが、ここまで愚かな女だったとは……。王妃のすべての努力も、結局は水の泡か。

 王は遠く霞む空を仰ぎ、亡き妻の面影を静かに偲んだ。
 血の繋がらぬ末姫に心を尽くし、淑女として育て上げようとしてくれた妻の、優しく厳しい眼差しを思い出しながら。



 翌日、重々しい沈黙の中、王と王太子を乗せた使節船は静かに外海を進んでいた。
 空は重く曇り、東の水平線にわずかな光が差している。
 艫のほう、私室に設えられた簡素な客室の中。
 王は壁に立てかけた椅子に身を預け、海を見つめていた。沈黙の中、波の音だけが二人の間に響く。

 王と王太子、父と子が向かう先は、娘が血を流させた他国の王宮。王族の名を背負いながら、一国の平穏を乱した罪の弁明に赴くという、最も屈辱的な旅路。
 王太子はひそかに横目で王をうかがった。白髪に隠せぬ老い、手にはかすかな震え。かつて剣を握り、玉座にあって幾つもの国政を裁いたその男そ姿は今や風に吹かれる枯れ葉のようだった。

 ──こんなものか、かつて“大海の覇者”と讃えられた男の成れの果てが。

 王太子はそう内心で吐き捨てた。言葉にはせず、表情にも出さぬ。だがその眼差しには冷笑が滲んでいた。

「詫びの言葉は、すでに用意しておられるのですか?」

 敢えてそう問えば、王はゆるく首を振った。

「……言葉では、届くまい。ただ、ひたすら頭を垂れるのみよ。罪を犯したのは血を分けた我が娘。顔を上げる資格すらない」

「なるほど。さすがは父上。相も変わらず“道徳”を信じておいでだ」

「……今のは皮肉か?」

「いえ、賞賛です」
 
 王太子は、実に穏やかな口調で答えた。

 父が今なお”人の情”や”赦し”などという、手に取れぬものに縋っていることが滑稽でならなかった。罪人の父として頭を下げる姿――それは確かに”王の責任”かもしれぬ。だがそれは同時に王という存在の終わりであり、弱さの証そのものだ。

「……彼の国の王が剣を抜けば、どうなさいます?」

「受けねばなるまい。我が娘が血を流させた。代償は我が命でも惜しくはない」

 王の答えに、王太子は蔑んだ笑みを浮かべる。

「お忘れなく。我が王家は、貴方の命と引き換えに存続できるほど安いものではありません」

 王はそれに応えなかった。あるいは、聞こえていなかったのかもしれない。まぶたを閉じ、揺れる船の振動に身を任せるようにして黙り込んだ。

 王太子は、窓の外に視線を移した。薄明の空の下、旅の終わりが近づいているのを感じた。

 ──己が娘に晩節を穢されるとは……哀れなものよ。

 内心でそう呟きながら、王太子は口元に微かな笑みを浮かべた。それは、父の姿を哀れんでの微笑ではなかった。
 王の背に乗じて、次なる時代の幕を引く者の冷ややかな勝者の微笑だった。

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