初夜に訪れたのは夫ではなくお義母様でした

わらびもち

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報告書というより、物語のよう

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 目的を果たすため、ロベールをエリオットの側近に据えたセシリア。
 これで離婚に一歩近づいたと喜ぶのも束の間、本邸に戻って以来、エリオットが妙に構ってくるようになった。

「セシリア、一緒にお茶でもどうかな?」

「申し訳ございません。忙しいので……」

「セシリア、よければ今度観劇に行かないか?」

「申し訳ございません。忙しいので……」

 誘われるたびに決まり文句で断っているのに、それでもしつこく誘ってくる。
 あんなことをしておきながら、まるで何事もなかったかのように話しかけてくる夫に苛ついて仕方ない。
 こちらはもうやり直す気などとうに失せているというのに。

(はあ……我慢、我慢よ……)

 キャサリンがエリオットと接触するまでの辛抱だと自分に言い聞かせ、表向きはにこやかに対応しているが内心ではあのヘラヘラした顔に拳を叩き込んでやりたくて仕方ない。
 夫はよほどガーネット公爵からの支援を失うことが嫌なのだろう。

 だが、それはセシリアには関係ない。彼が今後どうなろうと知ったことではない。
 初夜に彼が裏切ったことは今もなお心の中にわだかまりとして残っている。
 これが消えて、改めて彼と夫婦としてやり直す未来など存在しない。
 こんなことをされても許せる人はいるのかもしれない。だが、セシリアは自分がそうではないと分かっている。

 断られてもなお誘ってくる夫にうんざりしていたが、しばらく経つとそれもぴたりと止んだ。
 それどころか、最近は妙に家を空けることが増えた。

「まあ……ロベールは随分と優秀ななのね……」

 報告書を読みながらセシリアは独り言ちた。

 彼は思いがけず優秀だったようで、かなり上手くキャサリンをエリオットへ近づけていた。
 それは決して、こっそり逢引きを促すようなあからさまな手段ではない。自然を装った巧妙さに、セシリアは思わず舌を巻いた。

「劇場やカフェで自然と隣に座れるように仕向けるなんて……よく考えたものだわ」

 ロベールはエリオットの側仕えという立場を利用し、さりげなくカフェや劇場へと誘導し、たまたま偶然キャサリンが近くにいた、というやり方で二人を会わせていた。
 いや、会わせていたというと語弊がある。二人は同席したというわけでもなく、会話すら交わしていないのだから。

 ロベールは、まるで本当に偶然店や劇場で出くわしたかのように、二人を会わせていた。毎回逃げようとするエリオットには、「話しかけなければ接触したことにはなりませんよ」と宥めていた。
 どう言い含めたのかは分からないが、あの猪突猛進なキャサリンすらもエリオットに話しかけようともせず、澄ました顔で素知らぬふりをしているという。ただ、時折熱を帯びた切ない眼差しでエリオットを見つめるのだとか。

 それはまるで、歌劇や小説に描かれる秘密の恋人たちのような、美しくも切ないロマンチックな情景だ。
 最初は逃げ腰だったエリオットも、そうした状況が続くうちに、次第に自分が秘密の恋に身を投じているような錯覚を抱くようになったらしい。何よりも、これまで積極的すぎたキャサリンが急にしおらしくなった姿に心をもっていかれたようだ。

 というような状況をロベールはかなり細かく報告書に記してくれている。
 読んでいると、まるで報告書ではなく、一編の恋愛物語でも読まされているかのような錯覚に陥る。

「特にこれ、劇場の情景や周囲の状況、彼等の心境まで書く必要はあるのかしら? 読み物としては割と面白いからいいけれど……」

 ロベールの報告書の一つ、劇場での出来事を記した文章はまるで、というより本当に恋愛物語の一節のようだった。


『厚手のタペストリーに囲まれた石造りの劇場。燭台の灯がゆらめき、貴族たちのざわめきが静かに収まりゆく。
 やがて楽士の調べが幕を開け、舞台の上に悲劇の物語が始まると、観客たちは一斉に息をのんだ。
 キャサリンお嬢様は繊細な指先でドレスの裾を整えながら、隣に座す元婚約者――エリオット様の横顔をちらと見た。

 ほんのわずかに、彼の肩が彼女の肩に触れた。
 触れたそのぬくもりに、二人は互いの顔を見交わした。熱を帯びた視線が、静かに交錯する。

「……っ」

 二人は声にならぬ息を呑む。身を引くべきか、留まるべきか――たった数指の距離が、まるで深い渓谷のようだった。

 エリオット様はやや姿勢を正したものの、触れた肩先を引こうとはしなかった。
 それは、彼が初めて見せる躊躇いであり、同時に、キャサリンお嬢様への気持ちの変化の表れとも感じられた。

 燭光のもと、舞台では愛と裏切りの劇が繰り広げられていたが、観客席の片隅にも、言葉少なな恋がひっそりと息づいていた。』


「ふっ……ふふっ…………」

 情景豊かに描かれたその文を読みながら、セシリアは自然と二人の姿を思い浮かべ、こみ上げる笑いを抑えきれなかった。
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