今更、話すことなどございません

わらびもち

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屋敷での辛い出来事を話す

 翌日、エセルはベネディクト伯爵邸まで迎えに来てくれたジュリアの馬車に乗り込み、王宮へと向かった。
 馬車の中で他愛のない話を交わしていたが、ふとジュリアが神妙な面持ちで声を落とす。

「エセル様、昨日のお茶会では差し出がましく思え、聞きそびれてしまったのですが……今のお屋敷での暮らしで、何かございましたの?」

 心から案じるその声を聞いた瞬間、エセルは張りつめていたものが切れたように涙を溢れさせた。

「ふぅっ……うっ……ううっ……」

「エセル様!? 大丈夫ですか!」

 オリーブ色の瞳からぽろぽろと涙を零すエセルにジュリアは慌ててハンカチを差し出す。
 エセルは遠慮がちにそれを受け取り、そっと涙を拭った。

「……ありがとうございます、ジュリア様。ごめんなさい、いきなり泣き出してしまって……」

「いえ、気になさらないで。それだけお辛いということですもの。わたくしでよければ何があったか聞かせてくださらない? 話すと少しだけ気持ちが軽くなると思いますので」

 ジュリアの優しい言葉に背中を押されるように、エセルは屋敷での出来事を静かに語り始めた。
 本来であれば屋敷内でのことを口外すべきではないのかもしれない。だが、自分の心の内を外に出すことも出来ず、鬱屈とした思いが募り続けたエセルの心はもう限界であった。

「再婚なさってからお母様は私の存在などまるで眼中にないようで……話もろくに聞いてくれません。ベネディクト伯爵邸様とは挨拶以降一度も言葉を交わしておりませんし、誰にも何も相談など出来ません……」

 エセルの話にジュリアはただ頷き、寄り添うように耳を傾けていた。
 自分を気遣うその態度があまりにも嬉しく、荒んでいた心が癒されていくように感じた。

「何より辛いのは……義兄からの嫌味です。屋敷で顔を合わせる度に嫌な事ばかりおっしゃってきて……。連れ子の私がお気に召さないのは分かりますが……こうも毎回傷つくことを言われるのは堪えます」

「え? お待ちになって、名前を知らないというのはどういうことです? ……ひょっとして、名乗りもしなかったということでしょうか……」

 頷くエセルを見てジュリアは「まあ! 信じられない!」と憤慨する。

「貴族が挨拶で名乗りもしないなど、なんという不作法! 名門伯爵家の跡取りとは思えぬ無礼な態度ですわ。信じられません! 前々から嫌な方だと思っていましたが……やはりそうなのですね」

「……ジュリア様は義兄のことを知っていらっしゃったのですか?」

「ええ、一度だけ夜会で挨拶を交わしたことがあります。その時のこちらを値踏みするような視線と態度に生理的な嫌悪感を催したことをよく覚えております。お可哀そうなエセル様……さぞかし嫌な思いをされたことでしょう」

 ジュリアの優しい言葉にエセルは何度も頷いた。
 あの屋敷に来てからエセルの話をまともに聞いてくれる存在など皆無だったから、こうやって共感してもらえることが何より嬉しい。

 あの屋敷にエセルの味方はいない。唯一の肉親であるはずの母に相談しても、困った顔をして笑われて終わり。
 母にしてみれば再婚相手の家で変な揉め事を起こしてほしくないのだろう。
 義兄はよほど連れ子の存在が気に入らないのか、顔を合わせる度に嫌な言葉をぶつけてくる。
 その度にエセルの心は傷つき、擦り減っていく。

 義兄はいつもエセルを値踏みするように上から下まで眺め、口元に薄く笑みを浮かべてくる。そのこちらを明らかに侮辱した態度だけでも嫌な気分になるというのに、彼は更に言葉でも辱めようとしてくる。それが嫌で嫌でたまらない。

 初対面のとき、冗談めかした声音で「随分と質素だな。これが“貴族の令嬢”とは」と嘲笑い、反論できないエセルに向かって「所詮は義母上のだ。分不相応な期待はしないことだね」と告げた。恥ずかしさと悔しさで俯くエセルを慰める者は誰もいない。それからも彼の嫌がらせは途切れることなく続いた。
 エセルが黙って耐えていれば「つまらない娘だ」と笑い、反論すれば「やはり育ちが知れる」と切り捨てる。逃げ場はどこにもなかった。

 あの陽当たりの悪い部屋も義兄の仕業なのだと、エセルは義兄と使用人が話しているのを偶然聞いたときに悟った。

「若様、あのような陽当たりの悪い部屋にお嬢様はご案内するのはいかがなものかと……」

は控えめな部屋の方が落ち着くだろう?」

「いえ……ですが、あの部屋は黴の匂いが取れませんし、お嬢様のお体にもよろしくないかと……」

「どうせ、今の内だけだ。だったら構わないだろう。くだらないことで呼び止めるな」

 エセルの部屋について訴えかける使用人の言葉を一笑し、義兄は話は終わりだとばかりにその場から去っていった。その会話であの黴臭い部屋を用意させたのは義兄だったのかと知り、その陰湿さにエセルは絶句した。わざわざそんな嫌がらせをしてくることが気持ち悪い。

 さらに陰湿なのはエセルが何かを失敗した“形跡”を作ることだった。覚えのない約束、伝えられていない時間、知らされていない作法。エセルが戸惑うたび、彼は静かに囁く。

「言ったはずだよ。君が忘れたんだろう?」

 そんなことを言われた覚えはないと否定すれば”嘘つき”。大人しく黙れば”出来の悪い娘”。どちらを選んでもエセルの立場は削られていった。

 父が生きていたならこの屋敷に足を踏み入れることはなかっただろう。そう思い、何度涙したことか。
 逃げ場のない屋敷で義兄の陰湿な意地悪に耐える生活はもう終わりにしたかった。

 義兄にされたこと全てをジュリアに話すと、彼女は否定することなく憤慨しながら耳を傾けてくれた。
 彼女の優しさがエセルには何より嬉しく、温かい。

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