今更、話すことなどございません

わらびもち

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衝撃の事実

「……ど、どうして…………」

 エセルはそれだけを言うのが精一杯だった。あまりにも衝撃が大きすぎた。
 母が再婚してからもう数か月は経つ。この国では再婚相手の家に入る連れ子は性別や年齢に関わらず養子縁組をするのが当たり前だ。貴族であればなおさら。だからエセルは自分がベネディクト伯爵の養女として戸籍に登録されていると、疑いもしなかった。

 おそるおそるもう一度紙面に目を落とす。
 それは母の生家、サンディ男爵家の戸籍だった。そこにエセルの名がある。
 だが、母のエリザベートは同じ戸籍にはもういなかった。
 再婚と同時に母は正式にこの家を出て――再婚相手の籍へと、完全に移っていた。
 
 心臓が、どくりと大きく脈打つ。

「そんな……はず……」

 声が震え、血の気が引く。思い返せば、胸の奥に小さな違和感はいつも燻っていた。
 丁寧すぎる使用人たちの態度。どこか一線を引いたような視線。いつまで経っても客室のままの部屋。
 
 ──私は……ベネディクト伯爵家の一員じゃ、ない……?

 喉がひくりと鳴り、足元が揺らぐ。自分の扱いが”家族”に対するものではないとは理解していた。
 だが本当に──戸籍上すらも家族ではないなどとは疑ってすらいなかった。
 この国では連れ子も含めて家族になるのが当然だ。慣習であり、暗黙の了解であり、貴族社会では”常識”のこと。
 それなのに……まさかその手続きすらしてもらえていないなんて──。

「その反応……もしやと思いましたが、貴女様も知らなかったのですね? ご自分がこの家の籍に入っていないことを……」

 憐みを込めた視線を向ける文官にエセルは小さく頷いた。

「わたくし共もこのような事態は初めてなのですよ。お母君のエリザベート夫人はベネディクト伯爵の奥方として戸籍に登録されておりますのに、そのご息女である貴女様はお母君の生家の籍から抜けていない。通常、お母君が再婚なされた場合、その子女は再婚相手と養子縁組するのが我が国の慣習です。なので、これはどういうことなのかと直接事情を伺いに参りました」

 申し訳なさそうに話す文官を見て、エセルは次第に自分の方が申し訳ない気持ちになっていった。
 王宮侍女の試験を受ける資格のない男爵令嬢からの申し込みを受け、そこで失格にしてもいいのにこうしてわざわざ確認の為に足を運んでくれた。その気遣いが申し訳なく、それでいて顔から火が出るくらいに恥ずかしい。

 母は知っていたのだろうか。エセルがベネディクト伯爵の養女になっていないことを。
 それとも――知っていて、何も言わなかったのか。

(お母様は“妻”として迎え入れられたのに……私は”娘”として迎え入れられていない。ただの──”同居人”。だから今まで異物のように扱われていたのね……)

 震えながらエセルは書類に記載された自分の名を見つめる。
 エセル・サンディ。それはベネディクト伯爵家の屋敷に暮らしながらも、この家の名を持たない、唯一の存在。
 そう理解した瞬間、胸に込み上げたのは怒りでも悲しみでもなかった。
 深く、静かな諦めだった。

「……ご足労いただき感謝申し上げます。わたくしが自分の戸籍を確認せず申し込みをしたため、お手間をとらせて申し訳ございません」

 虚ろな目で謝罪するエセル。全てを諦め切った表情のエセルに文官は迷いのない真っすぐな声を向けた。

「いえ、レディ・エセル。確かに貴女様のご身分は戸籍上は男爵令嬢となっておりますゆえ、本来でしたら受験資格を有しておりません。ですが……わたくし共は是非とも貴女様に今期の王宮侍女の試験を受けていただきたいと思っております。なので、今からでも養子縁組の手続きをしていただけるならば、で受験出来るよう取り計らせていただきます」

「……え? 特例、ですか?」

 一瞬、エセルは何を言われたのか理解できず呆気にとられた。
 
「ええ。まず、貴女様はなぜ受験資格が伯爵家以上のご令嬢に限られているかはご存じですか?」

「え……? ええっと……それは、下位貴族と高位貴族では礼儀作法の質が異なるからです。宮廷で用いられる作法を学んでいるのは、王宮に上がる機会の多い高位貴族のみ。下位貴族ではそういった機会は滅多にございませんし、宮廷独特の作法を学んでいないことがほとんどです」

「ご名答でございます。宮廷での作法を知らなければお話しにもなりません。そしてここからが本題です。レディ・エセル、失礼ながら貴女様は子爵令嬢であったにも関わらず、高位貴族……いえ、が学ぶ作法を既に身に着けていらっしゃいますね?」

 そう突きつけられたその言葉にエセルは息を呑んだ。
 驚く彼女の目に真剣な文官の視線がぶつかる。

「所作を見れば分かります。貴女様のそれは下位貴族の領域ではない。高位貴族……いえ、王族の領域といって過言はない」

「いえ、それは買い被りが過ぎるというもので……」

「とんでもございません。現に貴女様は先ほどからお茶を召し上がっておられる。食器のあたる音、茶をすする音、どれひとつ立てずにいることは高位貴族のご令嬢でも難しいかと」

「あ…………」

 そう言われた瞬間、エセルはハッと気づいた。自分が彼らの前で無意識にお茶を口にしていたということを。

意識して音のひとつも立てていたのに、動揺していたせいでそこまで気が回らなかったわ……)

「その見事な礼儀作法は、亡きお父君──ヨハン・アスター卿の教えではありませんか?」

「……え? 父をご存じでいらっしゃるのですか……?」

 ヨハン・アスター子爵。それはエセルの亡き父の名前だった。
 エセルの問いに文官はゆっくり、しかし力強く頷く。

「長く王宮に勤めるものであれば、彼の方の名を知らぬ者はおりません。誰もが匙を投げた王妹殿下の教育を見事に成し遂げ、国一番の淑女に仕立て上げた功労者でございますから。隣国に嫁がれました王妹殿下はその後賢妃と謳われるほどに成長なされ、見事、我が国との同盟強化を成し遂げられました。アスター卿はまさに国家間の平和を導いた影の功労者でございます。そのご息女でいらっしゃる貴女様には是非とも王家のためにその才覚を振るっていただきたく存じます」

 思いもよらぬ勧誘にエセルは驚き目を丸くした。
 父がかつて王宮で王族の家庭教師を務めたことは知っていたが、まさか王宮の人々がそこまで父を評価しているとは知らなかった。謙虚な父は自分の功績を詳細には語らなかったから。

「王家が求めておりますのは優秀な侍女です。優秀な侍女とは完璧な礼儀はもちろんのこと、決して目立たず主を支える存在であると考えております。アスター卿のご息女である貴女様はまさにその才覚を備えていらっしゃるかと。いかがでしょうか、今からでもベネディクト伯爵から養子縁組の届け出を提出していただけば、特例で受験資格が得られます。届け出の書類は準備してきましたので、伯爵が御在宅でいらっしゃるのならすぐにでも署名をいただきたく」

 そこまでして自分に試験を受けさせようとする文官の熱意にエセルは息を呑むほど圧倒された。
 同時に、屋敷で”異物”として邪魔者扱いされていた自分がそこまで評価されているという事実に喜びが込み上げる。

 幸いにも伯爵は屋敷にいる。夜会の準備中とはいえ、書類に署名するくらいの時間はあるはずだ。
 今すぐにでも文官の申し出を承諾し、その足で伯爵の元へ行けば全てが叶う。

 だが、エセルが出した答えは……

「……過分なお申し出、誠に恐縮でございます。ですが……申し訳ありません。心苦しいのですが試験は辞退させていただきます……」

 恐縮の念を胸に、深々と頭を下げて辞退の意を告げる。
 その声は哀しい程に諦めに満ちていた。

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