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いなくなったエセル
伯爵達が舞踏会から戻ったのは明け方頃だった。
馬車の車輪が砂利を踏む音に使用人達は一斉に身を固くする。
伯爵達が馬車を降り、玄関へと足を踏み入れるとすぐに違和感に気づいた。
屋敷の使用人が誰も迎えにこない。「お帰りなさいませ」という声すら聞こえない。
整然と並ぶはずの使用人たちの顔には、疲労と不安が張りつき、視線は自然と二階へと流れている。
「……どうした? 何かあったのか?」
伯爵が強張った声で問いかけると、執事が駆け付け、深く頭を下げる。そしてそのまま、顔を上げずに告げた。
「昨夜より――お嬢様のお姿が、見当たりません」
一瞬、時が止まった。
「……は?」
伯爵の声が間の抜けた音を立てた。
奥方の手から扇子が落ちる。カツン、という乾いた音が大理石に響いた。
「どういうことだ? 部屋にいない、とは……」
「今朝方、確認いたしましたが……お、お嬢様が部屋におりません。使用人総出で、屋敷内、敷地の隅々まで捜索しております」
それを聞いた伯爵と奥方の顔色が目に見えて変わっていく。
舞踏会の名残で紅潮していた頬はみるみるうちに青褪めていった。
「どういうことなの? エセルは……わたくしの娘はどこへ行ったというの!」
悲痛な叫び声をあげ、奥方は執事へと詰め寄った。
「分かりません……。昨夜、お部屋にお食事をお運びしたときにはお姿を確認しているのですが……」
「すぐに彼女の部屋へ案内しろ!」
顔を青くした伯爵が執事に向かって叫ぶ。
そこに何か手掛かりが残されているかもしれない。そのわずかな希望にすがり声を荒げた。
執事に導かれ、伯爵は長い廊下を足早に進む。
だが、その途中で胸の奥に小さな違和感が芽生えはじめた。
──空いている客室はたくさんあるはずなのに、どうしてこんなにも奥まった場所にあの子の部屋があるんだ……?
廊下を進むにつれて、周囲の空気が冷たく感じられた。どうやらこの辺は陽当たりが悪いらしい。窓から差し込む光が弱く、朝だというのに少し暗い。今しがた通過した客人を迎える区画とは明らかに異なる雰囲気に伯爵は思わず足を止めかけた。
「……この先に客室なんてあったか?」
どう考えても客人を迎えるに相応しくない雰囲気の区画に、伯爵は執事に向かってそう問いかける。
彼は屋敷の主人といえど、広大な屋敷の中全てを把握しているわけではない。
主人からの問いかけに執事は一瞬だけ歩みを緩めた。しかし振り返ることなく、淡々と答える。
「ございます。もっとも……長らく使用されておりませんでしたため、空き部屋として扱われておりましたが……」
「空き部屋だと……!?」
その言葉に違和感は確信へと変わった。
妻となった女性の娘をなぜそんな場所へ──。思わず声を荒げた伯爵とは対照的に執事から返ってきた声はひどく冷ややかなものだった。
「わざわざその部屋を指定されたのは若様です。わたくし共は勿論反対しました。大切なお嬢様をそのような場所に案内することは、礼を欠く行為となります。ですが、あれほど強く命令されては、こちらといたしましても従わぬわけには参りませんでした」
「なんだと!? アリオスが?」
自分の息子の有り得ない行為を耳にした伯爵は、驚きのあまりその場で足を止めた。
同じように立ち止まり、振り向いた執事の冷ややかな視線が伯爵に突き刺さる。
「どうして驚いていらっしゃるのですか。旦那様にはこの件をお伝えしたはずですよ。『若様がお嬢様の部屋に廊下の奥の空き室を指定した』と」
「えっ……あ、いや、それは確かに聞いたが……。まさかこんな侘しい場所だったとは……」
伯爵はその報告のことを忘れてはいなかった。だが当時は大したことではないと軽く受け流してしまったことも、同時に思い出す。まさかここまで侘しい場所だとは思ってもいなかったのだ。
「奥様に至ってはお嬢様のお部屋に直接足を運ばれたはずです。でしたら、お嬢様が望ましい環境におられないことも承知のはずではないでしょうか」
「えっ、わ、わたくし……!?」
伯爵の後ろにいた奥方はいきなり話を振られて狼狽する。目を泳がせ、額に汗をにじませながら、必死に言い訳を口にする。
「いえ、気づかなかったわ。あの子も何も言わなかったし……」
この状況下で娘に責任を押し付けようとする妻の発言に伯爵はわずかな嫌悪感を覚えた。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。
伯爵は執事にどうして息子がそんな真似をしたのかと尋ねると、返ってきたのは軽蔑を含んだ視線だった。
「……慎ましいお嬢様には、慎ましいお部屋がお似合いだそうです」
「…………ッ!!?」
それはつまり「地味な女には地味な部屋がお似合いだ」と言っているに等しい、ひどく意地の悪い発言。
何の意味があってそんな真似をしたのかと今すぐ息子に問い質したくなったが、執事が「今はお嬢様のお部屋に急ぎましょう」と促してくる。
「あ、ああ……そうだな」
薄暗い廊下を進むにつれ、やがて執事の足がとある部屋の前で止まる。ほかの部屋と比べて装飾は乏しく、取っ手も簡素だ。執事が扉を開け、伯爵達は中を見た瞬間息を呑んだ。
部屋の中は驚くほど整然としていた。
まるで最初から誰もそこにいなかったかのように。
驚き、無言のまま部屋に入る伯爵と奥方。
茫然とした表情で室内を見渡しているうちに、ふと机の上に置かれたものに目が留まる。
「これは……手紙?」
机の上には簡素な封筒が二通。そこにはそれぞれ伯爵と奥方の名が宛名として書かれている。
二人は震える手で手紙を取り、そっと封を開けて中身に目を落とした。
馬車の車輪が砂利を踏む音に使用人達は一斉に身を固くする。
伯爵達が馬車を降り、玄関へと足を踏み入れるとすぐに違和感に気づいた。
屋敷の使用人が誰も迎えにこない。「お帰りなさいませ」という声すら聞こえない。
整然と並ぶはずの使用人たちの顔には、疲労と不安が張りつき、視線は自然と二階へと流れている。
「……どうした? 何かあったのか?」
伯爵が強張った声で問いかけると、執事が駆け付け、深く頭を下げる。そしてそのまま、顔を上げずに告げた。
「昨夜より――お嬢様のお姿が、見当たりません」
一瞬、時が止まった。
「……は?」
伯爵の声が間の抜けた音を立てた。
奥方の手から扇子が落ちる。カツン、という乾いた音が大理石に響いた。
「どういうことだ? 部屋にいない、とは……」
「今朝方、確認いたしましたが……お、お嬢様が部屋におりません。使用人総出で、屋敷内、敷地の隅々まで捜索しております」
それを聞いた伯爵と奥方の顔色が目に見えて変わっていく。
舞踏会の名残で紅潮していた頬はみるみるうちに青褪めていった。
「どういうことなの? エセルは……わたくしの娘はどこへ行ったというの!」
悲痛な叫び声をあげ、奥方は執事へと詰め寄った。
「分かりません……。昨夜、お部屋にお食事をお運びしたときにはお姿を確認しているのですが……」
「すぐに彼女の部屋へ案内しろ!」
顔を青くした伯爵が執事に向かって叫ぶ。
そこに何か手掛かりが残されているかもしれない。そのわずかな希望にすがり声を荒げた。
執事に導かれ、伯爵は長い廊下を足早に進む。
だが、その途中で胸の奥に小さな違和感が芽生えはじめた。
──空いている客室はたくさんあるはずなのに、どうしてこんなにも奥まった場所にあの子の部屋があるんだ……?
廊下を進むにつれて、周囲の空気が冷たく感じられた。どうやらこの辺は陽当たりが悪いらしい。窓から差し込む光が弱く、朝だというのに少し暗い。今しがた通過した客人を迎える区画とは明らかに異なる雰囲気に伯爵は思わず足を止めかけた。
「……この先に客室なんてあったか?」
どう考えても客人を迎えるに相応しくない雰囲気の区画に、伯爵は執事に向かってそう問いかける。
彼は屋敷の主人といえど、広大な屋敷の中全てを把握しているわけではない。
主人からの問いかけに執事は一瞬だけ歩みを緩めた。しかし振り返ることなく、淡々と答える。
「ございます。もっとも……長らく使用されておりませんでしたため、空き部屋として扱われておりましたが……」
「空き部屋だと……!?」
その言葉に違和感は確信へと変わった。
妻となった女性の娘をなぜそんな場所へ──。思わず声を荒げた伯爵とは対照的に執事から返ってきた声はひどく冷ややかなものだった。
「わざわざその部屋を指定されたのは若様です。わたくし共は勿論反対しました。大切なお嬢様をそのような場所に案内することは、礼を欠く行為となります。ですが、あれほど強く命令されては、こちらといたしましても従わぬわけには参りませんでした」
「なんだと!? アリオスが?」
自分の息子の有り得ない行為を耳にした伯爵は、驚きのあまりその場で足を止めた。
同じように立ち止まり、振り向いた執事の冷ややかな視線が伯爵に突き刺さる。
「どうして驚いていらっしゃるのですか。旦那様にはこの件をお伝えしたはずですよ。『若様がお嬢様の部屋に廊下の奥の空き室を指定した』と」
「えっ……あ、いや、それは確かに聞いたが……。まさかこんな侘しい場所だったとは……」
伯爵はその報告のことを忘れてはいなかった。だが当時は大したことではないと軽く受け流してしまったことも、同時に思い出す。まさかここまで侘しい場所だとは思ってもいなかったのだ。
「奥様に至ってはお嬢様のお部屋に直接足を運ばれたはずです。でしたら、お嬢様が望ましい環境におられないことも承知のはずではないでしょうか」
「えっ、わ、わたくし……!?」
伯爵の後ろにいた奥方はいきなり話を振られて狼狽する。目を泳がせ、額に汗をにじませながら、必死に言い訳を口にする。
「いえ、気づかなかったわ。あの子も何も言わなかったし……」
この状況下で娘に責任を押し付けようとする妻の発言に伯爵はわずかな嫌悪感を覚えた。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。
伯爵は執事にどうして息子がそんな真似をしたのかと尋ねると、返ってきたのは軽蔑を含んだ視線だった。
「……慎ましいお嬢様には、慎ましいお部屋がお似合いだそうです」
「…………ッ!!?」
それはつまり「地味な女には地味な部屋がお似合いだ」と言っているに等しい、ひどく意地の悪い発言。
何の意味があってそんな真似をしたのかと今すぐ息子に問い質したくなったが、執事が「今はお嬢様のお部屋に急ぎましょう」と促してくる。
「あ、ああ……そうだな」
薄暗い廊下を進むにつれ、やがて執事の足がとある部屋の前で止まる。ほかの部屋と比べて装飾は乏しく、取っ手も簡素だ。執事が扉を開け、伯爵達は中を見た瞬間息を呑んだ。
部屋の中は驚くほど整然としていた。
まるで最初から誰もそこにいなかったかのように。
驚き、無言のまま部屋に入る伯爵と奥方。
茫然とした表情で室内を見渡しているうちに、ふと机の上に置かれたものに目が留まる。
「これは……手紙?」
机の上には簡素な封筒が二通。そこにはそれぞれ伯爵と奥方の名が宛名として書かれている。
二人は震える手で手紙を取り、そっと封を開けて中身に目を落とした。
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