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あまりにも馬鹿げた理由
「……これは」
声にならない声が喉に引っかかる。
伯爵に宛てられた手紙の文面はきわめて簡素で、これまでの礼と、世話になったことへの謝意のみが丁重に記されていた。封筒の中には手紙とは別に金貨が数枚入っており、「今までの生活費をお返します」とだけ記された小さな紙切れが添えられている。
「…………ッ!!」
一見すれば礼を尽くした対応にも思える。
だが、これが客人であったならまだしも相手は妻の連れ子だ。
そこにあるのは取り繕われた礼節と露骨な拒絶だけ。
一方で、奥方は手紙を読み進めるうちに次第に顔色を失っていった。
「そ、そんな……、エセル……」
エセルが彼女に充てた手紙には今までの思いの丈が綴られていた。
屋敷の中で一人孤独だったこと、アリオスの嫌がらせが辛かったこと、実の娘より義理の息子の味方をしたことへの失望、そして──伯爵と養子縁組がされていなかったこと。
今まで聞く耳すら持ってくれなかった母への恨み、失望、それらすべてがそこにしたためられていた。
伯爵は無礼を承知の上で妻に宛てられた手紙にそっと視線を滑らせた。
次の瞬間、驚愕に目を見開く。
「な……なんだ、これは……! 君は……君は、あの子に何も言っていなかったのか!? 養子縁組しなかった理由を……!」
「だ、だって……それを言ったら、種明かしになってしまうと思って……」
急に言い合いを始めた伯爵と奥方。それを聞いていた執事が聞き捨てならない単語を拾い上げる。
「……お待ちください、今……『養子縁組しなかった』とおっしゃいましたが、まさかと思いますが旦那様はお嬢様を伯爵家の籍に入れていないと……?」
咎めるような執事の問いかけに、伯爵は気まずそうに目を泳がせた。
その反応から事実であると悟った執事は信じられないものを見るような目を向ける。
「これは如何なるお考えでございましょうか? 連れ子をも養子縁組するのが我が国の貴族の習わし。よもや……そのことをご承知でなかったとは申されますまいな」
「勿論知っている! これには深い理由があって……」
「それは如何なるもので? 古き慣習を拒むほどの理由がお有りなのでしょうか……」
明らかにこちらを責めている執事の目に耐え切れず伯爵は思わず口を噤む。
そんな夫に代わって奥方が声を荒らげて訴えた。
「あるわよ! アリオスが……エセルを見初めたから、妻にしたいって頼んできたから……旦那様の養女には出来なかったのよ! 養子縁組して義理の兄妹になってしまったら結婚はできないもの!」
「……は? 若様がお嬢様を見初めた……?」
奥方の口から放たれた思いもよらぬ言葉に執事は愕然とした。
「なんなのですか、その理由は……」
理由があまりにも予想外で、それでいてくだらない。それを聞いた執事は呆れた顔を隠しもしなかった。
「申し上げたいことは山ほどございますが……まず、お嬢様はその理由をご存じないのですよね? でしたら、単に旦那様がお嬢様を疎んでいるから養子縁組をしなかったと思っているのではないでしょうか」
仮に理由を知ったとしても執事にはエセルが納得するとは思えなかった。
あれだけ嫌がらせばかりを繰り返していたアリオスが、実は好意があったなど言われても受け入れられるだろうか。少なくとも執事の目から見たエセルはアリオスを嫌っていたように思えた。嫌っている相手から好意を示されてもただ迷惑なだけだろう。
執事からすればそんな馬鹿げた理由で貴族の義務を果たさなかった主人も、それに納得する奥方も理解出来なかった。
「疎んでいる!? 私が? あの子を? 何故そうなる!」
「それ以外の理由など想像できますか? 養子縁組は当主の意思で行われるもの。ならば、その意思がなかったのだと思われるのは当然ではないですか?」
エセルにとっては伯爵が養子縁組をしなかったという事実だけがすべてだ。
ならば、自分を養女にすることを望んでいないのだと思うのも当然のこと。
それほど単純なことにも思い至らない主人に執事は失望を覚えた。
「そんな……誤解だ。私はあの子を疎んでなど……」
「……今はそれよりもお嬢様の行方を追うべきでしょう。手紙に行き先の記載はありませんでしたか?」
「いや、私の方にはない……。エリザベート、君の方にはあるか?」
伯爵が奥方にそう尋ねると、奥方は青い顔で小さく頷いた。
「あるわ……」
震える声で呟いた奥方は手紙の一箇所に指を伸ばした。
そこには端正な文字で『聖カサブランカ修道院』と記されている。
「修道院!? しかも……聖カサブランカ修道院だって?」
伯爵はその事実にしばし声を失った。
貴族にとって、娘が修道院へ駆け込んだ事実は家門の恥である。娘にどのような扱いをしていたか責められ、噂が社交界に広まれば家の立場も危うくなる。勿論、当主である伯爵の立場も。
養子縁組をしていないので実際は”娘”ではなく”客人”のような扱いだが、そんなことを知られてしまえば恥の上塗りでしかない。連れ子を養子縁組することは貴族として当然の義務なのだから、それをしていないのであれば非難されるのは当たり前。
伯爵は、この時初めて自分の行為が取り返しのつかないものであると悟り恐怖した。
声にならない声が喉に引っかかる。
伯爵に宛てられた手紙の文面はきわめて簡素で、これまでの礼と、世話になったことへの謝意のみが丁重に記されていた。封筒の中には手紙とは別に金貨が数枚入っており、「今までの生活費をお返します」とだけ記された小さな紙切れが添えられている。
「…………ッ!!」
一見すれば礼を尽くした対応にも思える。
だが、これが客人であったならまだしも相手は妻の連れ子だ。
そこにあるのは取り繕われた礼節と露骨な拒絶だけ。
一方で、奥方は手紙を読み進めるうちに次第に顔色を失っていった。
「そ、そんな……、エセル……」
エセルが彼女に充てた手紙には今までの思いの丈が綴られていた。
屋敷の中で一人孤独だったこと、アリオスの嫌がらせが辛かったこと、実の娘より義理の息子の味方をしたことへの失望、そして──伯爵と養子縁組がされていなかったこと。
今まで聞く耳すら持ってくれなかった母への恨み、失望、それらすべてがそこにしたためられていた。
伯爵は無礼を承知の上で妻に宛てられた手紙にそっと視線を滑らせた。
次の瞬間、驚愕に目を見開く。
「な……なんだ、これは……! 君は……君は、あの子に何も言っていなかったのか!? 養子縁組しなかった理由を……!」
「だ、だって……それを言ったら、種明かしになってしまうと思って……」
急に言い合いを始めた伯爵と奥方。それを聞いていた執事が聞き捨てならない単語を拾い上げる。
「……お待ちください、今……『養子縁組しなかった』とおっしゃいましたが、まさかと思いますが旦那様はお嬢様を伯爵家の籍に入れていないと……?」
咎めるような執事の問いかけに、伯爵は気まずそうに目を泳がせた。
その反応から事実であると悟った執事は信じられないものを見るような目を向ける。
「これは如何なるお考えでございましょうか? 連れ子をも養子縁組するのが我が国の貴族の習わし。よもや……そのことをご承知でなかったとは申されますまいな」
「勿論知っている! これには深い理由があって……」
「それは如何なるもので? 古き慣習を拒むほどの理由がお有りなのでしょうか……」
明らかにこちらを責めている執事の目に耐え切れず伯爵は思わず口を噤む。
そんな夫に代わって奥方が声を荒らげて訴えた。
「あるわよ! アリオスが……エセルを見初めたから、妻にしたいって頼んできたから……旦那様の養女には出来なかったのよ! 養子縁組して義理の兄妹になってしまったら結婚はできないもの!」
「……は? 若様がお嬢様を見初めた……?」
奥方の口から放たれた思いもよらぬ言葉に執事は愕然とした。
「なんなのですか、その理由は……」
理由があまりにも予想外で、それでいてくだらない。それを聞いた執事は呆れた顔を隠しもしなかった。
「申し上げたいことは山ほどございますが……まず、お嬢様はその理由をご存じないのですよね? でしたら、単に旦那様がお嬢様を疎んでいるから養子縁組をしなかったと思っているのではないでしょうか」
仮に理由を知ったとしても執事にはエセルが納得するとは思えなかった。
あれだけ嫌がらせばかりを繰り返していたアリオスが、実は好意があったなど言われても受け入れられるだろうか。少なくとも執事の目から見たエセルはアリオスを嫌っていたように思えた。嫌っている相手から好意を示されてもただ迷惑なだけだろう。
執事からすればそんな馬鹿げた理由で貴族の義務を果たさなかった主人も、それに納得する奥方も理解出来なかった。
「疎んでいる!? 私が? あの子を? 何故そうなる!」
「それ以外の理由など想像できますか? 養子縁組は当主の意思で行われるもの。ならば、その意思がなかったのだと思われるのは当然ではないですか?」
エセルにとっては伯爵が養子縁組をしなかったという事実だけがすべてだ。
ならば、自分を養女にすることを望んでいないのだと思うのも当然のこと。
それほど単純なことにも思い至らない主人に執事は失望を覚えた。
「そんな……誤解だ。私はあの子を疎んでなど……」
「……今はそれよりもお嬢様の行方を追うべきでしょう。手紙に行き先の記載はありませんでしたか?」
「いや、私の方にはない……。エリザベート、君の方にはあるか?」
伯爵が奥方にそう尋ねると、奥方は青い顔で小さく頷いた。
「あるわ……」
震える声で呟いた奥方は手紙の一箇所に指を伸ばした。
そこには端正な文字で『聖カサブランカ修道院』と記されている。
「修道院!? しかも……聖カサブランカ修道院だって?」
伯爵はその事実にしばし声を失った。
貴族にとって、娘が修道院へ駆け込んだ事実は家門の恥である。娘にどのような扱いをしていたか責められ、噂が社交界に広まれば家の立場も危うくなる。勿論、当主である伯爵の立場も。
養子縁組をしていないので実際は”娘”ではなく”客人”のような扱いだが、そんなことを知られてしまえば恥の上塗りでしかない。連れ子を養子縁組することは貴族として当然の義務なのだから、それをしていないのであれば非難されるのは当たり前。
伯爵は、この時初めて自分の行為が取り返しのつかないものであると悟り恐怖した。
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