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エセルの決断と、母への気持ち
――聖カサブランカ修道院。
それは王の母である王太后が行き場を失った女性たちを救済するために設立した修道院である。
白い石で築かれた高い外壁は外界の喧騒を遠ざけ、その内側に生きる傷ついた女性たちを包み込むように佇んでいた。ここに集うのは望まぬ運命から逃れてきた女性たち。彼女たちは皆、過去を問われることなく迎え入れられる。
王太后は自らこの修道院の設立を命じたと言われている。かつて王宮の権力争いと陰謀のただ中を生き抜いた彼女は、弱き立場に置かれた女性たちの脆さと強さを誰よりも理解していた。ゆえに聖カサブランカ修道院は単なる信仰の場ではない。祈りと労働を通じて心を癒し、再び生きる術を見出すための静かな避難所である。
エセルは生前の父からこの場所の存在を教えられていた。傷ついた女性たちのために用意された最後の砦だと。
そこを訪れるのはほとんどが貴族の女性だと聞いている。王太后の権威で守られている以上、家の者に連れ戻される心配がないからだ。どれだけ身分が高かろうとも王族に盾突く者は存在しない。
だからこそ、エセルはこの場所を逃げ場に選んだ。
門の内側に迎え入れられれば、母のもとへ引き戻されることはない。
代償として貴族の身分を捨てることになるが……それでも構わなかった。
貴族であった自分に未練がないと言えば嘘になる。
父から学んだ、貴族として必要な知識や作法が無駄になるからだ。
どこへ嫁いでも困らぬようにと与えられた学びを生かせないことに後悔が残る。
それでもエセルはこれ以上自分の人生を意味もなく振り回されることが、どうしても耐えられなかった。
あのままベネディクト伯爵家に居続けたら──きっと、後悔する未来しか訪れない。
そんな予感が胸から離れなかった。
母の再婚相手の家で養子縁組さえされていない身の上では良い未来など望めるはずもない。
そんな環境で、ただ流されるまま生きることにエセルはどうしても耐えられなかった。
母はエセルをどうしたかったのか。その疑問だけが心に残った。
伯爵と再婚するのなら、エセルを祖父母の家に残していけばよかったはずだ。
母は祖父母に迷惑を掛けたくないと言った。だが今思えば、その言葉はどこか信用できない。
孫娘一人を養うくらい問題はない――祖父母はそう言っていた。
資産家である彼らにとって、それは紛れもない事実だったはずだ。
それでも母は頑なにエセルを連れていった。その理由を挙げるとすれば……世間体だろう。
子を置いて新しい家庭に入れば社交界で何を言われるかは想像に難くない。瑕疵を見つけてはそれをあげつらうのがあの世界だ。下位貴族から高位貴族へ嫁いだ母であれば、なおさら厳しい目に晒される。
だからこそ、エセルは連れていかれたのかもしれない。あの、冷たく寂しい場所へと。
エセルがいなくなれば母の評判は地に落ちるだろう。だが、もうどうでもよかった。
父が生きていた頃の、あの優しかった母はもういない。
今の母は新しい夫に心を奪われ、娘の存在など顧みず、義理の息子の肩を持ってエセルを責め立てる。
そんな嫌な相手を、いくら母親とはいえこれ以上気にかける理由はなかった。
母はエセルをどうしたかったのか。
新たな家で居場所も与えられず、惨めな立場に追い込まれて――
もしかして、自分は母に憎まれていたのではないか。そんな疑いさえ浮かんでしまう。
けれど、もうどうでもいい──。
二度と母の顔など見たくない。それで十分だった。
「あの手紙……そろそろ届いている頃かしら」
修道院へ来る途中、エセルは伯爵や母に宛てた手紙とは別にさらに二通の手紙を出していた。
それはそろそろ相手の元へ届き、その中身――エセルが俗世を捨てることになった理由が読まれている頃だろう。
それは王の母である王太后が行き場を失った女性たちを救済するために設立した修道院である。
白い石で築かれた高い外壁は外界の喧騒を遠ざけ、その内側に生きる傷ついた女性たちを包み込むように佇んでいた。ここに集うのは望まぬ運命から逃れてきた女性たち。彼女たちは皆、過去を問われることなく迎え入れられる。
王太后は自らこの修道院の設立を命じたと言われている。かつて王宮の権力争いと陰謀のただ中を生き抜いた彼女は、弱き立場に置かれた女性たちの脆さと強さを誰よりも理解していた。ゆえに聖カサブランカ修道院は単なる信仰の場ではない。祈りと労働を通じて心を癒し、再び生きる術を見出すための静かな避難所である。
エセルは生前の父からこの場所の存在を教えられていた。傷ついた女性たちのために用意された最後の砦だと。
そこを訪れるのはほとんどが貴族の女性だと聞いている。王太后の権威で守られている以上、家の者に連れ戻される心配がないからだ。どれだけ身分が高かろうとも王族に盾突く者は存在しない。
だからこそ、エセルはこの場所を逃げ場に選んだ。
門の内側に迎え入れられれば、母のもとへ引き戻されることはない。
代償として貴族の身分を捨てることになるが……それでも構わなかった。
貴族であった自分に未練がないと言えば嘘になる。
父から学んだ、貴族として必要な知識や作法が無駄になるからだ。
どこへ嫁いでも困らぬようにと与えられた学びを生かせないことに後悔が残る。
それでもエセルはこれ以上自分の人生を意味もなく振り回されることが、どうしても耐えられなかった。
あのままベネディクト伯爵家に居続けたら──きっと、後悔する未来しか訪れない。
そんな予感が胸から離れなかった。
母の再婚相手の家で養子縁組さえされていない身の上では良い未来など望めるはずもない。
そんな環境で、ただ流されるまま生きることにエセルはどうしても耐えられなかった。
母はエセルをどうしたかったのか。その疑問だけが心に残った。
伯爵と再婚するのなら、エセルを祖父母の家に残していけばよかったはずだ。
母は祖父母に迷惑を掛けたくないと言った。だが今思えば、その言葉はどこか信用できない。
孫娘一人を養うくらい問題はない――祖父母はそう言っていた。
資産家である彼らにとって、それは紛れもない事実だったはずだ。
それでも母は頑なにエセルを連れていった。その理由を挙げるとすれば……世間体だろう。
子を置いて新しい家庭に入れば社交界で何を言われるかは想像に難くない。瑕疵を見つけてはそれをあげつらうのがあの世界だ。下位貴族から高位貴族へ嫁いだ母であれば、なおさら厳しい目に晒される。
だからこそ、エセルは連れていかれたのかもしれない。あの、冷たく寂しい場所へと。
エセルがいなくなれば母の評判は地に落ちるだろう。だが、もうどうでもよかった。
父が生きていた頃の、あの優しかった母はもういない。
今の母は新しい夫に心を奪われ、娘の存在など顧みず、義理の息子の肩を持ってエセルを責め立てる。
そんな嫌な相手を、いくら母親とはいえこれ以上気にかける理由はなかった。
母はエセルをどうしたかったのか。
新たな家で居場所も与えられず、惨めな立場に追い込まれて――
もしかして、自分は母に憎まれていたのではないか。そんな疑いさえ浮かんでしまう。
けれど、もうどうでもいい──。
二度と母の顔など見たくない。それで十分だった。
「あの手紙……そろそろ届いている頃かしら」
修道院へ来る途中、エセルは伯爵や母に宛てた手紙とは別にさらに二通の手紙を出していた。
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