今更、話すことなどございません

わらびもち

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祖父母の訪問

 エセルが家出して数日、屋敷は不自然なほど静まり返っていた。
 いつもなら朝の鐘とともに走り回る使用人たちの足音も今日はひそやかで、まるで屋敷そのものが息を潜めているかのようだった。

 そんな時だった。急な来客を知らせるため、従僕が伯爵のもとへと駆け寄ってくる。

「旦那様……お客様でございます。奥様のご両親がお見えです……!」

「なんだと……?」

 この状況での義両親の来訪に、伯爵の脳裏をエセルの家出が知られてしまったのではないかという疑念がよぎり、冷や汗が滲んだ。妻もまた、青い顔で言葉を失っている。

 そうして重厚な正門が軋む音を立てて開いた。
 黒塗りの馬車からエセルの母方の祖父母、先代サンディ男爵夫妻が降り立つ。
 祖父は背筋を伸ばし、老齢とは思えぬ鋭い眼差しで屋敷を見据えている。祖母はその隣で扇を強く握りしめ、唇を固く結んでいた。

 その後、応接間に通されたエセルの祖父母のもとへ伯爵と妻が向かう。険しい顔で座る二人を見た瞬間、伯爵達はただならぬ気配を察した。

「……ご無沙汰しております。お義父上、お義母上。本日はいかなるご用向きにてお越しでございましょうか」

 歓迎の色を欠いた伯爵の儀礼的な口調に先代男爵夫妻は揃って呆れた顔を見せた。
 その露骨な反応に伯爵の胸に苛立ちが湧き上がる。いくら妻の親とはいえ身分が上の相手に向ける態度ではない、と。

「突然の訪問、無礼の段はお許しください。しかしながら……の件で至急お話し申し上げたいことがございまして……」

 先代男爵は丁寧な口調とは裏腹に呆れた態度を隠そうともせず告げる。
 ”孫娘”という言葉に伯爵夫妻の表情が強張った。

「エセルから、わたくし達宛てに手紙が届きました」

 先代男爵夫人のその一言で空気が凍りついた。
 夫人の言葉を受けた先代男爵は懐から一通の封筒を取り出し、机の上に投げるように置く。

「……エセルが家を出て、修道院へ入ったそうじゃないか。儂等のもとへ、その旨と理由をしたためた手紙が届いた。が、よく書いてあった。儂等はこれを胸が裂ける思いで読んだよ。エリザベート、お前は母親失格だ」

「なっ……! お父様、それは誤解です! エセルは勘違いをしているのです!」

「勘違い? それは何がだ。エセルのことを放置し、新たな夫に夢中になっていたことか? それともエセルだけ家名が”異なる”ことか? ……今日まで養子縁組をしていないそうじゃないか。よくもまあそんな酷い真似が出来たものだ……」

 伯爵の妻となった娘、エリザベートの反論に先代男爵は怒気を含んだ声で応じた。

「お前は”ベネディクト伯爵夫人”となったというのに、エセルは我が家の籍に入ったまま。こんなふざけた話は初めて聞いた。どういうつもりでこんな真似をした……」

 年老いてなお衰えぬ父の厳格な気迫にエリザベートは思わず身をすくめた。
 その情けない娘の反応に先代男爵夫人はため息を零す。

「あなたは先程”誤解”や”勘違い”と言いましたが……エセルがこの家の籍に入っていないことは事実よね? わたくし達もここに来る前にきちんと調べておりますの。まさかベネディクト伯爵家に迎えられたエセルが当家の籍に入ったままだとは……夢にも思わなかったわ。お前はあまり頭がよろしくないと思っていたけど……まさか、こんな貴族として当たり前の慣習を知らないとは」

「ち、ちがいます! わたくしだってそれくらい知っておりますわ! 旦那様の前で恥ずかしいことをおっしゃらないで!」

「娘がいなくなったという状況下で、夫にどう思われるかを気にする余裕があるなんて……。随分と嫌な女に成り下がったものね、エリザベート」

 軽蔑を隠さぬ母の視線を受け、エリザベートは羞恥と怒りに頬を染めた。 

「お前は再婚が決まった際、わたくし達にエセルを幸せにすると約束したわよね? 男爵家の令嬢でいるよりも、伯爵家の令嬢となった方がより良い縁談が望めると。それがなに? エセルは伯爵家の令嬢になっていないどころか、あの若さで俗世を捨ててしまったではないの。娘にそんな選択肢を取らせるなんて……お前は最低よ」

 先代男爵夫人は鋭い眼光を向け、地を這うような恨みのこもった声でエリザベートを罵った。
 もともと、彼らは娘の再婚そのものには異を唱えなかった。だが、孫娘まで再婚相手の家へ連れていくことには強く反対していたのだ。孫娘はすでに嫁入りの年頃で、いずれは他家へ嫁ぐ身。いまさら家名を変える必要はない、というのが彼らの言い分だった。なにより、父親を失って傷心の孫娘に母親の再婚相手の家で肩身の狭い思いをさせたくなどなかったのだ。男爵家とはいえサンディ家は資産家で、孫娘の縁談先を見繕うことくらい造作もない。

 だが、そんな父母の言い分に対してエリザベートは「伯爵家の令嬢になれば、高位貴族の夫人になることも夢ではない」と反論した。たしかに高位貴族の縁談先を探すには男爵家ではなく伯爵家の方が適している。孫娘の将来のためにはそちらの方がいいのかもしれない……と渋々了承した。エリザベートには何よりもエセルに寄り添うように、ときつく言いつけて。

 その結果がこれだ。娘はエセルに寄り添うどころか存在すら無視し、再婚相手に夢中。おまけにエセルの養子縁組すらしていないというふざけた現状。これを知った彼等が怒らないわけもなかった。

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