今更、話すことなどございません

わらびもち

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非を認めない男

「……ふん、嫌なことを思い出してしまったな」

 貴族の令息には似つかわしくない舌打ちが静かな部屋に響いた。
 アリオスの頭にあの時の屈辱が思い浮かぶ。自分よりも格下だと思っていた少女からの痛みを伴う反撃は彼の心に微かな恐怖を植え付けた。

 脳裏に蘇るのはあの瞬間の彼女の目。怯えでも羞恥でもない。
 拒絶を宿したその瞳は凍りつくほど冷えていた。射貫くような強さを帯びたそのオリーブ色はもはや優しさの名残すらない。

『次に触れたら、二度と手を使えないようにして差し上げます』

 凛と張りつめた声。震えひとつない彼女の圧に思わず身体がすくんだ。

「…………ッ!!」

 嫌なことを思い出したアリオスは苛立ちのまま机上の書簡を払い落とした。紙が床に散らばる。


「あいつ……この私によくも……」

 強い言葉を吐き捨てながらも指先が僅かに震える。
 か弱いと見下していた少女からの軽蔑の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
 それを思い出し、アリオスは震える拳を握りしめた。

「格下の身分の女が……何様のつもりだ」

 怒りなのか、悔しさなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。
 社交界では己の名と家柄が力を持つ故、彼はこれまで女性から拒まれたことなどなかった。誰もが笑顔を向け、曖昧に受け入れてきた。

 だが、あの時のエセルは違った。今まで黙ってやり過ごしてきた彼女は、アリオスからの侮辱に対して一歩も退かなかった。笑顔ではなく軽蔑の表情で、完全なる拒絶を示した。これ以上お前の愚行を受け入れるつもりはない、と言わんばかりに。

「…………ちっ」

 再びの舌打ち。だが今度のそれは先ほどよりも小さい。
 静まり返った部屋の中で彼は窓の外を睨みつける。

 自分の非を認める気はない。認めるものか。
 ――けれど、あの冷たい瞳がどうしても頭から離れない。
 父親から叱られたことよりも、謹慎を言い渡されたことよりも、エセルの軽蔑と拒絶が胸にのしかかる。
 それは好意を抱いた相手に拒まれた苛立ちと、格下と見下していた相手に逆らわれた屈辱が絡み合った感情。幼稚な恋心とくだらない自尊心が胸の奥で黒く渦巻いている。

 この形容しがたい激情を鎮める術はエセルを手に入れることだけだと、そうアリオスは思い込んでいた。
 二度と逆らえぬよう躾け、自分の望む反応だけを返すよう作り替える。修道院へ身を寄せたエセルを彼が諦めることはない。歪んだ支配欲に囚われた男はもう冷静に状況を見ることが出来なかった。

「せいぜい束の間の安堵に浸っていろ、必ず連れ戻す。修道院へ入ったところで逃げ切れると思うな……」

 愛とは呼べぬほど歪みきった感情に囚われたアリオスはもはや歯止めを失っていた。
 反省を望む父の願いとは逆に、家をも巻き添えにする破滅へと歩みを進めていく。
 己の欲だけを見つめていたベネディクト伯爵家。その栄華が崩れ落ちる日は、すぐそこまで迫っていた。

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