今更、話すことなどございません

わらびもち

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秘めた想い

 朝の祈りを終え、白いヴェールを整えたエセルは静かな足取りで修道院の門へ向かった。
 この修道院は女性のみの場所だ。厳しくも慈愛深い院長のもと、規律は守られている。
 けれど今日の務めは丘を下った先にある孤児院での奉仕だ。そういう場合のみ修道女達は門の外へ出ることを許される。

 重い門を越え、長い道を歩く。やがて辿り着いた孤児院の門をくぐったとき、聞き慣れた声が弾むように響いた。

「おねえさま!」

 小さな影がいくつも駆け寄る。エセルは自然にしゃがみ込み、一人ひとりを抱きしめた。

「こんにちは、可愛い子たち。今日は何をして遊びましょうか?」

「かけっこ!」「えほん!」

「ふふ……じゃあ、どちらも順番に遊びましょう。お庭でかけっこをしたら、お部屋で絵本を読みましょうね」

 エセルは屈託ない笑いを浮かべ、庭へ出る。午後の陽光はやわらかく暖かい。裾が土に汚れても構わず子供たちと走り回る。令嬢だった頃は走ることも服を汚すこともできなかったが、今は違う。
 
 ひとしきり遊び終えるとエセルは子供たちを井戸端へと集めた。小さな手を一つずつ洗わせ、皆が済むのを見届けてから最後に自分の手を水へ差し入れた。走って熱を帯びた掌に井戸水の冷たさが静かに染み渡る。そんな彼女の背後に柔らかい声がかかった。

「シスター・エセル、本日もありがとうございます」

 そっと声をかけたのはこの修道院を預かる神父だった。
 質素な黒衣をまといながらも眩しいほどの気品を漂わせる彼はエセルに静かに視線を向けた。

「いえ私こそ。ここで子どもたちと遊ぶ時間が何よりの楽しみです」

「そう言っていただけるのは嬉しいですね。あなたが来てから、子供たちは外で遊ぶ時間を心待ちにしています」

「まあ……ふふ、それはよかったです」

 エセルが微笑むと、それに応えるように神父も穏やかに口元を緩めた。

(本当に……お美しい方)

 すらりと高い背、彫刻のように端正な顔立ち。だが冷たさはなく、微笑むと一気に春のような温もりが広がる。陽光を受けると光るプラチナブロンドの髪柔らかな金褐色の髪、整った眉に澄んだ灰青色の瞳。陽の光を受けたその横顔はどこか神聖で、思わず目を奪われるほどに眩しかった。
 かつて舞踏会で見たどんな貴公子よりも輝いている。美しさが自慢の、あのアリオス・ベネディクトよりもずっと。飾らぬ姿でこれほど整っているのだから煌びやかな装いをすればさぞ目立つだろう。

 彼の立ち居振る舞いは紛れもなく上流階級――それもかなり高位の者特有の洗練された優美さがあった。
 高貴な身分の生まれであろう彼がなぜ孤児院で神父をしているのかと疑問に思う。
 けれどその理由を無遠慮に探るつもりはない。きっと、誰にも触れさせたくない過去があるのだろうから。

「次は絵本の時間です。物語に夢中になるあの子たちの目は、星のようにきらきら輝いて……見ているだけで、心が温まりますわ」

「あなたの読み聞かせが上手だから子供たちも夢中になるのでしょうね。それに、声も澄んでいて……まるで鈴が鳴るみたいに美しいです」

「まあ……神父様にそのようにお褒めいただき、身に余る光栄でございます」

 神父に褒められエセルは素直に喜んだ。
 男性からそんなふうに言葉をかけられたのは、父を亡くして以来初めてのことだった。

(神父様はいつもお優しくて……。なんだか、お父様を思い出してしまうわ)

 いつも優しく温かく接してくれる神父の存在がエセルにはただ嬉しかった。
 アリオスの陰湿な嫌がらせによって刻まれた心の傷が彼のそばにいるとゆっくりと溶けていく。
 その確かな変化をエセルは胸の奥で静かに受け止めていた。

「おや、子供たちはあなたを待ちきれないようだ」

 扉の向こうからエセルを呼ぶ子どもたちの弾んだ声が響く。
 神父は微かに目を細め、それからエセルへ静かに手を差し出した。
 
「参りましょう、シスター・エセル」

 彼の白い手袋をはめた手をエセルはそっと握った。
 布越しに伝わる温もりが胸の奥まで静かに沁みていく。
 どこまでも優しく、決してエセルを傷つけることのない穏やかな紳士。その人から向けられる思いやりが何よりも嬉しい。

 この美しさを驕ることのない気高い人に心を奪われてしまうのはあまりに自然なことだった。
 決して彼と結ばれたいなどと大それた願いは抱かない。神に仕えると誓った身にそれは許されぬ想いだから。
 こうして傍で彼の優しさに触れていられるだけで幸せだった。
 祈りにも似た温かな想いが胸に満ちていく。それだけで十分だ。
 それが揺らがぬようにと、エセルは胸の内でそっとその言葉を繰り返していた。

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