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娘の友人が放った衝撃の言葉
ベネディクト伯爵は容姿も家柄も申し分なく、社交界では女性たちの視線を集める存在である。
たとえ彼に既婚歴があり、跡継ぎがすでにいようとも、伯爵家の後妻の座を望む令嬢は後を絶たなかった。
誰がその栄誉ある座を得るのか社交界ではひそかに噂されていた。だが、選ばれたのはなんと男爵家の娘。しかも、既婚歴があり子を持つ未亡人である。
これには社交界は騒然となった。名門ベネディクト家の当主が貴族の中でも最も身分が低く、しかも子持ちの未亡人を選ぶとは誰も思っていなかったのである。
そのため、誰もが羨む伯爵家の夫人の座を得たエリザベートは当然のように嫉妬の視線を受けることになる。
――しかし、当の本人はその現実をまだ正しく理解していなかった。
(なによ、なんでこんなに意地の悪いことを言われなきゃいけないのよ……)
エリザベートも貴族の娘として社交の場での貴婦人の嫌味には多少耐性があった。
だが、今目の前に広がる高位貴族たちの世界は下位貴族の社交とは比べものにならないほど辛く厳しい。
ここへ来るまでは憧れていた高位の人々が集う煌びやかな茶会に招かれたことが嬉しくて、すっかり有頂天になっていた。足を踏み入れた先は下位貴族だった頃に参加したそれとは全く違う。華やかで、優雅で、全てが完璧なお茶会。緊張しつつもこの煌びやかな世界の一員となれたことが嬉しかった。娘が家出して以来、屋敷の中は重い空気に包まれている。だからこそ少しでも気晴らしになればと期待していたのだ。
エセルの家出の原因は自分にもあるというのに、エリザベートはどこまでも他人事だった。
もともと彼女は面倒事からはすぐに目をそらす性格だ。責任を背負うより、楽しそうなものに目を向けてしまう。
連れ子の家出という、ベネディクト家にとって恥となる出来事をどうにかしようと夫が奔走している。だから自分が何かする必要はない。エリザベートは本気でそう考えていた。お茶会に着ていくドレスを楽しげに選ぶ自分を夫がどんな目で見ていたのか、彼女は知らない。信じられないものでも見るかのような、あの蔑みの表情を。
当事者意識のないエリザベートはなぜ自分が周囲の貴婦人たちから嫌味を向けられているのか、まるで理解していなかった。頭にあるのは「自分も伯爵夫人となり、高位貴族の一員となったのに、何故蔑まれるのか」という疑念のみ。自分が”身分が低い未亡人が誰もが憧れるベネディクト伯爵の妻となった”という周囲の嫉妬心を煽る存在だとは気づいていない。
歯を食いしばって耐えるしかできないエリザベート。
そんな彼女の傍に一人の少女が優雅な足取りで歩み寄ってきた。
「ごきげんよう、ベネディクト伯爵夫人」
澄んだ声がやわらかく響く。
振り向くと、そこには侯爵令嬢ジュリアが立っていた。
若いながらも気品ある立ち振る舞いと洗練された所作は自然に場の空気を支配している。
ジュリアはエリザベートに優美な所作で一礼し、柔らかく微笑む。
「お久しぶりでございます。夫人は今日もお美しくいらっしゃいますわ」
「ま、まあ……ジュリア様。侯爵家のお嬢様にお褒めいただけるなんて光栄ですわ」
目の前の令嬢は確か娘の友人……そう思った瞬間、エリザベートはその驚きと戸惑いが顔に出てしまった。
その貴族夫人としては褒められぬ反応にジュリアがくすりと笑みを漏らし、話を続ける。
「ふふ……。夫人は伯爵家の奥方として日々ご立派にお務めを果たしていらっしゃると伺っております。とてもご立派ですわ。ところで……お嬢様はお部屋で読書を? とても感心ですわ」
「ええ……家にいるのが好きな子ですの」
「まあ……それは素晴らしいことですわ。最近は家に居場所がないと感じてしまうご令嬢も多いと聞きますもの」
「…………ッ!!?」
ジュリアの言葉にエリザベートの表情が分かりやすく強張る。
それをジュリアは気づかないふりをして言葉を続けた。
「家族が気づかないうちに、ふらりと遠くまで行ってしまうとか。若い方は時々思い切ったことをしますものね」
「そ、そのような心配はございません! 我が家は平穏でございますから……」
家出したことを知っているかのような指摘にエリザベートは必死で否定する。
声は裏返り、言葉が詰まる様子から何かあることは明らかだったがジュリアはあえて触れなかった。
「まあ、それは安心ですわね」
「ええ! そうです! 我が家は何も心配ございません」
「ふふ、それはよろしゅうございますわ。ただ……わたくし、少し不思議に思いましたの」
「……なにがです?」
「わたくし、先日お嬢様とお話ししたとき『家で孤立している』と伺ったものですから……」
「……えっ……!?」
ジュリアの発言にエリザベートは言葉を失った。いつの間にか周囲の空気もひっそりと静まり返り、貴婦人たちは二人の会話に耳を傾けている。
「まあ、きっと冗談でしょうけれど。でも、もし本当に家を出てしまうようなことがあったら……」
ジュリアはエリザベートをじっと見据え、ゆっくりと話を続ける。
「母である夫人が最初に気づいて差し上げないといけませんわね。亡きご主人が遺された、大切なお嬢様ですもの」
「…………ッ!!」
全てを見透かすような視線と言葉にエリザベートは驚きと恐怖で大袈裟に身を震わせた。
そんな彼女をジュリアはつまらなそうに一瞥した後、そっと顔を近づける。
「わたくし、エセル様とはとても親しくしておりますの。……手紙を交わすほどに」
ジュリアは意味ありげな言葉をエリザベートにだけ聞こえる声でそっと囁いた。
その一言だけでエリザベートの顔からさっと血の気が引く。
そうしてジュリアは「ごきげんよう」と一言だけ残し、そのまま立ち去った。
残されたエリザベートは青褪めた顔のまま固まり、周囲ではひそひそと囁き声が広がっていく。
たとえ彼に既婚歴があり、跡継ぎがすでにいようとも、伯爵家の後妻の座を望む令嬢は後を絶たなかった。
誰がその栄誉ある座を得るのか社交界ではひそかに噂されていた。だが、選ばれたのはなんと男爵家の娘。しかも、既婚歴があり子を持つ未亡人である。
これには社交界は騒然となった。名門ベネディクト家の当主が貴族の中でも最も身分が低く、しかも子持ちの未亡人を選ぶとは誰も思っていなかったのである。
そのため、誰もが羨む伯爵家の夫人の座を得たエリザベートは当然のように嫉妬の視線を受けることになる。
――しかし、当の本人はその現実をまだ正しく理解していなかった。
(なによ、なんでこんなに意地の悪いことを言われなきゃいけないのよ……)
エリザベートも貴族の娘として社交の場での貴婦人の嫌味には多少耐性があった。
だが、今目の前に広がる高位貴族たちの世界は下位貴族の社交とは比べものにならないほど辛く厳しい。
ここへ来るまでは憧れていた高位の人々が集う煌びやかな茶会に招かれたことが嬉しくて、すっかり有頂天になっていた。足を踏み入れた先は下位貴族だった頃に参加したそれとは全く違う。華やかで、優雅で、全てが完璧なお茶会。緊張しつつもこの煌びやかな世界の一員となれたことが嬉しかった。娘が家出して以来、屋敷の中は重い空気に包まれている。だからこそ少しでも気晴らしになればと期待していたのだ。
エセルの家出の原因は自分にもあるというのに、エリザベートはどこまでも他人事だった。
もともと彼女は面倒事からはすぐに目をそらす性格だ。責任を背負うより、楽しそうなものに目を向けてしまう。
連れ子の家出という、ベネディクト家にとって恥となる出来事をどうにかしようと夫が奔走している。だから自分が何かする必要はない。エリザベートは本気でそう考えていた。お茶会に着ていくドレスを楽しげに選ぶ自分を夫がどんな目で見ていたのか、彼女は知らない。信じられないものでも見るかのような、あの蔑みの表情を。
当事者意識のないエリザベートはなぜ自分が周囲の貴婦人たちから嫌味を向けられているのか、まるで理解していなかった。頭にあるのは「自分も伯爵夫人となり、高位貴族の一員となったのに、何故蔑まれるのか」という疑念のみ。自分が”身分が低い未亡人が誰もが憧れるベネディクト伯爵の妻となった”という周囲の嫉妬心を煽る存在だとは気づいていない。
歯を食いしばって耐えるしかできないエリザベート。
そんな彼女の傍に一人の少女が優雅な足取りで歩み寄ってきた。
「ごきげんよう、ベネディクト伯爵夫人」
澄んだ声がやわらかく響く。
振り向くと、そこには侯爵令嬢ジュリアが立っていた。
若いながらも気品ある立ち振る舞いと洗練された所作は自然に場の空気を支配している。
ジュリアはエリザベートに優美な所作で一礼し、柔らかく微笑む。
「お久しぶりでございます。夫人は今日もお美しくいらっしゃいますわ」
「ま、まあ……ジュリア様。侯爵家のお嬢様にお褒めいただけるなんて光栄ですわ」
目の前の令嬢は確か娘の友人……そう思った瞬間、エリザベートはその驚きと戸惑いが顔に出てしまった。
その貴族夫人としては褒められぬ反応にジュリアがくすりと笑みを漏らし、話を続ける。
「ふふ……。夫人は伯爵家の奥方として日々ご立派にお務めを果たしていらっしゃると伺っております。とてもご立派ですわ。ところで……お嬢様はお部屋で読書を? とても感心ですわ」
「ええ……家にいるのが好きな子ですの」
「まあ……それは素晴らしいことですわ。最近は家に居場所がないと感じてしまうご令嬢も多いと聞きますもの」
「…………ッ!!?」
ジュリアの言葉にエリザベートの表情が分かりやすく強張る。
それをジュリアは気づかないふりをして言葉を続けた。
「家族が気づかないうちに、ふらりと遠くまで行ってしまうとか。若い方は時々思い切ったことをしますものね」
「そ、そのような心配はございません! 我が家は平穏でございますから……」
家出したことを知っているかのような指摘にエリザベートは必死で否定する。
声は裏返り、言葉が詰まる様子から何かあることは明らかだったがジュリアはあえて触れなかった。
「まあ、それは安心ですわね」
「ええ! そうです! 我が家は何も心配ございません」
「ふふ、それはよろしゅうございますわ。ただ……わたくし、少し不思議に思いましたの」
「……なにがです?」
「わたくし、先日お嬢様とお話ししたとき『家で孤立している』と伺ったものですから……」
「……えっ……!?」
ジュリアの発言にエリザベートは言葉を失った。いつの間にか周囲の空気もひっそりと静まり返り、貴婦人たちは二人の会話に耳を傾けている。
「まあ、きっと冗談でしょうけれど。でも、もし本当に家を出てしまうようなことがあったら……」
ジュリアはエリザベートをじっと見据え、ゆっくりと話を続ける。
「母である夫人が最初に気づいて差し上げないといけませんわね。亡きご主人が遺された、大切なお嬢様ですもの」
「…………ッ!!」
全てを見透かすような視線と言葉にエリザベートは驚きと恐怖で大袈裟に身を震わせた。
そんな彼女をジュリアはつまらなそうに一瞥した後、そっと顔を近づける。
「わたくし、エセル様とはとても親しくしておりますの。……手紙を交わすほどに」
ジュリアは意味ありげな言葉をエリザベートにだけ聞こえる声でそっと囁いた。
その一言だけでエリザベートの顔からさっと血の気が引く。
そうしてジュリアは「ごきげんよう」と一言だけ残し、そのまま立ち去った。
残されたエリザベートは青褪めた顔のまま固まり、周囲ではひそひそと囁き声が広がっていく。
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