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ジュリアの呟き
「もっと言ってやればよかったかしらね…………」
贅を尽くした一室に少女の鈴を鳴らすような声がぽつりと落ちた。
少女は窓辺に置かれた椅子に腰を掛け、白磁のような指先で扇子を軽く閉じる。淡い金糸の刺繍が施された窓から流れ込む風にドレスの裾がかすかに揺れた。
彼女はアッサム侯爵の息女、ジュリア。陽光のように煌めく豊かな金髪が印象的な華やかな美貌の令嬢である。
ジュリアは窓辺の景色を眺め、ふとため息を零した。
「ベネディクト伯爵夫人って、あんなに浮ついた下品な方だったのね。そこまで付き合いがないから分からなかったわ」
ジュリアは先程までさる公爵夫人が主催するお茶会に参加していた。
そこにはエセルの母であるベネディクト伯爵夫人の姿もあり、思わずその様子をじっと観察してしまった。
思い返せば、これまで夫人とは何度か挨拶を交わしただけで彼女の人となりをジュリアはよく知らない。アスター子爵夫人だった頃の彼女は控えめに微笑む慎ましい女性という印象だった。
しかし、エセルから聞いた話と今日実際に会ったことでその印象が誤りだったと思い知らされた。
娘が家出をしたというのに、彼女は高位貴族の仲間入りを果たした喜びに浮かれるような、浅ましい欲に塗れた顔をしていたのだ。その顔を見た瞬間、ジュリアの胸の奥から黒い感情が湧き上がり、気づけば彼女に嫌味をぶつけていた。
本当ならば「娘のことが心配ではないのか」と問い詰めてやりたい。
だが、茶会の場を乱すのは主催者に対して無礼にあたる。ジュリアは怒りを堪え、嫌味と軽い牽制だけで済ませた。
「もっとも……あの場にいたご婦人方が黙っていないでしょうけど」
あのお茶会の参加者のほとんどはベネディクト伯爵夫人を快く思っていなかった。
主催者の公爵夫人までもがそうだ。あのお茶会は社交界でも有名なベネディクト伯爵に嫁いだ身の程知らずをつるし上げるために用意された場。甘い菓子とお茶の香り漂う煌びやかな地獄。そうとも知らず、浮かれた様子で足を踏み入れてきた夫人にジュリアは呆れるしかなかった。己に向けられる悪意にも気づかないなんて鈍いにも程がある。
ジュリアは夫人に嫌味を言った後、早々に席を立った。だが、あの場にいたご婦人達が茶会の終わりまで遠回しな嫌味を浴びせ続けるであろうことは想像に難くない。嫌味をかわすことも満足にできない夫人では格好の餌食だろう。
「ベネディクト伯爵……社交界のお姉様方には人気のようだけど、女性の趣味はよろしくないようね。社交界を渡り歩く能力もない人を妻に選ぶなど愚の骨頂だわ。それに……エセル様の価値もわかっていないなんて、本当に見る目がない方」
静かな部屋に落ちた独り言には、はっきりとした呆れが滲んでいた。
共に王宮の侍女を目指そうと約束した友、エセル。その彼女が家を出ることになった原因となったベネディクト伯爵家の者達にジュリアはどうしようもない憤りを感じていた。
実の母親は新しい夫に夢中、義理の兄と思っていた男は陰湿な嫌がらせばかりを繰り返す、そして、義理の父だと思っていた男は養子縁組の手続きすらしていなかった。エセルの立ち位置は”ベネディクト伯爵家の養女”ではなく、”ベネディクト伯爵家の客人”でしかなかったのだ。エセルからの手紙で事情を知った時、ジュリアは怒りのあまり傍らの花瓶を床に叩き落とすほどだった。
その手紙は修道院に向かう途中でエセルが出したものだ。
そこには家を出ることになった事情と、せっかく王宮侍女の試験を薦めてくれたジュリアへの謝罪の気持ちがしたためられていた。
「あの方々はいったい何がしたかったのかしら? 屋敷に迎え入れておきながら籍に入れないなんて――考えられないわ。貴族の慣習も知らないのかしら」
配偶者の連れ子を必ず養子縁組するのが暗黙の了解となっている貴族社会において、ベネディクト伯爵がエセルを養女にしなかったという事実はまさに前代未聞だった。手紙でエセルは戸籍を確認しなかったことを詫びていたが、それをする者など滅多にいないだろう。まさか伯爵が慣習を破っているとは思わないのだから。
ジュリアも当然、エセルはベネディクト伯爵家の令嬢になっているものと思っていた。
まさか母親の実家の姓のままだとは夢にも思わなかったのだ。
エセルは手紙で王宮侍女の試験を薦めてくれたジュリアに恥をかかせてしまったと悔いていた。
だが、本当に悔いていたのはむしろジュリアの方だった。エセルに辛い事実を知らせるきっかけを作ってしまったのだから。
「エセル様……もう会えないなんて」
友にもう会えない悲しさにジュリアの目からほろりと涙がこぼれる。それは頬を伝い、床へと落ちていく。
「あなたが去ったベネディクト伯爵家はこれから憂き目を見ることになるでしょうね。あなたをそばに置きたがっていた高貴なお方のお怒りを買ってしまったのですから……」
予言めいた言葉は誰に聞かれることもなく、静かな部屋の中へと消えていった。
窓の外では何かを予兆するかのように不吉な暗雲が空一面に立ち込めていた。
贅を尽くした一室に少女の鈴を鳴らすような声がぽつりと落ちた。
少女は窓辺に置かれた椅子に腰を掛け、白磁のような指先で扇子を軽く閉じる。淡い金糸の刺繍が施された窓から流れ込む風にドレスの裾がかすかに揺れた。
彼女はアッサム侯爵の息女、ジュリア。陽光のように煌めく豊かな金髪が印象的な華やかな美貌の令嬢である。
ジュリアは窓辺の景色を眺め、ふとため息を零した。
「ベネディクト伯爵夫人って、あんなに浮ついた下品な方だったのね。そこまで付き合いがないから分からなかったわ」
ジュリアは先程までさる公爵夫人が主催するお茶会に参加していた。
そこにはエセルの母であるベネディクト伯爵夫人の姿もあり、思わずその様子をじっと観察してしまった。
思い返せば、これまで夫人とは何度か挨拶を交わしただけで彼女の人となりをジュリアはよく知らない。アスター子爵夫人だった頃の彼女は控えめに微笑む慎ましい女性という印象だった。
しかし、エセルから聞いた話と今日実際に会ったことでその印象が誤りだったと思い知らされた。
娘が家出をしたというのに、彼女は高位貴族の仲間入りを果たした喜びに浮かれるような、浅ましい欲に塗れた顔をしていたのだ。その顔を見た瞬間、ジュリアの胸の奥から黒い感情が湧き上がり、気づけば彼女に嫌味をぶつけていた。
本当ならば「娘のことが心配ではないのか」と問い詰めてやりたい。
だが、茶会の場を乱すのは主催者に対して無礼にあたる。ジュリアは怒りを堪え、嫌味と軽い牽制だけで済ませた。
「もっとも……あの場にいたご婦人方が黙っていないでしょうけど」
あのお茶会の参加者のほとんどはベネディクト伯爵夫人を快く思っていなかった。
主催者の公爵夫人までもがそうだ。あのお茶会は社交界でも有名なベネディクト伯爵に嫁いだ身の程知らずをつるし上げるために用意された場。甘い菓子とお茶の香り漂う煌びやかな地獄。そうとも知らず、浮かれた様子で足を踏み入れてきた夫人にジュリアは呆れるしかなかった。己に向けられる悪意にも気づかないなんて鈍いにも程がある。
ジュリアは夫人に嫌味を言った後、早々に席を立った。だが、あの場にいたご婦人達が茶会の終わりまで遠回しな嫌味を浴びせ続けるであろうことは想像に難くない。嫌味をかわすことも満足にできない夫人では格好の餌食だろう。
「ベネディクト伯爵……社交界のお姉様方には人気のようだけど、女性の趣味はよろしくないようね。社交界を渡り歩く能力もない人を妻に選ぶなど愚の骨頂だわ。それに……エセル様の価値もわかっていないなんて、本当に見る目がない方」
静かな部屋に落ちた独り言には、はっきりとした呆れが滲んでいた。
共に王宮の侍女を目指そうと約束した友、エセル。その彼女が家を出ることになった原因となったベネディクト伯爵家の者達にジュリアはどうしようもない憤りを感じていた。
実の母親は新しい夫に夢中、義理の兄と思っていた男は陰湿な嫌がらせばかりを繰り返す、そして、義理の父だと思っていた男は養子縁組の手続きすらしていなかった。エセルの立ち位置は”ベネディクト伯爵家の養女”ではなく、”ベネディクト伯爵家の客人”でしかなかったのだ。エセルからの手紙で事情を知った時、ジュリアは怒りのあまり傍らの花瓶を床に叩き落とすほどだった。
その手紙は修道院に向かう途中でエセルが出したものだ。
そこには家を出ることになった事情と、せっかく王宮侍女の試験を薦めてくれたジュリアへの謝罪の気持ちがしたためられていた。
「あの方々はいったい何がしたかったのかしら? 屋敷に迎え入れておきながら籍に入れないなんて――考えられないわ。貴族の慣習も知らないのかしら」
配偶者の連れ子を必ず養子縁組するのが暗黙の了解となっている貴族社会において、ベネディクト伯爵がエセルを養女にしなかったという事実はまさに前代未聞だった。手紙でエセルは戸籍を確認しなかったことを詫びていたが、それをする者など滅多にいないだろう。まさか伯爵が慣習を破っているとは思わないのだから。
ジュリアも当然、エセルはベネディクト伯爵家の令嬢になっているものと思っていた。
まさか母親の実家の姓のままだとは夢にも思わなかったのだ。
エセルは手紙で王宮侍女の試験を薦めてくれたジュリアに恥をかかせてしまったと悔いていた。
だが、本当に悔いていたのはむしろジュリアの方だった。エセルに辛い事実を知らせるきっかけを作ってしまったのだから。
「エセル様……もう会えないなんて」
友にもう会えない悲しさにジュリアの目からほろりと涙がこぼれる。それは頬を伝い、床へと落ちていく。
「あなたが去ったベネディクト伯爵家はこれから憂き目を見ることになるでしょうね。あなたをそばに置きたがっていた高貴なお方のお怒りを買ってしまったのですから……」
予言めいた言葉は誰に聞かれることもなく、静かな部屋の中へと消えていった。
窓の外では何かを予兆するかのように不吉な暗雲が空一面に立ち込めていた。
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