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エセルの決意と神父の反応
翌日、エセルはいつものように孤児院へ奉仕活動に訪れていた。
いつものように子供たちとたくさん遊んだがその顔にはどこか無理が滲んでいる。
やがて遊び疲れた子供たちを昼寝の部屋へ連れて行き、寝かしつけの支度を手伝う。
小さな寝台が並ぶ部屋には規則正しい寝息が重なり始めた。薄いカーテン越しに差し込む光が子どもたちの頬をやわらかく照らす。
エセルは一人ひとりに毛布をかけ直し、最後の子の額にそっと触れる。
「……いい夢を」
囁くように言ってから、足音を立てないよう静かに部屋を出た。
廊下の先、窓辺に立っていた神父がこちらを振り向く。
「皆、眠りましたか」
「はい。今日はいつもより早く……はしゃぎすぎたようです」
かすかな笑みを交わす。しかし、その後に続く沈黙はどこか重かった。
神父はそれを感じ取ったように、穏やかな声で言う。
「シスター・エセル、今日はどこか表情に影がありますね。何かありましたか?」
その穏やかな声音にエセルは一瞬だけ視線を逸らし、ゆっくりと口を開く。
「……少し、考え事をしていました」
「難しい顔をしていますよ」
冗談めかした言い方に彼女はわずかに微笑む。しかしその笑みはすぐに消えた。
「実は……この国を出て、隣国へ行こうかと思っています」
「え……?」
エセルの言葉に神父は面食らったような表情を浮かべた。
そんな顔をするのは珍しい――そう思い、エセルは思わず見入ってしまう。
「なにか……嫌なことでもあったのですか?」
「そうですね……。とても、嫌なことがありました」
エセルが母親が修道院に押しかけてきた経緯を語ると神父は神妙な面持ちで耳を傾けていた。
すべてを聞き終えたあと、彼は「そんなことが……」と低く呟く。
「……これ以上、お世話になっている修道院にご迷惑をおかけしたくないのです。それにこのような醜聞、母方の祖父母の立場まで危うくしかねない。そうなる前に……母の手の届かない場所へと行こうと思います」
「そう……なのですね。しかし、何故隣国へ? もしかして、以前話してくださった、隣国の王妃からのお誘いを受けるおつもりですか?」
以前、エセルは隣国の王妃から侍女として誘われたことを神父に打ち明けていた。
それを思い出した神父がそう問いかけるが、エセルは静かに首を横に振る。
「いえ、その件につきましては正式にお断りする意思を院長にお伝えいたしました。……少しだけ、受けるかどうかを迷いましたけど……こんな理由でお受けすることは、やはり失礼に値しますので」
魅力的な誘いだったがエセルは最後まで迷った末に断ることを選んだ。
こんな理由で受けるのは不誠実だと思ったからだ。院長はやや残念そうにしながらも、その意思を尊重して頷いてくれた。
「ならば何故……隣国へ? 修道院を出て、どこに行くおつもりですか……?」
神父の視線から逃れるように目を逸らし、エセルは答えた。
「……隣国の、孤児院へ。神父様のように子供たちの成長を支える務めに就きたいと考えております」
予想外の答えに神父は目を丸くした。そして、言葉を探すようにわずかに間を置いてから口を開く。
「孤児院、ですか……? どうしてその選択を……。それに、孤児院ならば国内にもありますのに、何故隣国へ行かれるのです?」
「国内にいれば、また母が来るかもしれません。ですが国を出れば簡単には追って来られない。貴族の女性が国外へ出るのは容易ではありませんから……」
一度言葉を切り、エセルは小さく続けた。
「だから……隣国なのです」
どうやったら母の手が届かない場所に行けるかを一晩考え抜いた結果、やはり国を出た方がいいという結論に至った。王族の管轄にすら躊躇なく踏み入ろうとする相手から逃れるには容易には辿り着けぬ場所へ向かうしかない。
「孤児院を選びましたのは……ここで子供たちと過ごすうちに、同じようにその成長を支える仕事に就きたいと考えるようになったためです。……今度はただ”逃げる”のではなく、自分のやりたいことをしようと、そう思いました。逃げるだけの人生など御免です。せめて、やりたいことを自分の意思で選んで生きたいのです」
このまま母から逃げるだけのために人生を浪費するなどエセルには我慢できなかった。
ならばせめて、逃げる先で自分がやりたいと思えることをしたい。そう考えた末、孤児院で働くことを決めた。
エセルの決意を聞いた神父は茫然としながらも「そう……ですか」と口にする。
そして、しばしの沈黙の後、そっとエセルの手をとった。
「え……!? 神父様……?」
突然手を握られ、驚いたエセルは顔を神父に向けた。すると、彼の灰青色の瞳が彼女の視線と重なる。
いつもは穏やかなその瞳に鋭さが宿っていることにエセルは息を呑んだ。
いつものように子供たちとたくさん遊んだがその顔にはどこか無理が滲んでいる。
やがて遊び疲れた子供たちを昼寝の部屋へ連れて行き、寝かしつけの支度を手伝う。
小さな寝台が並ぶ部屋には規則正しい寝息が重なり始めた。薄いカーテン越しに差し込む光が子どもたちの頬をやわらかく照らす。
エセルは一人ひとりに毛布をかけ直し、最後の子の額にそっと触れる。
「……いい夢を」
囁くように言ってから、足音を立てないよう静かに部屋を出た。
廊下の先、窓辺に立っていた神父がこちらを振り向く。
「皆、眠りましたか」
「はい。今日はいつもより早く……はしゃぎすぎたようです」
かすかな笑みを交わす。しかし、その後に続く沈黙はどこか重かった。
神父はそれを感じ取ったように、穏やかな声で言う。
「シスター・エセル、今日はどこか表情に影がありますね。何かありましたか?」
その穏やかな声音にエセルは一瞬だけ視線を逸らし、ゆっくりと口を開く。
「……少し、考え事をしていました」
「難しい顔をしていますよ」
冗談めかした言い方に彼女はわずかに微笑む。しかしその笑みはすぐに消えた。
「実は……この国を出て、隣国へ行こうかと思っています」
「え……?」
エセルの言葉に神父は面食らったような表情を浮かべた。
そんな顔をするのは珍しい――そう思い、エセルは思わず見入ってしまう。
「なにか……嫌なことでもあったのですか?」
「そうですね……。とても、嫌なことがありました」
エセルが母親が修道院に押しかけてきた経緯を語ると神父は神妙な面持ちで耳を傾けていた。
すべてを聞き終えたあと、彼は「そんなことが……」と低く呟く。
「……これ以上、お世話になっている修道院にご迷惑をおかけしたくないのです。それにこのような醜聞、母方の祖父母の立場まで危うくしかねない。そうなる前に……母の手の届かない場所へと行こうと思います」
「そう……なのですね。しかし、何故隣国へ? もしかして、以前話してくださった、隣国の王妃からのお誘いを受けるおつもりですか?」
以前、エセルは隣国の王妃から侍女として誘われたことを神父に打ち明けていた。
それを思い出した神父がそう問いかけるが、エセルは静かに首を横に振る。
「いえ、その件につきましては正式にお断りする意思を院長にお伝えいたしました。……少しだけ、受けるかどうかを迷いましたけど……こんな理由でお受けすることは、やはり失礼に値しますので」
魅力的な誘いだったがエセルは最後まで迷った末に断ることを選んだ。
こんな理由で受けるのは不誠実だと思ったからだ。院長はやや残念そうにしながらも、その意思を尊重して頷いてくれた。
「ならば何故……隣国へ? 修道院を出て、どこに行くおつもりですか……?」
神父の視線から逃れるように目を逸らし、エセルは答えた。
「……隣国の、孤児院へ。神父様のように子供たちの成長を支える務めに就きたいと考えております」
予想外の答えに神父は目を丸くした。そして、言葉を探すようにわずかに間を置いてから口を開く。
「孤児院、ですか……? どうしてその選択を……。それに、孤児院ならば国内にもありますのに、何故隣国へ行かれるのです?」
「国内にいれば、また母が来るかもしれません。ですが国を出れば簡単には追って来られない。貴族の女性が国外へ出るのは容易ではありませんから……」
一度言葉を切り、エセルは小さく続けた。
「だから……隣国なのです」
どうやったら母の手が届かない場所に行けるかを一晩考え抜いた結果、やはり国を出た方がいいという結論に至った。王族の管轄にすら躊躇なく踏み入ろうとする相手から逃れるには容易には辿り着けぬ場所へ向かうしかない。
「孤児院を選びましたのは……ここで子供たちと過ごすうちに、同じようにその成長を支える仕事に就きたいと考えるようになったためです。……今度はただ”逃げる”のではなく、自分のやりたいことをしようと、そう思いました。逃げるだけの人生など御免です。せめて、やりたいことを自分の意思で選んで生きたいのです」
このまま母から逃げるだけのために人生を浪費するなどエセルには我慢できなかった。
ならばせめて、逃げる先で自分がやりたいと思えることをしたい。そう考えた末、孤児院で働くことを決めた。
エセルの決意を聞いた神父は茫然としながらも「そう……ですか」と口にする。
そして、しばしの沈黙の後、そっとエセルの手をとった。
「え……!? 神父様……?」
突然手を握られ、驚いたエセルは顔を神父に向けた。すると、彼の灰青色の瞳が彼女の視線と重なる。
いつもは穏やかなその瞳に鋭さが宿っていることにエセルは息を呑んだ。
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