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手紙
王女が帰りの挨拶もせず立ち去ったことに院長は何か言いたげな様子を見せたが、エセルが「何もございませんでした」と告げるとそれ以上は口をつぐんだ。おそらく、何かがあったと察してはいるのだろう。だがエセルがそれを望んでいないと察し、院長はあえて何も聞かずにいてくれている。
「まあ……もう二度と来ないでしょう」
一度ならず二度までもエセルに力でねじ伏せられ、アリオスは別人のように呆けていた。
天より高い誇りをあそこまで打ち砕かれ、さすがに懲りたことだろう。
与えられた自室でぼんやりと窓の外を眺めていたエセルは、ふと視線を机の方に向ける。
机の上に積まれているのは上質な紙を用いた手紙の束。封蝋も筆跡もすべて同じそれらはエセルの母からのものだった。
「……今さら、話すことなどないのだけど」
口にした言葉は思いのほか乾いていた。
あの家と母から、逃げてきた。
愛された記憶がないわけではない。だがそれ以上に顧みられなかった時間のほうが重く胸に残っている。
“揉め事を起こさないで”
”お母様を困らせないでちょうだい”
娘よりも自分の幸せの方が大切だと証明するような言葉の数々は、思い出すたびにエセルの胸を締め付ける。
修道院へ身を寄せてから、彼女は一度も返事を書かなかった。読むことすら、避け続けてきた。
けれど――異国へ嫁ぐことが決まった日から、このままでいいのだろうかと思うようになってきた。
エセルはそっと机に近づき、一通の封を切った。中身を取り出し、そのまま読み進めると彼女の眉が歪む。
「要約すると……『助けてほしい』、それだけね。ずっと助けを求めていた私を無視したくせに……」
紙を持つ手がわずかに力を失う。かすれた声が静まり返った室内に落ちた。
あの家で、エセルがどれだけ息がつまる思いをしても、母は決してこちらを見なかった。
ただひたすら母への失望を重ねる日々の果てに、エセルは母と決別することを選んだ。その選択を後悔はしていない。そうしなければ心が壊れてしまっただろうから。
己を守るために選んだ道に後悔はない。母への情も、もう残ってはいない。
その母が、今になって苦しいからとエセルに助けを求めてくる。分かっていたはずだった。それでも、呆れるほど自分のことしか考えていない母に失望せずにはいられない。
エセルはゆっくりと手紙を持ち上げる。紙は軽いはずなのに、不思議と重く感じられた。
読み進めるたびに母の言葉は崩れていく。
自身のこと、家のこと、誰にも頼れない現状――そして最後に、縋るように繰り返される「助けて」の文字。
そこにあるのは、相も変わらず娘のことよりも自分を優先する自分勝手な本性。
「とうとう……伯爵にまで、見放されてしまったのね……」
手紙の内容から伯爵が母に愛想を尽かしたことは明らかだった。
あれほど仲睦まじかったというのに、関係とはこんなにもあっけなく崩れるものなのか。
そもそも、伯爵が何故母を後添えに選んだのかという疑問も残る。わざわざ下位貴族の未亡人を選ばずとも、名家の当主である伯爵ならばもっと条件のいい相手を選べただろうに。
エセルは手紙を再び机の上に置く。
母が返事を欲していることは分かっている。だが――本当に望んでいるのは、言葉ではなく、この状況をどうにかすることなのだろう。
それが透けて見える手紙に怒りが沸き、次いでため息が零れた。
「まあ……もう二度と来ないでしょう」
一度ならず二度までもエセルに力でねじ伏せられ、アリオスは別人のように呆けていた。
天より高い誇りをあそこまで打ち砕かれ、さすがに懲りたことだろう。
与えられた自室でぼんやりと窓の外を眺めていたエセルは、ふと視線を机の方に向ける。
机の上に積まれているのは上質な紙を用いた手紙の束。封蝋も筆跡もすべて同じそれらはエセルの母からのものだった。
「……今さら、話すことなどないのだけど」
口にした言葉は思いのほか乾いていた。
あの家と母から、逃げてきた。
愛された記憶がないわけではない。だがそれ以上に顧みられなかった時間のほうが重く胸に残っている。
“揉め事を起こさないで”
”お母様を困らせないでちょうだい”
娘よりも自分の幸せの方が大切だと証明するような言葉の数々は、思い出すたびにエセルの胸を締め付ける。
修道院へ身を寄せてから、彼女は一度も返事を書かなかった。読むことすら、避け続けてきた。
けれど――異国へ嫁ぐことが決まった日から、このままでいいのだろうかと思うようになってきた。
エセルはそっと机に近づき、一通の封を切った。中身を取り出し、そのまま読み進めると彼女の眉が歪む。
「要約すると……『助けてほしい』、それだけね。ずっと助けを求めていた私を無視したくせに……」
紙を持つ手がわずかに力を失う。かすれた声が静まり返った室内に落ちた。
あの家で、エセルがどれだけ息がつまる思いをしても、母は決してこちらを見なかった。
ただひたすら母への失望を重ねる日々の果てに、エセルは母と決別することを選んだ。その選択を後悔はしていない。そうしなければ心が壊れてしまっただろうから。
己を守るために選んだ道に後悔はない。母への情も、もう残ってはいない。
その母が、今になって苦しいからとエセルに助けを求めてくる。分かっていたはずだった。それでも、呆れるほど自分のことしか考えていない母に失望せずにはいられない。
エセルはゆっくりと手紙を持ち上げる。紙は軽いはずなのに、不思議と重く感じられた。
読み進めるたびに母の言葉は崩れていく。
自身のこと、家のこと、誰にも頼れない現状――そして最後に、縋るように繰り返される「助けて」の文字。
そこにあるのは、相も変わらず娘のことよりも自分を優先する自分勝手な本性。
「とうとう……伯爵にまで、見放されてしまったのね……」
手紙の内容から伯爵が母に愛想を尽かしたことは明らかだった。
あれほど仲睦まじかったというのに、関係とはこんなにもあっけなく崩れるものなのか。
そもそも、伯爵が何故母を後添えに選んだのかという疑問も残る。わざわざ下位貴族の未亡人を選ばずとも、名家の当主である伯爵ならばもっと条件のいい相手を選べただろうに。
エセルは手紙を再び机の上に置く。
母が返事を欲していることは分かっている。だが――本当に望んでいるのは、言葉ではなく、この状況をどうにかすることなのだろう。
それが透けて見える手紙に怒りが沸き、次いでため息が零れた。
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