理不尽には理不尽でお返しいたします

わらびもち

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つまらない男

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「決心されたようですね、ジェシカさん……って、あら? どうされたのです? 目が随分と赤いですよ」

「うるさいわね……ほっといてよ」

 泣き腫らした目のまま現れたジェシカにアリッサはそう尋ねた。
 当のジェシカは理由を答えずそっぽ向き、ぼそりと「アンタはいいわよね……」と呟いた。

「若くて、綺麗で、いいとこのお嬢様で……。何でも手に入ってさ……」

 嫉妬と羨望の混じった呟きにアリッサは首を傾げ「もしかして侯爵様と何かありましたか?」と問いかけた。

「……あいつはアンタがいいんだってさ。ちゃんとした貴族のお嬢様を嫁にして跡継ぎを作りたいんだって……。だったら、最初からそうすればよかったじゃない……。何の為にアタシをこの邸に連れてきたのよ……」

 こんなことになるのだったら、あの時彼の手を取るのではなかった……。
 時間は巻き戻らないと分かっていても、頭に占めるのは“あのまま婚約者と結婚していればよかった”という後悔だけ。

「なるほど。に引っかかったことを後悔なさっているんですね?」

「へっ……? あ、まあ……そう、だけど……」

 その通りだが、まさかそんな一言で済まされるとは思ってもみなかった。
 頭の中がぐちゃぐちゃで状況も上手く整理できていなかったが、結局のことをそういうことだ。まさか自分の恋人の心を奪った憎き恋敵に指摘されるとは思わず呆気にとられた。

「おそらく侯爵様にとって女性に求めるのは“若くて美人”という部分なのでしょう。そうでなければろくに交流のない私に興味を持つはずがありませんから。殿方の中には女性にそれのみを求める方はおりますが、私はそういう方がもっともつまらない男だと思います」

 なんか当たり前のように自分が美人であることを認めたな、とまたもや呆気にとられた。しかしそれよりも侯爵を二度も“つまらない男”だと言い切ったことに驚いた。

「ええ、だって人は必ず老いますもの。いつまでも若く美しいままというのは土台無理な話です。それだけを求めてくる男を愛そうと思えます? 愛したところで年を取ったら捨てられるのであれば、愛すだけ無駄じゃありませんこと?」

「それは……そうね」

「そうでしょう? 愛する価値の無い男など、最も無価値でつまらない男だと私は思うのですよ」

「…………」

 まったくもってその通りだった。
 よく考えてみたら侯爵がジェシカを見初めた理由も“若くて美しかったから”だ。
 ジェシカだって侯爵が“貴族”だから好きになった。だけど、共に過ごすうちにかけがえのない絆のようなものが育まれ、たとえ彼が身分を失ったとしても傍にいたいと思えるほど深く愛していた。

 彼もきっとそうだと思っていた。世界中のどんな女よりもジェシカを愛してくれていると思っていた。だが、若く美しい女が現れただけであっさりと捨ててしまえる程度の存在だったと分かり、悔しくてたまらなかった。

 けど、そうか。彼は所詮その程度の愛情しか持てないだったのか。そう考えると少しだけ心が晴れる心地がした。
 
「貴女は侯爵様を愛していたのですか? 見捨てて自分だけが逃げることを拒むほどに」

「…………っ!? そうよ……愛していたわ。だから本当は二人で逃げようって伝えるつもりだったの。でも、それを言う前に別れ話をしてくるものだから……どうしようもなくって……」

「ジェシカさんは侯爵様が身分を失っても共にいるつもりだったのですか?」

「そうよっ……! 彼と二人ならどこへ行っても構わなかったのに……」

「ですが二人共自分の身の回りのことすら出来ませんから逃亡したところで物凄い苦労をされると思いますよ?」

「急に現実的なことを言うんじゃないわよ! 何なのよ、アンタ!?」

 慰めてくれたのかと思いきや突き落とすアリッサにジェシカは声を荒げた。

「私は終始、現実を直視すべきとだと申しております。貴女と侯爵様が二人で逃亡したとしても生活はままならないでしょうし、すぐに追っ手に捕まるでしょうよ。それでなくとも貴女は平民なのですから捕まったらどのような目に遭うか分かりません。尋問という名の拷問を受けることも有り得ますよ?」

 拷問、と聞いて恐怖で血の気が引いた。
 暴力とは無縁の世界で生きてきたジェシカにとっては想像するのも嫌なほど怖い。

「そんな……ひどい、ひどいわ。アタシが平民だからって……」

「嘆くことはありませんよ。むしろ貴女が平民だから助かったのですよ」

「は……? 何? どういうこと?」

「もし貴女が貴族であったなら、。捕まって処罰されようが放っておきます」

「え? な、なんで……?」

 ジェシカにはアリッサの発言の意味がさっぱり分からなかった。
 平民なら助ける、貴族なら見捨てる、とはいったいどういう理由からなのだろうか。

「弱き立場にある民を庇護することが貴族の義務ですから。弱き立場とはすなわち平民を指します。だから貴族である私には平民の貴女を助ける義務がある。仮に貴女が貴族ならばこの義務は発生しないので助けません。そういうことです」

「は、はあ……。そう、なの……」

 理由を聞いてもジェシカにはその精神がよく理解できなかった。
 貴族の義務、と言っても最も身近にいた貴族である侯爵にはそのような精神は欠片も無かった。いや、むしろ彼には貴族としての責任みたいなものは何一つ見当たらなかった気がする。

(もしかしてこの女のような考えが一般的な貴族の考えなの? なら、マクスって貴族として凄く駄目な部類だったのかしら……)

 民を救うなんて高尚な精神は侯爵には一欠片も存在しなかった。
 男としてもつまらなく、貴族としても駄目なんて……自分は本当にろくでもない男の手を取ってしまったとジェシカは今更ながらひどく後悔した。

「さあ、それではすぐにでもこの邸を発った方がよろしいでしょう。既に送迎用の馬車は手配してありますので、それに乗ってください」

「送迎用の馬車って……どこに連れていくの?」

「隣国の修道院です。王家が貴女を捜索するかもしれませんので、追っ手の来ない国外に逃亡した方がよろしいでしょう」

「え? 国外!? しかも修道院?」

「ええ、抵抗はあるでしょうけど身の安全の為にはそれが一番ですよ」

「ちょっと待ってよ! 国外はともかくとして何で修道院?」

「なんでと言われましても……ジェシカさん身の回りのこと自分で出来ませんよね? だったら修道院で一から指導してもらった方がいいと思うのです。だってもう身の回りの事をしてくれるメイドはいないのですよ?」

「うっ…………」

 言われてみれば確かにその通りだった。長年怠惰な暮らしにどっぷりつかっていたせいでジェシカは井戸から水を汲むやり方すら忘れてしまっていた。そんな自分が誰かの助けなしに暮らしていけるとは到底思えない。

「言ったでしょう、現実を直視すべきだと。それが一番安全に暮らしていける方法です。貴女は貴族ではないといっても、その手入れされた髪や肌、身に着けている物などを見ればいいところのご婦人だと判断され拐かされてしまいますよ?」

「ひっ…………! わ、分かったわ」

 よくよく考えればその通りだ。思い返してみれば見目の良かったジェシカは村にいた頃何度か攫われかけたことがある。元婚約者である村長の息子はジェシカのそういう放っておけない部分に庇護欲をそそられてくれたことを思い出した。

(そうだ……。なら、まだアタシのことを待っていてくれるかもしれない……)

「ジェシカさん? どうしましたか? 急にぼうっとして」

「え!? あ、な……なんでもないわ! 修道院ね、分かった。行くわよ」

 急に素直になったジェシカに訝しむアリッサだったが、時間も無いので気にすることなく彼女を手配した馬車まで案内した。

「それでは、どうぞ息災で」

 短い別れの言葉だったが、それも当然だった。そもそもジェシカとアリッサの間には何の親しみも生まれていないのだから。

「……ええ、アンタもね」

 本当ならばお礼を言うべきなのに言えなかった。
 ここまでしてもらっておいても、やはりジェシカの中でアリッサは自分の恋人の心を奪った憎き恋敵だという想いが消えない。

 馬車が出発し、邸から離れたあたりでジェシカは窓を開けて馬丁に声をかけた。

「ねえ、ちょっと寄ってほしいところがあるんだけど……」
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