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子爵の知らない幼馴染の姿
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選定期間六日目の昼、とある男がアリッサの元へとやってきた。
「お嬢様、例の女を無事目的地まで届けました」
「まあ、随分と早いわね。ありがとう、ご苦労様。道中何もなかったかしら?」
「はい、お嬢様の予想通りあの村に寄るよう言われました」
「あら、やっぱりね。それでどうしたの?」
「お望み通り村に寄りましたが……絶望していましたよ、彼女。なんでも結婚するはずだった男も、家族も、知り合いですらだーれもあの村にいないみたいで」
「ジェシカさんの知り合いが誰もいない……。なら、あの村にはもう、元の住人は誰もいないということね。それで例の植物は確認できた?」
「はい、勿論です。確認しましたがあれは栽培が禁止されている種類で間違いないかと。帝国では医療用として取引されていますけど、それも国の許可を得た業者だけですね。少なくともこの国ではそういった許可を出しておりませんので、見つかれば村人は全員処罰されるでしょうね」
「それは致し方ないでしょうね。元いた村人がどこに行ったかは聞いた?」
「はい。どうやら元の村人は領主に嫌気が差して全員出て行ってしまったようです。領地に飢饉があっても、災害があっても何もしてくれないような領主の元では暮らせないと。生活に苦しんでいたところで今住んでいる村人が現れてあの村を買い取ったらしいです」
「村を買い取る……? そんなことが可能なの?」
「いえ、普通は有り得ません。村自体は管理者である領主のものですから、たとえ村人といえども勝手に売買なんて出来ませんよ。ですが、ここの領主は長年領地を視察すらしなかったんでしょう? 領主の目がないのであれば好き勝手できそうですよ」
「一応は家令が視察していたみたいなんだけど……多分、新しい家令が来た時には既に村人は今の人たちに変わっていたから、そういうものだと思ってしまったのかもしれないわ」
「なんとまあ……こんな珍事件、本当にあるのですね。こんな妙なことに巻き込まれてしまうなんて……お嬢様、何ともおいたわしい……」
ほろりと涙を零す男はジェシカを修道院まで送っていった馬丁である。
彼はシーグラス家の上級使用人で、本来であれば馬の操縦という下男がやるべき仕事をするような身分ではない。
だが、事が大きすぎるので下男では対応しきれないと判断したシーグラス翁が孫娘の為にと彼を派遣した。幼少の頃からアリッサを知る彼は喜んで馳せ参じたというわけだ。
「まったく、このような馬鹿げたことにお嬢様が巻き込まれるなどあってはならぬことです! 婿殿、お嬢様を守るべき貴方様がこのていたらくでどうするのです!?」
シーグラス家の上級使用人は部屋の隅で小さくなっているフロンティア子爵を叱責した。子爵は項垂れながら「面目ない……」と小声で謝罪するも、使用人の怒りは冷めない。
「だいたい何ですか? 何十年も前に幼馴染に屑男を紹介してしまったことへの贖罪に娘を嫁がせるとか、どう考えても意味不明でしょう! 当主として毅然と断らずしてどうします!?」
ど正論を言われて子爵はますます小さくなってしまった。
王命を下された時は王家の命令だから逆らえない、とアリッサにも受け入れるよう言ってしまったがそれは悪手だった。いくら王命といえども正統性のないものであれば抗議することくらいはできたはず。それをせず、簡単に屈してしまったことで多方面から失望されてしまったのだ。
妻にも娘にも失望され、義父や義父の家の者にまで失望された。
自業自得といえどもその代償はあまりにも大きい。
「まったく、男をとっかえひっかえしている阿婆擦れを平民の恋人を囲う男に嫁がせたところでなんだというのです。そのような貞操観念の無い女を娶ってくれたのです。むしろ感謝されてもいいでしょうに、罪悪感を覚えるなど意味が分かりません」
「…………は? 男をとっかえひっかえしている阿婆擦れ……? 何のことだ?」
「は? だから、婿殿の幼馴染の伯爵令嬢のことですよ。大分貞操観念の緩い令嬢だったようで、それが原因で婚約破棄されたと伺いました。まったく、そんな女のことでお嬢様まで巻き込むとは有り得ません……」
「いや、待ってくれ! 貞操観念が緩い? サラが? 何だそれは!?」
噛み合わない会話に子爵は慌てて使用人に詰め寄った。
当の使用人は「何言ってんだこいつ?」と言わんばかりの目で見てくる。
「ですから、貴方様の幼馴染だった伯爵令嬢サラ・ヘブンズのことですよ。婚約者がいながら色々な男に手を出し、ついには当時の国王の子を孕んだというふしだらな女性、それが貴方様の幼馴染です」
「はあ!? 国王の子? いったい何を言っているんだ!?」
困惑する子爵を横目に使用人はアリッサの方へと向いた。
「お嬢様、婿殿に真相を話していないのですか?」
「あら、そういえば話すのを忘れていたわ」
わざとらしく「うっかりしていたわ」とおどける娘に子爵は信じられないものを見るような目を向ける。
「どういうことだ、アリッサ!? 真相って何だ!?」
「まあ、とりあえずこれをお読みください。話はそれからです」
アリッサが手渡したのは古びた手帳。
保管状況が悪かったのか所々破れているし表紙は煤けている。
「アリッサ、これは何だ……?」
「これはサラさんの専属侍女だった女性の手記です。ここに、お父様の知らないサラさんの姿が細かく書き記されておりますよ」
「私の知らないサラの姿……だと?」
兄妹のように過ごしてきたサラに自分の知らない姿があるとは思えず、子爵は手帳を持ったまま唖然とした。か弱く、優しく、守ってあげなくてはと思わせる庇護欲があったサラ。そんな彼女の知らない部分というのは、まさか先程使用人の彼が言った稀代の悪女染みた姿のことなのだろうか……。
そんな馬鹿な、と一笑に伏してしまいたかった。
そんなわけがない。だいたい娘も使用人もサラに会ったことすらないのに彼女の為人が分かるわけが……
「お父様? 早くご覧になってくださいまし」
娘に促され、子爵は恐る恐る手帳の表紙を開いた……。
「お嬢様、例の女を無事目的地まで届けました」
「まあ、随分と早いわね。ありがとう、ご苦労様。道中何もなかったかしら?」
「はい、お嬢様の予想通りあの村に寄るよう言われました」
「あら、やっぱりね。それでどうしたの?」
「お望み通り村に寄りましたが……絶望していましたよ、彼女。なんでも結婚するはずだった男も、家族も、知り合いですらだーれもあの村にいないみたいで」
「ジェシカさんの知り合いが誰もいない……。なら、あの村にはもう、元の住人は誰もいないということね。それで例の植物は確認できた?」
「はい、勿論です。確認しましたがあれは栽培が禁止されている種類で間違いないかと。帝国では医療用として取引されていますけど、それも国の許可を得た業者だけですね。少なくともこの国ではそういった許可を出しておりませんので、見つかれば村人は全員処罰されるでしょうね」
「それは致し方ないでしょうね。元いた村人がどこに行ったかは聞いた?」
「はい。どうやら元の村人は領主に嫌気が差して全員出て行ってしまったようです。領地に飢饉があっても、災害があっても何もしてくれないような領主の元では暮らせないと。生活に苦しんでいたところで今住んでいる村人が現れてあの村を買い取ったらしいです」
「村を買い取る……? そんなことが可能なの?」
「いえ、普通は有り得ません。村自体は管理者である領主のものですから、たとえ村人といえども勝手に売買なんて出来ませんよ。ですが、ここの領主は長年領地を視察すらしなかったんでしょう? 領主の目がないのであれば好き勝手できそうですよ」
「一応は家令が視察していたみたいなんだけど……多分、新しい家令が来た時には既に村人は今の人たちに変わっていたから、そういうものだと思ってしまったのかもしれないわ」
「なんとまあ……こんな珍事件、本当にあるのですね。こんな妙なことに巻き込まれてしまうなんて……お嬢様、何ともおいたわしい……」
ほろりと涙を零す男はジェシカを修道院まで送っていった馬丁である。
彼はシーグラス家の上級使用人で、本来であれば馬の操縦という下男がやるべき仕事をするような身分ではない。
だが、事が大きすぎるので下男では対応しきれないと判断したシーグラス翁が孫娘の為にと彼を派遣した。幼少の頃からアリッサを知る彼は喜んで馳せ参じたというわけだ。
「まったく、このような馬鹿げたことにお嬢様が巻き込まれるなどあってはならぬことです! 婿殿、お嬢様を守るべき貴方様がこのていたらくでどうするのです!?」
シーグラス家の上級使用人は部屋の隅で小さくなっているフロンティア子爵を叱責した。子爵は項垂れながら「面目ない……」と小声で謝罪するも、使用人の怒りは冷めない。
「だいたい何ですか? 何十年も前に幼馴染に屑男を紹介してしまったことへの贖罪に娘を嫁がせるとか、どう考えても意味不明でしょう! 当主として毅然と断らずしてどうします!?」
ど正論を言われて子爵はますます小さくなってしまった。
王命を下された時は王家の命令だから逆らえない、とアリッサにも受け入れるよう言ってしまったがそれは悪手だった。いくら王命といえども正統性のないものであれば抗議することくらいはできたはず。それをせず、簡単に屈してしまったことで多方面から失望されてしまったのだ。
妻にも娘にも失望され、義父や義父の家の者にまで失望された。
自業自得といえどもその代償はあまりにも大きい。
「まったく、男をとっかえひっかえしている阿婆擦れを平民の恋人を囲う男に嫁がせたところでなんだというのです。そのような貞操観念の無い女を娶ってくれたのです。むしろ感謝されてもいいでしょうに、罪悪感を覚えるなど意味が分かりません」
「…………は? 男をとっかえひっかえしている阿婆擦れ……? 何のことだ?」
「は? だから、婿殿の幼馴染の伯爵令嬢のことですよ。大分貞操観念の緩い令嬢だったようで、それが原因で婚約破棄されたと伺いました。まったく、そんな女のことでお嬢様まで巻き込むとは有り得ません……」
「いや、待ってくれ! 貞操観念が緩い? サラが? 何だそれは!?」
噛み合わない会話に子爵は慌てて使用人に詰め寄った。
当の使用人は「何言ってんだこいつ?」と言わんばかりの目で見てくる。
「ですから、貴方様の幼馴染だった伯爵令嬢サラ・ヘブンズのことですよ。婚約者がいながら色々な男に手を出し、ついには当時の国王の子を孕んだというふしだらな女性、それが貴方様の幼馴染です」
「はあ!? 国王の子? いったい何を言っているんだ!?」
困惑する子爵を横目に使用人はアリッサの方へと向いた。
「お嬢様、婿殿に真相を話していないのですか?」
「あら、そういえば話すのを忘れていたわ」
わざとらしく「うっかりしていたわ」とおどける娘に子爵は信じられないものを見るような目を向ける。
「どういうことだ、アリッサ!? 真相って何だ!?」
「まあ、とりあえずこれをお読みください。話はそれからです」
アリッサが手渡したのは古びた手帳。
保管状況が悪かったのか所々破れているし表紙は煤けている。
「アリッサ、これは何だ……?」
「これはサラさんの専属侍女だった女性の手記です。ここに、お父様の知らないサラさんの姿が細かく書き記されておりますよ」
「私の知らないサラの姿……だと?」
兄妹のように過ごしてきたサラに自分の知らない姿があるとは思えず、子爵は手帳を持ったまま唖然とした。か弱く、優しく、守ってあげなくてはと思わせる庇護欲があったサラ。そんな彼女の知らない部分というのは、まさか先程使用人の彼が言った稀代の悪女染みた姿のことなのだろうか……。
そんな馬鹿な、と一笑に伏してしまいたかった。
そんなわけがない。だいたい娘も使用人もサラに会ったことすらないのに彼女の為人が分かるわけが……
「お父様? 早くご覧になってくださいまし」
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