鬼嫁物語

楠乃小玉

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二十四話 信勝謀反

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 弘治元年の十一月、織田信長の伯父、織田信光が、妻との密通がバレた坂井孫八郎に殺害されたのに続き、
 弘治二年の四月には斎藤道三が殺害された。

 これで、織田信長の後ろ盾となる巨大勢力が立て続けに消滅したことになる。

 この機に乗じて、織田信長の弟、織田信勝が弘治二年の八月に謀反を起こした。

 織田信長の軍勢に倍する数で攻めたが、織田信勝は敗北した。

 信長の軍隊は雑兵まで正規雇用であったのに対して、信勝軍は多くの加世者を雇っていた。

 通常、戦は数が多いほうが勝つ。

 しかし、この合戦では信勝軍の雑兵は信長に大声で怒鳴られると怯えて逃げた。

 このため、信勝軍は総崩れとなった。

 この事により、信長は正規雇用の重要さを再認識したようであった。

 この戦い、後に稲生の戦いいのうのたたかいと言われたが、
 下人である禅門という者や小者の口中杉若という者が自主的に戦いに加わったのだ。

 下人や小者というものは主人の武器や武具を運んだり、馬の手綱を持ったりするのが
 仕事で、本来、合戦に参加せぬものだ。

 元来そういうものであり、戦わずとも責められるものではない。

 それが、自ら危険を冒して戦ったのだ。

 それだけ、この者らの忠誠心はたかく、またこの者らは正規雇用であった。

 臨時雇用の者はたとえ敵のクビをとっても手柄にはならず、
 怪我をしてもその後の保証がない。戦い損だ。だから戦わないし、
 戦闘要員として雇われた者も危なくなったら逃げる

 怪我をして動けなくなっても誰も養ってくれず、餓死するだけだからだ。

 だからそういう者が逃げても、普通、国人衆は逃げた者を切らない。

 切ると次の合戦で悪評が広まり加世者が集まらず、集めるよう定められた
 兵数を集められなくなり、身内の若集まで戦場に駆り出さなければならなくなる。

 そうすれば先の村木砦の合戦の時佐平治のように、身内の者が悲しい思いをすることになる。

 弟信勝との合戦に勝利した信長は、信長に味方してくれた武将に一人ずつお礼参りに行った。

 左京亮は兄とともに信長方に付いたので、信長とともにお礼の品をもって各地を回った。


 そのうち、織田勝左衛門という国人の屋敷を訪れた時の事である。

 屋敷の馬屋で藁で馬の体を洗っている使用人がいた。

 信長はズカズカとその使用人に歩み寄った。

 「こ、これは信長様」

 使用人は驚いてその場に平伏した。

 「おい、なぜ言わぬ」

 信長は平伏する使用人の頭の上から大声で怒鳴った。


 「な、何のことでございましょうや、見当もつきませぬ」

 「ウソを申すな」

 また信長が怒鳴った。

 「これは、信長様、この者が何か無礼をしましたでしょうか」

 国人領主の織田勝左衛門が血相をかえて刀を引き抜いて駆け寄ってくる。

 「おのれ、何をいたした」

 怒鳴る勝左衛門

 「わかりませぬ」

 地面に頭を擦り付けて平伏する使用人。

 「おい、そなた、士分になりたいのであろうが」

 低い声で信長が言った。

 すると使用人の体がガタガタと小刻みに震え出した。

 「そのような無礼な事を申したか、このりょがいものめ」

 勝左衛門が使用人を切り捨てようと刀を振り上げた。

 「勝左衛門」

 信長が大声で怒鳴る。

 「はっ」

 驚いた勝左衛門が手を止めた。

 「岩室長門守から聞くところによると、この者、名を口中杉若くちちゅうすぎわかという。
 先の合戦において、この者は小者の分際にも関わらず、槍を振るい我の命を救った。元来、小者は
 戦うこと無用の者である。過分の忠節、まことに痛み入るものである」

 信長は平伏する使用人に対して深々と頭をさげた。

 「ななな、何をなさいまするうううううう」

 織田勝左衛門は驚きのあまり、刀を放り投げて腰を抜かしてその場にへたりこんだ」

 「勝左衛門よ」

 「ははは、はい」

 「この者、我がもらってもよいか」

 「はい、いくらでも」

 「で、あるか、おい、杉若、そなた、今日より杉左衛門尉すぎさえもんのじょうと名乗るがよい。
 今より、武士として名字帯刀を許す」

 信長がそういうと、使用人の体がより一層、大きく震え出したかと思うと、
 勢いよく体を跳ね上げた。

 「ああああ、あああ、あああああああああああああああああああー」

 杉は大声をあげて辺りは憚ることなく泣いた。

 「こ、これ、お礼を申さぬか」

 織田勝左衛門が叱る。

 しかし信長がそれを手でさえぎる。

 「よいのだ、礼などよいのだぞ、礼を言うのは我のほうじゃ」

 信長はそう言うと微笑んで、杉左衛門尉の背中をさすった。
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