ピジョンブラッド

楠乃小玉

文字の大きさ
上 下
3 / 30

第三話 ニケ

しおりを挟む
 王子公園からさして近くない北野町の高級マンションに到着した涼子は
 ポケットから取り出したオレンジ色のフエルト地の腕章を腕につけてマンションに入ろうとした。

 が、入り口が暗唱番号式になっており、中に入れない。
 涼子は携帯電話を取り出す。
 「あー、もしもし、一課の峰羽ですが、
 マンションのドアが暗唱番号式で中にはいれません。
 中にいる人に開けるよう言ってもらえませんか」

 本署に連絡を入れてから涼子は時間をチェックする。
 十月十七日午後二時三十分。
 しばらくして、マンションのドアが開き、
 中から肩幅が広く身長百八十三センチほどの大きな男がノソノソと出てきた。
 「おー、巨乳美人の峰羽ちゃんが到着だ。」
 あいかわらずスタイルいいねえ、シャギーの髪型も似合ってるよ」
 ちょっとこもったような声で男は言った。その腕には鑑識課の腕章がついている。
 涼子は眉をひそめる。
 「なんだ、バルタンかよ」
 「バルタンじゃないよ、原っぱの原に寒いと書いて原寒バルカン
 「未だに原と書いてバルと読ませるのが謎だね、普通にハラカンでいいじゃん」
 「いやさ、俺の故郷の霧島連山の辺じゃ、原と書いてバルと読むのは普通だよ、
 ほら、宮崎県知事だって東国原(ヒガシコクバル)って言うでしょ」
 四角い顔で大柄な原寒は熱心に自分の故郷の言葉について説明した。

 原寒は宮崎県西諸県郡高原町の生まれである。
 同じ九州の中でも鹿児島県人は勇猛果敢なイメージがあるが
 宮崎県人は温和で優しいイメージがある。
 この原寒の生まれた地域はその県境に近いところだ。
 幼い頃から神道の山岳信仰に親しんで育ったらしく、
 鹿児島県側にある霧島神宮に強い崇敬の念を持っている。
 そのためか、自分の出身地を霧島連山の辺りと表現することが多い。
 霧島神宮には神社はあるもの、
 本来の信仰対象は霊峰高千穂峰の山頂に突き立った天逆鉾であり、
 皇室の祖先である天孫降臨の地と言われている。
 この高千穂の峰の西側に巨大な活火山である御鉢という大穴があいている。
 本来この近くに霧島神宮は建てられていたが、
 この御鉢の大噴火によって焼失してしまったらしい。
 そのため、現在の神社はこの火口からもっと離れた場所にある。
 こうした話は原寒から何度も聞かされて、
 もう覚えてしまった。早々に切り上げないとまた長話につきあわされることになる。

 「その話はまた今度聞くよ、それより、現場の状況どんな感じだ」
 「詳細はまだ分からないが死亡したのは昨日のようだ。
 本日、定時になっても会社に連絡がなく、
 販売店にも社長が顔を出さなかった事から、
 従業員が警察に連絡し、警官立ち会いのもと、
 ドアを開けて遺体を確認した。
 あ、それはそうと、峰羽ちゃんまた変な奴呼んだだろ、
 部外者入れられると迷惑なんだよね」
 「ああ、アメリカの保険会社の奴だろ、
 あれは私じゃないよ、
 政府が日米FTA交渉とかで日本が
 アメリカの保険会社の査定員を捜査現場から閉め出してるのは非関税障壁だとか叩かれて、
 アメリカ保険会社の査定員を入れるように勝手に決めちまったんだ。
 こっちも迷惑でさ、甘粕史郎バッカスシロウっていけすかねえ野郎さ」
 「ちょっと待って、男なの?」
  原寒が首をかしげた。
 「男だよ。」
 「いや、女だよ」
 「それ違うよ、急ごう」
 涼子と原寒は現場に急いだ。
 現場に到着すると頭の左右に馬糞ウニみたいな楕円形のシニオンをつけた
 年の頃なら二十才前後の女の子が、
 紺のスーツにひらひらのフリルのついたワンピースを着た格好で、
 その場でピョンピョン跳ねていた。
 「ちがうんだってば!私は刑事なの!刑事なんだってばよ!」
  なんか頭の弱そうな子だ。
 「あらあら、どうしたのよ」
 涼子はその場にいた制服警官に聞いた。
 制服警官はすぐさま涼子に対して敬礼する。
 その場にいた女の子も涼子に向かって敬礼する。涼子はきょとんとした顔で女の子を観た。
 「お前なにやってる」
 「そうでしょ、こいつ、明らかにおかしいんですよ」
 制服警官が涼子に言った。
 女の子の腕には綠色のビニール製の腕章がついており、
 そこには防犯の文字が書かれていた。
 「お前、その腕章、どこから持ってきた」
 涼子の言葉を聞いて、女の子は目をまるくして
 三十センチほど後ろに飛び退いた。
 「あなた、何で私がマル暴キャリアのトーチャンの腕章間違えて持ってきたって分かるの?
 もしかして霊感の持ち主なの?」
 涼子はその場の状況、この素っ頓狂菜女の子の行動から現場の状況を推理した。
 綠の腕章は旧式のものであり、
 今の若い警察官がもっているものではない。
 その点において、この女の父の所有物であるという信憑性が高い。
 しかし、この女は刑事と言っているが、
 刑事には熟練した経験が必要であり通常、
 現場部署の推薦がなければなることができない。
 こんな若い者がなれるものではない。
 ただ一つ、考えられるのは、最悪のシナリオとして、
 学歴馬鹿で勉強しかできないキャリア組が志願して刑事になること。こ
 れから着任後九ヶ月もあれば刑事になることができる。
 現場も知らず、周囲に迷惑をかけ、しかも将来自分達の上司になるかもしれない存在。
 「おい、お前、とりあえずその綠の腕章はずせ」
 涼子は女の子の腕章に向けて指を指した。
 「トーチャン今頃困ってるだろうなー、アハハー」
 「アハハじゃねえよ」
 「ナイスつっこみ!」
 女の子の行状に涼子は少なからずイラッときた。
 「私は捜査一課副主査・主任峰羽涼子だ。お前、名前は」
 「はい、二家霞ニケカスミ司法警察員巡査であります」
 言いなが霞は仰々しく敬礼した。それを観て涼子は眉をひそめる。
 「刑事が挙手の敬礼をするな」
 「へ、そうでしたっけ」
 「警察学校で習ったろうが、忘れたなら家に帰って親父にでも聞いてこい」
 「分かったであります」
 そう言って霞はまた敬礼しそうになったが慌てて手をさげる。
 「はーっ」
 涼子は深いため息をついた。
 あとで親しくなった時に聞いたのだが、
 この女、大学時代はミスコン荒しだったらしい。
 ミスコンに出場する目的はお金が貰えるから。
 貰ったお金は全部ゲームにつぎ込んでいたそうだ。
 あまり男には興味なさそうだ。
 海外留学経験があり、アメリカ人やイギリス人のイケメンから何度もプロポーズされたらしいが、
 全部ガン無視したという。
 それというのも、言い寄ってくる白人の男たちのほとんどが人権活動家であり、
 「ボクは君が黄色人種でも一生愛し続ける自信がある」
 と自慢するのがイラッとくるかららしい。
 あと、デートしていたらゲームする時間が無くなるから。
 オシャレに金を使うのが面倒だから。
 インターネットで動画見てをたほうが面白いかららしい。
 色々あって今は男よりゲームが楽しいお年頃だ。

 出身は神戸市神出。神が出る土地という地名が誇りらしい。
 熱狂的に地元の神社、おっこさん、めっこさんを崇拝している。
 元々が地場の道祖神らしい。地元を熱狂的に愛しているので、
 出身地を聞かれると、「神戸市神出さ」と自信満々に言う。

 このため、関東の人達は、「へえ、神戸出身なんだー、都会っ子!」
 と言って感心するそうだ。涼子が「山と田んぼしかないところ」
 と言うと怒って「トンボもカエルもクワガタもいる!」と反論する。
 先祖代々ずっと農家をしている家柄だったそうだが、
 霞の父親が頭がよく、良い大学を出て警察官僚になったらしい。
 娘の霞も警察に就職し、田舎の田んぼが荒れ放題になったので、
 売りに出したが、三百坪が百二十万円で、
 しかも、農地法第三条により、農業従事資格がある者しか買ってはならない土地だそうで
 安いのに全然書いてがつかない。

 「これはきっとご先祖様が妖怪泥田坊になって
 土地が売れないように呪っているに違いない!」
 霞が真っ赤な嘘を言いふらしたので余計売れなくなっていまでも畑は持っているそうだ。
しおりを挟む

処理中です...