ピジョンブラッド

楠乃小玉

文字の大きさ
上 下
4 / 30

第四話 カードキー

しおりを挟む
 原寒の説明を聞きながら涼子は現場検証をはじめる。
 殺されたのは来栖王司ライオスオウジ
 生出宝飾オイデホウショクの社長であり推定年齢は六十才前後。
 周囲を見回したところ、業務上の書類などが多数本棚にファイリングされているので、
 ここで日常業務をこなしていたものと思われる。
 被害者はバスルームのドアノブに被害者の所有物であると思われる
 ネクタイで首を吊って死んでいる。
 何故か絨毯を敷いた床にはバスルームから流れ出したであろう水があふれ出している。
 「もう蛇口を閉めてもよろしいでしょうか」
 鑑識課の若い制服警官が原寒に聞く。
 「現状確保と写真撮影はすべてすませたか」
 「はい」
 「よろしい」
 原寒の許可とともに鑑識課の警官たちは慎重に死体を移動させ
 バスルームのドアを開いた。
 ドアの隙間から濛々と水蒸気が立ち上る。
 涼子はバスルームの中を確認した。
 バスタブにはお湯が並々と注がれあふれ出しているが、
 排水溝から水は流れ出て、バスルームの外に流れ出ることはない。
 排水溝の上には薄手のタオルがかぶせてあるが、
 その程度の事ではお湯が部屋の外にまえ流れ出す原因にはならない。
 実際、現状浴槽の外のお湯は排水溝から
 排出されてバスルームの外には流れ出していない。
「なるほど、お湯を出しっぱなしにしているにも関わらず、
 今はもうバスルームからこちらの部屋へお湯が流れ出していない。
 床に流れ出したお湯はすでに冷めて水になっていた。これは謎だね。
 ありがとう原寒。私にこの状況を見せるために蛇口を閉めさせなかったんだね」
 「そう、これは一つの謎だよ。事件に何らかの関連性がるかもしれない」
 言いながら原寒はその部屋を一瞥した。
 「にしても、フッ、悪趣味な部屋だなあ、
 あ、笑ったら被害者の方に失礼にあたるな。申し訳ない」
  部屋の床には高級ペルシャ絨毯が敷かれており、
 その上に虎の皮がおいてある壁際にはゴシック風の高級家具が置かれており、
 その上に1200センチ×750センチ×450センチのアクリル水槽がおいてあり、
 その中にはピラニアが泳いでいる。
 その水槽の上には角のはえた雄鹿の首から上の置物が飾ってある。
 いかにも一昔前の成金趣味といった風情だ。
 社長はさすがに仕事上の使い勝手を考えてか、
 最新式の事務用机であり、机の上に高級漆塗りの重箱が置いてあり、
 中には腐敗した煮付けなど日本料理が手をつけられずに入ったままだった。

 「あ、天使の羽根だ」
 霞が床に落ちている鳥の羽を見つけて手を伸ばす。
 「触るな!」
 涼子が大声で怒鳴り、霞は手をとめる。
 「鑑識、これ確保」
 涼子はいいつつ鳥の羽に近づいた。
 どうも鳩の羽のようだった。
 部屋の状況から鳩が入ってこられる状況か確認する。
 部屋はマンションの十二階であり窓は換気のために少し開くことができるが、
 転落防止のために全開できないようになっている。鳩が窓から入る余地はある。
 現場の状況では窓はしまっている。
 通路側から鳩や動物などが入る余地がないか調べたが、
 部屋の上部約180センチの所に通気口があるものの、
 通気口全体の大きさは三十センチ×二十センチほどで
 横にライン上の通気口が二十本ほど並んでいる。
 一つの通気口の長さは縦一センチ、横二十八センチほど。
 外から中を覗けないように一つ一つのラインに笠がとりつけられている。
 到底、小動物であっても通り抜けられる幅はない。

 涼子が部屋の詳細を調査している間、
 手持ちぶさただったのか、後ろに手を組み、
 グルグルと部屋の中をあるきまわった。特に厳つい顔のピラニアに興味をもったのか、
 水槽の前に行ってピラニアを凝視し、口を半開きにしてうれしそうにながめていた。
 「あれ、キャッシュカードだぞ」
  また霞が変な事を言った。
 「おい、あまり仕事の邪魔を……、キャッシュカード?」
 涼子はピラニアの水槽に近づく。
 「ほら」
 霞が指を指す方向を観ると、
 水槽の底になにやらメタリックカラーのカードが沈んでいる。
 涼子は首をひねった。
 「ん?」
 涼子は原寒の方を向く。
 「ここの部屋は最初から開いていたのかい」
 「いや、閉じてカギが閉まってたよ。
 最新式のドアだからオートロックなんだろ」
 「いや、ホテルの場合はほとんどがオートロックだが、
 住人所有のマンションの場合、あやまってドアを閉めてしまった場合やっかいだから
 ロックにしてない所が大半だ。
 カギはマンションの管理人から調達したのかい?」
 「いや、マンションの管理人にはカギは渡されていない。
 警備会社がカギを保管しており、複数人が警備する貸金庫にしまわれている。
 ここを開けるのは警備会社に連絡してカギをもってきてもらったんだ」
 「どんなカギなの?」
 「最新式のカードキーさ」
 「これ?」
 涼子は水槽の中を指さす。
 「どれどれ」
 原寒は自分ポケットからカードキーを取り出して、
 水槽の中のカードと見比べる。
 「ああ、これだねえ」
 「うーん」
 涼子は考え込んだ。
 「一応、オートロックかどうか確認しておこう」
 涼子は原寒からカードキーを受け取り、部屋の外に出てドアを閉じた。
 そして開く。ドアは開いたオートロックでは無かった。
 ということは、カギを持ってなければ外からカギはしめられない。
 警察が現場に到着したとき、カギは閉まっていた。
 「おい、原寒、警備会社にカギの発行枚数を聞いといてくれ」
 「わかった」
 原寒は承諾した。

 密室だった。
 このマンション自体高級居住施設として最新の工夫がなされており
、窓枠を伝って上下や隣の部屋に行き来できないようになっているし、
 通気口から中を覗くこともできない。
 ドアも頑丈で、カギを壊して中に入るこはできない。
 マンションの各部屋の前の通路は、
 プライバシーを配慮して監視カメラは設置されていないが、
 階段の踊り場とエレベーターの中には監視カメラが設置してある。
 「よいっと」
 鑑識の警官が首吊り状態にあった被害者の遺体を担架に乗せるとき、
 かけ声をかけた。
 涼子は遺体に近づき後頭部をさわってみる。
 コブがあった。涼子は原寒の方を見る。
 「あーこれ、他殺の線ありありだわ、コブがある」
 「そうかい、じゃあ検死の結果がでたらまた報告するよ」
  原寒は頷いた。
  涼子の形態電話が鳴った。
 「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん、
 死体と保険のあるとこにはどこにでも現れる正義の使者、
 あなたの甘粕バッカス君の登場だよー、
 美人で綺麗で巨乳でウエストすっきりな涼子お姉様、
 中に入れてー美人で綺麗できょ」
 涼子は形態電話を切った。
 また電話が鳴る
 「ひどいなー切っちゃうなんて、中に入れてよー」
 「いやだ、お前鬱陶しい」
 「どうしても?」
 「どうしても」
 「あ?そんな事言ってもいいのかな、アンタは突っ張り続けたとしても、
 うちのアメリカ本社が政治家を通じてそっちの警視庁キャリアに圧力をかけたら、
 ジャンピング土下座してコッチの言う事を聞いちゃうよ、
 そしたら、アンタが困るんじゃねえの?」
 「チッ」
 涼子は舌打ちをした。
 「分かったよ、すぐにドアを開けさせる」
 「ありがとー美人で綺麗なお姉様、美人で綺麗なお姉様。
 大事な事なので二回いいましたー」
 
 甘粕が部屋にやってきた。
 緑色のアルマーニの服に金色のロレックスの時計、
 ブラウンのフェラガモの靴を履いている。
 髪の毛はオールバックにして顔立ちは細面で鼻筋がすらっと伸び、
 切れ長の目をした二十五才くらいの美男子だった。
 奈良出身のエリートサラリーマンだが、
 仕事熱心で仕事のタメなら何でもする男だ。
 仕事人間というよりも今の仕事が性に合っているという漢字だった
 。奈良の地元に帰ると名字では無く「酒屋」と呼ばれるらしい。
 それは元々甘粕の家が江戸時代末期まで酒屋であったからだそうで、
 そうした奈良の田舎では未だにその当時の屋号で呼ばれたりすると甘粕が言っていた。
 彼の言うことなので、口から出任せの与太話かもしれないが。
 奈良県の三輪三山のある辺りは昔から酒作りが盛んで
 新酒を仕込んだら緑色の杉玉を店先につり下げる。
 その杉玉が茶色く変色した頃がお酒が熟成した合図になるらしい。
「 まいどっ」
 言ったあと甘粕は周囲を注意深く見回す。
 すると、甘粕を凝視している霞と目が合う。
 「お」
 甘粕が霞の存在に気づく。
 「君も美人さんだねえ、気品が漂うっていうか、
 すごくインテリの香りがするよねえ、大学どこ?
 ボクは東大を卒業したあとオックスフォード大学に行ったんだけど、
 いや、別に自慢じゃないよ」
 それを聞いた霞はガッツポーズを取る。
 「コロンビア!」
 「おーすごいじゃん、すごいじゃん」
 甘粕は笑顔で拍手をしながら、少しずつ足をスライドさせて移動する。
 「ちょっと待ちな、何物証消そうとしてんだ、この野郎」
 涼子は甘粕の首根っこをつかんだ。
「え、何のことですか、姉さん」
 甘粕はとぼけた。
 「お前が消そうとするまでは私も気づかなかったよ、油断も隙もねえ」
 涼子が指さした方の絨毯の上には二つ、
 車輪で引いたようなうっすらとした跡がのこっていたのだ。
 「こりゃ、台車か何かで被害者を引きずったあとだな。他殺の線が濃くなった」
 「やだなあ、こんなの今さっきボクが足を引きずったあとですよう。
 捜査を混乱させたらいけないと思って消そうとしただけですよう」
 「嘘だね、お前が部屋に入ってくるときから、
 何か余計な事しねえかずっと見てたから」
 険悪な表情で涼子は甘粕をにらむ。
「やだなあ、誤解ですって、ごかい、美人の涼子お姉様」
 とぼけた表情で甘粕は軽薄な笑いを見せた。
 どうせこの男は絶対に口をわらないし謝罪もしない。
 欧米で長年暮らし、教育を受けているので、
 甘言に乗って謝罪したら欧米ではどうなるか骨身に染みて知っている。だから、
 いくら追求しても無駄だ。
 ただ、この男が部屋に入ってすぐ、
 ごまかしながら車輪の跡を消そうとしたことには何らかの意図がある。
 これも、事件の真相とあわせて、
 調査しこの男と保険会社側の意図を探らなければならなかった。
 これらの状況下において、涼子はこの首つり事件は絶対に自殺ではないと確信をもった。
しおりを挟む

処理中です...