獣血の刻印

小緑静子

文字の大きさ
24 / 25

十三話 道中(1)

しおりを挟む
 翌朝――。
 フロリアナの鐘の音に悠真はるまは起こされた。
 ぼんやりとした意識の中で、体が異様に重く感じる。なにか夢をみた気がするが、そのせいだろうか。
 ――もう少しだけ眠っていたい。
 けれど規則正しい鐘の拍子と、室内を満たす陽に乾いた木々の香りに、けだるい眠気をはらわれた。
 仕方なく寝台から起き上がる。古い木床に素足を下ろすと、じんわりと足裏が温かくなった。
 肩口をさらりとなでる風が心地よい。
 悠真は上半身が裸だと気がついた。
 衣服を脱いで寝る習慣はない。いったい、いつ脱いだのだろう。
 壁際の寝台から、ぼんやりと周囲を目でさがす。敷布シーツがない隣の寝台。無人の小円卓の椅子。卓上に置かれた昨晩のパン。
 目端でなにかがちらつく。悠真の上衣が、窓辺で風にそよいでいた。
 青空を背景に黒鳶色くろとびいろの布がふわりと揺れている。絵に描いたような朝の光景だった。
 どうしてあそこに?
 違和感をおぼえ、目をすがめる。
 ――たしか、昨日は薬が足りない話をして、そのあと……。
 悠真の瞳の色を戻すために、ジヴァンから聞いた代替案を、この部屋で施した。
 何度、羞恥から上衣を握りしめたことか。
 それが干されているのは、おそらくジヴァンが配慮してくれたのだろう。
 悠真は自分の下腹部を見下ろす。
 腹に巣食う権能は、ジヴァンをおさめて満足したのか、静かだった。
 だからか、悠真の心も不思議と落ち着いている。あれだけ恥ずかしいと堪えていたのに。
 ――飢えるわけでも、死ぬわけでもないから。
 過ぎてしまえば、なんてことのない行為に思えていた。
 いま重要なのは昨晩の効果がでているのか、だ。
 悠真は目蓋をそっとなぞってみた。
 そのとき、出入口の脇にある扉が軋みながら開いた。
 薄汚れた板の影から、ジヴァンが姿をあらわす。彼の赤銅色の髪は水をかぶったように濡れて、褐色の上裸に雫をぽたぽたと落としていた。
 フロリアナは水が潤沢なため、安宿でも各部屋に手狭な浴室がある――天井に一本の配管を通しただけの簡素な作りだが――それでも汚れを流すには十分だった。
「起きたのか」
 手の布で前髪を乱雑に掻きあげ、灰色の瞳が悠真を確かめる。
 ジヴァンはすでに薬を飲んだようだ。
 暗がりでも燦然としていた赤い瞳はそこにない。彼はいつもどおり。静寂とした冬山のような気配をただよわせていた。
「片づけまでさせてごめん。つぎは途中で寝ないようにするよ」
 穏やかに返し、悠真は窓辺を一瞥する。
 さっぱりとしていたのは、上衣だけではない。悠真の肌も同様だった。
「たいしたことはしていない」
 ジヴァンが悠然と窓側の寝台に腰かける。
 昨晩、行為におよんだその場所で、彼が膝を突き合わせてきた。
 それでも悠真の心情が乱れることはなかった。
 ――よかった。
 ジヴァンと同じように、あの出来事を義務として受け入れられている自分に安堵した。
「それより、うまくいったようだな」
 探るように瞳を見据えられる。
 どうやら悠真の瞳は黒色に戻っているらしい。けれど権能について話題にしてこないあたり、正体は依然として不明なままのようだ。
「六日間は持続する。忘れるな」
 そう念を押され、悠真は素直にうなずいた。
 昨晩食べそこねたパンを宿屋ですませ、悠真たちは帆馬車が集う通りへ向かった。
 舗装されていない土の大通りを、複数の馬や幌馬車が走り抜ける。両端の水路には蓋がされ、そこが歩行路となっていた。すれ違う通行人のほとんどが旅装姿だ。
「裏門に行く人が多いんだな」
 人々が向かう先を悠真は見つめた。
 フロリアナにはふたつの市門がある。
 首都から来た悠真たちが、到着時にくぐった門を“表”、マリティマに近い門は“裏”と呼ばれている。アウレリア大聖堂の女神を尊ぶ構造なのだろう。
 しかし信仰とは裏腹に、人々の脚は裏門へと向かっていた。
「マリティマは西と東をつなぐ地形のおかげで、富と知識が集中した国だからな。狭い領土だが、出稼ぎや留学には条件がいい」
 出発する一台を見送り、ジヴァンが言う。
「でも景気が悪いんじゃないのか? 首都の検問で、物価高だって話してただろ」
「それでも得るものが多い、という証拠だな」逆側にある家の屋根をジヴァンが指さす。「あれがなにか、わかるか?」
 棟からのぞく市壁の上部。その側面に埋め込まれた、白い半円柱が見えた。市壁の装飾のように、等間隔で並んでいる内のひとつだ。あえて意識しなければ、気に留めない外観をしている。
「塔、に見えなくもないけど」
 しかし窓がない。まっさらな白墨チョークのようだ。
「『造水装置』という代物だ。東から引いた海水をあれで真水に変え、街の水路に流している。いまでは想像できないだろうが、この土地は水の資源が昔から乏しくてな。過去の地震で、元々わずかだった水脈をすべて断たれて以来、ひとは住めない環境とされていた」
「それがマリティマの技術で可能になった?」
 市壁で感じた潮の匂いがよみがえる。
 あれは気のせいではなかった。
「元をたどれば、フロリアナはマリティマによって築かれた街だからな。設計技術はもちろん。その動力資源である『山脈の鱗レルマクア』についてもだ。出向くには十分な魅力があるだろう」
「レルマクア?」
 初めて聞く言葉だ。
 首をかしげ、悠真は隣を仰ぐ。
 ジヴァンが小さく頷いた。
「東大陸の山脈のみで採掘される鉱物だ。使い方次第で海や空を渡れると言うな。だが地形の関係で、マリティマがほぼ独占しているのが現状だ。そのかぎり、可能性が狭い資源とも呼べるだろうが」
「マリティマを通らないと、西側に運べないから」
「そうだ。だからアウレリアでは希少資源として扱われる。フロリアナ以外で造水装置を動かすほどの資源を所有するのは稀だろう。小石ひとつで裕福なたぐいになるんだからな」
 悠真は息をのむ。
 つまりマリティマは膨大な資源を掌握する国。西より栄えているのは想像に難くない。
 いったいどのような景色が広がっているのだろう。
 裏門を過ぎれば、国境はすぐそこだ。
 悠希ゆきとの距離があいていく心配を残したまま、悠真は西大陸を離れる実感がわいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です

ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。 理由は不明、手紙一通とパン一個。 どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。 そんな理由でいいのか!? でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適! 自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない! ……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

若頭と小鳥

真木
BL
極悪人といわれる若頭、けれど義弟にだけは優しい。小さくて弱い義弟を構いたくて仕方ない義兄と、自信がなくて病弱な義弟の甘々な日々。

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

処理中です...