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八話 悠希
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城のような大聖堂の一室。
壁に連なるガラス窓は夜空を切り取り、明時をうかがっていた。
室内の明かりは、鏡台におかれた枝付き燭台のみ。五本の蝋燭が煌煌と燃え、三面鏡の彫刻を闇夜に浮かび上がらせた。
額縁を埋めつくす白百合のような花。蕾をくわえ飛翔する小鳥たち。そして金の花しべは、灯火の揺らめきとともに瞬いていた。
──リシュシャーン。
そう呼ばれているこの花は、アストリオン教会の象徴である。
悠希は女神にうえつけられた記憶を反芻し、鏡に映る自分の姿を冷ややかに見据えた。
白い詰襟の祭服すがた。金の刺繍糸が細部をかざりたて、胸元では大きな模様を描いている。それは太陽のようで、花にも見えた。おそらくこの模様もリシュシャーンだろう。外衣の袖や裾にも大輪の花を咲かせている。まるで裾で隠れた足元にさえ、花が芽吹いてくるようだ。
靴底から這いのぼるおぞましい気配を感じ、悠希は石床を踏みにじる。
すると金の髪飾りが、両耳のそばで乾いた音をたてた。教会の紋章を刻んだその宝飾は、花嫁の面紗を思わせる薄絹を留めている。
そう、花嫁だ。
悠希は掌に爪を立てた。
この神子の式典服は、これまで一度も手直しをしていないときく。
肩幅は狭く、腰まわりは細い。どれだけにかよった体つきの女たちが袖を通してきたのだろう。
とても二十歳をこえた男が着るには、難しい仕上がりだった。
それなのに、悠希の体は、なんなく受け入れている。
いつかこうなることを予見していたように。
「神子さま、お顔を失礼いたします」
虚像を映す鏡に、黒衣の老女がぬっと入り込む。悠希の身支度にいそしむ修道女のひとりだ。
彼女は鏡台から化粧筆と小さな銀容器をえらぶと、悠希の唇に筆先をのせた。そうして紅をすっとひく。
「まあ……雪原に花が咲いたようです」
鏡の外で若い修道女がぽつりと感嘆をこぼした。老女はそれを不敬にあたると咎めたが、語気の弱さから、本心ではないのだろう。悠希の頬を淡く色づける丸筆が踊るように跳ねた。
皮肉な人形遊びだ。
悠希は彼女たちに気づかれないよう、心の中で嘲笑をうかべた。
こんこん──と、扉をひかえめに叩く音が耳にとどく。
寝室の隣。応接室のほうからだ。
ひとりが応対のため迫持をくぐっていくと、老女たちは不思議そうに顔を見合わせた。
神子の継承式は夜明けの鐘が鳴ったあとに執りおこなわれる。しかし窓の外はいまだ暗く、鐘の音はおろか、太陽の気配すらない。いったい誰だろうか。
そんな空気が漂うなか、悠希は来訪者に対面するため座りなおした。
おおかたの察しがついていた。なぜならその者を呼んだのは悠希だからだ。
鏡台の灯火が袖にあおられ灯りを揺らす。その様子を、仕舞い忘れられた銀の鋏がきらりと反射させた。
「カルエラ枢機卿がいらっしゃいました」
暗がりから戻った修道女が静かに告げる。
悠希はここへ連れてくるよう指示をだすと、彼女たちに退室を命じたのだった。
「ご挨拶申し上げます」
薄水色の髪が印象的な、カルエラ枢機卿が厳かに一礼した。
彼の長い髪はきっちりひと束に編み込まれ、几帳面さがうかがえる。上背があり、ほどよく鍛えられた体格。聖職者というより騎士に近い。しかし彼の心悲しい雰囲気に妙な艶があるため、騎士道とは無縁に感じさせた。歳は三十二だったはず。茶色い瞳は汚泥のように淀んでおり、生気はない。本当に彼が、悠希を悠真から引きはがした男なのかと、疑いたくなるほどだ。
悠希は探るように目を細めた。
「こうしてちゃんと会うのは初めてだね。なんで呼ばれたのか、わかってる?」
「いいえ」
五歩ほどの暗がりを経て、喉を焼いたような声が、はっきりと否定する。
当然、予想していた反応だ。
悠希はわざと意外そうな表情をつくると、「そう?」と首をかしげ、
「悠真を助けてくれたでしょ。まず、そのお礼をいうよ」
すべてを見透かしたように、挑発的な笑みをおくった。
あの時、悠真は悠希の負傷によってひどく錯乱していた。逃げろと訴えても、逃げられないほど。
そんな悠真を赫物だと警戒していたのなら、捕らえるには絶好の機会だっただろう。聖騎士ならなおさら、見過ごすはずがない。
だが、そうならなかった。
カルエラが聖騎士より早く動いたことで、悠真は正気を取り戻し、逃げおおせたからだ。
傍目からすれば神子を救った勇者だろう。もしくは赫物を捕らえそこねた愚者ともとれる。
──悠真が無事なら、こいつの立場なんてどうでもよかった。でももし、あの女の記憶が本当なら……。
カルエラはあえて悠真を逃したことになる。
悠希は女神の記憶の真偽を確かめなくてはいけなかった。
「なにか誤解があるようですね。身におぼえのない話です」
伏し目がちな視線をそのままに、カルエラは動揺なく切り捨てる。
氷山のような男だ。まわりくどくつついたところで、ひょうめんが崩れることはないだろう。
「誤解、ね。異言啓典についても、そう言うわけ?」
悠希はたもっていた笑みをしまい、凍てつくような声音を投げつけた。
異言啓典──それは神子の名前が神託される古書。千年前に女神が地上へ降ろした神物であり、常人には読解が不可能な文字で形成されている。
神子の召喚はその神物を媒介におこなわれていた。いわば教会の要だ。厳重に保管され、閲覧には制限をかけていた。神子、教皇、そして一部の枢機卿たち。虚偽が交じるなどありえないことだった。
想像すらしていなかっただろう。
この世界でふたりだけにしか読めない文字が、そこに綴られていたとしても。
カルエラの視線がはじめて悠希に絡む。淀んだ瞳に冷厳さが増したのがわかった。
「悠真が、あなたのご兄弟の名前だとは、知りませんでした」
そのひと言で、すべての疑念が肯定される。
自分たちが転移した原因をつくったのは、カルエラだった。
悠希は勢いよく立ち上がる。カルエラにつめよる脚が鋭い靴音をたてた。強く掴んだ彼の胸ぐら。あらわになった喉元に、悠希は銀の鋏を突きつけた。
背後で鏡台の灯火が激しく明滅する。わななく影。金の衣装は燃えるようにぎらつく。
「悠真をどうするつもり?」
「なにも。私はただ啓示を受け、それを遂行したまでです」
「信じられない」
啓示を受けたということは、悠希とは別に、女神の声が聞こえるということだろうか。
もしそうなら女神が赫物にたいし、なにもしない、はありえないことだ。
睨みつける悠希を、カルエラは泰然と見下ろす。
「私の行動はそれほど重要でしょうか。あなたが神子だという事実は、変わらないというのに」
鋏をにぎる細い指に視線がそそがれる。
悠希の両指は数日前まで、骨折によって少しも動かない状態だった。完治に数年かかると危ぶまれ、後遺症を覚悟しなくてはいけないと嘆かれていたのだ。
それが女神の加護だという神聖力によって、たった二日で完治した。
──悠真を助けるために、無理矢理へし折ってやったのに。
誤算だった。
女神が悠希へあたえる影響は、行動の制御にとどまらず、肉体そのものを支配している。指の骨折、日本で負った頬の怪我、理由を忘れた古傷など、すべてを許さず自己治癒をほどこした。
そのような現象がおこるのは、赫物をのぞけば神子しかいない。
悠希は自分の体をもって、神子であることを物語っていた。
「変えられないから、重要なんでしょ」
悠希は苦しげに呟き、カルエラの胸ぐらを突き放す。
男の厚い胸板は貧弱な腕ではびくともしなかった。それでも悠希は自分が無力だと思わない。
「絶対、悠真に手をださせない」
「愚かな。あの者にとって、あなたが一番の脅威だということをお忘れか」
神子は女神の代わりに赫物の根絶を使命とする。あらがうなど、とうてい許されない運命だ。
そう言いたげに、カルエラは眉根を寄せた。
「だから俺が守るんだよ。あんたたちや、あの女から」
悠希は背後に陽の気配を感じながら、確固たる決意を男にしめす。
女神の記憶が真実だとわかったいま、日本へ帰る方法はないだろう。もし帰ることができたとしても、おそらくそこに、自分たちの居場所はない。
──だったら、俺ができることをするだけだ。
理解できない様子で口をつぐんだカルエラをよそに、悠希は鏡台に銀の鋏をおいた。
窓の外が無視できないほど白ずんでいく。
夜空は山際で赤く燃やされ、星は焼け落ちたように消えさり、月の姿はすでにどこにもない。
太陽が、迫る。
まるですべての命に服従を強いるように。
「悠真、俺たちは兄弟だから……」
悠希は静かに願った。この世界のどこかにいる家族を想いながら。
なにをしり、
なにをみても、
どうか、こわ れ な い で
ほ
し
い
鏡台の灯火が風もなくふっと消えた。
天井の翳が重くのしかかり、息をひそめたような寝室に、小さな拍手が鳴り響く。
「なんて微笑ましい寸劇でしょう」
窓の外を眺望していた悠希が、愉快げに言う。
「紛い物にすがる哀れな器。ですが、喜劇と呼ぶには味気ない」
ねえ? と悠希は叩いていた手をあわせ、同意を求めるように、カルエラを振り返る。
その瞳は太陽を彷彿させる黄金色に輝いていた。
「忘恩の羊の子、カルエラよ」
紅い唇には柔和な笑みをのせ、高潔な女のようにたたずむ。
「船の準備をしておきなさい。ひさかたぶりの赫物狩りです」
だが声音には、卑しく舌舐めずりをするような気配があった。
窓から強い陽がさしこみ、夜明けを告げる鐘がなる。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
首都中に福音がこだますなか、カルエラは粛粛と悠希だった存在へ頭を垂れた。
曙光が落とした青年の影が、カルエラの瞳に映り込む。
先ほどまで、気丈にふるまっていた青年の想いが、そこに潜んでいるように思えた。
壁に連なるガラス窓は夜空を切り取り、明時をうかがっていた。
室内の明かりは、鏡台におかれた枝付き燭台のみ。五本の蝋燭が煌煌と燃え、三面鏡の彫刻を闇夜に浮かび上がらせた。
額縁を埋めつくす白百合のような花。蕾をくわえ飛翔する小鳥たち。そして金の花しべは、灯火の揺らめきとともに瞬いていた。
──リシュシャーン。
そう呼ばれているこの花は、アストリオン教会の象徴である。
悠希は女神にうえつけられた記憶を反芻し、鏡に映る自分の姿を冷ややかに見据えた。
白い詰襟の祭服すがた。金の刺繍糸が細部をかざりたて、胸元では大きな模様を描いている。それは太陽のようで、花にも見えた。おそらくこの模様もリシュシャーンだろう。外衣の袖や裾にも大輪の花を咲かせている。まるで裾で隠れた足元にさえ、花が芽吹いてくるようだ。
靴底から這いのぼるおぞましい気配を感じ、悠希は石床を踏みにじる。
すると金の髪飾りが、両耳のそばで乾いた音をたてた。教会の紋章を刻んだその宝飾は、花嫁の面紗を思わせる薄絹を留めている。
そう、花嫁だ。
悠希は掌に爪を立てた。
この神子の式典服は、これまで一度も手直しをしていないときく。
肩幅は狭く、腰まわりは細い。どれだけにかよった体つきの女たちが袖を通してきたのだろう。
とても二十歳をこえた男が着るには、難しい仕上がりだった。
それなのに、悠希の体は、なんなく受け入れている。
いつかこうなることを予見していたように。
「神子さま、お顔を失礼いたします」
虚像を映す鏡に、黒衣の老女がぬっと入り込む。悠希の身支度にいそしむ修道女のひとりだ。
彼女は鏡台から化粧筆と小さな銀容器をえらぶと、悠希の唇に筆先をのせた。そうして紅をすっとひく。
「まあ……雪原に花が咲いたようです」
鏡の外で若い修道女がぽつりと感嘆をこぼした。老女はそれを不敬にあたると咎めたが、語気の弱さから、本心ではないのだろう。悠希の頬を淡く色づける丸筆が踊るように跳ねた。
皮肉な人形遊びだ。
悠希は彼女たちに気づかれないよう、心の中で嘲笑をうかべた。
こんこん──と、扉をひかえめに叩く音が耳にとどく。
寝室の隣。応接室のほうからだ。
ひとりが応対のため迫持をくぐっていくと、老女たちは不思議そうに顔を見合わせた。
神子の継承式は夜明けの鐘が鳴ったあとに執りおこなわれる。しかし窓の外はいまだ暗く、鐘の音はおろか、太陽の気配すらない。いったい誰だろうか。
そんな空気が漂うなか、悠希は来訪者に対面するため座りなおした。
おおかたの察しがついていた。なぜならその者を呼んだのは悠希だからだ。
鏡台の灯火が袖にあおられ灯りを揺らす。その様子を、仕舞い忘れられた銀の鋏がきらりと反射させた。
「カルエラ枢機卿がいらっしゃいました」
暗がりから戻った修道女が静かに告げる。
悠希はここへ連れてくるよう指示をだすと、彼女たちに退室を命じたのだった。
「ご挨拶申し上げます」
薄水色の髪が印象的な、カルエラ枢機卿が厳かに一礼した。
彼の長い髪はきっちりひと束に編み込まれ、几帳面さがうかがえる。上背があり、ほどよく鍛えられた体格。聖職者というより騎士に近い。しかし彼の心悲しい雰囲気に妙な艶があるため、騎士道とは無縁に感じさせた。歳は三十二だったはず。茶色い瞳は汚泥のように淀んでおり、生気はない。本当に彼が、悠希を悠真から引きはがした男なのかと、疑いたくなるほどだ。
悠希は探るように目を細めた。
「こうしてちゃんと会うのは初めてだね。なんで呼ばれたのか、わかってる?」
「いいえ」
五歩ほどの暗がりを経て、喉を焼いたような声が、はっきりと否定する。
当然、予想していた反応だ。
悠希はわざと意外そうな表情をつくると、「そう?」と首をかしげ、
「悠真を助けてくれたでしょ。まず、そのお礼をいうよ」
すべてを見透かしたように、挑発的な笑みをおくった。
あの時、悠真は悠希の負傷によってひどく錯乱していた。逃げろと訴えても、逃げられないほど。
そんな悠真を赫物だと警戒していたのなら、捕らえるには絶好の機会だっただろう。聖騎士ならなおさら、見過ごすはずがない。
だが、そうならなかった。
カルエラが聖騎士より早く動いたことで、悠真は正気を取り戻し、逃げおおせたからだ。
傍目からすれば神子を救った勇者だろう。もしくは赫物を捕らえそこねた愚者ともとれる。
──悠真が無事なら、こいつの立場なんてどうでもよかった。でももし、あの女の記憶が本当なら……。
カルエラはあえて悠真を逃したことになる。
悠希は女神の記憶の真偽を確かめなくてはいけなかった。
「なにか誤解があるようですね。身におぼえのない話です」
伏し目がちな視線をそのままに、カルエラは動揺なく切り捨てる。
氷山のような男だ。まわりくどくつついたところで、ひょうめんが崩れることはないだろう。
「誤解、ね。異言啓典についても、そう言うわけ?」
悠希はたもっていた笑みをしまい、凍てつくような声音を投げつけた。
異言啓典──それは神子の名前が神託される古書。千年前に女神が地上へ降ろした神物であり、常人には読解が不可能な文字で形成されている。
神子の召喚はその神物を媒介におこなわれていた。いわば教会の要だ。厳重に保管され、閲覧には制限をかけていた。神子、教皇、そして一部の枢機卿たち。虚偽が交じるなどありえないことだった。
想像すらしていなかっただろう。
この世界でふたりだけにしか読めない文字が、そこに綴られていたとしても。
カルエラの視線がはじめて悠希に絡む。淀んだ瞳に冷厳さが増したのがわかった。
「悠真が、あなたのご兄弟の名前だとは、知りませんでした」
そのひと言で、すべての疑念が肯定される。
自分たちが転移した原因をつくったのは、カルエラだった。
悠希は勢いよく立ち上がる。カルエラにつめよる脚が鋭い靴音をたてた。強く掴んだ彼の胸ぐら。あらわになった喉元に、悠希は銀の鋏を突きつけた。
背後で鏡台の灯火が激しく明滅する。わななく影。金の衣装は燃えるようにぎらつく。
「悠真をどうするつもり?」
「なにも。私はただ啓示を受け、それを遂行したまでです」
「信じられない」
啓示を受けたということは、悠希とは別に、女神の声が聞こえるということだろうか。
もしそうなら女神が赫物にたいし、なにもしない、はありえないことだ。
睨みつける悠希を、カルエラは泰然と見下ろす。
「私の行動はそれほど重要でしょうか。あなたが神子だという事実は、変わらないというのに」
鋏をにぎる細い指に視線がそそがれる。
悠希の両指は数日前まで、骨折によって少しも動かない状態だった。完治に数年かかると危ぶまれ、後遺症を覚悟しなくてはいけないと嘆かれていたのだ。
それが女神の加護だという神聖力によって、たった二日で完治した。
──悠真を助けるために、無理矢理へし折ってやったのに。
誤算だった。
女神が悠希へあたえる影響は、行動の制御にとどまらず、肉体そのものを支配している。指の骨折、日本で負った頬の怪我、理由を忘れた古傷など、すべてを許さず自己治癒をほどこした。
そのような現象がおこるのは、赫物をのぞけば神子しかいない。
悠希は自分の体をもって、神子であることを物語っていた。
「変えられないから、重要なんでしょ」
悠希は苦しげに呟き、カルエラの胸ぐらを突き放す。
男の厚い胸板は貧弱な腕ではびくともしなかった。それでも悠希は自分が無力だと思わない。
「絶対、悠真に手をださせない」
「愚かな。あの者にとって、あなたが一番の脅威だということをお忘れか」
神子は女神の代わりに赫物の根絶を使命とする。あらがうなど、とうてい許されない運命だ。
そう言いたげに、カルエラは眉根を寄せた。
「だから俺が守るんだよ。あんたたちや、あの女から」
悠希は背後に陽の気配を感じながら、確固たる決意を男にしめす。
女神の記憶が真実だとわかったいま、日本へ帰る方法はないだろう。もし帰ることができたとしても、おそらくそこに、自分たちの居場所はない。
──だったら、俺ができることをするだけだ。
理解できない様子で口をつぐんだカルエラをよそに、悠希は鏡台に銀の鋏をおいた。
窓の外が無視できないほど白ずんでいく。
夜空は山際で赤く燃やされ、星は焼け落ちたように消えさり、月の姿はすでにどこにもない。
太陽が、迫る。
まるですべての命に服従を強いるように。
「悠真、俺たちは兄弟だから……」
悠希は静かに願った。この世界のどこかにいる家族を想いながら。
なにをしり、
なにをみても、
どうか、こわ れ な い で
ほ
し
い
鏡台の灯火が風もなくふっと消えた。
天井の翳が重くのしかかり、息をひそめたような寝室に、小さな拍手が鳴り響く。
「なんて微笑ましい寸劇でしょう」
窓の外を眺望していた悠希が、愉快げに言う。
「紛い物にすがる哀れな器。ですが、喜劇と呼ぶには味気ない」
ねえ? と悠希は叩いていた手をあわせ、同意を求めるように、カルエラを振り返る。
その瞳は太陽を彷彿させる黄金色に輝いていた。
「忘恩の羊の子、カルエラよ」
紅い唇には柔和な笑みをのせ、高潔な女のようにたたずむ。
「船の準備をしておきなさい。ひさかたぶりの赫物狩りです」
だが声音には、卑しく舌舐めずりをするような気配があった。
窓から強い陽がさしこみ、夜明けを告げる鐘がなる。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
首都中に福音がこだますなか、カルエラは粛粛と悠希だった存在へ頭を垂れた。
曙光が落とした青年の影が、カルエラの瞳に映り込む。
先ほどまで、気丈にふるまっていた青年の想いが、そこに潜んでいるように思えた。
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