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番外編 運命の女神に永遠の愛を
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――美しい人だった。
領内に出没したという魔物を倒さんと剣を手に森に入ったディオンの前に現れたのは、魔術師を名乗る女性だった。
すらりとした長身、薄青の長い髪、真っ白な肌、ラベンダー色の瞳。魔物の骸の傍らにすっくと立つその姿は、雪の精霊のように見えた。
彼女はすぐに去ってしまったが、その声は竪琴の音色のように耳に心地よかった。
その日から、ディオンは寝ても覚めても、名前すら分からない魔術師のことを想うようになった。貴族の不義の子として生まれ誰にも愛されず、自分には誰かを愛する資格などないと思っていたのに、あろうことか恋に落ちてしまった。
何とか情報をかき集め、恋した雪の精は魔術師の中でも位の高い大魔術師であり、貴族の夜会にも度々顔を出すということを知った。
また彼女に会える望みをかけて、クロウディード家の従僕として向かった夜会にて、ディオンはその魔術師と再会を果たすことができた。幸運なことに、貴族間のいざこざを止めに入った彼女の助けになることができた。
雪の精はセシーリャ・エインゼールと名乗った。美しいだけでなく、自分を顧みず人を助ける姿勢に感銘を受けたディオンは、自分のような者が近づくのは許されることではないと知りつつ、彼女に触れてしまった。
その時にセシーリャが見せた、初心な乙女のような表情をディオンは見逃さなかった。その場ではすぐに別れたが、凛とした立ち居振る舞いから一転見せた愛らしさに、ディオンの彼女への思慕は一層募るばかりだった。
どうにかしてもっとセシーリャに近づきたい――その一心でディオンは彼女を取り巻く環境を更に調べ、「従士」という役目があること、そしてセシーリャには今、その従士がいないという話を突き止めた。いきなり彼女の元に押しかけて従士にして欲しいと頼むなど、まともな人間のすることではない。それでも彼女の傍にいられるなら、麦の一粒ほどの望みでも捨てられなかった。
きっと断られるだろうと予想していた。しかしセシーリャは奇跡的に、ディオンを従士として受け入れてくれた。
それからのディオンは懸命に働いた。何をすればセシーリャが喜ぶか、彼女の助けになれるか、それだけをひたすらに突き詰めた。
セシーリャはどこか他人を寄せ付けないような雰囲気をまとっていたが、本当は素直で無邪気な女性で、少し抜けたところが愛らしく――ディオンが完全に彼女の虜になるまで、そう時間はかからなかった。
セシーリャは大魔術師としてはかなり若い。その真面目さ故に外では気を張っているのだと分かり、少しでもその負担を取り除きたかった。幸い、今までディオンが生家で身につけた従僕としての教養は大いに役に立った。
ある日セシーリャに出自を問われた時、本当のことを話すべきかディオンの心に迷いが生まれた。真実を知ってしまったら、従士を辞して欲しいと言われるかもしれない。それでも、彼女には誠実でありたかった。
意を決してすべてを話しても彼女はただ驚いただけで、ディオンを受け入れた。あなたは悪くないと言って、信頼を寄せてくれた。
ディオンにとってそれは泣きそうなほどに嬉しくて――同時に、彼女への想いが溢れて止まらなくなってしまった。
ディオンが愛を告げると、セシーリャは逃げ出してしまった。彼女を苦しめてしまった、傍にいる資格を失った。それを悔いて彼女の元を去ろうと決めたが――偶然が重なってセシーリャと再会し、想いを通じ合わせることができた。
それからの日々は、ディオンにとってはどんな宝石よりも美しく輝くものだった。毎朝目を覚ます度、今生きている世界が夢ではないことを確かめて幸せを噛み締めた。
セシーリャは最初の方こそ少し戸惑いを見せていたが、やがて完全に心を許し、ディオンにたくさん甘えてくるようになった。その姿を見ると、一層愛おしさがこみ上げた。
だが、幸せは長く続かなかった。魔術師協会にディオンの素性が知れ渡り、セシーリャの大魔術師としての立場が危うくなってしまったのだ。
セシーリャと離れるのは辛い。しかし自分のせいで彼女が脅かされることはもっと耐えられない。今度こそ彼女の元を離れようと思ったが、セシーリャはそれを許さなかった。ディオンを守るために立ち向かうと宣言してくれた。
本当に強い女性だ。彼女のその姿勢は、何があっても傍を離れないと改めてディオンに決意をさせた。
その最中、とある町が魔物の襲撃を受けたと報告があり、ディオンはセシーリャと共に現地へ赴くことになった。
強力な魔物と渡り合えるのはセシーリャのみ。ディオンはたった一人で討伐に向かう彼女を身を切られるような思いで送り、魔物に怯える人々に寄り添って懸命に励ました。
魔物が生み出した、町を覆う氷が解け始めた瞬間、セシーリャを迎えにディオンは飛び出した。彼女の足取りを追い、傷を負って倒れ伏す姿を見つけた時には、全身の血が一気に抜かれるような感覚に陥った。
薬を飲ませても、傷を魔法で治しても、セシーリャは眠り続けたままだった。焦るあまり、ディオンの命を代償にセシーリャの命が助かるなら今すぐそうしてくれとランドルフに詰め寄り、そんな魔法はないと突っぱねられた。彼女が必ず目覚めると信じて、いつ起きてもいいように、己の不安を拭うために、ディオンは働き続けた。空いた時間にはセシーリャに寄り添い、手を握って声をかけながらいつの間にかまどろみ、彼女が何事もなかったかのように笑う夢と、彼女の亡骸を抱えて絶望する夢を交互に見て目を覚ました。
そして七日が経ち、愛する人はディオンの名をつぶやいてその目を開けた。
ただひたすらにセシーリャを想い続けたディオンの行動が魔術師協会から認められ、今後も彼女の従士を続けて良いという結果につながった。
しかし、ディオンには向き合うべき問題がまだ残っていた。セシーリャと共に生きるなら、クロウディード伯爵家とは縁を切らねばならない。
答えはもう決まっていた。目覚めて間もないセシーリャを置いて行くのは気が引けたが、一日だけもらいディオンは生家へと戻った。
大魔術師の従士になるとだけ言って出て行ったディオンが突如戻ったかと思えば、今度は縁を切りたいとの申し出――父親であるクロウディード伯爵は驚き戸惑っていたが、ディオンの意志が揺るぎないものであることを悟ったのか、今までディオンを冷淡に扱ったことを詫び、一度も渡されることのなかった従僕時代の給金をまとめて用意してくれた。特にディオンに辛くあたっていた伯爵夫人も、「それでディオンの顔を見ずに済むなら」と反対することはなかった。
二十八年間を過ごした場所に未練などなかった。伯爵や婦人を恨むこともしない。彼らもこの場所も、ディオンにとっては必要のないもの。ディオンの帰る場所はすでに別のところにあるのだ。
セシーリャの従士となってから貯め続けた給金をつぎ込んだ特注の指輪を携えて、ディオンは愛する人の待つ家へと戻った。
――そして今、女神は自分の隣にいる。
ディオンはすうすうと寝息を立てる妻、セシーリャの顔をじっと見つめた。緊張する晩餐会を終えた後に長い時間睦み合ったことで、相当疲れさせてしまった。ぐっすりと眠っている。
傍にいられるなら何もかも捨てても良いと思えるほど恋焦がれた人と想いが通じ合っているという事実が未だに嬉しすぎて、ついつい心と体を先走らせても、彼女は細い腕をディオンの背中に回し、すべてを受け止めてくれる。
人はみな、セシーリャのことを「氷晶の女神」と呼ぶ。しかし、ディオンにとって彼女はもっと高位の存在――魔物に殺されていただろう未来を変え、自分を縛り続けた過去の鎖を解き、愛する人のために生きることがどれほど素晴らしいかを教えてくれた「運命の女神」だ。
人々はセシーリャの魔術師としての一面しか知らないが、ディオンはもっと多くのことを知っている。木苺のタルトにうっとりと舌鼓を打つ顔、かかとの高い靴を履くときのげんなりする顔、夫の愛を受けて女の悦びに浸る顔、そして少女のようにあどけない寝顔――すべてがディオンのものだ。これ以上の幸福はどこにもありはしない。
いつか彼女の中に二人の愛の結晶が宿り、産声を上げる日が待ち遠しい。その時には、新しい命へディオンから伝えたいことが山ほどある。
お互いを想い合い、尊敬し合う二人の元に訪れた子、望まれた子、祝福された子、愛されるために生まれ、世界のどこかにいる別の誰かを愛するために生きる子であるということを。
尽きない敬意と感謝と愛をこめて、ディオンはセシーリャの額に口づけを落とした。遠い夢の波間を漂っているはずの女神は、それに応えるかのようにディオンの方へ頭を少し傾けた。
領内に出没したという魔物を倒さんと剣を手に森に入ったディオンの前に現れたのは、魔術師を名乗る女性だった。
すらりとした長身、薄青の長い髪、真っ白な肌、ラベンダー色の瞳。魔物の骸の傍らにすっくと立つその姿は、雪の精霊のように見えた。
彼女はすぐに去ってしまったが、その声は竪琴の音色のように耳に心地よかった。
その日から、ディオンは寝ても覚めても、名前すら分からない魔術師のことを想うようになった。貴族の不義の子として生まれ誰にも愛されず、自分には誰かを愛する資格などないと思っていたのに、あろうことか恋に落ちてしまった。
何とか情報をかき集め、恋した雪の精は魔術師の中でも位の高い大魔術師であり、貴族の夜会にも度々顔を出すということを知った。
また彼女に会える望みをかけて、クロウディード家の従僕として向かった夜会にて、ディオンはその魔術師と再会を果たすことができた。幸運なことに、貴族間のいざこざを止めに入った彼女の助けになることができた。
雪の精はセシーリャ・エインゼールと名乗った。美しいだけでなく、自分を顧みず人を助ける姿勢に感銘を受けたディオンは、自分のような者が近づくのは許されることではないと知りつつ、彼女に触れてしまった。
その時にセシーリャが見せた、初心な乙女のような表情をディオンは見逃さなかった。その場ではすぐに別れたが、凛とした立ち居振る舞いから一転見せた愛らしさに、ディオンの彼女への思慕は一層募るばかりだった。
どうにかしてもっとセシーリャに近づきたい――その一心でディオンは彼女を取り巻く環境を更に調べ、「従士」という役目があること、そしてセシーリャには今、その従士がいないという話を突き止めた。いきなり彼女の元に押しかけて従士にして欲しいと頼むなど、まともな人間のすることではない。それでも彼女の傍にいられるなら、麦の一粒ほどの望みでも捨てられなかった。
きっと断られるだろうと予想していた。しかしセシーリャは奇跡的に、ディオンを従士として受け入れてくれた。
それからのディオンは懸命に働いた。何をすればセシーリャが喜ぶか、彼女の助けになれるか、それだけをひたすらに突き詰めた。
セシーリャはどこか他人を寄せ付けないような雰囲気をまとっていたが、本当は素直で無邪気な女性で、少し抜けたところが愛らしく――ディオンが完全に彼女の虜になるまで、そう時間はかからなかった。
セシーリャは大魔術師としてはかなり若い。その真面目さ故に外では気を張っているのだと分かり、少しでもその負担を取り除きたかった。幸い、今までディオンが生家で身につけた従僕としての教養は大いに役に立った。
ある日セシーリャに出自を問われた時、本当のことを話すべきかディオンの心に迷いが生まれた。真実を知ってしまったら、従士を辞して欲しいと言われるかもしれない。それでも、彼女には誠実でありたかった。
意を決してすべてを話しても彼女はただ驚いただけで、ディオンを受け入れた。あなたは悪くないと言って、信頼を寄せてくれた。
ディオンにとってそれは泣きそうなほどに嬉しくて――同時に、彼女への想いが溢れて止まらなくなってしまった。
ディオンが愛を告げると、セシーリャは逃げ出してしまった。彼女を苦しめてしまった、傍にいる資格を失った。それを悔いて彼女の元を去ろうと決めたが――偶然が重なってセシーリャと再会し、想いを通じ合わせることができた。
それからの日々は、ディオンにとってはどんな宝石よりも美しく輝くものだった。毎朝目を覚ます度、今生きている世界が夢ではないことを確かめて幸せを噛み締めた。
セシーリャは最初の方こそ少し戸惑いを見せていたが、やがて完全に心を許し、ディオンにたくさん甘えてくるようになった。その姿を見ると、一層愛おしさがこみ上げた。
だが、幸せは長く続かなかった。魔術師協会にディオンの素性が知れ渡り、セシーリャの大魔術師としての立場が危うくなってしまったのだ。
セシーリャと離れるのは辛い。しかし自分のせいで彼女が脅かされることはもっと耐えられない。今度こそ彼女の元を離れようと思ったが、セシーリャはそれを許さなかった。ディオンを守るために立ち向かうと宣言してくれた。
本当に強い女性だ。彼女のその姿勢は、何があっても傍を離れないと改めてディオンに決意をさせた。
その最中、とある町が魔物の襲撃を受けたと報告があり、ディオンはセシーリャと共に現地へ赴くことになった。
強力な魔物と渡り合えるのはセシーリャのみ。ディオンはたった一人で討伐に向かう彼女を身を切られるような思いで送り、魔物に怯える人々に寄り添って懸命に励ました。
魔物が生み出した、町を覆う氷が解け始めた瞬間、セシーリャを迎えにディオンは飛び出した。彼女の足取りを追い、傷を負って倒れ伏す姿を見つけた時には、全身の血が一気に抜かれるような感覚に陥った。
薬を飲ませても、傷を魔法で治しても、セシーリャは眠り続けたままだった。焦るあまり、ディオンの命を代償にセシーリャの命が助かるなら今すぐそうしてくれとランドルフに詰め寄り、そんな魔法はないと突っぱねられた。彼女が必ず目覚めると信じて、いつ起きてもいいように、己の不安を拭うために、ディオンは働き続けた。空いた時間にはセシーリャに寄り添い、手を握って声をかけながらいつの間にかまどろみ、彼女が何事もなかったかのように笑う夢と、彼女の亡骸を抱えて絶望する夢を交互に見て目を覚ました。
そして七日が経ち、愛する人はディオンの名をつぶやいてその目を開けた。
ただひたすらにセシーリャを想い続けたディオンの行動が魔術師協会から認められ、今後も彼女の従士を続けて良いという結果につながった。
しかし、ディオンには向き合うべき問題がまだ残っていた。セシーリャと共に生きるなら、クロウディード伯爵家とは縁を切らねばならない。
答えはもう決まっていた。目覚めて間もないセシーリャを置いて行くのは気が引けたが、一日だけもらいディオンは生家へと戻った。
大魔術師の従士になるとだけ言って出て行ったディオンが突如戻ったかと思えば、今度は縁を切りたいとの申し出――父親であるクロウディード伯爵は驚き戸惑っていたが、ディオンの意志が揺るぎないものであることを悟ったのか、今までディオンを冷淡に扱ったことを詫び、一度も渡されることのなかった従僕時代の給金をまとめて用意してくれた。特にディオンに辛くあたっていた伯爵夫人も、「それでディオンの顔を見ずに済むなら」と反対することはなかった。
二十八年間を過ごした場所に未練などなかった。伯爵や婦人を恨むこともしない。彼らもこの場所も、ディオンにとっては必要のないもの。ディオンの帰る場所はすでに別のところにあるのだ。
セシーリャの従士となってから貯め続けた給金をつぎ込んだ特注の指輪を携えて、ディオンは愛する人の待つ家へと戻った。
――そして今、女神は自分の隣にいる。
ディオンはすうすうと寝息を立てる妻、セシーリャの顔をじっと見つめた。緊張する晩餐会を終えた後に長い時間睦み合ったことで、相当疲れさせてしまった。ぐっすりと眠っている。
傍にいられるなら何もかも捨てても良いと思えるほど恋焦がれた人と想いが通じ合っているという事実が未だに嬉しすぎて、ついつい心と体を先走らせても、彼女は細い腕をディオンの背中に回し、すべてを受け止めてくれる。
人はみな、セシーリャのことを「氷晶の女神」と呼ぶ。しかし、ディオンにとって彼女はもっと高位の存在――魔物に殺されていただろう未来を変え、自分を縛り続けた過去の鎖を解き、愛する人のために生きることがどれほど素晴らしいかを教えてくれた「運命の女神」だ。
人々はセシーリャの魔術師としての一面しか知らないが、ディオンはもっと多くのことを知っている。木苺のタルトにうっとりと舌鼓を打つ顔、かかとの高い靴を履くときのげんなりする顔、夫の愛を受けて女の悦びに浸る顔、そして少女のようにあどけない寝顔――すべてがディオンのものだ。これ以上の幸福はどこにもありはしない。
いつか彼女の中に二人の愛の結晶が宿り、産声を上げる日が待ち遠しい。その時には、新しい命へディオンから伝えたいことが山ほどある。
お互いを想い合い、尊敬し合う二人の元に訪れた子、望まれた子、祝福された子、愛されるために生まれ、世界のどこかにいる別の誰かを愛するために生きる子であるということを。
尽きない敬意と感謝と愛をこめて、ディオンはセシーリャの額に口づけを落とした。遠い夢の波間を漂っているはずの女神は、それに応えるかのようにディオンの方へ頭を少し傾けた。
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