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二章 騎士団と自警団
17話 忘れえぬ日々
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夕食を終え少し休んだ後、ニールは屋敷の裏手で軽く剣の素振りに励んだ。日頃から行っている習慣だ。
仲間たちが寝入り出す頃に屋敷の中に戻ると、食堂に繋がる扉の隙間から光が漏れているのに気が付いた。
食堂には誰もいなかったが、その奥の台所から音が聞こえる。ニールが台所をのぞくと、ルメリオがそこにいた。
「ルメリオ、こんな時間に何をしてるんだ?」
ニールが声をかけると、ルメリオは驚いた様子で振り返った。
「貴方こそ、まだお休みになっていなかったのですか?」
「外で軽く鍛錬してた」
「ああ、相変わらず熱心なことで……私は軽く明日の朝食の準備をしているだけですのでお気になさらず。朝からお腹が空いただの騒がれるのも大変ですから」
夕食もかなり腕を振るってくれたはずなのに、遅い時間まで更なる仕込みをしてもらうのはさすがに申し訳ない。
「えっ、ルメリオの方こそ気にしないでくれ。そこまでしてもらわなくても……」
「材料はまだ余っています。それに……あれだけ美味しそうに召し上がって頂けるなら、こちらとしても嬉しいものです。作り甲斐がありますよ」
ルメリオの料理は仲間全員から大変好評で、最後に出てきたケーキに至ってはそれを巡ってニールを含めた一部が熾烈な争いを繰り広げた。みっともない真似はやめなさいとルメリオに一喝されたものの、本気で怒ってはおらずどこか嬉しそうにしていた。
「そっか。ありがとうな。楽しみにしてるよ」
邪魔をしてはいけないとニールはその場を去ろうとしたが、今度はルメリオに呼び止められた。
「ニール、すぐに休まれますか?」
「いや、すごく眠いって程じゃないし、ゆっくり寝る支度しようかなと思ってるけど……」
「でしたら、少し座ってお待ちください」
彼に言われるがままニールが食堂の椅子に座って大人しくしていると、カップを二つ持ってルメリオが台所から出てきた。
ニールの目の前に置かれたのは温められた牛乳だった。ほのかに甘く香る湯気がのぼっている。
「これは……」
「蜂蜜を少し入れてあるので、疲れがとれると思います」
「いいのか? ありがとう!」
「私が飲むつもりで作っていた『ついで』です」
一口飲むと、腹の底がほかほかと温まった。彼の言う通り疲れに効きそうだ。
「うん、美味しい」
ニールはテーブルの角を挟んで隣に座っているルメリオを見た。彼も同じように、ゆっくりと牛乳を味わっている。
「何か?」
「いや、ルメリオってさ、何だかんだで女の子以外にも親切だよなと思って」
ついつい前に出がちな自警団の仲間たちを、ルメリオはいつも後方から手助けしてくれる。多少の小言を漏らしながらも怪我は必ず魔法で治してくれる。以前もニールが落ち込んだときには彼が励ましてくれた。年上の存在ということもあり、ニールは彼にとても信頼を置いていた。ニールが褒めてもルメリオは特に喜ぶことはないのだが。
「……まあ、貴方がどう思おうが勝手ですが」
「この街の人たちから、まだ何か悪く言われてるか?」
悪徳領主であったという貴族の息子のルメリオと、ベルセイムの街の人々には大きな溝がある。今も白い目で見られたり大声で馬鹿にされたりしているのなら心苦しい。
「私が自警団と行動しているのは知られていて、罪滅ぼしのつもりかなどと言われているようですが、気にしないことにしています」
「そっか……」
今のルメリオを見ていると、わがままの限りを尽くしたという風には到底思えない。確か前領主であった父親が処刑された後、遠方へ連れていかれたという話だったはずだがどうして戻ってきたのだろう。彼と二人だけになる機会があまりなかったため聞けないままだった。
気にはなるものの詮索するべきではないかもしれない。ニールが迷っているとルメリオが口を開いた。
「聞きたいことがおありなら、そんな間の抜けた顔をしていないで潔く聞いてはいかがです?」
「う……」
どうやら悟られていたらしい。ニールは思い切って切り出すことにした。
「……ルメリオは、家族みんなでここに住んでいたんだよな?」
「ええ。七歳まで」
「それで、その……色々あったんだよな」
ルメリオはカップの中身を一口飲んでテーブルの上に置き、遠い目をした。
「あの時の私は、それはもう手の付けようがないわがままな子供でした。貴方でも匙を投げたでしょうね。生まれた時から欲しいものはねだれば何でも与えられ、不快なものはすべて取り払われ……それが当たり前だったのです。両親も同じように振舞っていましたから、世界の中心は私たち家族なのだと信じて疑っていませんでした」
無論そんな訳はなく、とルメリオは続けた。
「怒れる民の前に引きずり出されて初めて、私たちは自分のしてきた過ちに気づいたのです。恵まれた生活のために多くの善良な人々が苦しみあえいだことを。そして、気づいた時には手遅れでした」
ルメリオの視線が下方へ向いた。
「父は処刑台へ、母は元いた実家へと帰されることになり、私は反乱の主導者だったとある貴族……今のベルセイム領主が治める地の修道院に送られました」
「家族みんな、ばらばらになっちゃったのか……」
「後から聞いた話では、本来であれば母も私も処刑台行きのはずでした。それを父が、どんな残虐な刑でも受け入れる代わりに見逃して欲しいと懇願したそうです」
父親がどのような最期を迎えたのかはルメリオも知らないのだと言った。
「修道院での暮らしは、貴族のそれとは正反対でした。与えられるのは必要最低限なものだけ。身の回りのことはすべて自分で行う……来てしばらくは両親が恋しくて毎晩泣いて泣いて、泣き疲れて眠る日々でしたよ。寂しくても、抱きしめて慰めてくれる人は誰もいませんでした」
そうして清貧な生活を送り修道院が行う奉仕活動への参加を通して、ルメリオの性格は少しずつ矯正されていったようだ。料理や花の世話の方法もその時に覚えたのだと彼は語った。
「修道院長は厳しいお方でしてね。暴力こそありませんでしたが絶対にわがままは許しませんでした。それでも私が泣こうが喚こうが根気強く向き合い、私に魔法の素質があると知ってからはその訓練のために造詣のある者をよこしてくれと領主に掛け合ったりしてくださいました。あの方のことを思い出すと、今でも背筋が伸びますよ」
「修道院を出て、ここに戻ってこようと思ったきっかけって?」
「十八歳を迎えた日のことです。修道院長に呼び出され、三つの選択肢を示されました。一つ目は、このまま修道院に残って修道士になること、二つ目は私を引き取ることに同意してくれた、母の実家へ行くこと」
それを聞いて、思わずニールは話を遮った。
「お母さんのところに行かなかったのか? 会いたかったんだろ?」
「……母は、既に亡くなっているとその時聞かされました。私と別れて五年後のことだったと」
ごめん、とニールは謝り、続きを聞く姿勢に戻った。
「三つ目は、故郷であるベルセイムに戻ること。母は実家に帰った後に何もかもを投げうって懸命に働き、領主に頼み込んで稼いだお金でこの屋敷を買い取ってくださったのです。家財や調度品はすでに別の者の手に渡っておりましたが領主は許可し、ここを私のために残しておいてくださいました。それを聞いた私は、迷わずここに帰ることを選びました」
神に仕える気分にはなれず、母亡き後の実家に行ってもあまりいい扱いを受けることはないだろうと予想していたらしい。
「母は領主や修道院長と密かにやり取りしていたそうで、ある程度の衣服やいま使っている杖も、彼女からの贈り物といって渡されました……身を粉にして、最期まで私のことを想い続けていたそうです」
そうしてベルセイムに戻り、今までの六年間をこの屋敷で暮らしてきたのだという。
ニールはしばらく黙って今までの話を反芻していたが、ふと湧いた疑問を投げかけた。
「あのさ、俺は実の親の記憶がないからぴんとこないんだけど……もしも親が贅沢とかしない人だったら、ルメリオは普通に育って、辛い思いをすることはなかったんだよな? 親のこと、どう思ってるんだ?」
気を悪くしたらごめん、と最後に付け加えた。
ルメリオはしばしカップを見つめ、それに軽く触れては放しを繰り返した後、ニールの方を見た。
「私の両親は、貴族としては最低でしょうね。ですが、人としてもそうだったかといえば違います。夫婦の仲はとても良かったですし、どんな内容であっても私の話すことには耳を傾けて、私が笑うと一緒に笑ってくださいました。たくさん抱きしめてもらいました。ただ私に喜んで欲しくて、ついつい甘やかしてしまったのだと思います」
もちろんそれは間違いですが、とルメリオは言った。
「かつての私たちの幸せが、多くの苦しみの上に成り立っていたものだということは分かっています。ですが両親が私に向けてくださった愛は間違いであっても、決して偽りではなかった……二人の死に目に会えなかったこと、別れるときに私は泣くばかりで笑顔を見せられなかったことは、未だに後悔していますよ」
「そうか……そうなんだな」
領民にとっては悪徳貴族でも、ルメリオにとってはかけがえのない大切な家族だった。愛されたという記憶が、彼の支えになっているのだろう。
「失礼。寝る前の話としては相応しくなかったですね」
「いや、そんなことないよ。ルメリオのことがもっと知れて良かった」
その時かすかにだが、食堂の外で足音が聞こえたような気がしてニールは席を立った。
「誰かいるのかな、見てくるよ」
歩き出そうとしたニールを、大丈夫ですとルメリオが制した。
「隙間風かなにかでしょう。私とミューシャだけでは手入れが行き届かなくて、立て付けが悪くなっているところがありますから」
「ならいいけど……」
再びニールは席に座り、牛乳をごくりと飲んだ。しばらくしてルメリオが深く息をついた。
「さて、そろそろ休んだ方がいいですね」
「そうだな。カップはどうしたらいい?」
「片付けますので、貴方は先にお休みください」
ルメリオが二つの空になったカップを持ち、台所へ向かおうとする。ニールは彼に呼びかけた。
「あのさ……過去をやり直すことはできないし、ルメリオの家族やルメリオのことを許せないっていう人がいるのも、仕方ないことかもしれない。けどさ、俺は今のルメリオのことすごくいい仲間だと思ってるよ。それは俺だけじゃなくて他の皆もそのはずだ」
過去がどうであれ、今の彼はとても優しい。かつて犯した間違いに縛られて欲しくなくてかけた言葉だった。
「……やれやれ、そういう言葉は女性の口から聞きたいものなのですけれどね」
そう言いつつも、ルメリオの表情は柔らかかった。
「まあ、それなりには嬉しいですよ。ありがとうニール。お休みなさい」
「ああ、お休み」
挨拶を交わし、ニールは用意された部屋で眠りについた。
仲間たちが寝入り出す頃に屋敷の中に戻ると、食堂に繋がる扉の隙間から光が漏れているのに気が付いた。
食堂には誰もいなかったが、その奥の台所から音が聞こえる。ニールが台所をのぞくと、ルメリオがそこにいた。
「ルメリオ、こんな時間に何をしてるんだ?」
ニールが声をかけると、ルメリオは驚いた様子で振り返った。
「貴方こそ、まだお休みになっていなかったのですか?」
「外で軽く鍛錬してた」
「ああ、相変わらず熱心なことで……私は軽く明日の朝食の準備をしているだけですのでお気になさらず。朝からお腹が空いただの騒がれるのも大変ですから」
夕食もかなり腕を振るってくれたはずなのに、遅い時間まで更なる仕込みをしてもらうのはさすがに申し訳ない。
「えっ、ルメリオの方こそ気にしないでくれ。そこまでしてもらわなくても……」
「材料はまだ余っています。それに……あれだけ美味しそうに召し上がって頂けるなら、こちらとしても嬉しいものです。作り甲斐がありますよ」
ルメリオの料理は仲間全員から大変好評で、最後に出てきたケーキに至ってはそれを巡ってニールを含めた一部が熾烈な争いを繰り広げた。みっともない真似はやめなさいとルメリオに一喝されたものの、本気で怒ってはおらずどこか嬉しそうにしていた。
「そっか。ありがとうな。楽しみにしてるよ」
邪魔をしてはいけないとニールはその場を去ろうとしたが、今度はルメリオに呼び止められた。
「ニール、すぐに休まれますか?」
「いや、すごく眠いって程じゃないし、ゆっくり寝る支度しようかなと思ってるけど……」
「でしたら、少し座ってお待ちください」
彼に言われるがままニールが食堂の椅子に座って大人しくしていると、カップを二つ持ってルメリオが台所から出てきた。
ニールの目の前に置かれたのは温められた牛乳だった。ほのかに甘く香る湯気がのぼっている。
「これは……」
「蜂蜜を少し入れてあるので、疲れがとれると思います」
「いいのか? ありがとう!」
「私が飲むつもりで作っていた『ついで』です」
一口飲むと、腹の底がほかほかと温まった。彼の言う通り疲れに効きそうだ。
「うん、美味しい」
ニールはテーブルの角を挟んで隣に座っているルメリオを見た。彼も同じように、ゆっくりと牛乳を味わっている。
「何か?」
「いや、ルメリオってさ、何だかんだで女の子以外にも親切だよなと思って」
ついつい前に出がちな自警団の仲間たちを、ルメリオはいつも後方から手助けしてくれる。多少の小言を漏らしながらも怪我は必ず魔法で治してくれる。以前もニールが落ち込んだときには彼が励ましてくれた。年上の存在ということもあり、ニールは彼にとても信頼を置いていた。ニールが褒めてもルメリオは特に喜ぶことはないのだが。
「……まあ、貴方がどう思おうが勝手ですが」
「この街の人たちから、まだ何か悪く言われてるか?」
悪徳領主であったという貴族の息子のルメリオと、ベルセイムの街の人々には大きな溝がある。今も白い目で見られたり大声で馬鹿にされたりしているのなら心苦しい。
「私が自警団と行動しているのは知られていて、罪滅ぼしのつもりかなどと言われているようですが、気にしないことにしています」
「そっか……」
今のルメリオを見ていると、わがままの限りを尽くしたという風には到底思えない。確か前領主であった父親が処刑された後、遠方へ連れていかれたという話だったはずだがどうして戻ってきたのだろう。彼と二人だけになる機会があまりなかったため聞けないままだった。
気にはなるものの詮索するべきではないかもしれない。ニールが迷っているとルメリオが口を開いた。
「聞きたいことがおありなら、そんな間の抜けた顔をしていないで潔く聞いてはいかがです?」
「う……」
どうやら悟られていたらしい。ニールは思い切って切り出すことにした。
「……ルメリオは、家族みんなでここに住んでいたんだよな?」
「ええ。七歳まで」
「それで、その……色々あったんだよな」
ルメリオはカップの中身を一口飲んでテーブルの上に置き、遠い目をした。
「あの時の私は、それはもう手の付けようがないわがままな子供でした。貴方でも匙を投げたでしょうね。生まれた時から欲しいものはねだれば何でも与えられ、不快なものはすべて取り払われ……それが当たり前だったのです。両親も同じように振舞っていましたから、世界の中心は私たち家族なのだと信じて疑っていませんでした」
無論そんな訳はなく、とルメリオは続けた。
「怒れる民の前に引きずり出されて初めて、私たちは自分のしてきた過ちに気づいたのです。恵まれた生活のために多くの善良な人々が苦しみあえいだことを。そして、気づいた時には手遅れでした」
ルメリオの視線が下方へ向いた。
「父は処刑台へ、母は元いた実家へと帰されることになり、私は反乱の主導者だったとある貴族……今のベルセイム領主が治める地の修道院に送られました」
「家族みんな、ばらばらになっちゃったのか……」
「後から聞いた話では、本来であれば母も私も処刑台行きのはずでした。それを父が、どんな残虐な刑でも受け入れる代わりに見逃して欲しいと懇願したそうです」
父親がどのような最期を迎えたのかはルメリオも知らないのだと言った。
「修道院での暮らしは、貴族のそれとは正反対でした。与えられるのは必要最低限なものだけ。身の回りのことはすべて自分で行う……来てしばらくは両親が恋しくて毎晩泣いて泣いて、泣き疲れて眠る日々でしたよ。寂しくても、抱きしめて慰めてくれる人は誰もいませんでした」
そうして清貧な生活を送り修道院が行う奉仕活動への参加を通して、ルメリオの性格は少しずつ矯正されていったようだ。料理や花の世話の方法もその時に覚えたのだと彼は語った。
「修道院長は厳しいお方でしてね。暴力こそありませんでしたが絶対にわがままは許しませんでした。それでも私が泣こうが喚こうが根気強く向き合い、私に魔法の素質があると知ってからはその訓練のために造詣のある者をよこしてくれと領主に掛け合ったりしてくださいました。あの方のことを思い出すと、今でも背筋が伸びますよ」
「修道院を出て、ここに戻ってこようと思ったきっかけって?」
「十八歳を迎えた日のことです。修道院長に呼び出され、三つの選択肢を示されました。一つ目は、このまま修道院に残って修道士になること、二つ目は私を引き取ることに同意してくれた、母の実家へ行くこと」
それを聞いて、思わずニールは話を遮った。
「お母さんのところに行かなかったのか? 会いたかったんだろ?」
「……母は、既に亡くなっているとその時聞かされました。私と別れて五年後のことだったと」
ごめん、とニールは謝り、続きを聞く姿勢に戻った。
「三つ目は、故郷であるベルセイムに戻ること。母は実家に帰った後に何もかもを投げうって懸命に働き、領主に頼み込んで稼いだお金でこの屋敷を買い取ってくださったのです。家財や調度品はすでに別の者の手に渡っておりましたが領主は許可し、ここを私のために残しておいてくださいました。それを聞いた私は、迷わずここに帰ることを選びました」
神に仕える気分にはなれず、母亡き後の実家に行ってもあまりいい扱いを受けることはないだろうと予想していたらしい。
「母は領主や修道院長と密かにやり取りしていたそうで、ある程度の衣服やいま使っている杖も、彼女からの贈り物といって渡されました……身を粉にして、最期まで私のことを想い続けていたそうです」
そうしてベルセイムに戻り、今までの六年間をこの屋敷で暮らしてきたのだという。
ニールはしばらく黙って今までの話を反芻していたが、ふと湧いた疑問を投げかけた。
「あのさ、俺は実の親の記憶がないからぴんとこないんだけど……もしも親が贅沢とかしない人だったら、ルメリオは普通に育って、辛い思いをすることはなかったんだよな? 親のこと、どう思ってるんだ?」
気を悪くしたらごめん、と最後に付け加えた。
ルメリオはしばしカップを見つめ、それに軽く触れては放しを繰り返した後、ニールの方を見た。
「私の両親は、貴族としては最低でしょうね。ですが、人としてもそうだったかといえば違います。夫婦の仲はとても良かったですし、どんな内容であっても私の話すことには耳を傾けて、私が笑うと一緒に笑ってくださいました。たくさん抱きしめてもらいました。ただ私に喜んで欲しくて、ついつい甘やかしてしまったのだと思います」
もちろんそれは間違いですが、とルメリオは言った。
「かつての私たちの幸せが、多くの苦しみの上に成り立っていたものだということは分かっています。ですが両親が私に向けてくださった愛は間違いであっても、決して偽りではなかった……二人の死に目に会えなかったこと、別れるときに私は泣くばかりで笑顔を見せられなかったことは、未だに後悔していますよ」
「そうか……そうなんだな」
領民にとっては悪徳貴族でも、ルメリオにとってはかけがえのない大切な家族だった。愛されたという記憶が、彼の支えになっているのだろう。
「失礼。寝る前の話としては相応しくなかったですね」
「いや、そんなことないよ。ルメリオのことがもっと知れて良かった」
その時かすかにだが、食堂の外で足音が聞こえたような気がしてニールは席を立った。
「誰かいるのかな、見てくるよ」
歩き出そうとしたニールを、大丈夫ですとルメリオが制した。
「隙間風かなにかでしょう。私とミューシャだけでは手入れが行き届かなくて、立て付けが悪くなっているところがありますから」
「ならいいけど……」
再びニールは席に座り、牛乳をごくりと飲んだ。しばらくしてルメリオが深く息をついた。
「さて、そろそろ休んだ方がいいですね」
「そうだな。カップはどうしたらいい?」
「片付けますので、貴方は先にお休みください」
ルメリオが二つの空になったカップを持ち、台所へ向かおうとする。ニールは彼に呼びかけた。
「あのさ……過去をやり直すことはできないし、ルメリオの家族やルメリオのことを許せないっていう人がいるのも、仕方ないことかもしれない。けどさ、俺は今のルメリオのことすごくいい仲間だと思ってるよ。それは俺だけじゃなくて他の皆もそのはずだ」
過去がどうであれ、今の彼はとても優しい。かつて犯した間違いに縛られて欲しくなくてかけた言葉だった。
「……やれやれ、そういう言葉は女性の口から聞きたいものなのですけれどね」
そう言いつつも、ルメリオの表情は柔らかかった。
「まあ、それなりには嬉しいですよ。ありがとうニール。お休みなさい」
「ああ、お休み」
挨拶を交わし、ニールは用意された部屋で眠りについた。
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