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二章 騎士団と自警団
22話 初めての気持ち
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翌朝、予定されていた出発時間ぎりぎりにギーランは眠い目をこすりつつ宿屋の外に出た。すでに馬車が待機している。しかし、周りの人々の様子がどうにもおかしかった。
「おい、何かあったのか」
「ギーランさん! 娘が、ヴィヴィアンナがいないんだ!」
雇い主が青ざめた顔でギーランに訴えた。
「は……?」
そんなはずはない。確かに昨夜、ギーランは彼女を宿屋の寝室まで運び寝かせたのだ。酒は一杯しか飲んでいないため、記憶は確かにある。
「どっかその辺をうろついてんじゃねえのか」
「ずっと探しているのに見つからないんだよ!」
従者や宿屋の従業員も総動員して捜しているが、手がかりの一つすらつかめないのだという。子供の足で行ける範囲など限られているはずだが――
「あっ、いた! そこのあんた!」
一人の女がギーランの方に走ってきた。その顔には見覚えがあった。昨日、酒場で給仕をしていた女だ。
「あんたの娘さんが、男の二人組に連れられて行っちゃったんだ! あれは人さらいだよ!」
全身の毛が逆立つような感覚がギーランを包んだ。女に詰め寄る。
「どこへ行った!」
「ここを真っすぐ行った先に門がある、そこから馬車が出てった!」
ギーランは迷うことなく止めてあった馬車から馬を解き、その背に跨った。
「連れ戻す!」
狼狽える雇い主にそれだけ言い残し、馬の腹を蹴る。馬が勢いよく走り出した。
***
ひたすら馬を駆りギーランは道を急いだ。きっとまだ間に合うはずだ。いや、間に合わせなければいけない。
疑うことを知らないヴィヴィアンナのことだ。偶然出会った他人のことをあっさり信じ、人さらいと思わずついて行ったのかもしれない。
馬上のギーランの目に入ったのは、整備された街道から逸れて続く車輪の跡だった。おそらくこの先にヴィヴィアンナがいる。ギーランは手綱を操って馬の首をその方へ向けて走らせた。
やがて、ぽつんと立つ一軒の小屋が見えてきた。周りに人の姿はない。小屋の脇に、一頭の馬が繋がれた馬車が停めてあった。
ギーランは小屋の前で馬から飛び降り、乱暴に扉を蹴破った。
「ギー!」
幼い少女の声が小屋の中に響く。両手と両足を縛られたヴィヴィアンナがそこにいた。
彼女を囲むように立っていた二人の男が驚いた表情でギーランの方を見た。
「な、なんだお前!」
「俺は気が短けぇんだ。そのガキ置いてとっとと失せろ」
低い声でギーランが告げると、男たちは動かずそれぞれ短刀を抜いて構えた。
「こいつは高く売れはずだ、手放すかよ!」
短刀しか持っていない男たちなど、ギーランにとっては丸腰とさして変わらない。己の武器を握るまでもなく、突っ込んできた彼らの顔を殴り、手首をひねり上げ腹を蹴りつけた。
「や、やめてくれ! 命だけは助けてくれ!」
「こんなことはもうやめるから!」
先ほどまで威勢の良かった男たちが、床に倒れ伏しつつ懇願する。ギーランはそれを見下ろしながら戦斧に手をかけた。
恐ろしく腸が煮えくり返っている。この程度では済ますことができない。彼らの首を落とすことなど、ギーランにとっては容易いことだ。今まで何度も同じことをしてきた。
情けなど無用と戦斧を振り上げたその瞬間、こちらを見つめるヴィヴィアンナと目があった。
ギーランの時が、一瞬だけ止まった。
――駄目だ。
戦斧の刃は弧を描き、男の一人の耳元に落ちた。床に大きな亀裂が走る。
「……失せろ」
一言だけ告げた。
二人の男が我さきにと立ち上がり、足をもつれさせながら小屋を飛び出す。なぜ殺してはいけないと思ったのか、ギーラン自身でもよく分からなかった。
それについて考えている時間はない。ギーランは男が落としていった短刀を拾い上げ、ヴィヴィアンナの傍らに片膝をついた。幸いにも暴力を振るわれた形跡はない。
「ギー!」
「動くんじゃねえ」
短刀で縄を切ると、彼女はぶつかるようにギーランに抱き着いてきた。
「面倒かけんなって言っただろうがよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
ギーランと目を合わせたヴィヴィアンナの瞳から、大粒の涙が零れ始めた。
「お別れになっちゃうから、ギーに、なにかあげたくってぇ、探してたら、あのひとたちが、いっしょに探してくれるってぇ……」
ギーランの予想と大体当たっていた。自分のための贈り物を探しに、とは想像していなかったが。
「ごめんなさい、ギー、泣きやむから、おねがいだから、わたしのこと、きらいにならないで……」
ヴィヴィアンナは泣きすぎて小さく震えている。ギーランはため息をつきつつ問うた。
「お前、俺に嫌われたらそんなに困んのかよ」
「うん、いやだ……」
どうしてこの小さな娘は、行きずりのただの傭兵にここまで必死にすがるのだろう。彼女の体はとても小さい。それなのにギーランの胸の中で、確かな存在感をたたえていた。他人なんてどうでもいいはずなのに、どうしても彼女を放っておくことができない。
泣き止むと言いながらヴィヴィアンナは未だしゃくりあげ続けている。ギーランは小さく呻き、その体を抱えて立ち上がった。
「分かった分かった……よく生きたな。大したもんだぜ」
ギーランに拘束を解いてもらうまで、ヴィヴィアンナの顔に涙の跡はなかった。小さな体で気丈に恐怖と戦ったのだろう。
小屋の外に出て乗って来た馬にヴィヴィアンナを乗せ、ギーランはその後ろに跨った。落ちられてはかなわないので彼女の体に片手を回して支え、もう片方の手で手綱を握る。馬が早足で進み始めた。
「ギー、もっとゆっくりして!」
ようやく泣き止んだヴィヴィアンナが、今度は顔を上げてギーランに訴える。
「あ? お前が大人しくしてりゃ落ちねえよ。黙って乗ってろ」
「おねがい! もっとゆっくり!」
「……ったく、本当にごちゃごちゃうるせえガキだな」
雇い主にあれこれ言われるのは面倒なのでできれば急いで帰りたかったが、ずっと彼女に騒がれるのはもっと面倒だ。ギーランが軽く手綱を引くと、馬の速度が少し緩んだ。
ヴィヴィアンナは納得したようで、自分の体を支えるギーランの手に小さな両手を重ねてきた。
***
その後ヴィヴィアンナを連れ戻したギーランは、目的地まで護衛の務めを果たした。
雇い主から報酬のもう半分を受け取った。これで彼らとの旅は終わりだ。
「本当にありがとうございました。ヴィヴィアンナ、ギーランさんにきちんとお礼を言いなさい」
父親に促され、ヴィヴィアンナはギーランの顔を見上げた。瞳がかすかに潤んでいる。泣くまいとこらえているのだろう。
「……ギー、ありがとう」
「あばよ、ヴィー」
ギーランは彼らにくるりと背を向け歩き出した。これからまた、次の雇い主を探す旅が始まる。
「ギーっ! 待ってー!」
聞こえてきた甲高い声に、ギーランは振り返った。ヴィヴィアンナがこちらに向かって走ってくる。追いつくと、彼女はぎゅっとギーランの脚に抱き着いた。
「おい、何だよ」
ヴィヴィアンナが何か言いたげにズボンを引っ張ってくる。ギーランはしぶしぶその場に片膝をついて屈んだ。
「はっきり言え」
彼女は何も言わず今度はギーランの首に腕を回した。そして彼女の小さな唇が、ギーランの頬に押し当てられた。
「ギー、だいすきよ。またね」
ギーランが何か言う前にヴィヴィアンナは踵を返し、元いたところへと走って戻っていった。
またね、などという言葉は当てにならない。ギーランは明日を無事迎えられるか分からない身だ。ヴィヴィアンナは良家の子女で、次に会う機会などあるはずもない。あったとしても、ギーランのことなど忘れてしまっている頃だろう。
まさか十一年後に再び会うことになるとは、この時のギーランは思ってもいなかった。
「おい、何かあったのか」
「ギーランさん! 娘が、ヴィヴィアンナがいないんだ!」
雇い主が青ざめた顔でギーランに訴えた。
「は……?」
そんなはずはない。確かに昨夜、ギーランは彼女を宿屋の寝室まで運び寝かせたのだ。酒は一杯しか飲んでいないため、記憶は確かにある。
「どっかその辺をうろついてんじゃねえのか」
「ずっと探しているのに見つからないんだよ!」
従者や宿屋の従業員も総動員して捜しているが、手がかりの一つすらつかめないのだという。子供の足で行ける範囲など限られているはずだが――
「あっ、いた! そこのあんた!」
一人の女がギーランの方に走ってきた。その顔には見覚えがあった。昨日、酒場で給仕をしていた女だ。
「あんたの娘さんが、男の二人組に連れられて行っちゃったんだ! あれは人さらいだよ!」
全身の毛が逆立つような感覚がギーランを包んだ。女に詰め寄る。
「どこへ行った!」
「ここを真っすぐ行った先に門がある、そこから馬車が出てった!」
ギーランは迷うことなく止めてあった馬車から馬を解き、その背に跨った。
「連れ戻す!」
狼狽える雇い主にそれだけ言い残し、馬の腹を蹴る。馬が勢いよく走り出した。
***
ひたすら馬を駆りギーランは道を急いだ。きっとまだ間に合うはずだ。いや、間に合わせなければいけない。
疑うことを知らないヴィヴィアンナのことだ。偶然出会った他人のことをあっさり信じ、人さらいと思わずついて行ったのかもしれない。
馬上のギーランの目に入ったのは、整備された街道から逸れて続く車輪の跡だった。おそらくこの先にヴィヴィアンナがいる。ギーランは手綱を操って馬の首をその方へ向けて走らせた。
やがて、ぽつんと立つ一軒の小屋が見えてきた。周りに人の姿はない。小屋の脇に、一頭の馬が繋がれた馬車が停めてあった。
ギーランは小屋の前で馬から飛び降り、乱暴に扉を蹴破った。
「ギー!」
幼い少女の声が小屋の中に響く。両手と両足を縛られたヴィヴィアンナがそこにいた。
彼女を囲むように立っていた二人の男が驚いた表情でギーランの方を見た。
「な、なんだお前!」
「俺は気が短けぇんだ。そのガキ置いてとっとと失せろ」
低い声でギーランが告げると、男たちは動かずそれぞれ短刀を抜いて構えた。
「こいつは高く売れはずだ、手放すかよ!」
短刀しか持っていない男たちなど、ギーランにとっては丸腰とさして変わらない。己の武器を握るまでもなく、突っ込んできた彼らの顔を殴り、手首をひねり上げ腹を蹴りつけた。
「や、やめてくれ! 命だけは助けてくれ!」
「こんなことはもうやめるから!」
先ほどまで威勢の良かった男たちが、床に倒れ伏しつつ懇願する。ギーランはそれを見下ろしながら戦斧に手をかけた。
恐ろしく腸が煮えくり返っている。この程度では済ますことができない。彼らの首を落とすことなど、ギーランにとっては容易いことだ。今まで何度も同じことをしてきた。
情けなど無用と戦斧を振り上げたその瞬間、こちらを見つめるヴィヴィアンナと目があった。
ギーランの時が、一瞬だけ止まった。
――駄目だ。
戦斧の刃は弧を描き、男の一人の耳元に落ちた。床に大きな亀裂が走る。
「……失せろ」
一言だけ告げた。
二人の男が我さきにと立ち上がり、足をもつれさせながら小屋を飛び出す。なぜ殺してはいけないと思ったのか、ギーラン自身でもよく分からなかった。
それについて考えている時間はない。ギーランは男が落としていった短刀を拾い上げ、ヴィヴィアンナの傍らに片膝をついた。幸いにも暴力を振るわれた形跡はない。
「ギー!」
「動くんじゃねえ」
短刀で縄を切ると、彼女はぶつかるようにギーランに抱き着いてきた。
「面倒かけんなって言っただろうがよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい!」
ギーランと目を合わせたヴィヴィアンナの瞳から、大粒の涙が零れ始めた。
「お別れになっちゃうから、ギーに、なにかあげたくってぇ、探してたら、あのひとたちが、いっしょに探してくれるってぇ……」
ギーランの予想と大体当たっていた。自分のための贈り物を探しに、とは想像していなかったが。
「ごめんなさい、ギー、泣きやむから、おねがいだから、わたしのこと、きらいにならないで……」
ヴィヴィアンナは泣きすぎて小さく震えている。ギーランはため息をつきつつ問うた。
「お前、俺に嫌われたらそんなに困んのかよ」
「うん、いやだ……」
どうしてこの小さな娘は、行きずりのただの傭兵にここまで必死にすがるのだろう。彼女の体はとても小さい。それなのにギーランの胸の中で、確かな存在感をたたえていた。他人なんてどうでもいいはずなのに、どうしても彼女を放っておくことができない。
泣き止むと言いながらヴィヴィアンナは未だしゃくりあげ続けている。ギーランは小さく呻き、その体を抱えて立ち上がった。
「分かった分かった……よく生きたな。大したもんだぜ」
ギーランに拘束を解いてもらうまで、ヴィヴィアンナの顔に涙の跡はなかった。小さな体で気丈に恐怖と戦ったのだろう。
小屋の外に出て乗って来た馬にヴィヴィアンナを乗せ、ギーランはその後ろに跨った。落ちられてはかなわないので彼女の体に片手を回して支え、もう片方の手で手綱を握る。馬が早足で進み始めた。
「ギー、もっとゆっくりして!」
ようやく泣き止んだヴィヴィアンナが、今度は顔を上げてギーランに訴える。
「あ? お前が大人しくしてりゃ落ちねえよ。黙って乗ってろ」
「おねがい! もっとゆっくり!」
「……ったく、本当にごちゃごちゃうるせえガキだな」
雇い主にあれこれ言われるのは面倒なのでできれば急いで帰りたかったが、ずっと彼女に騒がれるのはもっと面倒だ。ギーランが軽く手綱を引くと、馬の速度が少し緩んだ。
ヴィヴィアンナは納得したようで、自分の体を支えるギーランの手に小さな両手を重ねてきた。
***
その後ヴィヴィアンナを連れ戻したギーランは、目的地まで護衛の務めを果たした。
雇い主から報酬のもう半分を受け取った。これで彼らとの旅は終わりだ。
「本当にありがとうございました。ヴィヴィアンナ、ギーランさんにきちんとお礼を言いなさい」
父親に促され、ヴィヴィアンナはギーランの顔を見上げた。瞳がかすかに潤んでいる。泣くまいとこらえているのだろう。
「……ギー、ありがとう」
「あばよ、ヴィー」
ギーランは彼らにくるりと背を向け歩き出した。これからまた、次の雇い主を探す旅が始まる。
「ギーっ! 待ってー!」
聞こえてきた甲高い声に、ギーランは振り返った。ヴィヴィアンナがこちらに向かって走ってくる。追いつくと、彼女はぎゅっとギーランの脚に抱き着いた。
「おい、何だよ」
ヴィヴィアンナが何か言いたげにズボンを引っ張ってくる。ギーランはしぶしぶその場に片膝をついて屈んだ。
「はっきり言え」
彼女は何も言わず今度はギーランの首に腕を回した。そして彼女の小さな唇が、ギーランの頬に押し当てられた。
「ギー、だいすきよ。またね」
ギーランが何か言う前にヴィヴィアンナは踵を返し、元いたところへと走って戻っていった。
またね、などという言葉は当てにならない。ギーランは明日を無事迎えられるか分からない身だ。ヴィヴィアンナは良家の子女で、次に会う機会などあるはずもない。あったとしても、ギーランのことなど忘れてしまっている頃だろう。
まさか十一年後に再び会うことになるとは、この時のギーランは思ってもいなかった。
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