上 下
47 / 90
二章 騎士団と自警団

25話 大嫌いな好敵手

しおりを挟む
 決闘の申込を受け入れたものの、一体どこで行えばいいのか――そう思っていたニールが案内されたのは、騎士団本部の練習場だった。テオドールも騎士を辞している以上、入る資格を持つ者は誰もいないのだが、どうせもう来ることはないのだから構わないとテオドールに押し切られた。仲間たちも一緒に来て立ち会っている。

「ニール、頑張ってー!」
「負けるなー、やっつけろー!」

 フランシエルとアロンの声が響いた。
 ニールとテオドールが向かい合う。両者の顔が見える位置にルメリオが立った。

「どの時点で勝負ありと見なしますか?」
「どちらかが膝をつくまで」

 テオドールが答えた。

「承知しました。それまでは止めに入りませんが、こちらが危険と判断した時や、不正が疑われる場合はその限りではありません。よろしいですね?」
「ロンバルト家の名にかけて、正々堂々戦うことを誓う」
「不正はしない、この剣にかけて」

 テオドールにならってニールが言うと、ルメリオは頷いた。

「始め!」

 宣言の後、ルメリオがさっと距離をとる。
 ニールとテオドール、双方が剣を抜いた。
 テオドールが斬りかかってくる。ニールはそれを受け止めて流した。間髪入れず次の攻撃がやって来る。
 ニールが繰り出す切っ先をテオドールはさっとかわした。しかし視線はニールから離れない。その瞳にはありありと闘志の炎が揺らめいていた。
 どちらの実力が上なのか彼ははっきりさせたいのだ。家柄や富ではなく剣の腕で、テオドールはニールに勝ちたいと思っている。
 剣を振り続けるニールの額に汗が浮かぶ。少しでも気を抜けば、膝をつかされてしまう。決闘を申し込まれた時は戸惑ったが、今やニールの心も燃えていた。人々を守りたいという思いが決して口先だけのものではないということを、テオドールに証明したかった。
 テオドールが後ろに飛びのいた。一進一退の攻防が続くためか息が上がっている。しかし諦めるつもりはまったくないようだ。勢いよく踏み込み、ニール目がけて剣が振り下ろされる。ニールも構えてそれを受け止めたものの、ぐっと力強く押された。じりじりとニールの足が滑る。
 負けたくない――ニールは歯を食いしばって踏みとどまり、テオドールの攻めを押し返した。

「っ……!」

 テオドールに生まれた一瞬の隙をニールは見逃さなかった。一度、二度、三度と連続で叩き込む。それをなんとか防いだテオドールだったが、とうとう限界を迎えたようだ。

「あっ……」

 テオドールの体がよろめき、体勢を整えることが叶わずがくりと膝が床についた。

「そこまで!」

 ルメリオが声を響かせた。ニールは剣を鞘に戻し、くずおれたままのテオドールの方へ一歩踏み出した。

「テオドール、大丈夫か?」

 彼は答えずうつむいたままだ。どこかを痛めたのだろうか。彼が立ち上がるのに手を貸そうとニールは手を差し伸べた。

「テオドール……」
「畜生っ!」

 ニールの手を無視し顔を伏せたまま、テオドールは慟哭どうこくした。

「どうして僕は何もできないんだ! 兄は優秀で僕の出る幕なんてない、ここでは皆に馬鹿にされて、お前みたいな田舎の人間にすら負けてっ……僕に一体何があるっていうんだよ!」

 肩が震え、その声はどんどん小さくなっていく。

「情けない、悔しい……どんなに努力しても、手の中には何も残らない……」

 初めて会った時の、ニールを小馬鹿にしていた態度とはまるで違う。尊厳も自信も失くしてしまったその姿は雨に濡れた犬のようだった。
 
「テオドール」

 ニールは彼に呼びかけた。

「俺はお前の言う通り、ここから遠い小さな村でずっと育った。貴族のことなんて何にも分からない。だから俺から何を言っても、テオドールにとっては慰めにはならないんだと思う。でも、俺の気持ちを言わせて欲しい」

 テオドールが顔を上げた。

「俺、お前のこと嫌な奴だと思ってた。馬鹿にされて腹が立った。けど今、お前は自分の力だけで、俺に勝とうとした。ずるいことをして俺に勝つことだってできたはずだろ?」
「そんなことをしたって、意味がない……」
「そうだ。上手く言えないけど……そういう風に考えることができるお前は、本当の意味で『嫌な奴』じゃないんだ」

 ニールは姿勢を低くし、テオドールと目線を合わせた。

「今日は俺の勝ちだったけどさ、正直、全然余裕はなかった。テオドール、何にもできないなんて言っちゃ駄目だ。さっきだって俺のことを手伝って、街の人を助けたじゃないか。俺はすごく嬉しかったよ」

 テオドールは明日の食事には困らないのかもしれない。ならず者や魔物に、畑や家畜に手を出される心配をしなくていいのかもしれない。しかし彼もまた下ろすことのできない荷物を背負って、途方もなく長い道を歩かなければならない。それに気づけた今、歩み寄ることができるはずだとニールは確信していた。

「なあテオドール、本当に騎士を辞めて後悔しないのか? 立派な騎士になりたくないのか?」

 テオドールはしばらく黙っていたが、やがて長いため息をついた。

「……どうでもいい」
「テオドール?」
「もう全部どうでもいい。家のことも、何もかも……人助けなんて、僕の知ったことか」

 そう言うとテオドールはすっくと立ちあがり、ニールに向かってびしっと指を突き付けた。

「今回は『たまたま』お前が勝っただけだ! ニール、僕は自分の力で必ずお前に勝つ! 参った、テオドールは強いとお前の口から聞くまで、絶っ対に、諦めない!」

 いきなり早口でまくし立てられ、ニールはぽかんと彼の顔を見つめた。

「お前に勝つ日まで、僕は剣を捨てない! だからお前も同じようにしろ! お前が剣を捨てていいのは、僕に負けた時だけだ! いいな、分かったか!」

 ニールを見据える彼の瞳は、強い意志の光を宿して輝いていた。ニールは立ち上がり微笑んでみせた。

「ああ、分かった! また全力で戦おうな」
「ふん、そうやって調子づいていられるのも今だけだ」
「何だか嬉しいよ。テオドールと仲良くなれたみたいでさ」
「なっ……勘違いするな、僕はお前と仲良くしたいなんて思ってない! むしろ嫌いだ、大嫌いだ!」
「ははは、そっか。うん、それでもいいや」

 二人の様子を遠巻きに見ていたゼレーナが小さく息をついた。

「……一体何を見せられてるんですかね、わたしたち」
「やっぱり男の子って素直じゃないよねー」

 口を尖らせるフランシエルに対し、ルメリオが苦笑しながら答える。
 
「はは……男も意外と面倒なものです。大目に見てやってくださいな」
「僕には分かる、あれは『青春』だよ」

 ふとイオの方に視線を移したエンディは、その顔を覗き込んだ。いつものごとく表情がないが、かすかに眉が寄っている。

「イオ、どうかした?」
「……いや、何も」

 そう言って顔を背ける。続いて練習場の入り口に目をやったギーランが声をあげた。

「おい、あいつは誰だ?」
 
 男が一人立っていた。甲冑に身を包んだその姿は、遠くにいても目を奪われるほどの威厳を放っている。

「あっ、すっげー騎士のおっさ」

 はしゃぐアロンの口をルメリオが塞いだ。

「静かに、私たちが気安く話しかけて良い方ではありません」

 その男――ベルモンド・ヴァンゲントは、ニールとテオドールの元へ真っすぐ向かっていった。
 彼の姿を見たニールは息を飲み、テオドールは慌てて姿勢を正した。

「ベルモンド隊長殿!」

 テオドールの声が少し裏返った。

「ここにいたのか、テオドール・ロンバルト」

 地の底から響くような低い声だった。ベルモンドは懐から何かを取り出し、拳をテオドールの方にそっと突き出した。
 ほぼ反射的に差し出されたテオドールの両手に乗せられたのは騎士章だった。

「落とし物で届いた。これを失くすと騎士は名乗れんぞ。注意するように」

 穏やかに告げる。テオドールは手の上の騎士章をぽかんと見つめ、はっと顔をあげた。

「あのっ、退団届を一緒に、隊長殿宛てで出したのですが」

 それを聞いて、はて、とベルモンドは首を傾げた。

「届いていないが?」
「えっ……」
「そのようなものは受け取っていない。お前はまだ騎士のままだ。先ほどは随分と威勢が良かったが……まさか辞めるのか?」

 どうやら、テオドールとニールのやり取りをずっと見ていたようだ。テオドールの顔が赤くなった。

「……いいえ、辞めません。僕にはここで学ぶべきことがあります! 申し訳ありませんでした。これは二度と失くしません」

 若干震える手でテオドールは自分の胸に騎士章を留めた。そして再びベルモンドに向き直り、深々と礼をした。

「隊長殿自ら、誠にありがとうございます!」
「そろそろ合同演習の時間だな?」

 テオドールははっと顔を上げた。

「は、はい、そうです! 行って参ります!」

 一瞬だけニールの方を見た後、テオドールは大急ぎで走り練習場を後にした。後に残されたのはニールと仲間たち、そしてベルモンドだ。
 ベルモンドの瞳がニールをとらえた。長い時を生きた獣のそれのように、穏やかさと気迫とが混ざり合っている。顔に刻まれた傷が今までの生を物語っていた。

「私の部下が迷惑をかけたようだな」
「い、いいえ、大丈夫です!」

 ニールは大慌てで答えた。まさか彼と直接話ができるなど考えてもみなかったことだ。

「あの、俺はニールといいます。ブラウ村出身で……ええっと……その……」

 憧れの剣士隊の長を目の前にして、言葉がうまく出てこない。

「き、騎士は俺の憧れです。だから、あの……応援してます!」

 口に出してから、じわじわとニールの胸は後悔にむしばまれた。本心からの言葉ではあったが、少なくとも隊長に対して言うようなことではなかったかもしれない。

「そうか」

 怒るでも笑うでもなく、ベルモンドは静かに言った。

「ここは、本来ならば騎士団に所属する者以外は入れぬ場所だ。仲間を連れて直ちに出ていくように」

 そう言い残しニールに背を向けると、風を切るように歩いて練習場から去っていく。
 立ち尽くすニールのもとに、仲間たちが集まってきた。

「ニール、大丈夫?」

 フランシエルの呼びかけで、ニールははっと現実に引き戻された。

「あ、ああ。まさか、騎士隊長がここに来るなんてな……」
「やっぱりかっこいいなぁ……僕も何か話せば良かった」

 ベルモンドが去っていった方向を見ながらエンディが呟く。
 
「あれは強えぞ。戦ったら面白えことになる」

 目を光らせたギーランをルメリオがたしなめた。

「やめておきなさい。騎士隊長に喧嘩なんて売ったら次の瞬間には首がなくなりますよ」
「ニール、あのおっさんに騎士になりたいって言えばよかったんじゃないのか」

 アロンの言う通りにしていたら、何か変わっていただろうか。

「……いや、言っても無理だったよ。いいんだ。一番言いたかったことは伝えられたからさ」

 ニールは笑って言った。ベルモンドは多忙のはずだ。今日ニールと会ったことだって、数日後にはきっと忘れてしまう。それでも幼い頃からの希望であり手の届かない存在と話せたことは、ニールにとっては一生の思い出になる。
 再び感傷に浸りそうになったところで、ちょっと、とゼレーナが横やりを入れた。

「とりあえず、さっさとここから出ましょう。今は見逃してもらえてますけど、他の騎士に見つかったら侵入者扱いです。嫌ですよそんなの」
「そうだな、皆、付き合わせてごめん。行こう」

***

 練習場から騎士団本部へ向かうベルモンドの背後から現れたのは、副官である騎士、ヒューバートだった。

「失礼します。ベルモンド隊長」

 ベルモンドの三歩ほど後ろをついて歩きながら、ヒューバートが言った。

「グレイルが再び動き出したようです」
「足取りは追えそうか」

 足を止めないまま、ベルモンドは問うた。

「……申し訳ございません、エルトマイン公爵が加担しております故、我々では難しいところです。」
「いや、仕方がないことだ」
「やはり……」

 副官の言葉を、ベルモンドは遮った。

「ここではやめろ……後ほど、また」
「失礼致しました」

 ベルモンドは懐から一枚の封がされた書面を取り出すと、ヒューバートに差し出した。

「すまんが捨てておいてくれ。中は見ないように」
「重要なものではないのですか?」

 いや、とベルモンドは笑った。

「ただの書き損じだ」
しおりを挟む

処理中です...