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1話 大魔術師と従士、そして新婚夫婦
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フロレンシア王国の大魔術師の仕事には色々ある。王国の豊かさの源である魔力に満ちた場所に異変がないかの監視、強い魔物が現れたという報告があれば単身もしくは他の魔術師を率いての討伐、定期的な会議に、見習い魔術師への指導、時には貴族が主催する夜会への出席など……。
わたし、セシーリャ・エインゼールも、日々そういった仕事をこなす大魔術師の一人だ。
そんな大魔術師に付き添い、雑務や簡単な補助、更には身の回りのお世話をしたりする人は、「従士」と呼ばれている。
「セシーリャ様!」
魔術師協会本部の廊下を歩いていたところ、後ろから呼び止められた。振り向くと、若い男魔術師がひとり立っていた。修練用のこげ茶色のローブを着ているので、まだ見習いだ。
「アベル・レスティエと申します。あの、実は、僕は氷の魔法がどうしても苦手で……大変恐縮なのですが、もしお時間があれば少しだけでも、何がよくないのか見ていただけませんか?」
わたしは従士、ディオンの方に顔を向けた。
「ディオン、次の会議まであとどのくらいあるかしら?」
懐中時計を取り出し、ディオンはさっと答えた。
「あと五十分ある。時間が来たら呼びに行く」
「分かったわ、第二修練場に来て。アベル、三十分ほどになるけれどそれで良ければ行きましょう」
「はい、ありがとうございますっ! お願いします!」
ディオンをその場に残し、代わりに見習い魔術師を連れてわたしは修練場へと向かった。
***
その夜、今日の仕事を終えたわたしは、いつものくつろぎ場所に腰を下ろしていた。
寝るまでのひと時を過ごすのは、わたしの従士であり最愛の旦那様である、ディオン・エインゼールの隣だ。居間のソファに座ったディオンは、片方の手でわたしの腰を抱き、もう片方の手で薄青色をした髪をそっと撫でた。
始まりは、わたしに一目惚れをしたディオンが従士になりたいと言って訪ねてきたあの日。あっという間に従士の仕事を覚え、生活力のなかったわたしのお世話を色々と焼いてくれ――今やわたしの生活は彼によって支えられている。
もちろんディオンはただそれだけの存在ではなく、わたしの一番の心の拠り所だ。日中は「氷晶の女神」という二つ名に相応しい威厳を保つため、陛下や他の魔術師の信頼と尊敬を裏切らないために気を張っているけれど、一日の終わりにはすべてを脱ぎ捨てたありのままのわたしを受け止めてくれる。
彼と結婚してはや半年。まだまだ新婚真っただ中だけれど、仕事の間はあくまでも魔術師と従士の立場を優先しているので、くっついていられる時間が少ないのが何とも辛いところだ。
今日のディオンは何を思ってか、わたしの髪を撫でたり頬に触れたり手をぎゅっと握ってきたりと忙しい。その間も、片手はわたしの腰に回したままだ。
「もう、どうしたの?」
くすぐったくて笑いながら尋ねると、ディオンは静かに口を開いた。
「今日、あなたに話しかけてきた若い魔術師のことだが」
「アベルのこと? 真面目だし、将来有望よ」
「……それは結構だが、魔術の修練を口実にあなたに近づきたいという願望も少しはあるかもしれない」
従士としてわたしに付き添う時のディオンはいつもわたしの三歩後ろを着いて来て、余計なことは一切話さない。何か不手際を起こすようなことも全くなく、他の従士たちや大魔術師からは口を揃えて優秀だと言われている。
しかし本当の彼はとっても心配性で、なかなか嫉妬深い。
「あり得ないでしょう。わたしと彼は十歳は離れているのよ?」
「あなたはまだまだ若いし美しい」
「ついさっき言った通り真面目な子だから、変なことなんて考えないわ」
「男ほど信用ならない生き物はいない」
「それ、あなたが言うの?」
困った人ね、と冗談めかして言うと、ディオンは申し訳なさそうに眉を下げた。
「……すまない。もちろんセシーリャのことは信用している。だが、可愛い新妻に近づく男を見て平常心ではいられないんだ」
許して欲しい、と乞うディオンの表情を、昼間の彼しか知らない人たちが見たらどんな反応をするだろうか。
「ふふ、それじゃあ、お願いを聞いてくれる?」
「何なりと」
ディオンはいつもわたしを喜ばせようと尽くしてくれる。だけど、わたしだって同じように彼を喜ばせたいと思っているし、どうすれば喜ぶかというのがそれなりに分かってきている。
腕を伸ばして、彼の首の後ろにそっとまわした。
「今日はなんだか疲れたから、寝室まで運んで欲しいの」
わたしの予想通り、ディオンの顔に笑みが広がった。
「喜んで。我が姫君」
瞬く間に、わたしの体はふわりと持ち上げられた。
***
ゆるっと人物紹介① セシーリャ・エインゼール
フロレンシア王国の大魔術師。氷の魔法を得意としており、少し冷たげな印象を与える容姿と落ち着いた物腰が相まって「氷晶の女神」という二つ名がついている。魔法の実力はかなり高く、強い魔物と単独で渡り合えるほど。
……が、中身はやや人見知りだったり緊張しやすかったり朝に弱かったり、素朴ないたって普通の女性。
恋とは無縁と思い生きていたが、今ではすっかりディオンにベタ惚れ。
ゆるっと人物紹介② ディオン・エインゼール
セシーリャの従士兼旦那様。貴族と使用人の間に生まれ、複雑な境遇で育った。現在は生家と縁を切り、セシーリャの姓を名乗っている。常に温厚、家事も仕事も完璧にこなしおまけに顔もいい超人だが、セシーリャのことになると理性が迷子になる時が度々ある。
従士仲間や他の魔術師とも良好な関係を築いており、相談に乗ったり愚痴を聞いてあげたりもしている。
わたし、セシーリャ・エインゼールも、日々そういった仕事をこなす大魔術師の一人だ。
そんな大魔術師に付き添い、雑務や簡単な補助、更には身の回りのお世話をしたりする人は、「従士」と呼ばれている。
「セシーリャ様!」
魔術師協会本部の廊下を歩いていたところ、後ろから呼び止められた。振り向くと、若い男魔術師がひとり立っていた。修練用のこげ茶色のローブを着ているので、まだ見習いだ。
「アベル・レスティエと申します。あの、実は、僕は氷の魔法がどうしても苦手で……大変恐縮なのですが、もしお時間があれば少しだけでも、何がよくないのか見ていただけませんか?」
わたしは従士、ディオンの方に顔を向けた。
「ディオン、次の会議まであとどのくらいあるかしら?」
懐中時計を取り出し、ディオンはさっと答えた。
「あと五十分ある。時間が来たら呼びに行く」
「分かったわ、第二修練場に来て。アベル、三十分ほどになるけれどそれで良ければ行きましょう」
「はい、ありがとうございますっ! お願いします!」
ディオンをその場に残し、代わりに見習い魔術師を連れてわたしは修練場へと向かった。
***
その夜、今日の仕事を終えたわたしは、いつものくつろぎ場所に腰を下ろしていた。
寝るまでのひと時を過ごすのは、わたしの従士であり最愛の旦那様である、ディオン・エインゼールの隣だ。居間のソファに座ったディオンは、片方の手でわたしの腰を抱き、もう片方の手で薄青色をした髪をそっと撫でた。
始まりは、わたしに一目惚れをしたディオンが従士になりたいと言って訪ねてきたあの日。あっという間に従士の仕事を覚え、生活力のなかったわたしのお世話を色々と焼いてくれ――今やわたしの生活は彼によって支えられている。
もちろんディオンはただそれだけの存在ではなく、わたしの一番の心の拠り所だ。日中は「氷晶の女神」という二つ名に相応しい威厳を保つため、陛下や他の魔術師の信頼と尊敬を裏切らないために気を張っているけれど、一日の終わりにはすべてを脱ぎ捨てたありのままのわたしを受け止めてくれる。
彼と結婚してはや半年。まだまだ新婚真っただ中だけれど、仕事の間はあくまでも魔術師と従士の立場を優先しているので、くっついていられる時間が少ないのが何とも辛いところだ。
今日のディオンは何を思ってか、わたしの髪を撫でたり頬に触れたり手をぎゅっと握ってきたりと忙しい。その間も、片手はわたしの腰に回したままだ。
「もう、どうしたの?」
くすぐったくて笑いながら尋ねると、ディオンは静かに口を開いた。
「今日、あなたに話しかけてきた若い魔術師のことだが」
「アベルのこと? 真面目だし、将来有望よ」
「……それは結構だが、魔術の修練を口実にあなたに近づきたいという願望も少しはあるかもしれない」
従士としてわたしに付き添う時のディオンはいつもわたしの三歩後ろを着いて来て、余計なことは一切話さない。何か不手際を起こすようなことも全くなく、他の従士たちや大魔術師からは口を揃えて優秀だと言われている。
しかし本当の彼はとっても心配性で、なかなか嫉妬深い。
「あり得ないでしょう。わたしと彼は十歳は離れているのよ?」
「あなたはまだまだ若いし美しい」
「ついさっき言った通り真面目な子だから、変なことなんて考えないわ」
「男ほど信用ならない生き物はいない」
「それ、あなたが言うの?」
困った人ね、と冗談めかして言うと、ディオンは申し訳なさそうに眉を下げた。
「……すまない。もちろんセシーリャのことは信用している。だが、可愛い新妻に近づく男を見て平常心ではいられないんだ」
許して欲しい、と乞うディオンの表情を、昼間の彼しか知らない人たちが見たらどんな反応をするだろうか。
「ふふ、それじゃあ、お願いを聞いてくれる?」
「何なりと」
ディオンはいつもわたしを喜ばせようと尽くしてくれる。だけど、わたしだって同じように彼を喜ばせたいと思っているし、どうすれば喜ぶかというのがそれなりに分かってきている。
腕を伸ばして、彼の首の後ろにそっとまわした。
「今日はなんだか疲れたから、寝室まで運んで欲しいの」
わたしの予想通り、ディオンの顔に笑みが広がった。
「喜んで。我が姫君」
瞬く間に、わたしの体はふわりと持ち上げられた。
***
ゆるっと人物紹介① セシーリャ・エインゼール
フロレンシア王国の大魔術師。氷の魔法を得意としており、少し冷たげな印象を与える容姿と落ち着いた物腰が相まって「氷晶の女神」という二つ名がついている。魔法の実力はかなり高く、強い魔物と単独で渡り合えるほど。
……が、中身はやや人見知りだったり緊張しやすかったり朝に弱かったり、素朴ないたって普通の女性。
恋とは無縁と思い生きていたが、今ではすっかりディオンにベタ惚れ。
ゆるっと人物紹介② ディオン・エインゼール
セシーリャの従士兼旦那様。貴族と使用人の間に生まれ、複雑な境遇で育った。現在は生家と縁を切り、セシーリャの姓を名乗っている。常に温厚、家事も仕事も完璧にこなしおまけに顔もいい超人だが、セシーリャのことになると理性が迷子になる時が度々ある。
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