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9話 無敗の旦那様
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カーネリアス公国滞在も四日目を迎えた。ささやかだけれど嬉しいのは、朝に目が覚めてディオンが横にいてくれること。普段の彼はわたしよりも先にベッドから降りて、朝食の用意やその日の予定の確認などを行ってくれるので、目を覚ました時に彼がまだ隣にいると特別な感じがする。(ディオンがわたしより早起きなのは変わりないので、寝顔を見つめられるのは恥ずかしいけれど)
出発前の彼の言葉通り、わたしの体には四日目にして悪戯の跡がいくつもあって外出の際には上着やショールが外せない状態になっているけれど、大した問題ではないと思えるくらいわたしも終始ふわふわと浮かれている。
今日は目的は特に決めず、まだ行ったことのない方角を散策することにした。しばらく歩くと見えてきたのは、大きな石造りの競技場。屋根はついておらず、開放感がありそうだ。こんなものまで建てられているのかと感心してしまう。
競技場の周りは、結構な数の人で賑わっていた。今から何かが行われるのだろうか。今朝、催し物の案内を流し見で終わらせてしまったため把握できていない。近づいてみると、「剣術大会」と書かれた看板が立てられていた。旅行客の中で腕に覚えがある人が自由に参加でき、優勝者を決めるものらしい。
「へぇ……こういうのもやってるのね」
「興味があるなら観戦していくか」
「そうね……ふふ、ディオンなら優勝できちゃったりして」
従士の中には剣の心得がある人もいるが、必須の能力ではない。そもそも彼らが剣を抜かなければならない事態に陥ることはまず起こらない。
ディオンも剣術は嗜んでいて、鍛錬として素振りをしているところは何度か見た。人を相手に戦っている姿は目にする機会がないけれど、彼なら強いに決まっている。
わたしの言ったことに反応せず、ディオンは無言で看板を見つめている。
「ディオン?」
「……分かった」
呟くと顔をわたしの方に向け、自信たっぷりに微笑んだ。
「あなたに勝利を捧げよう」
「……え?」
つまり出場するということ?
何気なく余計なことを口走ってしまった数十秒前の自分を恨み、わたしは彼の腕にすがった。
「ちょ、ちょっと待って! まさか参加するの!?」
「剣はすべて貸出しと書いてあるから、このまま行っても問題ない」
「そうなの……じゃなくて! さっきのは別にあなたに出て欲しくて言った訳じゃないの、気にしないで?」
「だが、俺が優勝したら惚れ直してくれるだろう?」
「それはまあ……って違う! 今だってこれ以上ないくらい、わたしはあなたのことが好きよ」
嘘ではなく本当のことだ。毎日、彼を想う気持ちは増していく一方でどうしたらいいのか困るくらい。
「セシーリャ」
必死なわたしとは反対に、ディオンは穏やかな様子でわたしの手をとった。
「俺はあなたが思う程にできた男ではない。夫婦になれた今でも、あなたの気を引くにはどうすればいいか常に考えているし、もっとあなたの愛を得たい」
「ディオン……」
彼はできもしないことをできると虚勢を張ったり、無鉄砲に挑んだりするような人ではない。大会に参加すると言い出したのはそれなりに自信があってのことなのだろう。
……本気の殺し合いに赴くというわけではないし、ここは彼の奥さんとして応援するのが正しいのかもしれない。
「分かったわ。でも……」
軽く背伸びをして、彼の額にキスをする。
「勝たなくていいから、どうか怪我だけはしないで。お願い」
「心配は無用だ。俺は今、勝利の女神の加護を得た」
ディオンはそう言って、わたしの髪を優しく撫でた。
***
戦場となる広場を見下ろすように作られた円形の客席――そこに座ったわたしは、眼下で繰り広げられる試合模様にただただぽかんとするばかりだった。
ディオンは強かった。試合の形式は一対一で、剣を落とすか膝をついたら負けの勝ち上がり戦。最初の三戦はディオンが相手をほぼ瞬殺した。勝ち進むにつれて相手はもちろん強くなっていくけれど、彼は少しも弱った様子を見せず、軽い身のこなしで剣を振る。
遠目からでも分かる程に、闘志がディオンの全身にみなぎっている。獲物に果敢に立ち向かう猟犬のような姿は、普段の柔和な様子からは到底想像ができないものだった……意外と血の気が多い人なのかしら。
彼は一体何者なのかと、わたしの周りのお客さんもざわめいていた。正直なところ、それを一番問いたいのはわたしの方だ。知らなかったディオンの一面が次々と明らかになっていく。
あれよあれよと迎えた最終決戦。相手の人もかなりの手練れのようで、さすがのディオンも苦戦しているようだった。けれど激しい打ち合いの後――カランと音を立てて地に落ちたのは、ディオンの剣ではなく対戦相手のものだった。
観客が立ち上がり、惜しみない歓声と拍手がディオンに向けられる。わたしの胸は、驚きと興奮と誇らしさで満ちていた。
対戦相手と握手を交わし、ディオンが客席を見上げる。彼は数百人もの観客の中でたった一人、わたしの方だけを見つめていた。
***
その後、案内役の人になぜか声をかけられ、参加者の控室へと通された。優勝者であるディオンが一人、そこで待っていた。
「ディオン!」
「セシーリャ! 見ていてくれたか?」
彼に駆け寄ると、ディオンはわたしの腰を持って抱き上げ、くるりとその場で回った。
「ええ、見てたわ! 本当に凄かった、とっても強いのね!」
「もちろんセシーリャには遠く及ばないが、いざという時にはあなたを守れる男だと証明したかった」
男性なら強くないといけないとはまったく思っていないけれど、勇ましいディオンの姿にはドキドキさせられた。
彼なら王国の騎士にだってなれるのではないだろうか。剣を持ち銀色の甲冑を身につけて、鮮やかなマントをなびかせるディオン――実際に目にしたら格好良すぎて気絶してしまいそう。それは想像に留めることにしておいた。やっぱり彼にはわたしの従士でいてほしい。
「この後、閣下の御前で褒賞を賜ることになっている。セシーリャに隣にいて欲しくて、ここまで連れてきてもらった」
「え? わたしは何もしてないのに……」
わたしも客席に座ってから知ったのだけれど、この大会はカーネリアス公爵の名のもとに開かれており、以前に夜会でお姿をお見かけしたユーディニア様の開会宣言によって始まった。
優勝したディオンが彼女の御前に立つのは当然だけれど、さすがにわたしまで一緒なのは良くないような。今日のわたしは全然お洒落でもない、普通のワンピース姿だし……。
「何を言う。俺の勝利はセシーリャ無くしては得られなかった。褒賞は二人で受け取らなければ何の意味もない」
大勢の人の視線を浴びながら、公国で一番偉い方の御前に立つ――急にものすごく緊張してきた。大丈夫かしら……。
「ディオン・エインゼール様、奥様、準備が整いました。こちらへどうぞ」
ディオンが腕を差し伸べてくる。こうなったら行くしかない。わたしは一度深呼吸してから、その腕をとった。
***
広場の中央に立つユーディニア様のもとへ、ディオンと二人でゆっくり歩いていく。彼女の前まで来たところで、ディオンが片膝をついて頭を垂れる。わたしも片足を斜め後ろに引いてもう片方の足を軽く曲げ、目上の方への挨拶の姿勢をとった。
カーネリアス公国の頂点に立つそのお方は、裾や胸のところに金の糸で波のような模様が刺繍された、深緑色のドレスをまとっていた。金色の髪を結いあげて、様々な色が混じり合った鳥の羽のような頭飾りをつけている。
背丈は普通の少女たちと変わらないけれど、夜会の時も感じた統治者の威厳が今はより強く感じられた。
「ディオン・エインゼール殿、この度の戦いぶりは見事なものでした」
ユーディニア様が静かに告げる。
「お褒め頂き光栄です」
跪いたまま、ディオンが答えた。
「健闘を称え、褒賞を与えます」
脇に控える従者から、ユーディニア様に何かが手渡される。それは両手で抱えられるほどの盾だった。実際に戦いで使うようなものではなく、飾るための盾だ。銀色の台座の上に、太陽を背負い波を従える女性の金細工が施されている。カーネリアス公国の国章だ。盾のふちには赤、青、緑など様々な色の宝石が埋め込まれている……相当な値段がするもののはずだ。
「有難く頂戴致します」
ディオンが盾を受け取ると、ユーディニア様は黙って見守る観衆に向かい高らかに言った。
「皆さま、英雄に賛辞を!」
一瞬の間をおいて、観客が再び立ち上がり、割れんばかりの拍手の音が響き渡る。立ち上がったわたしに、ディオンが盾を差し出してきた。
「えっ、わたし?」
驚きながらも反射的に受け取ると、その次にはわたしの体が浮き上がった。盾を抱えたわたしを横抱きにしたディオンが囁く。
「勝利の女神、盾を掲げて」
言われるがまま、手にしたそれを天に向かい掲げる。歓声に混じって指笛を鳴らす音も聞こえた。
大勢の注目の的になってものすごく恥ずかしいけれど……わたしを抱えるディオンの満足そうな顔を見ていたら、なんだかどうでもよくなってしまった。
***
ゆるっと人物紹介⑦ ユーディニア・カーネリアス
十六歳にしてカーネリアス公国を取り仕切る女公。若いながら政の手腕に優れており、不正を許さない姿勢は公国の内外から厚い信頼を受けている。
見た目は可憐だが感情表現にやや乏しく、良い意味でも悪い意味でも「人形のよう」と一部ではささやかれている。
出発前の彼の言葉通り、わたしの体には四日目にして悪戯の跡がいくつもあって外出の際には上着やショールが外せない状態になっているけれど、大した問題ではないと思えるくらいわたしも終始ふわふわと浮かれている。
今日は目的は特に決めず、まだ行ったことのない方角を散策することにした。しばらく歩くと見えてきたのは、大きな石造りの競技場。屋根はついておらず、開放感がありそうだ。こんなものまで建てられているのかと感心してしまう。
競技場の周りは、結構な数の人で賑わっていた。今から何かが行われるのだろうか。今朝、催し物の案内を流し見で終わらせてしまったため把握できていない。近づいてみると、「剣術大会」と書かれた看板が立てられていた。旅行客の中で腕に覚えがある人が自由に参加でき、優勝者を決めるものらしい。
「へぇ……こういうのもやってるのね」
「興味があるなら観戦していくか」
「そうね……ふふ、ディオンなら優勝できちゃったりして」
従士の中には剣の心得がある人もいるが、必須の能力ではない。そもそも彼らが剣を抜かなければならない事態に陥ることはまず起こらない。
ディオンも剣術は嗜んでいて、鍛錬として素振りをしているところは何度か見た。人を相手に戦っている姿は目にする機会がないけれど、彼なら強いに決まっている。
わたしの言ったことに反応せず、ディオンは無言で看板を見つめている。
「ディオン?」
「……分かった」
呟くと顔をわたしの方に向け、自信たっぷりに微笑んだ。
「あなたに勝利を捧げよう」
「……え?」
つまり出場するということ?
何気なく余計なことを口走ってしまった数十秒前の自分を恨み、わたしは彼の腕にすがった。
「ちょ、ちょっと待って! まさか参加するの!?」
「剣はすべて貸出しと書いてあるから、このまま行っても問題ない」
「そうなの……じゃなくて! さっきのは別にあなたに出て欲しくて言った訳じゃないの、気にしないで?」
「だが、俺が優勝したら惚れ直してくれるだろう?」
「それはまあ……って違う! 今だってこれ以上ないくらい、わたしはあなたのことが好きよ」
嘘ではなく本当のことだ。毎日、彼を想う気持ちは増していく一方でどうしたらいいのか困るくらい。
「セシーリャ」
必死なわたしとは反対に、ディオンは穏やかな様子でわたしの手をとった。
「俺はあなたが思う程にできた男ではない。夫婦になれた今でも、あなたの気を引くにはどうすればいいか常に考えているし、もっとあなたの愛を得たい」
「ディオン……」
彼はできもしないことをできると虚勢を張ったり、無鉄砲に挑んだりするような人ではない。大会に参加すると言い出したのはそれなりに自信があってのことなのだろう。
……本気の殺し合いに赴くというわけではないし、ここは彼の奥さんとして応援するのが正しいのかもしれない。
「分かったわ。でも……」
軽く背伸びをして、彼の額にキスをする。
「勝たなくていいから、どうか怪我だけはしないで。お願い」
「心配は無用だ。俺は今、勝利の女神の加護を得た」
ディオンはそう言って、わたしの髪を優しく撫でた。
***
戦場となる広場を見下ろすように作られた円形の客席――そこに座ったわたしは、眼下で繰り広げられる試合模様にただただぽかんとするばかりだった。
ディオンは強かった。試合の形式は一対一で、剣を落とすか膝をついたら負けの勝ち上がり戦。最初の三戦はディオンが相手をほぼ瞬殺した。勝ち進むにつれて相手はもちろん強くなっていくけれど、彼は少しも弱った様子を見せず、軽い身のこなしで剣を振る。
遠目からでも分かる程に、闘志がディオンの全身にみなぎっている。獲物に果敢に立ち向かう猟犬のような姿は、普段の柔和な様子からは到底想像ができないものだった……意外と血の気が多い人なのかしら。
彼は一体何者なのかと、わたしの周りのお客さんもざわめいていた。正直なところ、それを一番問いたいのはわたしの方だ。知らなかったディオンの一面が次々と明らかになっていく。
あれよあれよと迎えた最終決戦。相手の人もかなりの手練れのようで、さすがのディオンも苦戦しているようだった。けれど激しい打ち合いの後――カランと音を立てて地に落ちたのは、ディオンの剣ではなく対戦相手のものだった。
観客が立ち上がり、惜しみない歓声と拍手がディオンに向けられる。わたしの胸は、驚きと興奮と誇らしさで満ちていた。
対戦相手と握手を交わし、ディオンが客席を見上げる。彼は数百人もの観客の中でたった一人、わたしの方だけを見つめていた。
***
その後、案内役の人になぜか声をかけられ、参加者の控室へと通された。優勝者であるディオンが一人、そこで待っていた。
「ディオン!」
「セシーリャ! 見ていてくれたか?」
彼に駆け寄ると、ディオンはわたしの腰を持って抱き上げ、くるりとその場で回った。
「ええ、見てたわ! 本当に凄かった、とっても強いのね!」
「もちろんセシーリャには遠く及ばないが、いざという時にはあなたを守れる男だと証明したかった」
男性なら強くないといけないとはまったく思っていないけれど、勇ましいディオンの姿にはドキドキさせられた。
彼なら王国の騎士にだってなれるのではないだろうか。剣を持ち銀色の甲冑を身につけて、鮮やかなマントをなびかせるディオン――実際に目にしたら格好良すぎて気絶してしまいそう。それは想像に留めることにしておいた。やっぱり彼にはわたしの従士でいてほしい。
「この後、閣下の御前で褒賞を賜ることになっている。セシーリャに隣にいて欲しくて、ここまで連れてきてもらった」
「え? わたしは何もしてないのに……」
わたしも客席に座ってから知ったのだけれど、この大会はカーネリアス公爵の名のもとに開かれており、以前に夜会でお姿をお見かけしたユーディニア様の開会宣言によって始まった。
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ディオンが腕を差し伸べてくる。こうなったら行くしかない。わたしは一度深呼吸してから、その腕をとった。
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広場の中央に立つユーディニア様のもとへ、ディオンと二人でゆっくり歩いていく。彼女の前まで来たところで、ディオンが片膝をついて頭を垂れる。わたしも片足を斜め後ろに引いてもう片方の足を軽く曲げ、目上の方への挨拶の姿勢をとった。
カーネリアス公国の頂点に立つそのお方は、裾や胸のところに金の糸で波のような模様が刺繍された、深緑色のドレスをまとっていた。金色の髪を結いあげて、様々な色が混じり合った鳥の羽のような頭飾りをつけている。
背丈は普通の少女たちと変わらないけれど、夜会の時も感じた統治者の威厳が今はより強く感じられた。
「ディオン・エインゼール殿、この度の戦いぶりは見事なものでした」
ユーディニア様が静かに告げる。
「お褒め頂き光栄です」
跪いたまま、ディオンが答えた。
「健闘を称え、褒賞を与えます」
脇に控える従者から、ユーディニア様に何かが手渡される。それは両手で抱えられるほどの盾だった。実際に戦いで使うようなものではなく、飾るための盾だ。銀色の台座の上に、太陽を背負い波を従える女性の金細工が施されている。カーネリアス公国の国章だ。盾のふちには赤、青、緑など様々な色の宝石が埋め込まれている……相当な値段がするもののはずだ。
「有難く頂戴致します」
ディオンが盾を受け取ると、ユーディニア様は黙って見守る観衆に向かい高らかに言った。
「皆さま、英雄に賛辞を!」
一瞬の間をおいて、観客が再び立ち上がり、割れんばかりの拍手の音が響き渡る。立ち上がったわたしに、ディオンが盾を差し出してきた。
「えっ、わたし?」
驚きながらも反射的に受け取ると、その次にはわたしの体が浮き上がった。盾を抱えたわたしを横抱きにしたディオンが囁く。
「勝利の女神、盾を掲げて」
言われるがまま、手にしたそれを天に向かい掲げる。歓声に混じって指笛を鳴らす音も聞こえた。
大勢の注目の的になってものすごく恥ずかしいけれど……わたしを抱えるディオンの満足そうな顔を見ていたら、なんだかどうでもよくなってしまった。
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