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15話 公国の危機
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縦横無尽に駆け回る魔物は、わたしの放つ攻撃をひょいひょいとかわしていく。大きな体に似合わず、かなりすばしっこい。
守りの魔法をわたしの周囲五歩分にわたってぐるりと半球上に展開させているため、万が一魔物が真っすぐ飛び掛かってきたとしても一瞬で体を食いちぎられることは避けられる。が、相手もそれを察しているのか、飢えているはずなのにわたしの周りを回るように逃げ続けるだけだ。わたしに隙ができるのを狙っているのだろう。
持久戦ならばわたしも譲れない――もっと強い魔物と死闘を繰り広げたことだってあるのだから。
わたしの放った氷の矢が魔物の背をかすめた。怒った魔物が牙をむく。追撃をしかけたが、魔物ははずみをつけてわたしの頭上をひょいと飛んだ。ほとんど音を立てることなく床に降り立ち、わたしの方を睨む。
わたしの力にはまだ余裕があるが、だからといって悠長にはしていられない。わたしを相手にしていては時間の無駄だと相手が悟り、劇場の外へ出てしまえば大変なことになる。
やり方を変えなければ――魔物からは目を逸らさないまま、魔力を下方へ流す。ぱち、ぱち、という小さな音と共に、冷気が立ち上っていく。
魔物が驚いた時には既に遅かった。足元も周辺の床も凍り付き、走ろうにも飛ぼうにも滑って立っているのがやっとの状態だ。
その場で魔物がもがいている隙に、素早く今度はその頭上へ魔力を向ける。宙に浮かんだ氷の塊が巨大に、鋭利に変わっていき、巨大な氷柱となったところで魔力を緩める。
落ちた氷柱が魔物の脳天を貫く。断末魔をあげる間もなく、黒い体躯がぐったりと氷の床に伸びる。
周囲に張り巡らせた守りの魔法は解かないまま近づいてみたが、魔物が起き上がることはなかった。完全に絶命している。
思うほど強くなくて良かった……ほっと胸を撫でおろし、静まり返った周りを見回す。この場からは外の様子が分からない。早く外に出て、魔物は倒したと伝えなければ。
最後にもう一度魔物が息絶えたことを確認して、わたしは劇場の出口に向かい駆けだした。
***
「セシーリャ!」
劇場の出口すぐのところでディオンが待っていてくれた。わたしを見つけるや否や走り寄ってきて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「無事で良かった……怪我はないか?」
「ええ大丈夫よ。そんなに強い魔物ではなかったわ」
にっこり笑ってみせると、ディオンの顔に安堵の色が広がった。
「それより、他のお客さんたちは?」
見渡してみたが、たくさんいたはずのお客さんたちはほとんどがいなくなっていた。何人かは残っているものの取り乱した様子は見せず、大人しくその場に留まっている。
「公国の騎士や貴族たちが動いて、安全な場所に避難をさせているようだ」
「そうなの……」
それはいいけれど……わたしが魔物と戦っていた時間はそこまで長くなかったはずだ。そんなにすぐ、たくさんの人を避難させられるものだろうか。
「緊急時の対応も普段から訓練そのものはしているだろうと思うが……それにしても手際が良すぎる」
ディオンも同じことを考えていたようだ。
「そうよね……まるで最初から、こうなることを予想していたみたいな……」
でも、下手をすれば何人もが犠牲になりかねないような余興を用意するなんて、そんな危険なことをユーディニア様がお許しになるはずがない。
――そういえば、ユーディニア様はどこ?
「ディオンの旦那!」
「セシーリャさん!」
息を切らしながらやって来たのはエリッサともう一人、彼女と同じ年頃の青年だった。
「ニコラ?」
ディオンがその名前を呼ぶ。そういえば、エリッサの婚約者がニコラという名前だった。
「エリッサ、魔物はわたしが倒したから安心して」
「……! そうなのですね、ありがとうございます」
しかし、二人の顔はなおも青ざめたままだった。
「ニコラ、何があった?」
「ユーディニアが攫われたんだ!」
攫われたって……一体どういうこと? 誰が? 何のために?
「リカードだ、全部あいつが仕組んだことなんだよ! 今日集められてる騎士や貴族は、全員奴の息がかかってる!」
ディオンが眉をひそめた。リカードという人のことを知っているようだ。
「彼の狙いは公国の支配です、きっと魔物が逃げ出した責任をユーディニアに押し付けて……実権を渡せとあの子を脅すつもりです」
「カルロが先に助けに向かってる、だけどリカードの部下だって大勢いるだろうし、あいつ一人じゃ……」
なんて酷い……! ニコラが更に畳みかける。
「旦那、セシーリャさん……散々迷惑かけといて、こんなこと頼むのは間違ってるってのは分かってる。でも時間がないんだ。カルロとユーディニアを助けてくれ、頼む!」
「わたしからもお願いします! リカードが実権を握ってしまったら、絶対に今まで通りにはいかなくなる……公国には、ユーディニアが必要なんです!」
わたしとディオンは顔を見合わせ同時に頷いた。答えならとっくに決まっている。
「閣下とリカードの居場所は分かるか?」
「リカードの屋敷だ、こっちに来てくれ!」
ニコラについて行くと、二頭の馬が繋がれているところに案内された。従僕が着る動きやすい服に身を包んだ少年が傍らに控えている。
「こいつが案内する。後ろについて行ってくれ」
少年が馬の背にひょいと跨る。ニコラが腰に下げていた剣を外し、ディオンに渡した。
「旦那、いざって時はこれを」
「ありがとう」
ディオンが剣を自分の腰に下げ、もう一頭の馬の背に乗る。彼に手を貸してもらい、わたしもその後ろに座った。
「俺たちは応援をかき集めてすぐに追いかける、何とか時間を稼いで欲しい」
「どうかお気をつけて!」
わたしは馬上から、ニコラとエリッサに向かって頷いてみせた。
「任せて」
少年が乗った馬が進みだす。ディオンが手綱をしっかり持ち、馬のお腹を蹴った。
「セシーリャ」
わたしの方へ振り返り、彼が言う。
「かなり飛ばすことになる。しっかり俺に掴まっていてくれ」
「平気よ、急がなきゃ!」
先に乗馬を経験しておいて良かった。わたしはディオンの体に手をまわし、ぎゅっとしがみついた。
***
ニコラの従僕の案内のもと馬を駆って夜道を走り続け、やがて一軒の大きな屋敷までたどり着いた。門の前に立っていた二人の警備が剣を抜く。
「何者だ!」
「ごめんなさい、急いでるの!」
わたしは馬から降りないまま体を少し横にずらして、彼らに向けて魔力を放った。見えない力を受けて吹っ飛び、塀に体を強かにぶつけてそのまま動かなくなる。
見張りがいなくなったことを確かめ案内役の少年はその場に留めて、わたしとディオンが揃って馬を降りた。鉄でできた門が目の前に高々とそびえ立っている。とても馬では超えられない。
「本当は駄目だけど、仕方ないわよね」
再び魔力を溜め、門に向かって一気に飛ばす。錠が壊れた門が、がしゃんと音を立てて開け放たれた。
屋敷の正面玄関へ向かう最中、何かが暗がりから飛び出してきた。わたしの目の前で、刃がきらりと光る。
「あっ!」
ディオンの方が早かった。襲ってきた男の刃を叩き落し、彼の背後からその首を片腕で押さえて喉元に剣を突き付ける。
「妻に指一本でも触れてみろ。両腕とも斬り落とす」
「ひっ……」
恐ろしいまでの剣幕に、向かってきた男が息を飲み脚をがくがくと震わせる。
「お前たちの主はどこにいる」
低い声でディオンが問う。
「言えば命はとらない」
「ち……地下室だ。玄関の先、右の扉に入って、廊下を真っすぐ進んだ突き当りの扉の奥、階段がある……」
震える声で男が言う。ディオンがぐっと腕に力をこめると、彼はぐったりと項垂れてそれきり動かなくなってしまった。
「し、死んだの……?」
「気絶させただけだ。さあ急ごう」
ディオンに促され、今度こそ屋敷の玄関にたどり着く。どうか間に合ってと祈りながら玄関の扉も破り、わたしたちは屋敷の中へ足を踏み入れた。
***
ゆるっと人物紹介⑩ ニコラ・アルヴェニ
カーネリアス公国の貴族。ユーディニアとは幼馴染。
人を笑わせることが大好きだが、お調子者が過ぎて周囲からは呆れられていた。そんな時、自分の言動で笑ってくれるエリッサと出会いとんとん拍子で結婚が決まる。
同年代の中では剣の腕前はかなり上位に入る。
ゆるっと人物紹介⑪ エリッサ・シェーデン
カーネリアス公国の貴族。ユーディニアとは幼馴染。
大人しくほとんど笑わないことで周囲から心配されていたが、七歳の時に、木の上に登って動物の真似をするニコラを見て初めての大爆笑。そこから彼と仲良しになり婚約まで至る。
今でも普段は大人しいが、ツボに入るとなかなか笑いが止まらなくなるタイプ。
守りの魔法をわたしの周囲五歩分にわたってぐるりと半球上に展開させているため、万が一魔物が真っすぐ飛び掛かってきたとしても一瞬で体を食いちぎられることは避けられる。が、相手もそれを察しているのか、飢えているはずなのにわたしの周りを回るように逃げ続けるだけだ。わたしに隙ができるのを狙っているのだろう。
持久戦ならばわたしも譲れない――もっと強い魔物と死闘を繰り広げたことだってあるのだから。
わたしの放った氷の矢が魔物の背をかすめた。怒った魔物が牙をむく。追撃をしかけたが、魔物ははずみをつけてわたしの頭上をひょいと飛んだ。ほとんど音を立てることなく床に降り立ち、わたしの方を睨む。
わたしの力にはまだ余裕があるが、だからといって悠長にはしていられない。わたしを相手にしていては時間の無駄だと相手が悟り、劇場の外へ出てしまえば大変なことになる。
やり方を変えなければ――魔物からは目を逸らさないまま、魔力を下方へ流す。ぱち、ぱち、という小さな音と共に、冷気が立ち上っていく。
魔物が驚いた時には既に遅かった。足元も周辺の床も凍り付き、走ろうにも飛ぼうにも滑って立っているのがやっとの状態だ。
その場で魔物がもがいている隙に、素早く今度はその頭上へ魔力を向ける。宙に浮かんだ氷の塊が巨大に、鋭利に変わっていき、巨大な氷柱となったところで魔力を緩める。
落ちた氷柱が魔物の脳天を貫く。断末魔をあげる間もなく、黒い体躯がぐったりと氷の床に伸びる。
周囲に張り巡らせた守りの魔法は解かないまま近づいてみたが、魔物が起き上がることはなかった。完全に絶命している。
思うほど強くなくて良かった……ほっと胸を撫でおろし、静まり返った周りを見回す。この場からは外の様子が分からない。早く外に出て、魔物は倒したと伝えなければ。
最後にもう一度魔物が息絶えたことを確認して、わたしは劇場の出口に向かい駆けだした。
***
「セシーリャ!」
劇場の出口すぐのところでディオンが待っていてくれた。わたしを見つけるや否や走り寄ってきて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「無事で良かった……怪我はないか?」
「ええ大丈夫よ。そんなに強い魔物ではなかったわ」
にっこり笑ってみせると、ディオンの顔に安堵の色が広がった。
「それより、他のお客さんたちは?」
見渡してみたが、たくさんいたはずのお客さんたちはほとんどがいなくなっていた。何人かは残っているものの取り乱した様子は見せず、大人しくその場に留まっている。
「公国の騎士や貴族たちが動いて、安全な場所に避難をさせているようだ」
「そうなの……」
それはいいけれど……わたしが魔物と戦っていた時間はそこまで長くなかったはずだ。そんなにすぐ、たくさんの人を避難させられるものだろうか。
「緊急時の対応も普段から訓練そのものはしているだろうと思うが……それにしても手際が良すぎる」
ディオンも同じことを考えていたようだ。
「そうよね……まるで最初から、こうなることを予想していたみたいな……」
でも、下手をすれば何人もが犠牲になりかねないような余興を用意するなんて、そんな危険なことをユーディニア様がお許しになるはずがない。
――そういえば、ユーディニア様はどこ?
「ディオンの旦那!」
「セシーリャさん!」
息を切らしながらやって来たのはエリッサともう一人、彼女と同じ年頃の青年だった。
「ニコラ?」
ディオンがその名前を呼ぶ。そういえば、エリッサの婚約者がニコラという名前だった。
「エリッサ、魔物はわたしが倒したから安心して」
「……! そうなのですね、ありがとうございます」
しかし、二人の顔はなおも青ざめたままだった。
「ニコラ、何があった?」
「ユーディニアが攫われたんだ!」
攫われたって……一体どういうこと? 誰が? 何のために?
「リカードだ、全部あいつが仕組んだことなんだよ! 今日集められてる騎士や貴族は、全員奴の息がかかってる!」
ディオンが眉をひそめた。リカードという人のことを知っているようだ。
「彼の狙いは公国の支配です、きっと魔物が逃げ出した責任をユーディニアに押し付けて……実権を渡せとあの子を脅すつもりです」
「カルロが先に助けに向かってる、だけどリカードの部下だって大勢いるだろうし、あいつ一人じゃ……」
なんて酷い……! ニコラが更に畳みかける。
「旦那、セシーリャさん……散々迷惑かけといて、こんなこと頼むのは間違ってるってのは分かってる。でも時間がないんだ。カルロとユーディニアを助けてくれ、頼む!」
「わたしからもお願いします! リカードが実権を握ってしまったら、絶対に今まで通りにはいかなくなる……公国には、ユーディニアが必要なんです!」
わたしとディオンは顔を見合わせ同時に頷いた。答えならとっくに決まっている。
「閣下とリカードの居場所は分かるか?」
「リカードの屋敷だ、こっちに来てくれ!」
ニコラについて行くと、二頭の馬が繋がれているところに案内された。従僕が着る動きやすい服に身を包んだ少年が傍らに控えている。
「こいつが案内する。後ろについて行ってくれ」
少年が馬の背にひょいと跨る。ニコラが腰に下げていた剣を外し、ディオンに渡した。
「旦那、いざって時はこれを」
「ありがとう」
ディオンが剣を自分の腰に下げ、もう一頭の馬の背に乗る。彼に手を貸してもらい、わたしもその後ろに座った。
「俺たちは応援をかき集めてすぐに追いかける、何とか時間を稼いで欲しい」
「どうかお気をつけて!」
わたしは馬上から、ニコラとエリッサに向かって頷いてみせた。
「任せて」
少年が乗った馬が進みだす。ディオンが手綱をしっかり持ち、馬のお腹を蹴った。
「セシーリャ」
わたしの方へ振り返り、彼が言う。
「かなり飛ばすことになる。しっかり俺に掴まっていてくれ」
「平気よ、急がなきゃ!」
先に乗馬を経験しておいて良かった。わたしはディオンの体に手をまわし、ぎゅっとしがみついた。
***
ニコラの従僕の案内のもと馬を駆って夜道を走り続け、やがて一軒の大きな屋敷までたどり着いた。門の前に立っていた二人の警備が剣を抜く。
「何者だ!」
「ごめんなさい、急いでるの!」
わたしは馬から降りないまま体を少し横にずらして、彼らに向けて魔力を放った。見えない力を受けて吹っ飛び、塀に体を強かにぶつけてそのまま動かなくなる。
見張りがいなくなったことを確かめ案内役の少年はその場に留めて、わたしとディオンが揃って馬を降りた。鉄でできた門が目の前に高々とそびえ立っている。とても馬では超えられない。
「本当は駄目だけど、仕方ないわよね」
再び魔力を溜め、門に向かって一気に飛ばす。錠が壊れた門が、がしゃんと音を立てて開け放たれた。
屋敷の正面玄関へ向かう最中、何かが暗がりから飛び出してきた。わたしの目の前で、刃がきらりと光る。
「あっ!」
ディオンの方が早かった。襲ってきた男の刃を叩き落し、彼の背後からその首を片腕で押さえて喉元に剣を突き付ける。
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「ひっ……」
恐ろしいまでの剣幕に、向かってきた男が息を飲み脚をがくがくと震わせる。
「お前たちの主はどこにいる」
低い声でディオンが問う。
「言えば命はとらない」
「ち……地下室だ。玄関の先、右の扉に入って、廊下を真っすぐ進んだ突き当りの扉の奥、階段がある……」
震える声で男が言う。ディオンがぐっと腕に力をこめると、彼はぐったりと項垂れてそれきり動かなくなってしまった。
「し、死んだの……?」
「気絶させただけだ。さあ急ごう」
ディオンに促され、今度こそ屋敷の玄関にたどり着く。どうか間に合ってと祈りながら玄関の扉も破り、わたしたちは屋敷の中へ足を踏み入れた。
***
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人を笑わせることが大好きだが、お調子者が過ぎて周囲からは呆れられていた。そんな時、自分の言動で笑ってくれるエリッサと出会いとんとん拍子で結婚が決まる。
同年代の中では剣の腕前はかなり上位に入る。
ゆるっと人物紹介⑪ エリッサ・シェーデン
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大人しくほとんど笑わないことで周囲から心配されていたが、七歳の時に、木の上に登って動物の真似をするニコラを見て初めての大爆笑。そこから彼と仲良しになり婚約まで至る。
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