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15.5話 すべてはこの時のために
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――なぜこんなことに
ユーディニアは目の前に立ち、冷たい視線で見降ろしてくる馴染みの青年――リカードを睨みつけた。
滞りなく行われていた催しの中、見世物として現れた異様な姿の獣。それが檻を破って飛び出したかと思えば、有無を言わせず彼によって劇場から連れ出されて馬車に押し込まれ、今は地下室の中、椅子に縛り付けられている。武器を持って周囲を囲んでいるのは見知った顔の男たちだが、ユーディニアの味方は誰一人いない。
「どういうことなの、リカード」
平静を装い、ユーディニアは問うた。怒りを露わにしたり泣きわめくことは悪手だ。
「聞いていないわ、あんなに危険な獣を公国に持ち込むなんて。怪我人や死者が出たらどうするつもりなの」
「好きにしろと言ったのはお前だぜ、ユーディニア」
確かに、今夜の催しについてリカードは相談をしに来た。しかしあの時は気が滅入っていてそれどころではなかったし、彼がこのような危険なことをしでかすなんて夢にも思っていなかったのだ。
「……何が望み?」
「賢いお前ならもう分かってるだろ?」
にぃ、とリカードが口元に笑みを浮かべる。
「カーネリアス公爵の名のもと開かれた催しで魔物が暴れ、楽しい時間が一瞬にして台無し。安全をうたう公国の中でこんな事件が起こって、どう責任をとる?」
「っ……!」
リカードはこの時を狙っていたのだ。公国内で事件を起こし、ユーディニアにその責任をなすり付けて統治者の座から引きずり下ろすこの時を。
「そんな風に脅したって無駄よ。責任をわたしに取らせるつもりならそれでもいいわ。でも絶対に統治者の位は退かない。別の形で償う」
「さっき自分で言っただろ、怪我人や死人が出たかもしれないんだぜ。ここまでの失態をやらかしてまだ頂点にい続けたとして、どれほどの人間がお前に従う? 今までと同じにちやほやされると思ってんのか? ……甘いんだよ、お前は」
リカードの顔から笑みが消えた。
「何もかもが甘いんだ。人の笑顔が溢れる楽園だとか調子のいいことばかり言いやがって、いつまでも胡坐かいて……反吐が出る。この国はもっと大きくできる。周りの国共がひれ伏す大国に、俺なら変えられる」
野心に満ちた濃紫の瞳が爛々と輝く。
「馬鹿な貴族なんていくらでもいる。金をもっと巻き上げるんだよ。賭博場に誘い込んで身ぐるみ全部剥がせばいい。金が払えなくなったら妻や娘を娼館に売らせるんだ。貴族の女が集められた娼館ならそれを目当てにもっと大勢の客が来る!」
ユーディニアは絶句した。あまりにも酷過ぎるやり方だ。そんな横暴は許せない。
「そんなやり方、許さないわ! カーネリアス家の教えに反するものよ、お母さまもわたしもずっとそれを守って……ここを地上の楽園として受け継いできたの!」
「ハ、聞いて呆れるぜ。何が楽園だ。先代は男に逃げられて気狂いになって死んだだろうが。お前だって男に振られてめそめそ泣くばっかり。これだから女は駄目なんだ」
「お母さまを悪く言わないで、卑怯者!」
「卑怯者で結構。お前に人のことを言う資格はねえと思うがなあ。既婚の男を奪おうと考えるような奴も同じようなものだと思わねえか?」
「リカード……!」
ユーディニアの視界にうっすらと涙が滲む。リカードはユーディニアにとってずっと、頼りになる兄のような存在だった。忙しい母になかなか構ってもらえず寂しい思いをしていた時、彼は幼いユーディニアの手を引いて散歩に連れ出してくれた。
――何が彼を変えてしまったの? わたしが悪かったの? 知らない間に、彼のことを傷つけていたの?
どれほど問うても、目の前にいる青年が答えてくれることはない。
「信じて……たのに……」
か細いユーディニアの声を聞いたリカードは一瞬、目を見開いた後、身をのけぞらせて弾けたかのように笑いだした。
「お前ってやつは、本当に頭の中がお花畑だなぁ」
そう言うと手を伸ばし、ユーディニアの顎を掴んでぐい、と持ち上げる。
「男なんて皆、信用できないんじゃねえのかよ?」
背筋が寒くなるほどに冷え切った声と目つき――取り乱しては駄目だと自分に言い聞かせるユーディニアを見て、リカードは小さなため息をつき、ユーディニアの顎から指を離した。
「なぁユーディニア、お前はよく頑張ったよ。これを機に引退するってのも悪くないんじゃねえか? 別にお前を娼館送りにするつもりはない。悠々自適な生活は保障してやるよ」
そうだ、と呟いて、リカードが再び口の端を吊り上げる。
「お前の大嫌いなあの魔術師の女、あいつも天球劇場に来ていたはずだ。魔物が逃げ出したとなれば他の客を守るために戦うだろうが……もしかしたら、今頃はあの魔物の腹の中かもしれねえな」
「そんな……!」
「あの男、ディオンをお前のところに連れてきてやるよ。妻を亡くして絶望するあいつの膝の上に乗って慰めてやりゃいい。悪い話じゃねえだろ?」
「だ、駄目……」
ユーディニアはふるふるとかぶりを振った。
「そんなこと……望んでない……」
優しい誰かに傍にいて欲しくて、あの夫婦の仲睦まじい様子を目にして、その妻の座を狙ったのは確かだ。しかし、殺してまでそれを奪おうとまでは考えていなかった。
リカードが今度は重いため息を吐く。
「まったくわがままなことで……まあいい、お喋りにも飽きてきたところだ。そろそろ腹を決め」
「侵入者を捕らえました!」
地下室の扉が開き、リカードの部下が一人、姿を現す。その腕に捕らわれて引きずられるようにやって来たのは――
「カルロ……?」
「リカード、ユーディニアを解放しろ、今すぐに!」
体を押さえつけられながら、カルロは勇敢に吠える。リカードが目を細め、彼のもとにつかつかと歩み寄った。
「何だお前、お姫様を助けに来たのに丸腰か? 『役立たず』を通り越して『能無し』だな」
声を上げて笑い、カルロの腕を乱暴につかんでユーディニアの近くまで連れてくると、彼をうつ伏せになるように床に倒して頭を踏みつける。
「うっ……」
「悪いが俺もご機嫌とは言えなくてな。女王様の相手もうんざりだ。俺に逆らうのなら消えてもらうぜ、カルロ」
「やめなさい!」
縄が体に食い込むのも気にせず、ユーディニアは身を乗り出した。
「リカード、関係ない人を巻き込むのはやめて! カルロに酷いことをしないで!」
「ユーディニア……僕は……」
「……ほぉ。わがまま女王様にも慈悲の心があるってわけか」
リカードはカルロの襟首をつかんで立たせると、部下の一人を呼び寄せて彼にカルロを羽交い絞めにさせ、自分はナイフを取り出した。
「ユーディニア、取引だ」
ナイフの刃をちらつかせながらリカードが言う。
「公国の玉座を俺に明け渡すと今ここで宣言したら、カルロの命は助けてやる。断るならお前の目の前でこいつは死ぬ」
「そんな……」
どうしてここまで残虐なことができるのだろうか。リカードとカルロも昔馴染みの間柄だというのに。そこまでして彼は支配者の座を求めるのか。
「だんまり決め込んで時間を稼ごうって手は無駄だ。答えを出すまで、こいつの体は切り刻まれ続けるぜ」
カルロの首元にナイフの切っ先があたる。カルロは一瞬青ざめたが、すぐに歯を食いしばってリカードを睨んだ。
「ユーディニアはお前の言う通りになんかならない」
「立派に口答えしてくれるじゃねえか。ちょっとは待ってやろうと思ったが、気が変わった」
リカードが自由に動かせないカルロの腕に手を伸ばし、躊躇なくナイフで斬りつけた。服を裂き、血が流れる。カルロが痛みに呻いた。
「嘘……!」
リカードは本気だ。ユーディニアが彼の要求を飲むまでカルロは痛めつけられ続ける。もしもずっと首を縦に振らなかったら――
「さあどうする? お前が俺の言うことを聞くならカルロの命を保証するとは言ったが、どこまでこいつが耐えられるかは分からねえぜ」
「わ、わたし……」
「ユーディニア! 駄目だ! リカードの言うことに耳を貸すな!」
腕から赤い血を滴らせながら、カルロが声を張り上げた。
「公国を治めるのにふさわしい人は君以外にはいない! 僕は知ってる! アメイリア様が亡くなってから、君がどれほど努力してきたか! ここを訪れる人たちのことを思ってきたか! 君は誰よりも立派だ!」
カルロの言葉はそこで途切れた。リカードのナイフが今度は太腿を浅く裂き、床に赤い染みを作る。
「黙れ」
「嫌だ。ユーディニア、僕が今日死んだって誰も困りはしない。でも君は、明日も明後日も、この先もずっと公国の頂点にいるべきなんだ。皆が君を必要としてる!」
「黙れ!」
リカードが手を突き出す。カルロの呼吸が速くなり、目を見開いた。腹にどんどん血が滲んでいく。
「カルロっ!」
「……ぎゃあぎゃあうるせえんだよ。クソが」
鮮血に塗れたナイフの刃が、カルロの顔に近づく。彼の金と青の瞳が揺れた。
「そのちぐはぐな目ん玉、片方抉り出してやろうか」
「リカード、お願いだからもうやめて!」
これ以上は見ていられない。本当にカルロが殺されてしまう。半泣きで訴えるユーディニアのもとにリカードがやって来て、髪を鷲掴みにした。
「だったら言え! この国は俺のものだと!」
「駄目だ! ユーディニア! 僕は大丈夫……だから……!」
二つの声に挟まれて、体が震える。頭ががんがんと痛む。恐怖と混乱と迷いが入り混じり、ユーディニアの全身をぐちゃぐちゃに塗りつぶしていく。
カルロの命を選べば公国は終わりだ。しかし公国を守れば目の前で、心優しい青年が惨たらしく命を奪われる。野心と狂気に堕ちた男は、そのままユーディニアにも刃を向けてくるのではないか。
どうすればいいのか分からない。髪を引っ張られて感じる痛みが、これは夢ではないのだという事実を突きつけてくる。
――おねがい、だれか、たすけて
ユーディニアは目の前に立ち、冷たい視線で見降ろしてくる馴染みの青年――リカードを睨みつけた。
滞りなく行われていた催しの中、見世物として現れた異様な姿の獣。それが檻を破って飛び出したかと思えば、有無を言わせず彼によって劇場から連れ出されて馬車に押し込まれ、今は地下室の中、椅子に縛り付けられている。武器を持って周囲を囲んでいるのは見知った顔の男たちだが、ユーディニアの味方は誰一人いない。
「どういうことなの、リカード」
平静を装い、ユーディニアは問うた。怒りを露わにしたり泣きわめくことは悪手だ。
「聞いていないわ、あんなに危険な獣を公国に持ち込むなんて。怪我人や死者が出たらどうするつもりなの」
「好きにしろと言ったのはお前だぜ、ユーディニア」
確かに、今夜の催しについてリカードは相談をしに来た。しかしあの時は気が滅入っていてそれどころではなかったし、彼がこのような危険なことをしでかすなんて夢にも思っていなかったのだ。
「……何が望み?」
「賢いお前ならもう分かってるだろ?」
にぃ、とリカードが口元に笑みを浮かべる。
「カーネリアス公爵の名のもと開かれた催しで魔物が暴れ、楽しい時間が一瞬にして台無し。安全をうたう公国の中でこんな事件が起こって、どう責任をとる?」
「っ……!」
リカードはこの時を狙っていたのだ。公国内で事件を起こし、ユーディニアにその責任をなすり付けて統治者の座から引きずり下ろすこの時を。
「そんな風に脅したって無駄よ。責任をわたしに取らせるつもりならそれでもいいわ。でも絶対に統治者の位は退かない。別の形で償う」
「さっき自分で言っただろ、怪我人や死人が出たかもしれないんだぜ。ここまでの失態をやらかしてまだ頂点にい続けたとして、どれほどの人間がお前に従う? 今までと同じにちやほやされると思ってんのか? ……甘いんだよ、お前は」
リカードの顔から笑みが消えた。
「何もかもが甘いんだ。人の笑顔が溢れる楽園だとか調子のいいことばかり言いやがって、いつまでも胡坐かいて……反吐が出る。この国はもっと大きくできる。周りの国共がひれ伏す大国に、俺なら変えられる」
野心に満ちた濃紫の瞳が爛々と輝く。
「馬鹿な貴族なんていくらでもいる。金をもっと巻き上げるんだよ。賭博場に誘い込んで身ぐるみ全部剥がせばいい。金が払えなくなったら妻や娘を娼館に売らせるんだ。貴族の女が集められた娼館ならそれを目当てにもっと大勢の客が来る!」
ユーディニアは絶句した。あまりにも酷過ぎるやり方だ。そんな横暴は許せない。
「そんなやり方、許さないわ! カーネリアス家の教えに反するものよ、お母さまもわたしもずっとそれを守って……ここを地上の楽園として受け継いできたの!」
「ハ、聞いて呆れるぜ。何が楽園だ。先代は男に逃げられて気狂いになって死んだだろうが。お前だって男に振られてめそめそ泣くばっかり。これだから女は駄目なんだ」
「お母さまを悪く言わないで、卑怯者!」
「卑怯者で結構。お前に人のことを言う資格はねえと思うがなあ。既婚の男を奪おうと考えるような奴も同じようなものだと思わねえか?」
「リカード……!」
ユーディニアの視界にうっすらと涙が滲む。リカードはユーディニアにとってずっと、頼りになる兄のような存在だった。忙しい母になかなか構ってもらえず寂しい思いをしていた時、彼は幼いユーディニアの手を引いて散歩に連れ出してくれた。
――何が彼を変えてしまったの? わたしが悪かったの? 知らない間に、彼のことを傷つけていたの?
どれほど問うても、目の前にいる青年が答えてくれることはない。
「信じて……たのに……」
か細いユーディニアの声を聞いたリカードは一瞬、目を見開いた後、身をのけぞらせて弾けたかのように笑いだした。
「お前ってやつは、本当に頭の中がお花畑だなぁ」
そう言うと手を伸ばし、ユーディニアの顎を掴んでぐい、と持ち上げる。
「男なんて皆、信用できないんじゃねえのかよ?」
背筋が寒くなるほどに冷え切った声と目つき――取り乱しては駄目だと自分に言い聞かせるユーディニアを見て、リカードは小さなため息をつき、ユーディニアの顎から指を離した。
「なぁユーディニア、お前はよく頑張ったよ。これを機に引退するってのも悪くないんじゃねえか? 別にお前を娼館送りにするつもりはない。悠々自適な生活は保障してやるよ」
そうだ、と呟いて、リカードが再び口の端を吊り上げる。
「お前の大嫌いなあの魔術師の女、あいつも天球劇場に来ていたはずだ。魔物が逃げ出したとなれば他の客を守るために戦うだろうが……もしかしたら、今頃はあの魔物の腹の中かもしれねえな」
「そんな……!」
「あの男、ディオンをお前のところに連れてきてやるよ。妻を亡くして絶望するあいつの膝の上に乗って慰めてやりゃいい。悪い話じゃねえだろ?」
「だ、駄目……」
ユーディニアはふるふるとかぶりを振った。
「そんなこと……望んでない……」
優しい誰かに傍にいて欲しくて、あの夫婦の仲睦まじい様子を目にして、その妻の座を狙ったのは確かだ。しかし、殺してまでそれを奪おうとまでは考えていなかった。
リカードが今度は重いため息を吐く。
「まったくわがままなことで……まあいい、お喋りにも飽きてきたところだ。そろそろ腹を決め」
「侵入者を捕らえました!」
地下室の扉が開き、リカードの部下が一人、姿を現す。その腕に捕らわれて引きずられるようにやって来たのは――
「カルロ……?」
「リカード、ユーディニアを解放しろ、今すぐに!」
体を押さえつけられながら、カルロは勇敢に吠える。リカードが目を細め、彼のもとにつかつかと歩み寄った。
「何だお前、お姫様を助けに来たのに丸腰か? 『役立たず』を通り越して『能無し』だな」
声を上げて笑い、カルロの腕を乱暴につかんでユーディニアの近くまで連れてくると、彼をうつ伏せになるように床に倒して頭を踏みつける。
「うっ……」
「悪いが俺もご機嫌とは言えなくてな。女王様の相手もうんざりだ。俺に逆らうのなら消えてもらうぜ、カルロ」
「やめなさい!」
縄が体に食い込むのも気にせず、ユーディニアは身を乗り出した。
「リカード、関係ない人を巻き込むのはやめて! カルロに酷いことをしないで!」
「ユーディニア……僕は……」
「……ほぉ。わがまま女王様にも慈悲の心があるってわけか」
リカードはカルロの襟首をつかんで立たせると、部下の一人を呼び寄せて彼にカルロを羽交い絞めにさせ、自分はナイフを取り出した。
「ユーディニア、取引だ」
ナイフの刃をちらつかせながらリカードが言う。
「公国の玉座を俺に明け渡すと今ここで宣言したら、カルロの命は助けてやる。断るならお前の目の前でこいつは死ぬ」
「そんな……」
どうしてここまで残虐なことができるのだろうか。リカードとカルロも昔馴染みの間柄だというのに。そこまでして彼は支配者の座を求めるのか。
「だんまり決め込んで時間を稼ごうって手は無駄だ。答えを出すまで、こいつの体は切り刻まれ続けるぜ」
カルロの首元にナイフの切っ先があたる。カルロは一瞬青ざめたが、すぐに歯を食いしばってリカードを睨んだ。
「ユーディニアはお前の言う通りになんかならない」
「立派に口答えしてくれるじゃねえか。ちょっとは待ってやろうと思ったが、気が変わった」
リカードが自由に動かせないカルロの腕に手を伸ばし、躊躇なくナイフで斬りつけた。服を裂き、血が流れる。カルロが痛みに呻いた。
「嘘……!」
リカードは本気だ。ユーディニアが彼の要求を飲むまでカルロは痛めつけられ続ける。もしもずっと首を縦に振らなかったら――
「さあどうする? お前が俺の言うことを聞くならカルロの命を保証するとは言ったが、どこまでこいつが耐えられるかは分からねえぜ」
「わ、わたし……」
「ユーディニア! 駄目だ! リカードの言うことに耳を貸すな!」
腕から赤い血を滴らせながら、カルロが声を張り上げた。
「公国を治めるのにふさわしい人は君以外にはいない! 僕は知ってる! アメイリア様が亡くなってから、君がどれほど努力してきたか! ここを訪れる人たちのことを思ってきたか! 君は誰よりも立派だ!」
カルロの言葉はそこで途切れた。リカードのナイフが今度は太腿を浅く裂き、床に赤い染みを作る。
「黙れ」
「嫌だ。ユーディニア、僕が今日死んだって誰も困りはしない。でも君は、明日も明後日も、この先もずっと公国の頂点にいるべきなんだ。皆が君を必要としてる!」
「黙れ!」
リカードが手を突き出す。カルロの呼吸が速くなり、目を見開いた。腹にどんどん血が滲んでいく。
「カルロっ!」
「……ぎゃあぎゃあうるせえんだよ。クソが」
鮮血に塗れたナイフの刃が、カルロの顔に近づく。彼の金と青の瞳が揺れた。
「そのちぐはぐな目ん玉、片方抉り出してやろうか」
「リカード、お願いだからもうやめて!」
これ以上は見ていられない。本当にカルロが殺されてしまう。半泣きで訴えるユーディニアのもとにリカードがやって来て、髪を鷲掴みにした。
「だったら言え! この国は俺のものだと!」
「駄目だ! ユーディニア! 僕は大丈夫……だから……!」
二つの声に挟まれて、体が震える。頭ががんがんと痛む。恐怖と混乱と迷いが入り混じり、ユーディニアの全身をぐちゃぐちゃに塗りつぶしていく。
カルロの命を選べば公国は終わりだ。しかし公国を守れば目の前で、心優しい青年が惨たらしく命を奪われる。野心と狂気に堕ちた男は、そのままユーディニアにも刃を向けてくるのではないか。
どうすればいいのか分からない。髪を引っ張られて感じる痛みが、これは夢ではないのだという事実を突きつけてくる。
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