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第一章 イザベル 前編

5、父達の鼎談 中編

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 「さて、お二人のお子さんの婚約解消届けの話に戻りましょうか。」
 
 後から来た男がさくさくとこの場を仕切りだした。
 
 その台詞にハッと正気に返ったヴィスワ伯爵が俺にとりすがるようにして懇願してきた。
 
 「た、頼む!ゲラルトに悪気はなかったんだ。結局婚約は解消したわけだし、イザベル嬢も次の婚約が決まったのだろう?問題ないじゃないか。ヴェーザー伯爵、書類を作り直して終わりにしよう。そうしよう!」
 
 王太子補佐の職にある公爵が手続きの不備をなんとかしてくれるというなら、乗らない手はない。もし彼が罰する方向へ動けばコトはゲラルトだけでなく、伯爵家にも降りかかるのは間違いない。
 それを回避するため、必死に言い募ってきた男にギュンターは不快を覚えた。
 
 アイツに悪気なんて、ありまくりだっただろうがっ!
 おっと、いけない。深呼吸して落ち着け、俺。
 
 「それは結果論です。ゲラルトのせいで、イザベルが傷つけられたことは間違いない。それと婚約破棄の書類の前に、昨日の手紙に書いたゲラルトのイザベルへの暴行についてお話を致したく。」
 「あんな話はデタラメだ。ゲラルトはとても大人しい紳士なはずだ。女子供に手をあげるなど考えられない。」
 
 ヴィスワ伯爵はそれだけ言って、フンとそっぽを向いた。
 
 なるべく穏便に話し合おうと思っていたのだが、全くこちらの言うことを聞こうとしないその態度に何かがプチッと音を立ててキレた。
 
 「いいですか、ヴィスワ伯爵。ゲラルトはイザベルの胸倉を掴みあげたり、突き飛ばしたりしたそうです。それも、貴族もよく使うエルベの街の新しいカフェのど真ん中で。」
 
 ヴィスワ伯爵に詰め寄って低い声でそう告げると、彼は顔面蒼白になった。
 
 「馬鹿な!そんなことをすれば、いい笑いものだ、有り得ない。」
 「信じたくない気持ちはわかりますが、本当のことらしいですよ?私の息子達が丁度その場に居合わせましてね。一部始終を話してくれました。」
 「ハーフェルト公爵閣下の・・・。」
 「ええ。実はこちらに伺ったのもその件でお話があったからでして。諍いを見かねたうちの次男が割って入ったら、ゲラルト殿に宙づりにされて『躾がなってない、親に言いつけてやる』と言われたそうなのですが、その件は聞いてませんか?」
 
 ゲラルト殿はまだ私のところに言いつけに来てないんですよねー、待っているのですが。と続けた公爵の笑顔が怖い。
 ヴィスワ伯爵もさすがに公爵相手に有り得ない、と言うことが出来なかったようで、口をパクパクとさせただけだった。
 
 しばらくしてヴィスワ伯爵が苦しそうにハーフェルト公爵に願った。
 
 「ゲラルトの大事な将来に傷がつきかねません。愚息に変わってここで私が何重にもお詫びいたしますので、なにとぞ内密にしていただけませんでしょうか?」
 
 ここに居る三人のうちで一番年上の男が一番若い男に必死で許しを乞うている。
 乞われた方は眉一つ動かさず腕を組んだまま冷え切った目線で彼を見下ろし、首を傾げた。
 
 「ヴィスワ伯爵、貴方とご子息は私よりもヴェーザー伯爵と令嬢へ謝罪をするべきだと思いますよ。」
 
 一番若いが一番身分の高い男に言われて、逆らえなかったヴィスワ伯爵が机を回り込み、こちらへニ、三歩近寄って来た。
 謝罪をする気なのだろうが、顔が苦痛に歪んでいる。
 
 そんなに嫌々なされた謝罪に意味はあるのか?
 
 「ヴェーザー伯爵、すまなかった。詫びに婚姻関係なしでも、うちが間に入ってそちらの領地の特産品を他国へ売る話を進めよう。」
 
 それでいいだろ、と嫌な目つきで下から見上げてきたヴィスワ伯爵に、吐き気を催しながらギュンターはぴしゃっと言い切った。
 
 「それは必要ない。俺はうちの娘を傷つけたゲラルトを絶対に許さん!金輪際、我がヴェーザー伯爵家と関わらないでもらおう。それを言いに来たんだ。」
 「それでは例の品はどうするんだ?領地内でダブつかせて、領民を苦しめる気か?せっかくこちらがいい条件の取引を斡旋してやろうというのに。領主失格だな。」
 
 嫌なところをついてきたヴィスワ伯爵にギュンターの顔が歪んだ。
 
 その言い方だとまるで俺が私怨で領民の利益を潰すみたいじゃないか。
 だが、こんな男にうちの領民が何年もかけて作り上げた商品の今後を託せるわけがない。
 販路の開拓は白紙に戻るが、もっと良いところを全力で探し直そう。
 
 「なんだ、それで姻戚関係を結ぼうとしてたのか。ギュンター殿、それならうちの貿易港を使ってください。かなり広範囲に輸出可能ですし、使用料も格安にしておきますよ。」
 
 しれっと口を挟んできたハーフェルト公爵にヴィスワ伯爵が青ざめた。
 公爵の持つ貿易港はこの国随一の規模だが利用するには厳しい審査と莫大な使用料が必要だ。だがそこをすんなり格安で使えるなら、ヴィスワ家の伝手なんて吹けば飛ぶレベルだ。
 
 本当はヴィスワ家の方がヴェーザー家の布を独占して取り扱い、利益を得たかったのだ。
 それでお人好しのヴェーザー伯爵の娘イザベルがうちの次男に好意を寄せているのを利用して縁談を取りつけたのに、なんでこうなった?!
 
 あの他人には全く興味を示さず冷酷なはずのハーフェルト公爵が、どうしてヴェーザー伯爵をこんなに優遇しようとしているんだ。
 
 「なんで、ハーフェルト公爵が彼に便宜を図るのです?」
 
 ヴィスワ伯爵が思わず口からこぼしたその疑問に、公爵は黒い笑顔で答えた。
 
 「それは、これからハーフェルト公爵家とヴェーザー伯爵家が姻戚関係になるからですよ。ギュンター殿、あれでしょ、新しく開発した織物の輸出の話でしょ?」
 
 話を振られたギュンターは頷いた。ハーフェルト公爵家なら取引相手として申し分ない。しかも使用料もまけてくれるなんて。
 妻同士は親友だがそのコネを使うのは、イザベルがパトリックの婚約申し込みを断ったため難しいと思っていたのだが、向こうから申し出てくれるのならありがたい。
 
 喜色を浮かべたギュンターの横ではヴィスワ伯爵の顔から表情が抜け落ちていた。
 
 「まさか、イザベル嬢の新しい婚約者って・・・いや、しかし、跡取り息子と跡取り娘の組み合わせになるし・・・」
 
 ブツブツと呟くヴィスワ伯爵へ、満面の笑みを浮かべて公爵がとどめを刺す。
 
 「うちの次男は幼少時からずっとイザベル嬢に懸想してまして、この度やっと想いが叶って婚約したんです。」
 
 さらに軽くこぶしの背を当てて口元を隠しながら、嬉しそうに追加した。
 
 「昨日、その話を聞いた妻がそれはもう喜びましてね。あんなに嬉しそうな彼女は久しぶりに見ましたよ。」
 
 妻が、という下りでヴィスワ伯爵だけでなくギュンターも震え上がった。
 公爵が妻をそれはもう大事にしていることは、なんなら、世界中が知っている。
 
 もしこれでイザベルとパットの婚約がダメになって公爵夫人がガッカリしたら・・・!
 いや、その時は俺がなんとしてでもイザベルを守る!
 と、ギュンターが心の内で決意を固めている横で、ヴィスワ伯爵が泡を吹いていた。
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