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肆拾参
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巣守隆康の母や姉、その夫達等を始め、縁戚関係に引き合わされて挨拶を終える。
宴には巣守の家臣達以外にも多くの人が集まった。
大広間の中央に席が設えてあり、その前にある小さな木の机に木瓜紋が刻印された金属の板が置いてある。
巣守隆康に導かれ、その席に座る。
私が木瓜紋を掲げて光らせて見せると、集まった人々は皆「おお」とどよめいた。
「いで、今宵は喜ばしき宴。皆随分に飲みて明かさむぞ!」
巣守父が大きな盃を持って飲み干した。
家臣達も皆、続いて飲み始める。
木瓜紋が片付けられ、私は席に戻る。
巣守隆康も父に負けじと盃を取り、酒を注ぎに来た人達の応対をしていた。
姫も如何かと勧められたが、断る。
一旦受け入れたら次から次へと来かねないし、何より今晩逃げるのだ。
食事だけはしっかり食べる。
そうこうしている内に、周囲は酒の飲み比べじゃなどと盛り上がり始めた。
「酒の匂い、強し。我は戻る」
気分悪そうに装って巣守隆康に言う。
実際、酒の匂いが酔いそうな程漂っているから怪しまれないだろう。
彼は一旦盃を置くと、暫くじっと私を見詰めていた。
そこに表情はない。ただ、静かなまなざしのみ。
喧噪の中、そこだけ時間が止まったように思った。
心の奥までも隅々まで見透かされているのだろうか。
そう錯覚しかけた時、巣守隆康がふっと微笑んでゆっくりと頷いた。
頭を優しく撫でられる。
「……心得たり。ここは我に任せ給へ。相構へて行き給へ。お萬、姫を」
「えい」
お萬に連れられて部屋に戻ると、「早や寝給ふや」と聞かれたので首を振る。
「月を見るゆえ、もう少し起きる。お萬は宴に戻り給え」
「畏まり候ひき、然らばまた後程に参り候はむ」
お萬が下がっていくと、私は打掛を脱いだ。
身軽な恰好になると鷹の羽紋を取り出す。
桐紋も持った。
鏡台のところにある百合の櫛を手に取って眺める。
少し考えて、やっぱりこれは持って行こうと懐にしまった。
縁側にある草履を履いて慎重に歩く。
庭の真ん中まで来ると、丁度月が雲間から出てきて照らし出された。
印籠を胸に押し当てる。
紋術は光るから、こうやって隠さないと。
さあ、飛ぼうと思ったその時。
私の体は衝撃を受け、次の瞬間には空高く飛んでいた。
***
なっ何!?
まだ紋術使ってないのに!
動転し、口が誰かの手で押さえられている事に気付く。
体も同じ手で抱えられているようだった。
風がびゅうびゅうと当たり、高速で飛んでいるのが分かる。
眼下の弥栄城の明かりがどんどん遠ざかって行っている。
「姫よ、見えたかりき!」
そ、その声は。
聞き覚えのある声。
まさかと思いながら顔だけ振り向くと、
「なっ、鷹司義嗣殿!!?」
まだひと月目なのに何故ここに!?
あまりの事に仰天していると、髭麻呂はスピードを緩めた。
落ち着いて声が聞き取れるようになって奴が話した事は、
「些か早くなりけれど迎へに参りき。藤は戦の支度をしたり。巣守と大戦せむとすなりと、片喰より聞きき。いで、姫。ここは戦場になる故、共に逃げむ」
とんでもない事だった。
藤が戦の用意って……大戦!?
「ちょ、ちょっと待って! 待ち給え! 巣守の皆に知らせる!」
慌てる私。
しかし髭麻呂は首を振る。
「そは勿なり。姫を巣守に返すまじ。斯くながら押して具し行かむぞ。巣守と寿藤争へば姫を北の地まで追ひ来る暇も無かるべしに、極めたる便宜なり」
「な……何ですって!? この卑怯者!!」
私はカッとなり奴を思い切りひっぱたいた。
こいつだって調停役で来たはずなのに戦争で失われる人命よりも私欲優先なんて!
怒りのあまり、触れられているのさえ嫌になって暴れまくる。
と、ふとした瞬間に偶然私の指が髭麻呂の鼻の穴を思い切り突いた。
「ふぐぅっ!!?」
痛みに呻いた鷹司義嗣は拘束を緩める。
私は鷹の羽紋を光らせると奴を突き飛ばして腕から抜け出し、弥栄城の方向へ飛び始めた。
ああああ、指が汚いいい!
奴に鼻フックかましてしまった事に精神を削られながらも飛んでいると、
「待て、姫! 逃がすまいぞ!」
「ぎゃーっ!?」
程無くして髭麻呂が追ってきた。
何とか軌道を変えて逃げ回るけれども、何度も着物を掴まれかけた。
飛ぶことにかけては慣れている奴の方が有利、このままでは遅かれ早かれ捕まる。
いっそのこと下に降りて霧を出して逃げたほうがいいのかも。
弥栄城もそんなに遠くない。
私は月明りに照らされた道が見えたので急降下して、道の近くの木々の中に身を隠した。
桐紋を取り出そうと懐を探る。
しかしそれは悪手だったのか、鷹司義嗣も近くに降り立った。
息を潜めて早く行って欲しいと思っていると、
「鷹の羽紋は武勇の力なり。俺も荒くましき事せまうく思ひたり、素直に出で来たれば許してやらむ」
叫ぶ髭麻呂。
捕まると分かってて出ていくもんか。
しかし、痺れを切らした奴はとんでもない行動に出る。
「出で来たらざるや。ならば為む方無し。何処なるや、姫よ」
どごぉん! と衝撃、それに物凄い音。
6メートルほど離れた木がメリメリと音を立てて倒れていった。
私は小さい悲鳴を上げて青ざめた。
あんな力があるなんて!
「そこか」
ぎゃっ!!
口を押えながら慌てて飛び退くと、私の居た木が倒される。
なんて馬鹿力だ、結構太い木なのに!
「何故姫は我が鷹の羽紋を使はるるや。証のものが欲しきと言ひたるは偽りなりけるや。さもあり、飛ぶ方聞きたりけるかし。げに、巣守隆康も俺も出だし抜きて、異なる世とやらに返らむと思ひたりけるや」
私は答えずに木々を盾にするように逃げた。
鷹司義嗣はまるでこちらの位置が分かっているかのように、すぐ隣の木を薙ぎ倒していく。
桐紋を使う余裕がない。
と思っていると、不意に静かになった。
諦めてくれたのだろうか?
それでも桐紋を取り出して光らせようとした瞬間。
顔の横に風圧と破裂音が走った。
背筋が凍りつく。
月を背に、目の前には髭麻呂。
そしてその腕を視線で辿ると、木に拳がめり込んでいた。
「いで、鬼遊びは終はりたり。祝言も既に認めき、今更無かりし事になどせらるるものか。綾子姫はこの鷹司義嗣が妻になり給ふなり。誰にも渡さじ。何処へも逃がさじ」
反対の手で顎を優しく掴まれる。
本当の鬼みたいだこいつ。
恐ろしさのあまり、歯が勝手に音を立て始めた。
震えて体に力が入らず動けない。
熱いものが頬を伝いだした。
――ああ、万事休す。
助けて、誰か。
裏切られた筈なのに、脳裏に巣守隆康の顔が浮かぶ。
けれど彼は助けに来る筈もない。
絶望に目の前が真っ暗になったその時。
鷹司義嗣が5メートル程先にぱっと飛び退り、次の瞬間には何かが高速で飛んでいった。
髭麻呂が拳を打ち込んだ木が、僅かな音と共に縦にすっぱりと割れて倒れていく。
「今度は汝が綾子姫に執心や、鷹の羽の。よも、先の注進にて偽り繕ひ、桐の御方を謀り奉りしか」
声の方を見ると、月明りにその人の姿が浮かび上がった。
青白い光を帯びた刃物が宙へ浮き、その切っ先を髭麻呂へ向けている。
その人の胸にある、その紋は。
「三葉利政か」
眩いほどに輝く片喰紋。
鷹司義嗣が忌々しそうに舌打ちをした。
【後書き】
「いで、今宵は喜ばしき宴。皆随分に飲みて明かさむぞ!」
→「さあ、今晩は喜ばしい宴。皆大いに飲み明かそうぞ!」
「……心得たり。ここは我に任せ給へ。相構へて行き給へ。お萬、姫を」
→「……分かりました、ここは私に任せて下さい。気を付けてお行き下さい。お萬、姫を」
「えい」
→「はい」
「早や寝給ふや」
→「もうお休みになりますか」
「畏まり候ひき、然らばまた後程に参り候はむ」
→「かしこまりました、ではまた後程参ります」
「姫よ、見えたかりき!」
→「姫よ、お会いしたかった!」
「些か早くなりけれど迎へに参りき。藤は戦の支度をしたり。巣守と大戦せむとすなりと、片喰より聞きき。いで、姫。ここは戦場になる故、共に逃げむ」
→「少し早くなったが迎えに参った。藤は戦準備をしている。巣守と大戦争するようだと、片喰から聞いた。さあ、姫。ここは戦場になるから、共に逃げよう」
「そは勿なり。姫を巣守に返すまじ。斯くながら押して具し行かむぞ。巣守と寿藤争へば姫を北の地まで追ひ来る暇も無かるべしに、極めたる便宜なり」
「それは駄目だ。姫を巣守に戻す気はない。このまま無理やり攫って行くぞ。巣守と寿藤が争えば姫を北の地まで追って来る余裕などないから、非常に好都合だ」
「待て、姫! 逃がすまいぞ!」
→「待て、姫! 逃がさないぞ!」
「鷹の羽紋は武勇の力なり。俺も荒くましき事せまうく思ひたり、素直に出で来たれば許してやらむ」
→「鷹の羽紋は武勇の力。俺も手荒な真似はしたくないのだ、素直に出てくれば許してやろう」
「出で来たらざるや。ならば為む方無し。何処なるや、姫よ」
→「出て来ないか。ならば仕方がない。どこだ、姫よ」
「何故姫は我が鷹の羽紋を使はるるや。証のものが欲しきと言ひたるは偽りなりけるや。さもあり、飛ぶ方聞きたりけるかし。げに、巣守隆康も俺も出だし抜きて、異なる世とやらに返らむと思ひたりけるや」
→「なぜ姫が我が鷹の羽紋を使えるのか。証のものが欲しいと言ったのは嘘だったのか。そうだ、飛ぶ方法を聞いていたな。成程。巣守隆康も俺も出し抜いて、異なる世とやらに帰るつもりだったのか」
「いで、鬼遊びは終はりたり。祝言も既に認めき、今更無かりし事になどせらるるものか。綾子姫はこの鷹司義嗣が妻になり給ふなり。誰にも渡さじ。何処へも逃がさじ」
→「さあ、鬼ごっこは終わった。婚礼の用意も整えた、今更なかったことになどできるものか。綾子姫はこの鷹司義嗣の妻になられるのだ。誰にも渡さない。何処にも逃がさない」
「今度は汝が綾子姫に執心や、鷹の羽の。よも、先の注進にて偽り繕ひ、桐の御方を謀り奉りしか」
→「今度はお前が綾子姫に執心か、鷹の羽の。まさか、前の報告を偽って誤魔化し、桐の御方をお騙し申し上げたのか」
宴には巣守の家臣達以外にも多くの人が集まった。
大広間の中央に席が設えてあり、その前にある小さな木の机に木瓜紋が刻印された金属の板が置いてある。
巣守隆康に導かれ、その席に座る。
私が木瓜紋を掲げて光らせて見せると、集まった人々は皆「おお」とどよめいた。
「いで、今宵は喜ばしき宴。皆随分に飲みて明かさむぞ!」
巣守父が大きな盃を持って飲み干した。
家臣達も皆、続いて飲み始める。
木瓜紋が片付けられ、私は席に戻る。
巣守隆康も父に負けじと盃を取り、酒を注ぎに来た人達の応対をしていた。
姫も如何かと勧められたが、断る。
一旦受け入れたら次から次へと来かねないし、何より今晩逃げるのだ。
食事だけはしっかり食べる。
そうこうしている内に、周囲は酒の飲み比べじゃなどと盛り上がり始めた。
「酒の匂い、強し。我は戻る」
気分悪そうに装って巣守隆康に言う。
実際、酒の匂いが酔いそうな程漂っているから怪しまれないだろう。
彼は一旦盃を置くと、暫くじっと私を見詰めていた。
そこに表情はない。ただ、静かなまなざしのみ。
喧噪の中、そこだけ時間が止まったように思った。
心の奥までも隅々まで見透かされているのだろうか。
そう錯覚しかけた時、巣守隆康がふっと微笑んでゆっくりと頷いた。
頭を優しく撫でられる。
「……心得たり。ここは我に任せ給へ。相構へて行き給へ。お萬、姫を」
「えい」
お萬に連れられて部屋に戻ると、「早や寝給ふや」と聞かれたので首を振る。
「月を見るゆえ、もう少し起きる。お萬は宴に戻り給え」
「畏まり候ひき、然らばまた後程に参り候はむ」
お萬が下がっていくと、私は打掛を脱いだ。
身軽な恰好になると鷹の羽紋を取り出す。
桐紋も持った。
鏡台のところにある百合の櫛を手に取って眺める。
少し考えて、やっぱりこれは持って行こうと懐にしまった。
縁側にある草履を履いて慎重に歩く。
庭の真ん中まで来ると、丁度月が雲間から出てきて照らし出された。
印籠を胸に押し当てる。
紋術は光るから、こうやって隠さないと。
さあ、飛ぼうと思ったその時。
私の体は衝撃を受け、次の瞬間には空高く飛んでいた。
***
なっ何!?
まだ紋術使ってないのに!
動転し、口が誰かの手で押さえられている事に気付く。
体も同じ手で抱えられているようだった。
風がびゅうびゅうと当たり、高速で飛んでいるのが分かる。
眼下の弥栄城の明かりがどんどん遠ざかって行っている。
「姫よ、見えたかりき!」
そ、その声は。
聞き覚えのある声。
まさかと思いながら顔だけ振り向くと、
「なっ、鷹司義嗣殿!!?」
まだひと月目なのに何故ここに!?
あまりの事に仰天していると、髭麻呂はスピードを緩めた。
落ち着いて声が聞き取れるようになって奴が話した事は、
「些か早くなりけれど迎へに参りき。藤は戦の支度をしたり。巣守と大戦せむとすなりと、片喰より聞きき。いで、姫。ここは戦場になる故、共に逃げむ」
とんでもない事だった。
藤が戦の用意って……大戦!?
「ちょ、ちょっと待って! 待ち給え! 巣守の皆に知らせる!」
慌てる私。
しかし髭麻呂は首を振る。
「そは勿なり。姫を巣守に返すまじ。斯くながら押して具し行かむぞ。巣守と寿藤争へば姫を北の地まで追ひ来る暇も無かるべしに、極めたる便宜なり」
「な……何ですって!? この卑怯者!!」
私はカッとなり奴を思い切りひっぱたいた。
こいつだって調停役で来たはずなのに戦争で失われる人命よりも私欲優先なんて!
怒りのあまり、触れられているのさえ嫌になって暴れまくる。
と、ふとした瞬間に偶然私の指が髭麻呂の鼻の穴を思い切り突いた。
「ふぐぅっ!!?」
痛みに呻いた鷹司義嗣は拘束を緩める。
私は鷹の羽紋を光らせると奴を突き飛ばして腕から抜け出し、弥栄城の方向へ飛び始めた。
ああああ、指が汚いいい!
奴に鼻フックかましてしまった事に精神を削られながらも飛んでいると、
「待て、姫! 逃がすまいぞ!」
「ぎゃーっ!?」
程無くして髭麻呂が追ってきた。
何とか軌道を変えて逃げ回るけれども、何度も着物を掴まれかけた。
飛ぶことにかけては慣れている奴の方が有利、このままでは遅かれ早かれ捕まる。
いっそのこと下に降りて霧を出して逃げたほうがいいのかも。
弥栄城もそんなに遠くない。
私は月明りに照らされた道が見えたので急降下して、道の近くの木々の中に身を隠した。
桐紋を取り出そうと懐を探る。
しかしそれは悪手だったのか、鷹司義嗣も近くに降り立った。
息を潜めて早く行って欲しいと思っていると、
「鷹の羽紋は武勇の力なり。俺も荒くましき事せまうく思ひたり、素直に出で来たれば許してやらむ」
叫ぶ髭麻呂。
捕まると分かってて出ていくもんか。
しかし、痺れを切らした奴はとんでもない行動に出る。
「出で来たらざるや。ならば為む方無し。何処なるや、姫よ」
どごぉん! と衝撃、それに物凄い音。
6メートルほど離れた木がメリメリと音を立てて倒れていった。
私は小さい悲鳴を上げて青ざめた。
あんな力があるなんて!
「そこか」
ぎゃっ!!
口を押えながら慌てて飛び退くと、私の居た木が倒される。
なんて馬鹿力だ、結構太い木なのに!
「何故姫は我が鷹の羽紋を使はるるや。証のものが欲しきと言ひたるは偽りなりけるや。さもあり、飛ぶ方聞きたりけるかし。げに、巣守隆康も俺も出だし抜きて、異なる世とやらに返らむと思ひたりけるや」
私は答えずに木々を盾にするように逃げた。
鷹司義嗣はまるでこちらの位置が分かっているかのように、すぐ隣の木を薙ぎ倒していく。
桐紋を使う余裕がない。
と思っていると、不意に静かになった。
諦めてくれたのだろうか?
それでも桐紋を取り出して光らせようとした瞬間。
顔の横に風圧と破裂音が走った。
背筋が凍りつく。
月を背に、目の前には髭麻呂。
そしてその腕を視線で辿ると、木に拳がめり込んでいた。
「いで、鬼遊びは終はりたり。祝言も既に認めき、今更無かりし事になどせらるるものか。綾子姫はこの鷹司義嗣が妻になり給ふなり。誰にも渡さじ。何処へも逃がさじ」
反対の手で顎を優しく掴まれる。
本当の鬼みたいだこいつ。
恐ろしさのあまり、歯が勝手に音を立て始めた。
震えて体に力が入らず動けない。
熱いものが頬を伝いだした。
――ああ、万事休す。
助けて、誰か。
裏切られた筈なのに、脳裏に巣守隆康の顔が浮かぶ。
けれど彼は助けに来る筈もない。
絶望に目の前が真っ暗になったその時。
鷹司義嗣が5メートル程先にぱっと飛び退り、次の瞬間には何かが高速で飛んでいった。
髭麻呂が拳を打ち込んだ木が、僅かな音と共に縦にすっぱりと割れて倒れていく。
「今度は汝が綾子姫に執心や、鷹の羽の。よも、先の注進にて偽り繕ひ、桐の御方を謀り奉りしか」
声の方を見ると、月明りにその人の姿が浮かび上がった。
青白い光を帯びた刃物が宙へ浮き、その切っ先を髭麻呂へ向けている。
その人の胸にある、その紋は。
「三葉利政か」
眩いほどに輝く片喰紋。
鷹司義嗣が忌々しそうに舌打ちをした。
【後書き】
「いで、今宵は喜ばしき宴。皆随分に飲みて明かさむぞ!」
→「さあ、今晩は喜ばしい宴。皆大いに飲み明かそうぞ!」
「……心得たり。ここは我に任せ給へ。相構へて行き給へ。お萬、姫を」
→「……分かりました、ここは私に任せて下さい。気を付けてお行き下さい。お萬、姫を」
「えい」
→「はい」
「早や寝給ふや」
→「もうお休みになりますか」
「畏まり候ひき、然らばまた後程に参り候はむ」
→「かしこまりました、ではまた後程参ります」
「姫よ、見えたかりき!」
→「姫よ、お会いしたかった!」
「些か早くなりけれど迎へに参りき。藤は戦の支度をしたり。巣守と大戦せむとすなりと、片喰より聞きき。いで、姫。ここは戦場になる故、共に逃げむ」
→「少し早くなったが迎えに参った。藤は戦準備をしている。巣守と大戦争するようだと、片喰から聞いた。さあ、姫。ここは戦場になるから、共に逃げよう」
「そは勿なり。姫を巣守に返すまじ。斯くながら押して具し行かむぞ。巣守と寿藤争へば姫を北の地まで追ひ来る暇も無かるべしに、極めたる便宜なり」
「それは駄目だ。姫を巣守に戻す気はない。このまま無理やり攫って行くぞ。巣守と寿藤が争えば姫を北の地まで追って来る余裕などないから、非常に好都合だ」
「待て、姫! 逃がすまいぞ!」
→「待て、姫! 逃がさないぞ!」
「鷹の羽紋は武勇の力なり。俺も荒くましき事せまうく思ひたり、素直に出で来たれば許してやらむ」
→「鷹の羽紋は武勇の力。俺も手荒な真似はしたくないのだ、素直に出てくれば許してやろう」
「出で来たらざるや。ならば為む方無し。何処なるや、姫よ」
→「出て来ないか。ならば仕方がない。どこだ、姫よ」
「何故姫は我が鷹の羽紋を使はるるや。証のものが欲しきと言ひたるは偽りなりけるや。さもあり、飛ぶ方聞きたりけるかし。げに、巣守隆康も俺も出だし抜きて、異なる世とやらに返らむと思ひたりけるや」
→「なぜ姫が我が鷹の羽紋を使えるのか。証のものが欲しいと言ったのは嘘だったのか。そうだ、飛ぶ方法を聞いていたな。成程。巣守隆康も俺も出し抜いて、異なる世とやらに帰るつもりだったのか」
「いで、鬼遊びは終はりたり。祝言も既に認めき、今更無かりし事になどせらるるものか。綾子姫はこの鷹司義嗣が妻になり給ふなり。誰にも渡さじ。何処へも逃がさじ」
→「さあ、鬼ごっこは終わった。婚礼の用意も整えた、今更なかったことになどできるものか。綾子姫はこの鷹司義嗣の妻になられるのだ。誰にも渡さない。何処にも逃がさない」
「今度は汝が綾子姫に執心や、鷹の羽の。よも、先の注進にて偽り繕ひ、桐の御方を謀り奉りしか」
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