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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。
グレイ・ルフナー(21)
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「ふむ……白い結婚であれば婚姻白紙という事になりますな。まして、ご息女は別のお方との結婚を望んでおられる」
顎鬚を撫でるメンデル修道院長。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい猊下。確かに処女だったのですか、見間違いでは」
舅は我に返ったのか首を横に振りながら異を唱えている。恰幅の良い中年の修道女は心外そうに眉を上げた。
「いいえ、しかと乙女でいらっしゃる事を確認致しましたよ。真に白い結婚でございました。ご本人もそう仰っていましたよ」
「彼女は経験豊富で優秀な産婆でもありましてな。まず見間違えることはない筈ですぞ」
修道院長が修道女を擁護する。リプトン伯爵は険しい形相で傍に居た従僕を怒鳴り付けた。
「おい、今すぐ娘を呼んで来い!」
哀れな従僕は飛び上がって部屋を出て行った。ソファーに座ってイライラと足を小刻みに動かす舅。寸刻の後、フレールがやってきた。
「お父様!」
「お前! 未だ純潔だと聞いたぞ!」
「ええ、そうよ。どうしても嫌だったんだもの」
「何という事だ、ずっと白い結婚であったならば婚姻白紙になってしまう。愛人と逢っているのは知っていた。意に染まぬ結婚をさせた負い目から目を瞑ってはいたが、それがまさかこのような事になってしまうとは……」
「それの何がいけないの。お父様の一番の懸念は結納金でしょう? それは先日キャンディ伯爵家にお邪魔した時に解決したわ」
「は? お前何時キャンディ家にお邪魔したのだ!?」
「それは私からお話ししましょう」
俺は全てを話して聞かせた。グレイのデートの時にあった事、その謝罪に俺がキャンディ伯爵家を訪れた事。そしてそこに先触れも招待も無くフレールが闖入してきた事。リプトン伯爵は頭を抱えた。
「そ、そのような……これは我が娘が本当に恥知らずにも……大変失礼を致しました」
深々と這いつくばる勢いで頭を下げる舅。キャンディ伯爵閣下は「若い時は誰でも愚かな事を仕出かすもの、そう気になさるな」とやや同情的な視線を返していた。
「それに同じ娘を持つ親同士ではないか。先程も御息女が言われたように、チャーリー殿が一番ご心配なさっているのは結納金の事だと聞いている。
私としても同じ伯爵家が借金で苦しみ、没落していくのを放って見ておくのは忍びない――そこで提案なのだが、我がキャンディ家がリプトン家にお貸しするという形を取り、ルフナー子爵家へ代わりに返済するというのは如何か。返済も無理はさせぬよう配慮するし、金銭で返せずとも別の形でも構わない」
親し気に名を呼び、気遣う言葉をかける伯爵閣下。舅はその言葉に乗っても良いのかどうか迷っているようだった。
「ご存じの通り、婚姻白紙となれば結納金は返済義務が生じます。これは貴方の体面を慮ってのご厚意なのですよ」
「御息女の幸せを考えれば、婚姻白紙という形を取り、想う方との婚姻をお認めになるのが一番かと存じますぞ」
俺と修道院長も言葉を添える。とうとうフレールが舅の前に両手を組んで跪いた。
「お父様、私はどうしてもメイソン様と一緒になりたいの。私は彼を愛しているし、お父様もドルトン侯爵家と縁付けば嬉しいでしょう?」
「ううむ……それはそうだが。侯爵家は、メイソン殿は承知しているのか?」
「ええ、メイソン様は無事に別れる事が出来たら一緒になろうと約束して下さいましたわ。侯爵家の了承も既に得ているのですって」
「それを信じて良いものか……」
フレールは必死だ。それでも逡巡する舅。
「偽りでここに来なかった場合、メイソン殿には『人妻を弄んだ挙句に捨てた非道な男』と醜聞が立つだろう。チャーリー殿がお望みならば、ここに居る全員が証を立てても構わない」
「ドルトン侯爵家と縁付かれるのであれば、借金の事も少しは気が楽になられるのではないですかな。何も貴方の代で全て返せという訳ではありませんからな。
そうそう、ご安心頂く為にもこちらを用意して来ております。円満に、皆が幸せになる為にも不可欠ですからな」
「これは……」
「ご覧の通り、婚姻に関する書類です。お互いの為、醜聞を避けるためにも、この場で婚姻白紙と同時に新たな婚姻を結んでしまうのが一番だと思いますぞ。もし、後日――万が一にでもメイソン殿に逃げられてしまったらフレール嬢はどうなりますかな」
「あの人がそんな事をなさる筈がございませんわ! 私、今からメイソン様に来て下さるようにと手紙を書きます!」
修道院長の言葉を否定し、食ってかかるフレール。舅が慌てて叱責し、娘の無礼を詫びた。しかしメンデル修道院長は気を悪くした様子も無くニコニコとしている。
「おお、そうであれば『円満無事に夫と別れられそうなのであなたをリプトン伯爵次期当主としてお迎えしたいからすぐ来てください』とでもお書きになればどうですかな。すぐにいらっしゃって下さると思いますぞ」
フレールは憤然としたまますぐさま道具を持って来させ、その場で手紙を書いた。彼女の侍女はそれを持って慌ただしく屋敷から出て行った。
顎鬚を撫でるメンデル修道院長。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい猊下。確かに処女だったのですか、見間違いでは」
舅は我に返ったのか首を横に振りながら異を唱えている。恰幅の良い中年の修道女は心外そうに眉を上げた。
「いいえ、しかと乙女でいらっしゃる事を確認致しましたよ。真に白い結婚でございました。ご本人もそう仰っていましたよ」
「彼女は経験豊富で優秀な産婆でもありましてな。まず見間違えることはない筈ですぞ」
修道院長が修道女を擁護する。リプトン伯爵は険しい形相で傍に居た従僕を怒鳴り付けた。
「おい、今すぐ娘を呼んで来い!」
哀れな従僕は飛び上がって部屋を出て行った。ソファーに座ってイライラと足を小刻みに動かす舅。寸刻の後、フレールがやってきた。
「お父様!」
「お前! 未だ純潔だと聞いたぞ!」
「ええ、そうよ。どうしても嫌だったんだもの」
「何という事だ、ずっと白い結婚であったならば婚姻白紙になってしまう。愛人と逢っているのは知っていた。意に染まぬ結婚をさせた負い目から目を瞑ってはいたが、それがまさかこのような事になってしまうとは……」
「それの何がいけないの。お父様の一番の懸念は結納金でしょう? それは先日キャンディ伯爵家にお邪魔した時に解決したわ」
「は? お前何時キャンディ家にお邪魔したのだ!?」
「それは私からお話ししましょう」
俺は全てを話して聞かせた。グレイのデートの時にあった事、その謝罪に俺がキャンディ伯爵家を訪れた事。そしてそこに先触れも招待も無くフレールが闖入してきた事。リプトン伯爵は頭を抱えた。
「そ、そのような……これは我が娘が本当に恥知らずにも……大変失礼を致しました」
深々と這いつくばる勢いで頭を下げる舅。キャンディ伯爵閣下は「若い時は誰でも愚かな事を仕出かすもの、そう気になさるな」とやや同情的な視線を返していた。
「それに同じ娘を持つ親同士ではないか。先程も御息女が言われたように、チャーリー殿が一番ご心配なさっているのは結納金の事だと聞いている。
私としても同じ伯爵家が借金で苦しみ、没落していくのを放って見ておくのは忍びない――そこで提案なのだが、我がキャンディ家がリプトン家にお貸しするという形を取り、ルフナー子爵家へ代わりに返済するというのは如何か。返済も無理はさせぬよう配慮するし、金銭で返せずとも別の形でも構わない」
親し気に名を呼び、気遣う言葉をかける伯爵閣下。舅はその言葉に乗っても良いのかどうか迷っているようだった。
「ご存じの通り、婚姻白紙となれば結納金は返済義務が生じます。これは貴方の体面を慮ってのご厚意なのですよ」
「御息女の幸せを考えれば、婚姻白紙という形を取り、想う方との婚姻をお認めになるのが一番かと存じますぞ」
俺と修道院長も言葉を添える。とうとうフレールが舅の前に両手を組んで跪いた。
「お父様、私はどうしてもメイソン様と一緒になりたいの。私は彼を愛しているし、お父様もドルトン侯爵家と縁付けば嬉しいでしょう?」
「ううむ……それはそうだが。侯爵家は、メイソン殿は承知しているのか?」
「ええ、メイソン様は無事に別れる事が出来たら一緒になろうと約束して下さいましたわ。侯爵家の了承も既に得ているのですって」
「それを信じて良いものか……」
フレールは必死だ。それでも逡巡する舅。
「偽りでここに来なかった場合、メイソン殿には『人妻を弄んだ挙句に捨てた非道な男』と醜聞が立つだろう。チャーリー殿がお望みならば、ここに居る全員が証を立てても構わない」
「ドルトン侯爵家と縁付かれるのであれば、借金の事も少しは気が楽になられるのではないですかな。何も貴方の代で全て返せという訳ではありませんからな。
そうそう、ご安心頂く為にもこちらを用意して来ております。円満に、皆が幸せになる為にも不可欠ですからな」
「これは……」
「ご覧の通り、婚姻に関する書類です。お互いの為、醜聞を避けるためにも、この場で婚姻白紙と同時に新たな婚姻を結んでしまうのが一番だと思いますぞ。もし、後日――万が一にでもメイソン殿に逃げられてしまったらフレール嬢はどうなりますかな」
「あの人がそんな事をなさる筈がございませんわ! 私、今からメイソン様に来て下さるようにと手紙を書きます!」
修道院長の言葉を否定し、食ってかかるフレール。舅が慌てて叱責し、娘の無礼を詫びた。しかしメンデル修道院長は気を悪くした様子も無くニコニコとしている。
「おお、そうであれば『円満無事に夫と別れられそうなのであなたをリプトン伯爵次期当主としてお迎えしたいからすぐ来てください』とでもお書きになればどうですかな。すぐにいらっしゃって下さると思いますぞ」
フレールは憤然としたまますぐさま道具を持って来させ、その場で手紙を書いた。彼女の侍女はそれを持って慌ただしく屋敷から出て行った。
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