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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。
グレイ・ルフナー(25)
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キャンディ伯爵家の薔薇の間。マリーを迎えに来た僕はそこへ通され、彼女の準備が整うまで待つことになった。お茶を供されたものの、あまり飲むと厠が近くなるので唇を濡らす程度に留めておく。何と無しに窓辺に寄り、外の景色を眺める事にした。
薔薇の間というだけあって、部屋のそこかしこに薔薇の装飾があるだけではなかった。眼下には先日マリーがお茶を飲んでいた伯爵家の広大な薔薇庭園が遠くまで見渡せる。こうして高い場所から見ると分かるが凄い規模だ。流石は伯爵家。
幾何学的な図形を描いているそこは木と蔓薔薇の柱がバランス良く配置され、所々鳥や馬等、面白い形の造形物が点在していた。花が咲いているのは珍しいと思って目を凝らすと、どうも植木を刈り込んで作られるそれではなく蔓植物を絡ませて作られているようだった。何となくマリーの顔を思い浮かべてしまい、僕はふっと笑った。
家は大丈夫だろうか。今頃きっと不備はないか、料理は大丈夫か等と昨日以上に慌ただしく動いているだろう。
昨日の事を脳裏に思い浮かべる。
***
僕は薔薇庭園であれこれと使用人達に指図していた。薔薇好きな彼女に喜んで貰う為にも工夫を凝らしておかねばならない。
昼食は家族と一緒に、そしてその後は僕達二人で薔薇園の中の東屋でゆっくりお茶を楽しむようにと段取りをしていた。特に後者はデート同然なので気合を入れている。
母屋では母が取り仕切って大掃除だの食事のメニューだの忙しくしており、屋敷全体がそわそわとしていた。
キャンディ伯爵家とのやり取りには、薔薇庭園を見学させたいので庭師二人を同行させたいとあった。あのデートの時の事を思い出し、恐らく影の仕事だろうと了承した。
マリーのドレスは薔薇をイメージしたものにするという。ならば僕のはそれを引き立てるようなものが良いだろう。手持ちの上等な服の中から、緑を基調とした上衣を選んだ。
胸飾りには黄金を閉じ込めたような琥珀のブローチを。マリーの色だ。
そして今日。僕は家族の誰よりも早く起きた。髪を撫でつけ顔を整え、最上級に装いを凝らした僕はキャンディ伯爵家へと向かい、ここで彼女を待っている。
***
背後から扉がノックされる音。振り向くと同時にそれが開かれ、僕の前に現れたのは正しく薔薇の女神だった。
長い髪を複雑に編み込んで、すっきりと後ろで一纏めにしている。後ろへ流している姿も良いけれど、纏めると印象がぐっと大人びて凛とした魅力がある。それでいて華やかさと愛らしさを失っていないのは全体的な薔薇の意匠にあった。
身に纏う落ち着いたピンクのガウンドレスには宝石や薔薇の装飾が散りばめられている。同じ装飾のヘッドドレスは一般的な鶏のトサカを思わせるような形ではなく、頭の形に沿っていた。
耳元に近いその両側からは細く長いレースやリボンが流れて、外を歩くときっと風を受けてひらひらと舞うのだろう。変わった形だけどそれがマリーに実に良く似合っていた。
「グレイ、おはよう。今日はよろしくね」
腰を落として挨拶をする彼女。我に返り、見蕩れてしまった事を少し悔しく思いながら、僕は騎士の真似事でもって返した。
「お迎えに上がりました、薔薇の女神様」
白い陶器のような手を取って唇を落とす。姿形だけじゃなく、彼女自身からも薔薇の香りが漂って来ていた。
本当にいつも以上に美しいマリー。すべすべした手の甲の感触から名残惜しく唇を離して見上げると、マリーは頬を赤く染めて決まり悪そうに身じろぎしていた。
「も、もうグレイったら……!」
その時、ふと奇妙な音がした。
マリーがはっとなって口元に手をやっている。
「マリー?」
「あ、あの。ええと――ヒクッ」
僕はぽかんとした。
もしかして、『小鬼の悪戯』?
吃逆は小鬼が腹の中に入り込んで悪さをするからだと言われている。止めるには小鬼を何とかして追い出すしかない。驚かして飛び出させるか、息を止めて窒息させるか、水を飲んで水責めにするか。何でも100回以上続くと死んでしまうとか。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌て、また混乱しているのか息を大きく吸っては止めているマリー。しかしなかなか収まらない。女神が途端に普通の少女になる。やっぱりマリーはいつものマリーだ。その落差に僕は思わず笑ってしまった。
マリーが潤んだ目で睨みつけて来る。僕は断りを入れて彼女の両耳に人差し指を差し込んだ。
「シャブリリ、ブリリ、リリ、リ、悪魔よ去れ」
小さく呪文を呟く。僕の経験上、息を止めたりするよりはずっと効果がある呪いだと思う。
しばしの後――彼女の吃逆は止まっていた様子なので、そっと指を抜いた。無事に小鬼を追い出せたようだ。
マリーが驚いた様子で見詰めて来る。僕は吃逆止めのおまじないだと説明した。
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに礼を言う彼女。食べてしまいたい程に愛らしい。先日のお返しもある事だし、と僕は自分に言い訳をしながらその頬にわざと音を立てて口付けをした。案の定マリーに怒られたが、そんな彼女もまたじゃれついてくる子猫のようにチャーミングだ。
「お返ししないと礼儀に反するんだよ」と調子に乗って嘯く僕。しかし流石に神はお許しにならなかったのだろう。
マリーの侍女にやり過ぎないようにと釘を刺されてしまった。「さもないと潰されますわ」と氷の表情で言うその視線の先がどこにあるか正確に分かってしまって僕は震え上がった。『心得』があるらしいマリーの侍女は、きっと僕より強い。潰すのも簡単だろう。
マリーも同じように思ったのか、侍女に素直に謝っている。僕、しまらないなぁ。
薔薇の間というだけあって、部屋のそこかしこに薔薇の装飾があるだけではなかった。眼下には先日マリーがお茶を飲んでいた伯爵家の広大な薔薇庭園が遠くまで見渡せる。こうして高い場所から見ると分かるが凄い規模だ。流石は伯爵家。
幾何学的な図形を描いているそこは木と蔓薔薇の柱がバランス良く配置され、所々鳥や馬等、面白い形の造形物が点在していた。花が咲いているのは珍しいと思って目を凝らすと、どうも植木を刈り込んで作られるそれではなく蔓植物を絡ませて作られているようだった。何となくマリーの顔を思い浮かべてしまい、僕はふっと笑った。
家は大丈夫だろうか。今頃きっと不備はないか、料理は大丈夫か等と昨日以上に慌ただしく動いているだろう。
昨日の事を脳裏に思い浮かべる。
***
僕は薔薇庭園であれこれと使用人達に指図していた。薔薇好きな彼女に喜んで貰う為にも工夫を凝らしておかねばならない。
昼食は家族と一緒に、そしてその後は僕達二人で薔薇園の中の東屋でゆっくりお茶を楽しむようにと段取りをしていた。特に後者はデート同然なので気合を入れている。
母屋では母が取り仕切って大掃除だの食事のメニューだの忙しくしており、屋敷全体がそわそわとしていた。
キャンディ伯爵家とのやり取りには、薔薇庭園を見学させたいので庭師二人を同行させたいとあった。あのデートの時の事を思い出し、恐らく影の仕事だろうと了承した。
マリーのドレスは薔薇をイメージしたものにするという。ならば僕のはそれを引き立てるようなものが良いだろう。手持ちの上等な服の中から、緑を基調とした上衣を選んだ。
胸飾りには黄金を閉じ込めたような琥珀のブローチを。マリーの色だ。
そして今日。僕は家族の誰よりも早く起きた。髪を撫でつけ顔を整え、最上級に装いを凝らした僕はキャンディ伯爵家へと向かい、ここで彼女を待っている。
***
背後から扉がノックされる音。振り向くと同時にそれが開かれ、僕の前に現れたのは正しく薔薇の女神だった。
長い髪を複雑に編み込んで、すっきりと後ろで一纏めにしている。後ろへ流している姿も良いけれど、纏めると印象がぐっと大人びて凛とした魅力がある。それでいて華やかさと愛らしさを失っていないのは全体的な薔薇の意匠にあった。
身に纏う落ち着いたピンクのガウンドレスには宝石や薔薇の装飾が散りばめられている。同じ装飾のヘッドドレスは一般的な鶏のトサカを思わせるような形ではなく、頭の形に沿っていた。
耳元に近いその両側からは細く長いレースやリボンが流れて、外を歩くときっと風を受けてひらひらと舞うのだろう。変わった形だけどそれがマリーに実に良く似合っていた。
「グレイ、おはよう。今日はよろしくね」
腰を落として挨拶をする彼女。我に返り、見蕩れてしまった事を少し悔しく思いながら、僕は騎士の真似事でもって返した。
「お迎えに上がりました、薔薇の女神様」
白い陶器のような手を取って唇を落とす。姿形だけじゃなく、彼女自身からも薔薇の香りが漂って来ていた。
本当にいつも以上に美しいマリー。すべすべした手の甲の感触から名残惜しく唇を離して見上げると、マリーは頬を赤く染めて決まり悪そうに身じろぎしていた。
「も、もうグレイったら……!」
その時、ふと奇妙な音がした。
マリーがはっとなって口元に手をやっている。
「マリー?」
「あ、あの。ええと――ヒクッ」
僕はぽかんとした。
もしかして、『小鬼の悪戯』?
吃逆は小鬼が腹の中に入り込んで悪さをするからだと言われている。止めるには小鬼を何とかして追い出すしかない。驚かして飛び出させるか、息を止めて窒息させるか、水を飲んで水責めにするか。何でも100回以上続くと死んでしまうとか。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌て、また混乱しているのか息を大きく吸っては止めているマリー。しかしなかなか収まらない。女神が途端に普通の少女になる。やっぱりマリーはいつものマリーだ。その落差に僕は思わず笑ってしまった。
マリーが潤んだ目で睨みつけて来る。僕は断りを入れて彼女の両耳に人差し指を差し込んだ。
「シャブリリ、ブリリ、リリ、リ、悪魔よ去れ」
小さく呪文を呟く。僕の経験上、息を止めたりするよりはずっと効果がある呪いだと思う。
しばしの後――彼女の吃逆は止まっていた様子なので、そっと指を抜いた。無事に小鬼を追い出せたようだ。
マリーが驚いた様子で見詰めて来る。僕は吃逆止めのおまじないだと説明した。
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに礼を言う彼女。食べてしまいたい程に愛らしい。先日のお返しもある事だし、と僕は自分に言い訳をしながらその頬にわざと音を立てて口付けをした。案の定マリーに怒られたが、そんな彼女もまたじゃれついてくる子猫のようにチャーミングだ。
「お返ししないと礼儀に反するんだよ」と調子に乗って嘯く僕。しかし流石に神はお許しにならなかったのだろう。
マリーの侍女にやり過ぎないようにと釘を刺されてしまった。「さもないと潰されますわ」と氷の表情で言うその視線の先がどこにあるか正確に分かってしまって僕は震え上がった。『心得』があるらしいマリーの侍女は、きっと僕より強い。潰すのも簡単だろう。
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