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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。
グレイ・ルフナー(30)
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「マリー! 襲われたって聞いたんだけど無事なの!?」
「え、ええ…」
問いかけると、困惑するように答えるマリー。僕はとにかく彼女の無事を確認したかった。周囲に構わず座っている彼女の近くに一直線に向かう。食い入るようにその全身を凝視する。命が無事で良かった。だけど怪我は――無いようだ。
「良かった……」
僕は安堵して神に感謝した。
「グレイ君、良く来てくれたわ」
奥様が声を掛けて来る。そうだ、ご挨拶もしていなかった。
僕はそちらに向き直ると紳士の礼を取る。先程までの無礼を詫び、連絡をくださった旨のお礼を述べた。
「マリーちゃんも心細かったでしょうから、駆け付けて来てくれて心強いわ。折角だからお夕食を一緒にどうかしらと思って。アール君は?」
僕だけが馬で先行してきた事と、後で追い付いてくるだろうと伝えると、奥様は玉を転がすように笑って「愛されているわねぇ」とマリーを揶揄う。マリーは恥ずかしそうに縮こまって僕を見た。
「あの、グレイ……急いで来てくれてありがとう」
先日の詫びと首の具合について聞かれたので、もう大丈夫だと動かす。彼女はそれを見て、ほっとしたように表情を緩めた。
一段落したところで姉君達が気を利かせて下さったので、僕はマリーと喫茶室を出る。
「グレイ、私の部屋で休みましょう」とマリーが言いだして、ドキリとした。
好きな女の子の部屋で、二人きり……。あらぬ妄想をしてしまう。
「では、従僕を呼びましょう。私も控えておりますので」
しかしそれを一瞬で吹き飛ばしてくれたのは他ならぬマリーの侍女。そうだった、この人が居たよ。
***
「ここがマリーの部屋? いいの、僕が入っても」
「ええ」
招き入れられた彼女の部屋は薔薇の意匠で統一されていた。本当にお伽話のお姫様のような、可愛らしい部屋だった。マリーの使っている香水であろう、ふわりと薔薇の香りが漂っている。
彼女が使っているであろう鏡台に案内される。急いでいたとはいえ、鏡に映った自分のあまりにもみすぼらしい姿に絶句しながら従僕の手入れを受けた。
鏡越しにマリーが僕の事を凝視しているのが分かる。何か言いたげな表情だ。
「何があったか、良かったらマリーの口から聞かせてくれないかな」
水を向けてみると、マリーは下を向いて話し出した。
「今日、イサークとメリーに遊んでってせがまれたの。それで小さな気球というものを作ったわ。それは火を使うし空に浮かぶものだから、安全の為にパーゴラの下で飛ばしていたの。そうしたら風に攫われて流されて行っちゃって。
追いかけたら、それが燃えながら乾草の山に落ちて、火が燃え広がってしまったの。そしたら、あの曲者が服に火が付いた状態で飛び出して来て――幸いサリーナや庭師達が居てくれたから助かったけど、とっても怖かった」
それを聞いて、僕は思わず笑ってしまった。何だ、それ。潜んでいた乾草の山に火が付くなんて凄い確率だ。曲者も運が無さすぎる。
反面、マリーはきっと神の寵愛を受けているんだろう。知るはずの無い事を知っているというのも、彼女が神の愛し子だと考えると不思議じゃない。
マリーは僕が笑った事に不服なようで、「兄様達にも笑われたのに、グレイまで笑わなくっても良いじゃない」と怒った。「沢山の鋭いナイフに銀で判別出来ない毒茸まで持っていたんだから。笑いごとじゃないのよ、本当に」
泣きそうな表情になったマリー。僕は反省して謝った。
「だけど、こうして笑えているのは、マリーが無事だったからなんだ」
知らせを受け取った時は世界が一瞬にして真っ暗になった。彼女を失う恐怖で自分がどうにかなりそうだった。
「もう…」
僕の言葉にマリーは困った人ねと言うように肩を落とす。
僕も命を狙われた事は何度もあるけど、彼女は自覚したのはこれが初めてなのかも知れない。それにしてもこの屋敷の警備はかなりのものだと思うのに、潜伏していたのは相当な手練れなのだろう。
依頼した者も余程金を払ったか、それともそれなりの身分か。問題は何の目的で、キャンディ伯爵家の誰の命を狙ったのか、だ。これは後でサイモン様に確認する必要がある。
「終わりました」
従僕が僕の身なりを整え終わる。「何かあれば外に控えておりますので」と侍女が従僕を連れて部屋を出て行った。
僕はマリーに向き直る。彼女が話したい事はさっきの事だけじゃないだろう。
俯いた彼女の顔を覗き込むようにして訊くと、口籠って何事かを言いかけ、咳払いをする。手の指を忙しなく動かしながら「話したいというか、ただ聞いて欲しいの」と小さな声で言った。
話を聞くと、マリーは自分の無力さに悩んでいるようだった。家族が危険に晒されているのに何も出来なかったと。サイモン様や兄君達に何とか知恵を絞って意見をしたが、却下されたらしい。
彼女は色々な事を知っているが故にそういう悩みを抱いてしまったようだ。僕は人には向き不向きがあると思う。マリーには武器とか軍事的な事には向かないし、何より相応しくない。
それに、何となくサイモン様や兄君達の気持ちが分かる。
「……サイモン様は、さ。マリーの事が本当に可愛いんだよ。だから、危険からなるべく遠ざけておきたいと思ってそういう風に言ったんじゃないかな。兄君達もね」
そして、僕も。マリーには安全に守られた場所で幸せに笑っていて欲しい。
それでも気持ち的に納得いかなかったのだろう。マリーは自分の無力さが悔しいと溜息を吐いた。
「え、ええ…」
問いかけると、困惑するように答えるマリー。僕はとにかく彼女の無事を確認したかった。周囲に構わず座っている彼女の近くに一直線に向かう。食い入るようにその全身を凝視する。命が無事で良かった。だけど怪我は――無いようだ。
「良かった……」
僕は安堵して神に感謝した。
「グレイ君、良く来てくれたわ」
奥様が声を掛けて来る。そうだ、ご挨拶もしていなかった。
僕はそちらに向き直ると紳士の礼を取る。先程までの無礼を詫び、連絡をくださった旨のお礼を述べた。
「マリーちゃんも心細かったでしょうから、駆け付けて来てくれて心強いわ。折角だからお夕食を一緒にどうかしらと思って。アール君は?」
僕だけが馬で先行してきた事と、後で追い付いてくるだろうと伝えると、奥様は玉を転がすように笑って「愛されているわねぇ」とマリーを揶揄う。マリーは恥ずかしそうに縮こまって僕を見た。
「あの、グレイ……急いで来てくれてありがとう」
先日の詫びと首の具合について聞かれたので、もう大丈夫だと動かす。彼女はそれを見て、ほっとしたように表情を緩めた。
一段落したところで姉君達が気を利かせて下さったので、僕はマリーと喫茶室を出る。
「グレイ、私の部屋で休みましょう」とマリーが言いだして、ドキリとした。
好きな女の子の部屋で、二人きり……。あらぬ妄想をしてしまう。
「では、従僕を呼びましょう。私も控えておりますので」
しかしそれを一瞬で吹き飛ばしてくれたのは他ならぬマリーの侍女。そうだった、この人が居たよ。
***
「ここがマリーの部屋? いいの、僕が入っても」
「ええ」
招き入れられた彼女の部屋は薔薇の意匠で統一されていた。本当にお伽話のお姫様のような、可愛らしい部屋だった。マリーの使っている香水であろう、ふわりと薔薇の香りが漂っている。
彼女が使っているであろう鏡台に案内される。急いでいたとはいえ、鏡に映った自分のあまりにもみすぼらしい姿に絶句しながら従僕の手入れを受けた。
鏡越しにマリーが僕の事を凝視しているのが分かる。何か言いたげな表情だ。
「何があったか、良かったらマリーの口から聞かせてくれないかな」
水を向けてみると、マリーは下を向いて話し出した。
「今日、イサークとメリーに遊んでってせがまれたの。それで小さな気球というものを作ったわ。それは火を使うし空に浮かぶものだから、安全の為にパーゴラの下で飛ばしていたの。そうしたら風に攫われて流されて行っちゃって。
追いかけたら、それが燃えながら乾草の山に落ちて、火が燃え広がってしまったの。そしたら、あの曲者が服に火が付いた状態で飛び出して来て――幸いサリーナや庭師達が居てくれたから助かったけど、とっても怖かった」
それを聞いて、僕は思わず笑ってしまった。何だ、それ。潜んでいた乾草の山に火が付くなんて凄い確率だ。曲者も運が無さすぎる。
反面、マリーはきっと神の寵愛を受けているんだろう。知るはずの無い事を知っているというのも、彼女が神の愛し子だと考えると不思議じゃない。
マリーは僕が笑った事に不服なようで、「兄様達にも笑われたのに、グレイまで笑わなくっても良いじゃない」と怒った。「沢山の鋭いナイフに銀で判別出来ない毒茸まで持っていたんだから。笑いごとじゃないのよ、本当に」
泣きそうな表情になったマリー。僕は反省して謝った。
「だけど、こうして笑えているのは、マリーが無事だったからなんだ」
知らせを受け取った時は世界が一瞬にして真っ暗になった。彼女を失う恐怖で自分がどうにかなりそうだった。
「もう…」
僕の言葉にマリーは困った人ねと言うように肩を落とす。
僕も命を狙われた事は何度もあるけど、彼女は自覚したのはこれが初めてなのかも知れない。それにしてもこの屋敷の警備はかなりのものだと思うのに、潜伏していたのは相当な手練れなのだろう。
依頼した者も余程金を払ったか、それともそれなりの身分か。問題は何の目的で、キャンディ伯爵家の誰の命を狙ったのか、だ。これは後でサイモン様に確認する必要がある。
「終わりました」
従僕が僕の身なりを整え終わる。「何かあれば外に控えておりますので」と侍女が従僕を連れて部屋を出て行った。
僕はマリーに向き直る。彼女が話したい事はさっきの事だけじゃないだろう。
俯いた彼女の顔を覗き込むようにして訊くと、口籠って何事かを言いかけ、咳払いをする。手の指を忙しなく動かしながら「話したいというか、ただ聞いて欲しいの」と小さな声で言った。
話を聞くと、マリーは自分の無力さに悩んでいるようだった。家族が危険に晒されているのに何も出来なかったと。サイモン様や兄君達に何とか知恵を絞って意見をしたが、却下されたらしい。
彼女は色々な事を知っているが故にそういう悩みを抱いてしまったようだ。僕は人には向き不向きがあると思う。マリーには武器とか軍事的な事には向かないし、何より相応しくない。
それに、何となくサイモン様や兄君達の気持ちが分かる。
「……サイモン様は、さ。マリーの事が本当に可愛いんだよ。だから、危険からなるべく遠ざけておきたいと思ってそういう風に言ったんじゃないかな。兄君達もね」
そして、僕も。マリーには安全に守られた場所で幸せに笑っていて欲しい。
それでも気持ち的に納得いかなかったのだろう。マリーは自分の無力さが悔しいと溜息を吐いた。
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